窮嬢猫を噛む①/ドミノ理論
冒険者の街オクサードには、碌に働きもせずに自堕落な生活を送る道楽者が住んでいる。
その者の名前は、グリン。
少し変わった風貌をし、得体の知れぬ資金を持つ、中年男。
オクサードの街に来て日が浅い新参者であるが、領主家のお嬢様とメイドを弄んでいると噂されるエロオヤジ。
そればかりか、新進気鋭の人形売りの少女を誑かして貢がせた金で幼女達から花を買ったり部屋に連れ込んだりするなどなどと。
男に関する悪評は多いのだが、当の本人は何処吹く風で反省する素振りがない。
常に、飄々としている男。
そんな男を震撼させた事件は、彼自身と一人の少女との会話から始まった…………。
◇ ◇ ◇
「人はね、みんな平等であるべきだと思うのよ」
「…………」
突然モラリストっぽい事を言い出したお嬢様を、俺は「とうとういっちゃったかな?」みたいな目で眺めた。
「誰か一人にだけ必要以上に優しくしすぎると、その分、手が回らなくなって他の人が悲しむでしょ?」
「…………」
「だから、みんなに等しく優しくするべきだと思うのよね?」
「……そうかもな」
そうだよなぁ、俺も優しくされたいなぁ。
甘やかされたいなぁ。
だだ甘の妹に甘やかされるだけの甘い生活を送りたいよなぁ。
「つまりね、旅人さんがコルト君やミシルにばかり優しくするのは、いけない事だと思うのよね?」
なるほど、そういう話に繋がる訳か。
なんとも回りくどい抗議の仕方だ。
結局のところ、お嬢様は自分にも優しくしろとアピールしているのだ。
最近、我が家を侵食しつつある彼女を牽制するため、露骨にぞんざいな扱いをしていたのが気に入らないのだろう。
これも、予定通りの展開である。
今まで積み重ねてきた攻撃の手を休めず、一気にトドメを刺そう。
「コルトとミシルは、大切な仕事仲間だからな。どこぞのどうでもよくてうるさいだけのお嬢様と違って優しくするのは当然だろう?」
「言ったっ!? どうでもいいってはっきり言った!!」
予想以上にショックを受けたらしいお嬢様が、口を大きく開けて芸人みたいな抗議をしてきた。
涙目なところがあざといが、屈せず攻撃を続けよう。
「で、でもっ、仕事仲間じゃないエレレにも優しくしているじゃないっ!?」
「メイドさんは男の夢だからなぁ。男とは、いつまで経っても夢を追い求める生き物なんだよ」
むしろ年を取るにつれ、メイドさんを神聖視している気がする。
男にとってメイドさんとは、それ程までに尊い存在なのだ。
「――――だ、だったら旅人さんにとって、私はいったい何なのよっ!?」
男として一度は言われたい台詞百選に入りそうなうちの一つを、まさかお嬢様の口から聞くとは思わなかった。
色気も情緒も全く無い相手なので、むしろ冒涜された感じがして腹立たしい。
「俺にとって、お嬢様は…………」
「……ごくり」
「まあ、ただの顔見知りだろうな」
「そ、それだけ?」
「いや、それだけじゃなかったな」
「そうよねっ、もっとこう、ほら、色々あるわよねっ」
「そう、ただの知り合いならまだ良かったんだが、会う度に変な事を聞いたりお強請りしてくる傍迷惑な存在、だな」
「なっ――――」
「そんな迷惑千万な相手よりも、可愛い仕事仲間や美しいメイドさんに優しくするのは、男じゃなくとも当然だろう?」
「むぐぐっ…………」
お嬢様は顔を真っ赤にして、悔しそうに歯ぎしりしている。
ギリギリと音が聞こえてきそうな勢いだ。
ちょっと可哀想だと思わないでもないが、ここらで一線引いておかないと、これ以上近づいてはお互いのためにならない。
ここは心を鬼にして、意気揚々と罵る場面なのだ。
「だいたいお嬢様は勉強も家の手伝いもせずメイドさんや護衛を振り回して遊んでばかりでもう成人も近い歳なのに恋人どころか友達さえ作れずあまつさえ魔法が苦手だけならまだしも変なスキルで他人に迷惑ばかり掛けてお終いには胸も色気もデリカシーも無くて――――」
「…………」
おおっ、口を開くだけでペラペラとお嬢様の悪口が出てくる。
気づかぬうちに彼女への鬱積が溜まっていたのだろう。
……しかし、調子に乗って言い過ぎた感は否めない。
「………………」
お嬢様は、ぎゅっと拳を握りしめて、ぷるぷる震えながら俯いている。
いつも騒がしい相手が静かだと不安になってしまう。
「えっ――――」
街中で泣くのは勘弁な、と思った矢先。
「エレレに言いつけてやるんだからっーーー!!!」
捨て台詞を残して、お嬢様は去っていった。
怒り心頭で、ちょっと幼児退行しているご様子だ。
そんな子供をあやすのは、保護者であるメイドさんの役目なのだろう。
「未婚だけどな」
俺が呟いたオチは、虚しく響き渡った。
◇ ◇ ◇
「ねっ! 酷いでしょっ! 旅人さんったら本当に意地悪なんだからっ!!」
「…………」
怒り狂ったソマリが駆け込んだのは、彼女専属のメイド兼護衛の部屋。
そこで優雅にケーキとお茶を楽しんでいたエレレは、げんなりとした表情を隠そうとしなかった。
「ねっ、エレレもそう思うでしょ、ねっ!!」
「……これも、いい機会かもしれません」
「えっ?」
きっちりと食べ終えた後に、メイドは厳かに口を開く。
いつになく畏まった様子に、主人はびくりと身を縮こまらせた。
「この際ですから、お嬢様に言っておく事があります」
「は、はいっ」
「そもそも、貴族でありこの街を治める領主家の娘であるお嬢様が、血筋と関わりのない殿方と仲良くするのは体裁が悪いのです」
「今更それを言うのっ!?」
確かに今更な話なのだが、事前に忠告しても本人が聞き入れないのだから仕方ない。
今のところ問題にはなっていないが、領主家の娘と一般の中年男が懇意にしている噂はそこそこ広まっている。
守るべき対象であるお嬢様の悪評はともかく、相手の迷惑になっている真実が明かされた今こそが説得の好機とメイドは思ったのだ。
「相手が同年代の男の子であれば、まだ普通の色恋話として茶化されるだけで済むでしょう」
「それはっ……」
「しかし、三十歳を超える立派な大人の男性が相手では、あらぬ下世話な噂が飛び交い、領主家だけでなくグリン様にまで迷惑がかかってしまいます」
「…………」
「立派な大人の定義って何だろう?」とソマリは思ったが、本筋に関係のない疑問だったので口にしなかった。
「で、でもエレレだって噂されているでしょっ?」
「ワタシは領主家で働く普通のメイドであり、年齢的にも釣り合いのとれるベストカップルなので、噂になっても何ら困りません。むしろ積極的に広めていく所存です」
あまり豊かでない胸を張って主張する従者に対して主人は、「普通の定義って何だろう?」とか「エレレだって十歳以上も離れているのに」とか「ほとんど進展していないくせに」とか心の中で抗議する。
「この際ですから、今後グリン様と仲を深める役割はワタシに任せて、お嬢様は貴族令嬢らしく屋敷の中でお勉強しておく方が良いかと思います」
「そんなっ、男性の喜ばせ方を知らないエレレにだけ任せるのは不安だわっ」
「……殿方に慣れていないのは、お嬢様も同じはずです」
「うっ……」
争いは、同じレベルの者同士でしか発生しない。
「この際ですから、はっきり言いますが」
「……この際この際って言い過ぎでしょう?」
「グリン様は、メイドであるワタシには興味をお持ちですが、お嬢様には大して興味を持っていないご様子です」
「た、確かにっ…………」
それは、個人の性的嗜好に基づく興味であったが、彼女達にとっては大きな問題であった。
「第一に、今回グリン様から、はっきり迷惑だと言われたのですよね?」
「んぐっ」
「そもそも以前から、グリン様は迷惑そうにされていましたよね?」
「んぐぐっっ」
「ちなみにワタシは、そんな風に女として拒否された事など一度たりともありません」
「んあああぁぁぁぁぁーーーっ」
ソマリは、両手で頭を抱え込み、いやいやと首を振りながら叫ぶ。
ようやく己の罪の深さに気づいたのだろう。
その様子を見て、エレレは満足げに頷いた。
「そんな迷惑極まりないお嬢様がグリン様に近づいても、役に立ちません。むしろオクサード街にピンチを招いてしまいます。そして何よりワタシの恋路の邪魔です」
「そ、そんな…………」
信じていたメイド――――実際は割と頻繁に裏切られているが――――から戦力外通告を受けたお嬢様は、がっくしと両手を地面についた。
悲嘆に暮れる主人を見下ろしながらエレレは、可哀想だがこれも本人と街のため、そして何よりこんなコブ付きではまとまる縁談もまとまらないと心を鬼にする。
「おっ――――」
そんな従者の気持ちを知ってか知らいでか、ソマリは懸命にも顔を上げて口を開き。
「お父様に言いつけてやるんだからっーーー!!!」
捨て台詞を残して、去っていった。
「…………」
残されたエレレは、ようやく静寂を取り戻した部屋の中で一人、やれやれと首を振りながら考える。
この件に関わりのない領主に言いつけて、どうするつもりなのだろうか。
錯乱したお嬢様は、冷静な判断が出来ていないのだろう。
もともと冷静に判断している場面の方が少ない気がするが。
そうなると、自分の主人は常に錯乱している事になる。
「はあ…………」
情緒不安定な主人とその従者である自分を憂いながら、エレレは深くため息をつく。
冷静で思慮深い領主様であれば、錯乱中のお嬢様でも上手く言い含める事が出来るだろう。
何より、素性の知れぬ男にうつつを抜かす娘を、父親が放っておくはずがない。
これでお嬢様も、多少は自粛するようになるはずだ。
たぶん、多少は。
……通常であれば、エレレの予想通りになっていたであろう。
そう、通常であれば――――――。




