窮嬢猫を噛む③/バタフライ効果
舞台は、彼女が中年男とメイドに裏切られた直後に戻り――――。
「聞いてよっ、お父様! 旅人さんとエレレが酷いのよっ!!」
冷静さを失っているソマリは、本当に自分の父親に愚痴っていた。
「二人して私をのけ者にするのよっ! ねっ、酷いでしょ!? ねっ!!」
「……その旅人という男が、お前が振り向かせたい相手なんだな?」
そして、昨晩の密談からまだ冷静さを取り戻していない父親が対応する。
「そうなのよっ! ……って、あら、お父様も旅人さんを知っていたの?」
「俺はお前の父親だぞ。何でもお見通しだっ!」
「さすがお父様ね!」
興奮状態で冷静な判断が出来ない二人は、勢いのまま話を進めていく。
「それでねっ、旅人さんったら、私とはなんの関係もない赤の他人だから優しくしてくれないのよっ」
「なにっ、俺の世界一可愛い娘を蔑ろにするなんて、なんて男だっ」
「それにねっ、エレレったら、旅人さんを独り占めしようとするのよっ」
「なにっ、エレレも第一夫人の座を狙っているのかっ、なんて女だっ」
二人の会話は、意味するところが違っていたが、奇跡的に噛み合っていた。
「――よしっ! こうなったら迷っている暇はないっ。彼をお前の婚約者として正式に認定しよう!!」
「こん、やくしゃ?」
「そうだっ! 俺は領主として、そして一人の父親として、どんな困難があっても愛し合う二人を応援すると決めたんだっ!!」
「う、うん、ありがとう、お父様?」
「婚約者になれば、彼とも他人じゃなくなるし、エレレにも後れを取らないはずだ!」
「!? そうねっ! それなら旅人さんも優しくしてくれるし、エレレも私の方がすごいって悔しがるわよねっ!」
こうして、この場にいない相手の男はさることながら、当人であるソマリさえもよく分からないうちに……。
本質的に恋愛の何たるかを理解出来ない、ある意味お似合いな二人の婚約が決定したのである。
◇ ◇ ◇
「そういう訳で、お父様が了解したから、私と旅人さんは正式な婚約者になったわ! だから、ちゃんと優しくしてちょうだい!!」
物凄い勢いで戻ってきたお嬢様は、それ以上の勢いでとんでもない事を言い放った。
「……なあ、おたくのお嬢様の頭は大丈夫なのか?」
「……申し訳ありません、グリン様。ワタシも初めて聞きました」
無理矢理連れてこられたらしいメイドさんも、初耳で戸惑っているようだ。
それに、物凄く怒っていらしゃるご様子で、ちょっと怖い。
「これでエレレにばかり偉そうな顔はさせないわよっ。何と言っても、私は婚約者だものっ!」
「……なあ、俺の地元には、壊れたモノを叩いて直す習慣があるんだが?」
「……その役目、ワタシにお任せください」
なるべく穏便に済ませようと、メイドさんに複製魔法で創ったハリセンを渡す。
何やら怒りまくっているメイドさんは、大きく振り上げて思いっきり振り下ろした。
――スパーッン!!
うん、いい音だ。
きっと、中身が空っぽなのだろう。
「ちょっと、何するのよ!?」
「いや、立ったまま寝ぼけているようだから、起こしてやろうと思ってな」
「ちゃんと起きているわよっ! どうしてフィアンセに優しくしてくれないのよっ!?」
「…………重症だな」
どうやら、白昼夢を見ている訳ではないらしい。
「そういえば、脳の血管が切れると意識が混濁する場合があるらしいぞ、メイドさん?」
「魔力を使い切ると、意識が朦朧とする場合があるそうですよ、グリン様?」
「珍しい物が大好きなお嬢様だから、そこらに生えていた毒キノコでも食べたのかもしれないな、メイドさん?」
「相手の意識を操る禁断の魔法があると聞いた事がありますが、グリン様? そしてエレレとお呼びください」
俺とメイドさんは、お互いに理由を模索する。
「とにかく、魔法薬を飲ませてみるか……。エレレ嬢も手伝ってくれ」
「承りました」
「――――んがっっ!?」
メイドさんは、背後に回ってお嬢様を片手で拘束し、もう片方の手でガボッと口を掴んで開けた状態にする。
そこには一切の手加減が感じられない。
うん、やはり怒りMAXなようだ。
「原因が特定出来ないから、全種類の薬アイテムを飲ませてみるか」
「ごがっ!?」
その大きく開いた口に、体力回復薬、魔力回復薬、病気回復薬、毒回復薬、状態回復薬の全5種類をいっぺんに差し込み、一気に体内へと流し込む。
念のため、全てランク10の最高級品を使用。
店で買うとしたら金貨一億枚でも全く足りない代物だが、これでお嬢様のご乱心が治まるのなら安いモノである。
強制的に飲まされているお嬢様は苦しそうにしているが、どうせ回復するのだから問題あるまい。
「――――ぷはっ、なんでこんなに酷い事をするのよっ!? 私が旅人さんの第一夫人になるから、ひがんでいるんでしょ、エレレっ!」
「……これでも駄目か」
どうやら、体や精神の病気ではないらしい。
頼みの綱であった魔法薬が通じないとなれば、他に方法を思いつかないぞ。
「そうよっ、旅人さんと最初に結婚するのは私なのよ!!」
お嬢様は、「海賊王に俺はなる!」みたいなポーズで高らかに叫んだ。
「…………」
「…………」
いかん、いかんぞこれは。
このまま暴走状態のお嬢様を放っておいたら、領主様の権力で無理矢理既成事実にされてしまいそうだ。
そうなったらこの街から逃げればいいのだが、心情的にそれでは済まない。
俺の記念すべき初めての婚約者の座を、俺の事なんて好きでもない小娘に奪われてなるものか。
いやいや、婚約者をつくりたいとか結婚したいとか、そんなつもりは一切ないのだが。
それとは別の話というか、男としての矜持が許さないのだ!
「グリン様、お嬢様の病気を治す手段は、他にないのでしょうか?」
「うーん、そうだなー」
俺に医学の知識はないから、期待されても困るのだが。
でも、万能であるアイテムで治らないって事は、医学とは関係のない要因なのだろう。
お嬢様の無駄なハイテンションからして、乱心しているのは間違いない。
だけど、心の病気であれば、状態回復薬でも治るはず。
となると――――。
「思春期の少女が患うという、思い込みか…………」
体の急成長に心の成長が追いつかない思春期には、精神が不安定となり、ふとした拍子で間違った事実を正しいと思い込む妄想症が発生するらしい。
そんな題材の漫画を見た記憶がある。
妄想症であれば、病気とは違うただの思い込みなので、薬では治らないのだ。
「……なるほど、夢見がちなお嬢様にありそうな症状です」
まだ結婚に理想を求めていそうなメイドさんが言っても説得力に欠けるが、素直に頷いておこう。
「その対処方法はあるのでしょうか、グリン様?」
「確か、暗くて狭い部屋に閉じ込めて、その思い込みを否定し続ければ目が覚めるはずだが……」
あれ、これって麻薬中毒者への対処だったかな?
まあ、どんな形であれ、人格を破壊するほど矯正すればリセットされるはずだ。
「その役目、ワタシにお任せください」
怒りが限界突破しているっぽいメイドさんは、強い覚悟を秘めた表情をしていた。
麻薬中毒者を更生させるためには、家族にも相当の覚悟が強いられるそうだからな。
「ああ、つらい役目になるだろうが、これも全てお嬢様のためだ。心を鬼にして頑張ってくれ!」
「はいっ!」
「まずは動けなくして逆らおうとする意思を奪い、相手の全てを否定する勢いで弱らせ、最後にちょっとだけ優しくすると上手く従順になるらしい。体力勝負になるから、この回復薬を使って飲まず食わずで四六時中折檻……じゃなかった、説得に当たってくれ!」
「――――承りました」
最後にメイドさんは凄絶な笑みを浮かべ、手足を振り回して抵抗するお嬢様の襟首を引っ張り、屋敷へと戻っていく。
後はもう、メイドさんに任せるしかない。
成功を祈る。
そして、お嬢様の無事を祈る。
これで、問題は解決されるはずだが…………。
だがしかし、である。
冷静に考えてみると、もともとアレなお嬢様にしても暴走具合が急すぎる気がする。
「まさか――――」
俺は、頬を引きつらせながら、強制連行中のお嬢様を鑑定した。
名前:ソマリ
スキル:『好奇心6』
「勘弁してくれ…………」
嫌な予感がして鑑定してみたら、案の定である。
確か、領主の襲撃事件のさなか、避難した洞窟で初めて鑑定した時は『好奇心3』だった。
翌日、街の中で再会した時には、『好奇心4』に上がっていた。
その後は鑑定していないので仮定になるが、異世界人である俺に直接関わった事で『好奇心5』にアップしていてもおかしくないだろう。
――――そして、今は、『好奇心6』。
「…………」
短い期間での急激なスキルアップも瞠目すべきであるが。
それ以上に、懸念すべき事がある。
「俺が距離を取ろうとしたために、お嬢様のスキルが無意識に発動し、今回の凶事を生み出したのだとしたら…………」
お嬢様自身の暴走はともかく、周囲の領主までも巻き込んで、その概念的な能力が発揮されたのだとしたら……。
その成果として、スキルがランクアップしているのだとしたら……。
「うおっ、鳥肌が立ったぞっ」
怖い、怖いぞ、それ。
それはもう、スキルじゃない。
心霊現象みたいなオカルトだ。
怖い怖い怖すぎる。
婚約者事件なんてどっかに吹き飛ぶほどの怖さだ。
「もしかして彼女のスキルは、まだ進化の途中なのか……」
格好つけて意味深な台詞を呟いてみたが、洒落にならない。
このままお嬢様のスキルが進化していけば、いずれ俺は好奇心の餌食になってしまうのではなかろうか。
好奇心の餌食…………。
それはいったい、俺にとってどんな意味を持つのだろうか。
「…………」
ランクとは、一から始まり上がっていく方式で、十が最上。
……だけども、「好奇心スキル」のランクアップは、まるで運命の猶予を表すカウントダウンに思える。
「くわばら、くわばら……」
やはり、お嬢様と親しくしすぎるのは危険だ。
だが今回のように、無理に離れようとすると逆効果になる。
結局は、今までみたいなゆるい関係を保ちつつ、刺激を与えるイベントを控えるのが一番だというのか…………。
「――――――」
俺は、お嬢様とメイドさんが戻った屋敷の方角を見て、身震いしながら冷や汗を流すのであった。
その後……。
メイドさんの献身的な集中治療が功を奏し。
冷静さを取り戻したお嬢様は、領主様の誤解を無事に解いたそうで。
表立って婚約者扱いされる事はなくなったのだが。
元凶であるお嬢様に反省が見られないどころか、にんまり笑っていたので、とても安心出来ない気がする。
……追い詰められたネズミは、天敵である猫にさえ噛みつくという。
まったく、好奇心であったりネズミであったりと、何かと猫が嫌がりそうなお嬢様である。
そうなると、お嬢様が苦手な俺自身も猫になるのだろうか。
猫の自由気ままな性格は羨ましいが、個人的に苦手なんだけどなぁ。
とにかく、は――――。
お嬢様いじめは程々にしておこうと身に染みる、そんな一件であった。




