窮嬢猫を噛む②/玉突き現象
冒険者の街オクサードの領主の娘が、あんまり信じていない中年男と、そこそこ信じているメイドから、こっぴどい仕打ちを受けた日。
……時は、その昨晩にまで遡る。
「――――大変だっ、ウォルっ!!」
「……何事じゃっ?」
場所は、最高峰の元冒険者として名高い老ドワーフが経営する寂れた店。
そこに、かつて同じパーティを組み、今や領主となった親友のクマラークが駆け込んできた。
「む、娘が、俺の娘がっ――――」
「ソマリ嬢ちゃんの身に何かあったのかっ!?」
冒険者から領主兼父親となり、すっかり落ち着いたはずの男が見せる焦りの表情に、ウォルはただならぬ事件を予感して声を荒らげる。
「あのソマリが――――怪しい男に誑かされているそうなんだっ!」
「……」
「近頃よく外出しているなと思い護衛に話を聞いたら案の定だっ! 今まで異性になんか興味がなかった子なのに、いつの間にこんな事態になってしまったんだっ!?」
「…………」
「おいっ、なぜ俺の話を聞いてくれないんだっ、ウォルっ!?」
ウンザリした顔で寝室に戻ろうとした親友を、領主は必死に引き留める。
注意深く観察すると、どうやらクマラークは酔っているようだ。
彼はウォルほど酒癖が悪くなかったが、思考が鈍る傾向があった。
「……なぜ儂がそんな話を聞かねばならんのじゃ。お主の家族で解決すべき問題じゃろうが」
「それはそうなんだが、でも、あの変なものにしか興味を持たないソマリがだぞっ!?」
クマラークが強調するように、あの少女ほど恋愛話が似合わない女性も珍しい。
ウォルは、自分の弟子に当たるエレレの顔を思い浮かべ、似たもの親子ならぬ似たもの主従だなと思った。
「……仕方のないヤツじゃ。詳しく話してみぃ」
クマラークが必死にかき集めた情報によると、ソマリが随分と執着している男がいるらしい。
ちょっと変わった嗜好を持つ娘とはいえ、年頃の少女である。
その相手が普通の少年であれば、父親もここまで取り乱す事はなかっただろう。
むしろ、ようやく人並みの幸せに興味を持ってくれたのかと感激していたかもしれない。
しかし、相手が自分とさほど歳が変わらぬ怪しい中年男となれば、話は別だ。
世間知らずの少女を誑かすエロオヤジを黙って見過ごす訳にはいかない。
しかも、領主家の娘だけでは飽き足らず、お付きのメイドにまで手を出しているとの噂なのだ。
「……あのエレレも、同じ男に入れ込んでおるのか?」
「そうみたいなんだっ。だからウォルも他人事じゃないだろうっ!」
「それでも他人事じゃ。いくら弟子みたいな者とはいえ、男女の関係にまで首を突っ込んでどうする」
言葉の通り、ウォルは人間関係に口出しするつもりはない。
だがしかし、お嬢様だけでも珍しいのに、加えてあのメイドまで男の毒牙にかかっているとなると、確かに普通の事態ではない。
なにせ、ソマリとはまた違ったベクトルで男性に縁がなく、男に入れ込む様子が全く想像できない不憫な弟子なのだから。
「怪しい中年の男、か…………」
そのキーワードが気になったウォルは、ようやく真面目に考え出す。
「もしやそいつは、緑色の髪と服をした男ではないのか?」
「ああそうだっ、そう聞いているぞっ」
やはりか、とウォルはため息をつく。
「その男を知っているのか? ――――まさか、ウォルの差し金じゃないだろうなっ!?」
「……おそらく、例の馬鹿じゃ」
ウォルは親馬鹿の暴言に文句を言おうとしたが、まさに「差し金」に相応しい事を考えていたので、言い返さなかった。
「なにっ、馬鹿といえば例の助っ人だろう。……つまり、その怪しい中年男が例の彼なのかっ?」
「そうじゃ。……あの日、ソマリ嬢ちゃんとエレレはヤツと一緒にいたそうじゃから、その時にでも正体を知ったのじゃろう」
「だったら、ソマリは異性として彼に興味を持っている訳ではないのか?」
「エレレの方は断言できんが、ソマリ嬢ちゃんは間違いなく、ヤツの得体の知れなさに興味を引かれ接触しておるのじゃろう」
そういえば、例の男から解毒薬を買い取った日の後、何やら不出来の弟子が嗅ぎ回っている情報がウォルのもとに届いていた。
どうせまた、お嬢様に付き合って酔狂な真似をしているのだろうと放っておいたが、まさか例の男にまで辿り着いていたとは予想外だ。
エレレの情報収集能力はさる事ながら、無理矢理にでも謎を探し出し、感覚だけで暴いてしまうソマリの能力には驚きを通り越して呆れてしまう。
「おそらく、最初の解毒薬の時から勘付いておったのじゃろう」
「そ、そんな前からなのか……。我が子ながら、困ったというか恐ろしい娘だよ」
「まったくじゃわい。アレに深く近づいて色恋などとぬるい話で済ませているとは驚きじゃ」
「いや、その、申し訳ない……」
クマラークは、勘違いして騒ぎ立てた件と、街の一大事かもしれない件に対して謝った。
以前にウォルから、男を下手に怒らせると街に大きな被害が発生しかねないと聞いていたからだ。
「――――頭を下げる必要はない。むしろこれは、好機やもしれん」
「えっ?」
けれども、ウォルの考えは違った。
老獪なドワーフは、先程の「差し金」をヒントに、もう先の事まで考えていたのだ。
「儂は、あれから何度もアイテムを売りにきた馬鹿と言葉を交わして、……少し認識を改めた」
「……と、言うと?」
これまでと違い、真剣な表情を見せる親友の言葉を、領主は固唾を飲んで聞き続ける。
「最初は、危険な力を持つ精神的に未熟な男、だと思っておった。だから、すぐに暴走してしまうのではと警戒せざるを得なかった。じゃが、ヤツはヤツなりに、軽率な行動を控えようと自制しておる」
「……」
「その自制している理由は二つあると、儂は思っておる」
「自制の、理由?」
「そうじゃ。一つ目は、道徳意識の高さ。あまり表に出そうとしないが、しっかりとした道徳が刷り込まれておるのじゃろう。それが歯止めとなり、一線を越えるのを防いでおるのじゃ」
「なるほど、彼は俺に対しても領主として気を遣った物言いをしてくれていたな。……それで、もう一つは?」
「どうやらヤツは、人付き合いが苦手のようじゃ」
「―――― はあ?」
クマラークは、思わず素っ頓狂な声を出してしまった。
人同士の関わりを当然と考える彼にとっては、それほど意味不明な言葉だったのだ。
「他人が苦手じゃから、人との繋がりを最小限に抑えようとしておる」
「……それが、彼が暴走しない話とどう関係するんだ?」
「お主のような男には分かるまい。暴走して人類に害するという行為は、積極的に人と関わろうとする事と同義なのじゃ」
「なっ!?」
「同じ理由で、己の利にならぬ相手には力を貸そうとしない。あれもこれも全て、ただ人を避けている結果なのじゃ」
「そ、そんな理由が、人を殺さない結果になるのか……」
ウォルに言われたように、クマラークには理解出来ない。
それでも、理屈としては成り立つのだろうと、経験から分かる。
「ウォルが懸念している事は分かった。だが、理由は何であれ、危険な力と自制のバランスが取れているのなら、普通の人と変わらないと考えていいんじゃないのか?」
「そういう見方も出来るから、当面の間は問題なかろう。……じゃが、そのバランスが崩れた時に人並み以上の損害を起こすなら、やはり普通と同じ扱いは危険。バランスを維持するために、ヤツの精神をもっと安定させる必要があるじゃろう」
いつもやる気がなさそうに眠たい目をしている男の顔を思い出しながら、ウォルは続ける。
「それには、絶ちがたい強い縁――――しがらみが必要じゃ。
最初に見込んだコルトは、存外機能しているように見える。
コルトの存在は、この街を守る側にヤツの心を傾けておるじゃろう。
……じゃが、それだけでは不十分。
もっともっと強いしがらみが必要なのじゃ」
「お、おい……、まさかっ」
「そうじゃ、お主の娘にその役目を担ってほしいのじゃ」
「――――――っ」
その瞬間、雷鳴が轟く……。
外は、いつの間にか雨が降っていた。
「そ、それはまさか、ソマリを嫁として彼に差し出せと言っているのかっ!?」
「その通りじゃ」
動揺したクマラークの質問を、ウォルはあっさりと肯定する。
「ま、まってくれっ、ソマリはまだ17歳なんだぞっ」
「それくらいの年齢で結婚するのは、人族では少なくないじゃろう」
「だ、だが彼とは20近く年が離れているじゃないかっ」
「そのくらいの年の差も、人族では珍しくなかろう。ましてや貴族なら、じゃ」
「しかし――――」
「家のため、そして街のために政略結婚するのは、貴族の義務じゃ」
「ぐっ……」
ウォルの言い分はいちいちもっともで、クマラークは上手く反論出来ない。
それでも、自分の愛娘を、自分と近い年齢の男に差し出すのは感情的な抵抗が強い。
「そ、そうだっ、エレレがいるじゃないかっ。彼女も彼に関心を持っていると聞く。年齢的にも彼女の方が適任だろうっ!?」
「むろん、エレレもその対象じゃ」
「それならっ」
「じゃが、エレレは一つのものに入れ込みすぎる傾向がある。ましてや経験の無い異性相手では傾倒しかねん。妻としての存在自体がしがらみになってほしいのは当然じゃが、ヤツが道を誤ろうとした場合には引き留める冷静さもほしいのじゃ」
「…………」
「ソマリ嬢ちゃんはあれでいて、貴族的な判断も出来る。いざという時には、エレレよりも適任じゃろう」
「……つまり、ソマリとエレレの二人を彼の妻にするつもりなのか?」
「欲を言えば、もっと常識的な判断が出来る者としてコルトが適任なのじゃが、流石に若すぎる。先々そうなれば盤石じゃろう」
褒められているのか貶されているのか、どっちつかずな自分の娘を不憫に思いながら、クマラークはまだ反論を諦めきれない。
「確かに貴族としての責務は大事だが、それは息子が立派に跡を継いでくれれば果たせると思っている。だから、せめてソマリには自分の意思で幸せを選んでほしいんだ」
「その選択の結果が現状じゃろう。ソマリ嬢ちゃんは未だ結婚しておらず、最も興味を持っておる相手がヤツなのじゃ」
「ぐっ、確かにそうだがっ」
「お主がヤツに初めて会った時に感じたように、ヤツにはヤツなりの情がある。案外、ソマリ嬢ちゃんも普通以上に幸福を得るかもしれん」
「案外ってお前……、そこは嘘でも断言してくれよ…………」
「ふんっ、幸せなど人それぞれじゃ。立派な者だからといって、家族を幸せに出来るとは決まっておらん。それは、逆もしかりじゃ」
「ああ、そう、だな……」
これまで見てきた貴族の家庭を思い出し、オクサードの領主はしみじみ呟いた。
「……それが、娘の意志にも沿うのなら、反対ばかりも出来ないか。……だけどこの方法は、本当に彼を抑制する効果があるのか?」
貴族としてのクマラークに否定する言葉は、もう残っていない。
それでも、可愛い娘を手放したくない親としての部分が、最後の抵抗をする。
「効果は、確実にあるじゃろう。ヤツが不安定なのは、その行動に信念がないからじゃ。たとえ成り行きでも強制されたものでも、自分にとって大切なものが出来れば人は変わるものじゃ。――そう、かつて冒険に明け暮れていたお主が、家族を持ってから初めて領主としての自覚が芽生えたように」
「……その節は、色々と迷惑をかけたな」
「案外、お主とヤツは似ているのかもしれん」
「そう、なのか?」
「自分自身の事だからこそ、気づけないものもある。……もしかしてヤツも、鎖の付いていない獣ではなく、道しるべを持たない迷子かもしれん」
「…………」
「じゃからきっと、ヤツのためにもなるじゃろう。お主もヤツに礼をしたいと言っておったじゃろう?」
「お礼の品として、娘をプレゼントする、か……。まさに、貴族らしい考えだ」
街の平和を第一に考え、そして親友である男にそこまで言われては、もう反対する訳にはいかない。
自分の役割とは、誰もが幸せな未来へ歩んで行けるよう、影ながら娘達を手助けする事なのだろう。
オクサードの領主は、そう覚悟を決めた…………のだが――――。
「――――そうは言っても、儂らばかりが意気込んでも仕方ないのじゃがな……」
「なにっ? それはどういう意味だっ、ウォル?」
「儂らが企み、ソマリ嬢ちゃんとエレレを焚き付けても、当の本人が受け入れなければどうしようもなかろう」
「なっ、それは俺の娘に不足があると言っているのかっ!?」
「そうじゃないが、ヤツは結婚を必要以上に忌避しておる。その考えを変えるのは容易じゃあるまい」
「そんな馬鹿なっ!? 俺の可愛い娘からの誘いを断るなんて許さんぞっ!」
「…………」
「絶対にっ、絶対にこの縁談を成功させてやるっ!!」
今まで反対していたはずなのに、一度決めたらこの変わりよう。
頭に血が上ると冷静な判断が出来なくなるのは、冒険者時代と変わらない。
――――そんな思い込みの激しさが娘にも受け継がれてしまったのだろうな、とウォルは嘆息した。




