初恋1
「……ちゃん、みつきちゃん」
誰かが呼んでいる。
「これ、みつきちゃんがもってて」
白いもやがかかっていて見えない。これは夢だ。遠い記憶の中の夢だ。
「おとなになったら、ぼくと――」
*
そこでハッと目が覚めた。身体を起こし、目をこする。
「何の夢だったんだろ……」
光姫の名を呼んでいたのは幼い男の子の声だった。聞き覚えがあるような、ないような。ついさっきまで見ていた夢なのにもう半分くらい忘れてしまっている。夢とはそういうものだ。
「おはようランラン」
パンダのランランに挨拶し、改めて光姫の一日が始まる。髪をゆるめのサイドテールに結わき、お気に入りのピンクのリボンをつけたらいつもの光姫になる。
今日は道場を見学させてもらうことになっていた。ちなみに門下生たちには既に「蒼永の許婚」だと知れ渡っているらしい。
「光姫ちゃーん!」
「あ、コータさん。おはようございます」
「おはようさん、光姫ちゃん」
「ケンイチさんもおはようございます」
最初は少し怖いと思ったコータもケンイチも、話してみればとても気さくでいつの間にか打ち解けていた。
コータ、ケンイチ、そしてマサオの三人は子どもの頃から道場に通っている古株らしい。三人とも大学生でいずれも大学選手権で優勝争いをするほどの猛者だという。
「どうや光姫ちゃん。ここが九竜道場の剣道場や。俺の剣さばき、見ていかんか?」
「いやいや、ボクの弓道場へおいでよ。精神統一の場なんだ。心が落ち着くよ」
「あはは。どうしようかな」
他にも柔道場、合気道場、空手道場がある。どの道場からも気合の入った声が聞こえ、熱気が伝わってくる。
「ところで蒼永はどこにいるんですか?」
「あー、今日は柔道やったかな」
「やっぱり許婚が気になるよねー」
「そうゆうわけじゃないですっ」
「まあまあ、案内するで」
柔道場を覗いてみると、蒼永が練習試合を行うところだった。相手はマサオだ。大柄でがっしりとした体型で、蒼永よりも大きい。にも関わらず、すぐにマサオの懐に潜り込んだかと思うと、華麗な一本背負いを決めた。流れるような鮮やかさに、光姫は思わず見入ってしまう。
「すごい……」
「やろ?俺も一度も勝てへんねん」
「そうなんですか!?」
「ボクも。絶対ど真ん中射抜いてくるんだもん」
「あいつはほんまの天才や」
もちろん空手も合気道も超一流の腕前なのだという。蒼永は曜日で練習する種目を決めており、毎日別の武道に打ち込んでいるのだそうだ。
ケンイチらの話によれば、蒼永は5,6歳頃から群青直々に五つの武道を教え込まれた。徹底的に道場の跡取りとして鍛えられたのである。その結果負けなしの武道の天才と言われるようになった。
「ガッハッハッ!また負けたわい!」
先ほど豪快に投げられたマサオは豪快に笑う。
「今日こそはと思うたんじゃけどのぉ」
「まだまだだな」
「許婚の前で負けるわけにゃいかんか!」
「ハア?」
マサオはちょいちょいと前を指差す。蒼永はその方向に振り返り、あからさまに嫌そうな顔をする。
「なんでいるんだよ……」
「よおアオト。お疲れやで!」
「よっ、色男!」
「うるせえよコータ。――で?なんでお前がいるんだよ」
チラリと光姫を見やる視線と口調にムッとして言い返す。
「私が来たらいけないの?」