路地裏の歌姫③/冴えない女泣かせの客
「……みっともない姿を見せちまったね」
「あああのあのっ、このハンカチを使ってくださいっ」
イライザは、おろおろする少女から渡されたハンカチで目元を乱暴に拭い去る。
「いいえ、とんでもありません。女性の瞳から零れ落ちる雫は大変美味しゅう、いえ、大変美しいものですから」
「ふんっ…………」
男の本音が混じった気持ち悪い慰めに、気が軽くなったイライザは悪態をついて応えた。
「――それで、私はどうすればいいんだい?」
「それは、契約を結んで頂けると解釈していいのですか?」
ぶっきらぼうに言い放つイライザに対し、男はとぼけた調子で尋ねる。
「ふん、あんたらの好きにしたらいいよ。……正直、私の歌なんかが入った物が売れるとは思えないけどねっ」
「それは後のお楽しみですよ。歌って踊る人形が出来上がったら店に招待しますので、ご自分で確かめてください」
「お断りだよっ」
イライザにとって、たとえそれが失敗に終わっても、自分の歌を認めてもらえるだけで十分であった。
まだ自信が持てない彼女は、自分の歌が売り出され世間に評価されている場面を直視するだけの勇気がなかったのだ。
「ははっ、その気になったら言ってください。いつでもお迎えに上がりますよ?」
「だから、行かないって言ってるだろうっ」
照れ隠しのようなイライザの剣幕を、男は笑って受け流す。
その笑顔は、最初に見せたときと違い、妙に晴れ晴れとしていた。
「――――それでは、契約内容を説明させて頂きます」
① 人形の制作者(甲)は、歌い手(乙)の歌を録音し付与した人形を売る権利を有する。
② 乙の歌を独占販売する対価として、甲は乙に一曲につき金貨百枚を支払う。
③ また、歌を付与した人形が売れた場合、甲は乙に販売額のうち一割を支払う。
④ 乙が死亡した場合も契約は続行し、対価は乙の身内または指名者に支払う。
⑤ 甲が死亡した場合は、契約終了とする。
「大まかな契約内容はこんなところですね。甲がミシル、乙がイライザさんとなります」
「…………私なんかを選んだ時から酔狂な客だと思っていたけど、やっぱりあんたは狂っているようだね」
「ええ、よく云われます」
いくら自分を認めてくれるとはいえ、相手が狂人であれば意味を成さない。
それほどまでに、理解が困難な契約内容である。
理解可能な項目は①だけ。
項目②と③は、支払われる金額が大きすぎる。
たとえ王都で有名な歌姫であっても、たかが歌一つにこんな大金を出す者など居ないだろう。
そもそも、歌を録音出来る手段があるのなら、本人の許可など取らずに、こっそりとやってしまえばいいのだ。
それに、一度買い取った歌に、その後も代金を続ける必要があるとは思えない。
また、契約④と⑤もおかしい。
何故わざわざ、当人達が死亡した時の対処まで決める必要があるのか。
不安を煽るだけではないのか。
男の意図が全く読めない。
ただ一つ確実に分かるのは、この男は金儲けなど一切考えていないという事だ。
「契約金にご不満でしょうか? 確かに動く人形はこちらのミシルが手作りするため、大量生産が難しく毎月の販売数には限界があります」
「ごごごめんなさいっ」
「それでも、毎月この程度はお支払い出来る予定ですが?」
男が提示した金額は、それだけで仕事をする必要を感じないほど十分な金額であった。
「…………あんたは本当に、私の歌にそれだけの価値があると思ってるのかい?」
「それを判断するのは、人形を買うお客様です」
「ふんっ」
だから自分の目で確かめればいい、と含ませる男に、イライザは鼻息を荒くしてそっぽを向く。
「もういいよっ! さっき言った通りに、あんた達の好きにしてくれ!」
「ああありがとうございますっ!」
「これで契約成立ですね。そして、結果が楽しみですね?」
「……しつこい男は嫌われるよ」
「ええ、よく云われます」
少女は本当に嬉しそうな顔をして大げさに、男はしてやったりとばかりに、感謝の言葉を口にする。
対照的にイライザは、ニヤニヤと笑う男の前から一刻も立ち去りたい気分だ。
しかし、そうは問屋が卸さない。
「――――それでは早速、歌って頂けますか? そうですね、ほんの十曲ほどで大丈夫ですよ?」
イライザの長い夜は、まだまだ続く…………。
◇ ◇ ◇
こうして、契約は結ばれ、男と少女は去っていった。
長い夜を終え……。
無駄に繊細な感覚を持つ男に何度もリテイクを出され、イライザの体力と精神はへとへとである。
男の目の前で歌うという行為に、何故か緊張を覚えて失敗続きだった事を悔やみながら、彼女は部屋を後にした。
「よぉ、ご苦労さん。お前がそんなにくたくたになるとは、金だけじゃなく体力も剛毅な客だったようだな。その分ならチップももらえたんじゃねーか?」
いつになく、ふらふらしながら二階から降りてきたイライザをマスターが茶化す。
この店では、前払いの正規料金以外に勝ち取ったチップは、全て相手をした女が取っていい仕組みであった。
「……まあね、十枚もらえたよ」
「そりゃあすごい! 前金と合わせたら金貨二十枚じゃねーか。えらい上客に気に入られたようだな!」
羨ましがるマスターに曖昧な笑みを返しながら、イライザは握りしめていた右拳を開く。
そこには、彼女の歌の価値を示す十枚の白金貨が握られていた。
……始まりは突然で、終わりもたった一夜であった怪しげな契約に、イライザは夢ではと疑いもしたが、月初めに現れるソレが彼女を現実へと戻す。
ソレは、一羽の黒い烏。
毎月の決まった時間、イライザの家に訪れる不吉の象徴は、ぎっしりと金の入った袋を咥えてやって来る。
その袋の中には、金の他に決まって二枚の紙が入っている。
一枚目は、歌って踊る人形の製造者であるミシルからの手紙。
先月の売上報告から始まり、どんな客が買っていっただの、客からこんな感想を貰っただの、率直な言葉がずらっと並んでいる。
その報告を見るたびに、毎回イライザは背中がこそばゆい思いをする。
二枚目は、冒険者の街オクサードへのチケット。
言うまでもなく、あの男からの嫌みがふんだんに籠もったプレゼント。
このチケットを使えば、イライザの住む街から出ている定期便に、優先的に乗る事が出来る。
チケットの有効期限は一ヶ月であるが、頑なに訪れようとしない彼女への嫌がらせのように、毎回新しいチケットが必ず入っている。
「…………ふん」
イライザは、一枚目の手紙を見ては頬を緩め、二枚目のチケットを見ては頬を引きつらせて破いてしまう。
そんな日々が、もう幾月も続き。
ついに、彼女は――――――。
◆ ◆ ◆
―――― ?日後 ――――
彼女は、その地に降り立つ。
その手に、自分で買ったチケットを握りしめて。
それが、彼女に残された最後の抵抗。
自分が住む所に比べ、その街は広く、お目当ての店を探すのは難しい。
不安げに彷徨う彼女の前に、通りかかった帽子の少年が道案内を買ってくれる。
少年に連れられ行き着いた先は、立地が良い訳でもなく、立派な構えでもない、小さなお店。
それにもかかわらず、多くの親子連れが、その店を訪れている。
それを見ただけで、彼女の胸の内はもういっぱいになる。
震える足を引きずるように進み、外側からこっそりと店内を見ようとする。
だけども。
彼女の潤んだ視界は、その様子を捉える事が出来ず――――。
――――自分の歌と、客の嬉しそうな声だけが、聞こえてきた。




