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路地裏の歌姫①/酔っていない酔狂な客




 そこは、古びた居酒屋。

 酒は不味く、料理は不味く、その上、値段も高い。


 しかし、客はそこそこ入っている。

 その秘密は、入れ替わりでお立ち台に上がり、妖艶に歌って踊る女達。

 客のお目当ては、これだ。


 当然、見るばかりが楽しみではない。

 歌と踊りは、言わば前座、品定め、アピールタイムであり。

 本題は、気に入った踊り子を入札するシステム。

 客は思い思いの金額を店員に告げ、その中で最高値を示した者が落札し、二階の休憩部屋で商品の女と一夜を愉しむ場。


 ――――そう、そこは食堂と娼館を混ぜ合わせた店であった。



 この店で古参の部類に入るイライザは、いつも通り静かに歌っていた。

 彼女は美しい声を持っていたが、踊りが得意ではなく、淡々と歌い続けるしか芸がない。

 心に染み渡るような優しい歌であっても、酒が回り気が昂ぶっている男達には受けが悪い。


 おまけに、三十六才を迎えて貫禄がついた容姿をしている。

 金色の長いウェーブの髪は、若い頃には持て囃されていたのだが。

 年を取りあどけなさが消えた後、その髪は相手を威圧する無用の長物へと変わっていた。

 そのため、日に日に落札される事が少なくなっていたのである。


「……ありがとうございました」


 まばらに聞こえる拍手に曖昧な笑みを返しながら、歌い終わったイライザはステージから降りた。

 そして、入札を仕切るマスターのもとへ、一応の確認を取りに行く。


「ご苦労さん。いい歌だったぜ」

「よしとくれよ。私の歌なんて、一銭にもなりやしないよ」


 マスターの嫌みに、イライザは顔をしかめる。

 自分の歌に価値があるのなら、ステージに立つ最低限の対価として飯だけをもらう日々が続くはずがない。


 十代は、多くの男に競われ高値で落札されていたのに。

 三十路を過ぎてからは、とんと客が寄りつかなくなった。

 歌声は衰えるどころか、磨きがかかっているのに、だ。


 だから、彼女が自分の歌に価値を見いだせないのは、当然であった。



「いやいや、嘘なんかじゃねーぞ。その証拠に、今日は客が付いている」

「……へぇ、物好きも居るもんだねぇ」


 マスターは薄ら笑いを浮かべながら、イライザの取り分を渡す。


「…………なんだい、こりゃあ?」

「なにって、もちろんお前の取り分だよ」

「でも、これって――――」


 イライザの手には、複数の金が握られている。

 いつもなら銀色であるはずのそれは、今日ばかりは金色に輝いていた。


「金貨が、七枚。……つまり、今の私相手に、金貨十枚を支払った酔狂な客が居るって事かい?」


 店の仲介料が三割であるため、その客はイライザに対して金貨十枚の価値を付けたのだ。


「ああ、見ての通りだ」

「……何かの間違いじゃないのかい?」


「いやいや、そんな事はねえぞ」

「でも、さすがにこれは……」


 常識外れにも程がある。


「いやな、その客は今日初めて来た奴でよ。お前を大層気に入ったらしく、是非とも落札したいから、いくら出せば大丈夫かって聞いてきやがったんだ」

「…………」


「だから、その、冗談で金貨十枚もあれば確実だって言っちまったんだよ」

「…………」


「いやいや、まさか本当に金貨十枚をポンと出すとは思わなくてな。俺もそう教えた手前、今更訂正する訳にもいかないだろう?」

「…………」


「別に嘘じゃないし、予定外のボーナスだと思って有り難く頂いておこうや」


 確かにマスターは、客を騙した訳ではない。

 金貨を十枚も重ねれば、確実に落札出来るだろう。

 しかしそれは、入札額に上限がないというだけの話。

 この店で一番人気の若く美しい女性でさえ、金貨五枚も出せば十分落とせるだろう。

 ましてや、人気が低いイライザであれば、金貨一枚どころか、最低基準の銀貨三枚でも落札可能なのだ。

 いくら一見さんであれ、その程度の常識は持っていそうなものだが。


(どうやら今夜の相手は、金銭感覚の狂った大金持ちか、頭のネジが外れた酔狂かのどちらかみたいだね)


 イライザは手の平の金貨を見下ろしながら、嬉しさよりも、得体の知れない恐怖に身を震わせた。


「そんな訳で、客が二階でお待ちだ。どんな相手でも上客には違いないんだから、しっかり相手してくれ」


 不安を感じるイライザに釘を刺すように、マスターは顎をしゃくって促す。


「……分かってるよ」


 元より、彼女のような雇われ娼婦に断る事など許されていない。

 どうせ変態的なプレイを要求されるのであれば、金払いのいい方がマシである。


 そんな達観した思いを抱きながら、イライザは階段を登り、指定された部屋のドアをノックして、ゆっくりと開ける。



「――――本日は、お買い上げ頂き、ありがとうございます」


 決まり文句を告げて下げた頭を戻すと、そこには男が立っていた。


 くすんだ緑色の髪と眼と服。

 嘘くさい作り笑顔。

 どこにでも居そうな、冴えない中年の男。


 大金を簡単に出すのだから、どんな剛胆な男だろうかと少し期待もしていたイライザは、肩透かしをくらった気分だ。

 けれども、懸念した通り、その客は異様さも合わせ持っていた。


 それは。


「ええ、こちらこそ、よろしくお願いします。俺はグリンと言います。そして、こちらは――――」


「はは初めましてっ、ミシルと言いますっ」


(――――ああ、こいつは本当に酔狂な客だ。私も長い事やってるけど、女連れの客に買われたのは初めてだよ)



 イライザの長い夜は、始まったばかりである。





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