お一人様推奨・創作料理店ヨイガラス/味を知らない冒険者
「お一人様、推奨、創作、料理店、ヨイガラス……?」
偶然見つけた店の看板を前にして、男は呟いた。
「なんだ、このふざけた名前は?」
料理店、と名乗っているからには、食事を提供する店で間違いないのだろう。
問題は、他のフレーズだ。
まず、「お一人様推奨」。
店側が客を選ぶなんて非常識だ。
王都の貴族専門店ならともかく、凡庸な街の隅っこに建っている小さな店が主張すべきものではない。
「創作料理」ってのも、よろしくない。
料理の種類を明示するのはいいが、不特定多数な「創作」などと示されると、逆に不安になる。
何の材料を使い、どんな調理をしているのか、得体の知れない不気味さが漂ってくるのだ。
最後の「カラス」、これが一番駄目だ。
荒野で活動する冒険者にとって、カラスは死の象徴。
死体をついばむ、死の世界からの使者。
虚無を彷彿させる真っ黒な風貌は、冒険者以外の者にとっても、けっして縁起が良い鳥ではないだろう。
更に、店の外装もいただけない。
ただでさえ人通りが少ない場所なのに、真っ黒に染め上げられているのだ。
日中であれば、まだ人目に付くだろうが、現在のような晩飯時には闇と同化して目立たなくなる。
もしかして、店の名であるカラスをイメージしているのだろうか。
だとしたら、最早センスが悪いなどの問題ではなく、ふざけているとしか思えない。
「……今日は、この店にするか」
そんな悪い点ばかりを考えながら、男――――ダーグは、この店で晩食をとる事にした。
気味が悪いし、料理の味も期待出来ないし、客も少ないと思われる目の前の店は、しかしダーグにとっては都合がいい。
ダーグは、大人数で騒ぎながら食事をするのが、たまらなく苦手であり、料理にも拘りを持っていない。
そういった意味では、うってつけの店だったのだ。
「――――いらっしゃいませ」
黒い扉を開けて中に入ると、意外にもしっかりとした挨拶で迎えられる。
入り口の脇で頭を下げているのは、白い肌と黒い肌が対照的な二人の少女だ。
貴族が侍らせているメイドのような服を着ている。
挨拶といい佇まいといい、しっかりと教育された店員であった。
お一人様を推奨しているだけあって、「何人ですか?」と尋ねられたりしない。
ダーグはそう聞かれて、ぶっきらぼうに「一人だが」と返事をし、店員に微笑まれるのがたまらなく嫌だった。
「どうぞ、お好きな席にお座りください」
こぢんまりとした店内には、一人向けのカウンターの他に、小さなテーブルに対して椅子が一つ置かれただけのセットが複数並んでいた。
そのテーブルは、正方形をベースにしながらも、各辺に円状のデコボコがある変わった作りをしている。
まるで、他人と身を寄せ合う事を拒んでいるような歪な形だ。
店の外見とは裏腹に、中身は悪くない。
茶色い木目を基調としたシックな内装だ。
天井に架けられた丸太の上に、黒いカラスの模型が飾られているのは趣味が悪いが、個性的なデザインと思えば許せる範囲である。
(おや?)
ダーグは、自分以外の客など来ていないだろうと思っていたが、たった一人だが先客が居たようだ。
その紺色のスーツを着た人物は、身を隠すようにカウンターの一番奥に座っているため、背中しか窺う事が出来ない。
だが、店の隅っこで背中を丸め、静かに食事をする様子に、ダーグは親近感を抱いた。
「こちらがメニューとなります」
テーブルに着いたダーグの前に、水とおしぼりと料理の種類が書かれた冊子が置かれる。
有料の料理以外には何も出さない店が多い中、この様な心遣いが施されるとは、またもや予想外であった。
(外見とは一転して、店内は随分としっかりしているものだ)
冷たい水とおしぼりに驚きつつ、綺麗に装丁されたメニューを開く。
(…………なんだ、この料理は?)
そこには、ダーグが知らない料理ばかりが書かれていた。
それでも、どんな料理なのかは想像する事が出来る。
なぜなら、料理の名前と説明に加えて、カラフルな絵まで描かれていたからだ。
(すごく綺麗な絵だ)
これほど精密に描写された絵を見るのは初めてだ。
実物を平たくして、そのまま貼り付けたような臨場感がある。
まさか料理店のメニューで、こんなにも完成度の高い絵を見られるとは思わなかった。
(だが、結構高い)
メニューには、金額も記されている。
その価格は、他の料理屋と比べ二倍以上も高かった。
(よほど料理に自信があるようだ。もしかして、隠れた高級店なのか?)
とにかく、料理を頼んで食べない事には、何も判断できない。
満足出来なかったら、次から来なければいいだけの話だ。
仕事も人生もソロを好むダーグには、金に余裕があった。
「コレとコレとコレを頼む」
美味そうに見えた料理を適当に頼み、改めて店内を見渡してみると、更に気付く事が多かった。
店内を優しく照らす、蝋燭の光り。
外は暑いはずなのに、心地よい冷たい空気が流れ。
その流れに乗って、落ち着いた音楽が聞こえてくる。
なんとも意外性の多い料理店である。
(お一人様推奨といい、ゆったりと食事を楽しむためだけに造られたような店だ)
料理なんて、いつ、どこで、だれと、なにを食べても、変わらないというのに。
食べるといった原始的行為に、そこまで情熱を注いで、何の意味があるのか。
まったく理解出来ない。
……ダーグが、胸につかえたような感情を抱いていると、程なくして料理が届いた。
「お待たせしました。ご注文の品は、以上でよろしいでしょうか?」
「あ、ああ…………」
笑顔で尋ねてくる店員に相槌を打ちながらも、ダーグの視線は目の前に並べられた料理に釘付けになっていた。
メニューに描かれた絵でどんな料理か分かっていたはずなのに、実際に見たそれは、まるで存在感が違う。
絵での表現が難しい、自然な色合いや立体感だけではない。
出来たてホヤホヤの美味しさを主張してやまない、飛び散る汁と熱。
食べる前から美味しさを確約してくれる、香ばしい匂い。
まだ触れていないのに、テーブルの僅かな振動でも震える柔らかさ。
今まで料理に対して、何の感情も抱いた事がないダーグの喉が、ごくりと鳴った。
そして、手を伸ばし――――。
……ダーグは、感情のブレが少ない男であった。
誰と、どんな言葉を交わしても、何も感じず。
良い行いをしても、悪い行いをしても、それは同じだった。
だから、極力一人で行動するようにしていた。
自分の感情でさえ分からない者が、他人の感情なんて理解出来るはずがないからだ。
職業は、冒険者を選んだ。
危険だが、ソロでも活動出来るからだ。
別に、野垂れ死んでも構わない。
自分自身を含めて、誰も困りはしないのだから。
こうしてダーグは、何の目的もなく、何の楽しみも知らず、ただ惰性で生きてきた。
この日、この店で、この料理を食べるまでは――――。
「――――はっ!?」
ダーグは、ようやく自我を取り戻した。
目の前には、沢山の空の皿が積まれている。
どうやら、無意識に注文を繰り返していたようだ。
(…………これが、本当の料理、なのか?)
料理を食べていた時の記憶が、怒濤のように蘇ってくる。
一皿目を口にして以降、何かに取り憑かれたように食べ続け、己の記憶を顧みる余裕がなかったのだ。
改めて今、料理の本当の味を噛み締める。
(これが、美味いということ。そしてこれが、感動するということなのか…………)
この店が、お一人様推奨でよかった。
もう一人の客が、背中向きでよかった。
こんな自分を、見られずに済むのだから。
ダーグは、この日はじめて、感動の涙を流した。
◇ ◇ ◇
それからダーグにとって、その店で食事をする事が唯一の楽しみとなった。
仕事が終わり次第、何をおいてもその店に向かう。
試しに、付近の街にある全ての料理店で食べてみたのだが、比較出来ない程の差がある。
ダーグを満足させる店は、その店以外になかったのだ。
その店――――『お一人様推奨・創作料理店ヨイガラス』のメニューは豊富で、飽きる事はなかった。
味も種類も、そして雰囲気さえも、完璧に見える店。
しかし、たった一つだが、大きな欠点がある。
それは、営業時間が不定期であること。
基本的に、その日の数時間程しか営業していない。
しかも、朝早くだったり、真夜中だったりと、開店時間も決まっていない。
更には、営業日さえも決まっておらず、一日おきだったり、数日おきだったり、極端な時には十日以上閉まっている場合もある。
その店で食事する事が生活の一部となっていたダーグは、たまらず店員に懇願してみたのだが。
「申し訳ありません。当店は完璧な料理をお出しするため、完璧な食材が集まった時にしか開店しておりません」
どこか嘘っぽい理由であったが、料理の出来映えを理由にされては抗議する訳にもいかない。
不評を買って入店禁止にでもなったら、それこそ本末転倒である。
その店は、料理が客を選ぶといった暴挙が許されてしまう程の価値があったのだ。
「それに、本当に美味しい料理というものは偶に食べてこそ価値がある、とオーナーが申しております」
その言い分には納得する部分があり、店が開く待ち遠しさも含めて、ダーグの楽しみとなっていった。
……かくして、すっかり常連となったダーグであるが、上には上が居た。
いつなんどき開店するのか分からないはずなのに、ダーグがいつ店に入っても、カウンターの奥には紺色のスーツを着た男が座っているのだ。
料理以外に興味を持たないダーグであったが、段々とその男の事が気になっていく。
男は、常に一人で酒と料理をチビチビ食している。
ダーグが不思議に思ったのは、偶にメニューに書かれていない料理を頼んでいるところだ。
更に奇妙な事に、翌日には、その料理がメニューに載っているのだ。
(店の関係者だろうか?)
そう考えれば、いつも店に居るのも、メニューについても説明がつく。
高そうな服を着ているので、もしかしてこの店のオーナーなのかもしれない。
なにせこの店は、二人の給仕係以外には決して姿を現さない不思議な店なのだから。
(もしそうなら、俺はお前に、感謝しないといけない…………)
ダーグは、言葉を交わすどころか、顔さえ見えない男に感謝し、親近感を深めていく。
それは、紺色のスーツを着た男の方も同じらしかった。
来店したダーグがテーブルに座り、最初の一杯を飲もうとすると、その男も後ろを向いたままグラスを上げて、乾杯するような仕草をとる。
ダーグが店を出る時にも、やはり後ろを向いたまま、片手を上げてヒラヒラと振ってくる。
(ああ、また来るよ)
――――その男が、本当にこの店をつくったのだとしたら。
何故、採算を無視したお一人様推奨にしたのだろうか。
この店は、極上の料理を提供しているのに、客がまばらだ。
もっと間口を広げれば、客は急増するだろう。
だから、お一人様を推奨している理由は、オーナーの意向に他ならない。
ここは、客のためではなく、オーナー自らのためにつくられた店なのだ。
自分の家で、一人静かに食事をするのでは駄目なのだろうか。
お一人様を推奨するのであれば、完全に一人でもよかったはずだ。
(…………そうだよな。一人の食事は気を遣わなくていいが、少し物足りなく感じる時がある。騒がしくないなら、隣に誰かが居てもいいのかもしれないな)
ダーグは、最後まで男と言葉を交わさないまま、そんな事を考えて微笑んだ。
◆ ◆ ◆
―――― ?日後 ――――
時は流れ…………。
ダーグは、未だソロの冒険者でありながらも、その身は一人のものではなくなっていた。
あの時の料理を切っ掛けに、ダーグの世界は少しずつ広がっていく。
それまで興味を持てなかったものにまで感情が動くようになり、段々と世界が色付いていったのだ。
そして、魔物に襲われているところを助けた農家の娘と結ばれ、もうすぐ子供も生まれてくる。
妻は美人ではなかったが、気立てが良く料理が上手な女であった。
ダーグは、幸せというものを初めて感じていた。
……しかし、今まで知らずに済んでいた道は、なにも美しいものばかりではない。
通らなければ、はまらずに済んだはずの落とし穴まで潜んでいる。
(くそっ、失敗したっ――――)
その日のダーグは、いつもは踏み入れない森の奥まで歩を進めていた。
これから増える家族のために、もっと稼ごうと無理をしてしまったのだ。
けっして油断していた訳ではなかったが、どこか気の焦りがあったのだろう。
初めて見る魔物に対処出来ず、重傷を負い地面に倒れ、後はトドメを刺されるのを待つばかりの状態だ。
(これまでか…………)
帰りを待つ妻と子供のため、必死に足掻こうとするが、もう体が動いてくれない。
ドクドクと流れゆく血の熱さだけが、鮮明に感じられる。
(あれは――――)
諦めかけたダーグの視界に、青い空を優雅に旋回する黒い鳥の姿が映った。
(カラス、か……。どうやら本当に、お迎えが来てしまったようだ)
カラスは、死の象徴。
自分の死体をついばむために、待機しているのだろう。
(カラスといえば、あの料理が美味い店……、もう何年も行ってなかったな…………)
妻の故郷である農村に引っ越し、家庭を築くため、それどころではなくなっていた。
それが、何の因果であるのか、死に際に黒い鳥を見た事で思い出したのだ。
(ああ、最後に、もう、いちど…………………………)
そこで、ダーグの意識は途切れた。
◇ ◇ ◇
「――――――」
ダーグは、ゆっくりと、瞼を開く。
「…………生きて、いるのか?」
身を起こし周囲を見渡しても、魔物の姿はない。
気まぐれで、見逃してくれたのだろうか。
それとも、もう死んでしまったと、勘違いして去ったのだろうか。
「何にせよ、助かったようだ」
不可解な現象は、それだけではなかった。
致命傷だったはずの傷痕も、綺麗に消えている。
「…………夢でも見ていたのか?」
ダーグは頭を振り、神に問いかけるように、空を見上げた。
「あっ――――」
そこには、一羽のカラスが、飛んでいる。
「……もしかして、お前が助けてくれたのか?」
――――カァーッ。
その言葉を肯定するかのように、カラスの鳴き声が響いた。
「くくっ…………」
そうだ、とダーグは思う。
子供が生まれたら、妻と三人であの店に行ってみよう。
お一人様推奨の店だが、一日くらいなら見逃してくれるだろう。
そして。
あの紺色のスーツを着た男は、変わらず同じ席に座っているのだろう。
彼に、妻と子供を紹介したら、どんな顔をするのだろうか。
「たぶん、嫌そうな顔をするんだろうなぁ」
その様子を想像して、ダーグは笑う。
だけど、きっと、こう言ってくれるだろう。
――――――おめでとう、と。




