7・私は、目を覚ます。
―――――私は、まぶたをゆっくり開く。視界が開けて、だんだん明るくなっていった。
「・・・ここはどこ?」
私は起き上がる。
目の前に広がっている景色は、知らない景色。見たこと無い場所。私は、フローリングの床の上に寝転がっていた。周りを見渡す。木のベッド、白い勉強机、所々靴下や服が顔を覗かしている黒いタンス、散らばっているゲーム機など。
ひと言でいえば、散らかった子供部屋だ。
体が重い。さっきまでと違って、身体がちゃんと重力を感じている。
おかしい。私は、幽霊のはずなのに。
『あ、起きたか?』
どこからか、声が聞こえた。頭に響く、聞き覚えのある声。
「えっ、誰!? ・・・えっ!?なにこの声っ」
私が発する言葉が、私でない誰かの声に変換されている!?男の子の声だ。私の声じゃない。聞き覚えのある様な、ない様な声だ。
なんで? どうして?
『オレだよ、オレ』
「だから、誰!? どういう状況!?」
オレオレ詐欺かよ。オレって誰だよ。一体、何がどうなってんの。
「イタっ!?」
と、急に体に痛みを感じる。ジンジンする痛さだ。
(あ、すまん。オレ、腹を怪我してたんだよ)
「怪我ってなによ?」
『いやいや、轢かれただろ?トラックにさ』
・・・ん? 待てよ、この喋り方は・・・。
「正午?」
私は思い出す。姿は見えないけれど、その声は確かに正午で。
『あ、あぁ。一応あってるかもな』
正午は答える。
『・・・でも、今はお前がオレだよ?』
「ふばごへぇっっっっ!!??」
何そのセリフ、気持ち悪っ。一瞬鳥肌がたったよ。
(ほんとだって! 自分を見てみろよ)
言われた通り、私は自分の手と体を見る。私は、学ランを着ていた。
「なんで? セーラー服はどこ行ったの」
『百聞は一見に如かずだな!』
私の右腕に何故か力が入る。誰かが動かしているようで。勝手に右手が開く。
『ほいっ』
部屋の右端に転がっていた黒い物体がカタカタと震える。そして、私めがけて飛んできた!
「わっ! なにこれ!!」
『手鏡』
手短に答える正午の声と共に、私の開いている右手に手鏡が収まった。
「どうやったの、これ!」
私がびっくりして正午に聞く。私は、手鏡の中をのぞいた。
鏡に私の姿は映らない。
「あれ・・・?」
そこに映ったのは、私でなく、よく見覚えのある顔。厄介な、面倒な奴の顔。
「いやだっ!?」
『なっ、失礼なっ! オレのことを何だとっ!?』
そう。映ったのは、桜井正午だった。
◇
目を覚ましたら、私はクラスメートの男子になっていた。そんなあり得ない事が起こってしまった。嘘だろうと思うにも、鏡に映るその姿を見てからは否定しがたい。鏡に映ったのは私ではなく、クラスメートの桜井正午だったからだ。
「てかさー。なんで私があんたのフリして学校行かんきゃいけないのさー」
『しょうがないだろ? 今は、お前がオレなんだから!』
「・・・・・・それ、やめて」
私は今、正午の格好をしたまま中学校へと向かっている。
いつかのあの日を思い出させるような、太陽の激しい日光が私を照らす。
「あ~いやだな~。私、幽霊のままが良かったな」
『あとお前な、自分のこと”私”って言うなよ!』
「何でさ?」
『オレがそう言ったら、それこそ気持ち悪いだろ』
「あ、自分で認めた」
『違ぇーよ!!』
「ふーん」
こんな他愛のない話をするのも、悪くはないかもな~と私は思う。例え相手が目に見えなくてもね。
はたから見れば独り言の激しい不審者ではあるが。
『あ、あれは・・・』
正午が反応する。どうしたの、と私が聞くと正午は後ろ、と小さく答えた。
私が後ろを振り返ると。
「あ、アユ!!」
私は叫ぶ。久しぶりすぎて、涙が出そう。実際にはまだ二週間しか経っていないらしいのだが。
アユこと仁藤歩の元に私は満面の笑みで駆け寄って行く。
「アユぅ~~~~ッ!」
「正午君・・・?」
アユは、明らかに引いてたんだと思う。
『梨花っ!? おい、止まれよ!』
正午が止めようとするのだが、私は嬉しさのあまり、アユに抱きつく。
「にゃっ!?」
「アユ~、寂しかったよ~」
・・・・・・はたから見れば不審者である。もしくは・・・?
私は、アユから離れる。すると、アユはぷるぷると震えだした。
「・・・正午の、ド変っ態ぃっ!!」
――――――――――バシンッッッ!!!!
『お前ぇぇぇっっ!!!!!!!』
正午が物凄い声で私を叱った。
『お前って奴は! 今はオレなんだっていうのを少しは気を付けろよっ!?』
「・・・・・・はーい」
私は、まだヒリヒリしている左のほっぺをさする。
『お前のせいで、オレの変な噂が広がるじゃないかっ!』
「はーい」
『反省しろよ』
「はーい」
『してんのかよ』
「はーい」
『してないって?』
「はーい」
『おいっ!』
しまった、罠にかかってしまった。
しかし、正午はそれ以上怒らなかった。はぁ、とため息を一つ、ついただけだ。
『まあ、久しぶりに会ったんだ。今回ばかりは見逃してやる』
「ありがとう」
一応、お礼を言っておく。
私は、ほっぺをぷくーっと膨らませてそっぽを向いている、アユの隣を歩く。
アユには悪いことをしてしまった。私は、もう私ではなかったんだ。そう、今は正午なのだから。
「ごめんな、歩」
私は正午の口調を、できる限り真似して、アユに謝る。
「・・・・・・いいよ、別に」
アユは口ではそう言ってはいるのだが、やっぱりよくないのだろう。私はすまない気持ちになる。
「悪かったよ、オレが。急に変になって」
「ううん」
アユは、かまわないよ、という風に首を横に振る。
「オレ、どうしちゃったんだろうな」
「・・・梨花ちゃんのことじゃにゃいの?」
アユからそう言ってきたことに、私はびっくりした。
「梨花ちゃんのことにみんな、もともとクラスに居にゃかったようにふるまっているけど、それはふるまってるだけだから。ホントは、みんな悲しんでるんだよ? 正午君だけじゃにゃいんだから」
「え?」
「私だって悲しいし、寂しいよ」
アユは、下を向いて自分の顔を制服の袖でぬぐった。それが涙と気付くのに私は数秒かかった。私は慌ててしまう。
「あっアユ・・・みっ、泣くなよっ!?」
「泣いてなんか無いよ」
アユは顔をあげる。やっぱり泣いていた。目が赤くはれていたから。しかし、アユは無理して微笑んでいた。
「梨花ちゃんは、私達の心の中にまだ生きているから。ね?」
『歩・・・・・・』
正午が呟く声が聞こえた。
「・・・・・・そうだな」
私が頷いても、アユはまだ続ける。
「でも、果たしてそうにゃのかなぁ。私でも考えちゃうよ? そんにゃありきたりの言葉で済まされるのかなぁ? って」
「え?」
私は頭をかしげる。
「本当は泣いている私の心を、無理やりそうやって思い込ませて、済ませようとしてるんじゃにゃいかなぁって。本当に本当の梨花ちゃんはそれでいいのかなぁって・・・・・・梨花ちゃん、怒ってにゃいのかにゃあって」
アユはそれっきり黙り込んでしまった。
まさか、私が実は梨花なんだっていうことも言えずに。でも、今ならアユに言葉を伝えることができる。だから、私はアユにありのままの想いを伝えるんだ。
「梨花は、怒ってなんかいない。むしろ、そう思ってくれていて嬉しいんだよ」
「え?」
アユが変な顔をするもんだから、私は付け加えた。
「・・・・・・きっと!」
私は、空を見上げた。アユは、不思議な顔をしてそんな私を眺めていた。
アユの目には、隣で空を見上げる正午に、なぜか梨花が重なって見えた気がしたのだ。
その青空は、雲一つない快晴だった。