気づいたら……そこは異世界でした
「あ、えっと……。俺は岸沢零音(きしざわ-れおん)です」
臙脂色のズボンを穿き、同色の上着を羽織った俺は日本のテレビドラマで大学入試などが行われているシーンでよく見る、長机が並ぶ教室の教卓の前で挨拶をした。
声はブルブルと震えている。
その机にはそれぞれ両端に、1人ずつ腰を下ろしている。
金髪の縦ロールの子から赤髪ツインテールの子まで、多種多様の髪色をした女の子たちに青髪の男の子までもが揃っている。
その者たちが揃って俺に奇異の目を向けている。
──なんで俺こんな所にいるんだ……?
***
ここは日本。季節は夏で時間帯は夜。
俺は夏休みということもあり、ぐうたらな生活を送っていた。
だが、明日は夏休みの間に1度だけある登校日。
いつもは11時過ぎて起きる毎日だったために、早めに寝なければと思っているところだ。
テレビ番組は至ってしょうもない。
「最近テレビ面白くないよな」
俺が独りごちると夕飯の支度をしている母さんがため息混じりに言葉を返す。
「そんなこと言ってる暇があるなら手伝ってよ」
「へいへーい」
俺は座っていた椅子から腰を上げる。
母さんが味噌汁を容器にいれ、それを俺がテーブルまで運ぶ。
「今日は2つでいいの?」
俺は2つしか用意されていない容器に目をやり訊く。
「あぁ、うん。お姉ちゃん、今日帰って来ないらしいから」
母さんは平然を装っているつもりだろうが、少し暗さが滲み出ている。
「また男のとこ?」
湯気のあがる味噌汁の入った容器を手に持ち、テーブルに向かいながら怪訝げに訊く。
「知らないわよ」
ちょっと怒った気に言う。
唐揚げに惣菜もののサラダ、それから味噌汁が今日の夕飯メニューだ。
「いただきます」
合掌してそう言い、お箸を手に持つ。まず始めに唐揚げに手を伸ばす。
芳ばしい香りを放つ唐揚げは、口に入れるや否やジューと肉汁を発散させる。
「んー、うまい」
俺は笑顔でそう告げ、白米をかけ込む。
「もうちょっとゆっくり食べなさいよ」
母さんは苦笑気味にそう言うも、表情は喜びで溢れている。
「ごちそうさまでした」
それぞれのお皿に疎らにおかずが残っているが、それは3人を予定して用意されたものだから仕方がない。
「じゃあ、お風呂にでも入ってきなさい」
母さんは食べ終えた食器をシンクに運びながら、流れ作業の如くそう告げる。
「分かってるよ」
めんどくさいな、と思いながらも脱衣場へと向かった。
***
風呂から上がった俺は、上下水色のスエットを着て脱衣場から現れる。
「ホント、零音はそれ似合わないわね」
母さんはパジャマ姿の俺にそう投げる。
いやいや、これ買ってきたの母さんだからな? という今にも喉から出てしまいそうな言葉をぐっと呑み込む。
「ほっといて」
拗ねるようにそう告げ、俺は2階へと上がった。
「勉強するの?」
試すような母さんの口調に俺は、階段を上りながら口角を釣り上げ、
「さぁな」
と母さんと同じように試すように言ってやった。
「とは言ったものの、何しようか」
自室の前まで来た俺はぼそっと呟く。それから、まぁいっか、と考えドアノブに手を当てる。
「いっ!」
思わず手を離してしまう。
「この時期に静電気とか、どんなだよ」
独りごちりながら俺は再度、ドアノブに手をあてる。次は静電気が来ることは無かった。
そしてそのまま左方向へドアノブを捻り、回し押した。
刹那、一瞬にして視界をホワイトアウトさせるほどの閃光が迸った。
俺は瞳を閉じ、両腕で顔を覆うように持ち上げる。
どれほど視界が戻らなかったか分からないが、それほど時間は経っていないような気がする。
そして俺は異変に気がついた。
***
「ここは……どこだ?」
床一面に白銀に輝くタイルが敷き詰められており、見渡す限りの広間がそこにはあった。
「俺の部屋……のはずないよな」
広さにしておよそ東京ドーム半分ほどの大きさ。そんな広いものが俺の部屋に入るはずがない。
周囲を確認するべく、キョロキョロと頭を回す。
するとちょうど真後ろに扉が存在していた。
黄金色の扉で、鈍く輝き重みがありそうだ。それに、如何にも高級そうな雰囲気を醸し出している。
俺は一瞬の躊躇いの後にその扉へと近づいた。遠くから見ても大きいとは感じていた。しかし、間近で見るそれの巨大さは常軌を逸していた。
縦方向はおよそ5メートル、横方向はおよそ3メートル。簡易的に見てもそれほどの大きさはある。
中型巨人程度なら普通に通ることができそうだな。
「あっ……」
そんなことを思いながら俺は更に扉へと近づく。すると、そこに見慣れたものがあった。
「なんでこれが?」
化学の授業で習ったベンゼンを略式化して書いたものだった。六角形のうち、二辺だけが二重線になっている。
それを確かめるため俺は扉に頭をつける勢いで覗き込む。
「なんじゃ、これ」
思わずそんな言葉が漏れる。
遠くからはもちろん、間近でも発見することができなかったあらゆる模様が浮かび上がっていた。
それらは全て俺が見たことあるものばかりだった。
ボーリングチェーン店である、ラウドワンに牛丼チェーン店の数寄屋。それからセブントゥエルブ、ロースンなどコンビニのロゴまで入っており、極め付けには"隣の居乳人妻のポロリ事情"などと言った、俺の秘蔵コレクションのタイトルまでもが刻まれていた。
「まさか……この扉が俺の部屋……?」
ここに来て俺はその考えに至った。部屋にはラウドワンのクーポン券や数寄屋のレシート。セブントゥエルブやロースンなどもレジ袋が散乱していた。そして、ベッドの下にはイヤラシイビデオや本が片付けてある。
扉に刻まれているモノ全てが俺の部屋に収容されていたものだったのだ。
どうなってんだよ、その考えを捨てることはできず俺は右手を上げ、扉に触れた。
冷たく、しっかりとした感触が手のひらに伝わってくる。
扉……だよな。
怪訝そうな顔を浮かべ、右手に力を加えてみる。
刹那、見た目の質量感からは想像も出来ない軽さで扉が開かれていく。
僅かに軋むも、これといって気になるほとでもない。
開かれる扉の隙間からドンドンと光が洩れてくる。
その光に目を細めながら、俺は扉を開ききり、その先へと足を踏み入れた。
「嘘だろ……」
声が洩れてしまう。
それは眼前の景色が日本で見られるそれとは、全く違っていたのだ。
「ここ何処だよォォォォォ!!」
訳の分からない景色に俺は、天を向いて咆哮を上げるのだった。