水の都の眠り巫女・後編⑧/水の主の役目
彼女は、子供の頃から水の都が大好きだった。
街中を通る水の道。
水を摸した街並み。
水面に映る青い空。
都を守る水の巫女。
純粋な子供が、ただ美しい物に憧れるように、好きで好きでたまらなかった。
だから彼女は、水の上を走り、街中を行き来して荷物を運ぶ仕事を選んだ。
船の上に足をつけた時の、たぷっとした弾力感が。
オールを漕ぐ時の、ぐぬっとした抵抗感が。
水を渡る時の、すいーとした爽快感が。
その全てが彼女の心を満足させ、自然と鼻歌が零れ出す。
最初は小さな声だが、段々とエスカレートしていき、最後には流麗な歌声へと変わる。
彼女にとって、歌は、感謝の言葉。
「ありがとう」「ありがとう」「ありがとう」
水の都に生んでくれた両親に、ありがとう。
綺麗な都を創ってくれた人に、ありがとう。
都を守ってくれる水の巫女に、ありがとう。
――――ミズチは、水の都が大好きだった。
……その日も、上機嫌で船に乗っていたミズチは、奇妙な依頼を受ける。
「やあやあ、そこなお姉さん。その船は、人も運べるのかな?」
初めて見る、くすんだ緑色の髪と服をした中年男は、自分を船に乗せてくれないかと頼んできた。
ミズチは、荷物と一緒に人も運んだ経験があったので、気楽に引き受けようとする。
「いいけど、何処まで?」
「いや、目的地は無いのさ。俺を乗せて、数時間ほど街中を漂ってほしいだけだ」
至る所を通る水の道を始め、美しい街並みが評価されている都だ。
観光目的で訪れる者も少なくない。
「……観光だったら歩いた方が早いし、お金もかからないよ?」
「うら若き乙女が漕ぐ船に乗って観光する事に、意味があるのだ」
「?」
物々しく告げる男の真意は分からなかったが、本日の仕事が入っていないミズチにとって悪い話ではない。
しかし、いつもは荷物の量と運搬距離で運賃を決めているので、幾らもらえばいいのか分からない。
「朝から晩まで沢山の荷物を運び続けるとしたら、幾らぐらい必要かな?」
「そんな一杯の仕事なんて入らないけど、それだけ頑張ったら金貨一枚にはなるかもね」
男の適当な質問に、ミズチも適当に答える。
「それじゃあ、金貨一枚で頼むよ」
「……いいの? 適当に漕いで回るだけなのに?」
「その代わり、歌をうたってくれないかな?」
「…………もしかしてお客さん、私がうたっていたのを聞いてたの?」
「ああ、とても素晴らしい歌声だったよ。やはり、船旅に女性の歌は必需品だよな」
若干身の危険を感じたのだが、ミズチは男の依頼を引き受けた。
仕事が無い日もあるため、彼女の平均日当は銀貨一枚程である。
たかが数時間で金貨を得られるのであれば、男の気色悪さを差し引いても十分な対価であった。
「――それじゃあ、船を出すよ」
「ああ、よろしく頼む」
客がしっかり座った様子を確認して、ミズチはオールを漕ぎ始めた。
男から要望され、船の先頭部で前を見ながら漕ぐ事になったが、歌う姿を正面から見られるのは恥ずかしいため、ミズチにとっても都合がいい。
漕ぎにくいものの、船の先端から眺める風景は、いつもと少し違って見える気がした。
風も、いつもより気持ちよく感じる。
「うーた、うーた、早くお歌が聞きたいなー」
「…………」
しばらくミズチが風景を楽しんでいると、後方から、しびれを切らした男が催促してきた。
せっかくの新鮮な気持ちを邪魔され腹が立つが、これも仕事。
覚悟を決めて、ミズチは歌い出す。
「RuLaLa~~~」
自分の歌が上手いと思った事はない。
でも、美しい湖に反射するように、自分の耳にも聞こえてくるその歌は、嫌いではない。
人前で意識してうたうのは初めてで、思いのほか恥ずかしかったが、頑張って声を出し続ける。
「LaLa~~~」
――――彼女の歌は、感謝を伝える言葉。
「RuRuLa~~~」
その言葉は、誰に届いたのだろうか――――。
歌声に満足したように……。
観光だと言っていた男は、すぐに眠ってしまった。
ミズチは憤りを覚えたが、騒がれるよりましだろうと思い、そのまま船を進める。
そして、約束の時間が過ぎ、ミズチが文句を言うまで、男が目を覚ます事はなかった。
「いやー、素晴らしい歌唱力と操船技術だったよ。こんなに気持ちよく眠れたのは久しぶりだ」
「……そりゃあ、よかったね」
男の晴れやかな笑顔に、ミズチは嫌味を込めた返事をする。
「ああ、昼寝はとても重要だから助かったよ」
「…………」
やっぱり、最初っから昼寝が目的だったのか、とミズチはため息をつく。
「俺はグリン。職業は旅人だ。これからも偶に寄らせてもらうが、よろしく頼むよ」
「……暇な時だったら、いいけど」
「ああ、もちろんだ」
「そう……。私はミズチ。その、よろしく」
「『蛟』か。水の加護が有りそうな、いい名前だな」
「そうなの?」
「ああ、俺の地元では、『水の主』を示す名前だったと思うぞ」
「水の、ぬし?」
「水の主って事は、つまり守り神みたいなものかな」
「水の、守り神。私が…………」
必死に話題を続けようとする男の適当な言葉が、ミズチの心に深く残る。
水の都には、水の巫女という立派な守り神が居るのに、まさか自分がそうだと言われるとは思っていなかったのだ。
これまで、都を創り守ってきた人達に感謝してきたが、自分もその一員になれるのなら、とても嬉しい。
この素晴らしい都を自分も守りたい、とミズチは強く思った――――。
◇ ◇ ◇
それから男は、十日に一度程の間隔でやって来るようになった。
自分の船と歌を昼寝のためだけに利用されるのは複雑な思いだが、ミズチの手が空いている時間を狙うように現れるため、断ろうにも断れない。
大雑把でだらしない男であるが、金払いが良く、害をなす行動はなかったため、ミズチは根気よく付き合った。
男も変な依頼をしていると自覚があるのか、それなりだが紳士的に振る舞い、慣れてくると船の上で食事をご馳走してくれるようになる。
都から出た事のないミズチにとっては、素晴らしく美味しい料理ばかりであり、いつしか男の来訪を楽しむようになっていった。
傍から見たら、金持ちの道楽にすぎない無駄な行いであるが、男なりに都を好んでいるのだろう。
そう思うと、ミズチも優しい気持ちになれるのだ。
そんな、たわいのない日々が、ずっと続くように思われたが…………。
「今日は少し、風が騒がしいな」
「……もしかして、お客さんは知らないの?」
「何があったのかな?」
「…………もうすぐ始まるんだよ、戦争が」
――――終わりは、唐突に、有無を言わせぬ形で迫っていた。
都を愛する彼女には、断じて許容出来ない。
黙って見すごせるはずもなく、最後まで抗うと強く決心する。
ミズチは、大好きな水の都を守りたかった。
「今回もその巫女さんが守ってくれるんじゃないのか?」
「……そうかもしれないけど、いつまでも巫女様ばかりに頼っていたら駄目だと思うんだよ」
ミズチの決意を聞いた男は、眩しそうに眼を細める。
奇妙な形であっても、この都を好んでくれている男も手伝ってくれるのだろうか。
しかし、次に男が続けた言葉は、ミズチを落胆させるものであった。
「俺の地元には『果報は寝て待て』って言葉がある。難しく考えるよりも、寝て待っていたらいつの間にか解決しているって意味だ」
「ちょっと、それはお気楽すぎるよ。それで上手く行くなら誰も苦労しないよね?」
男の無責任な言葉に、ミズチは憤りを覚える。
でも、余所者が水の都のために、尽力する理由などない。
都の素晴らしさは、住民でないと分からないのだ。
そう、水の都は、自分達の力で守るのだ。
「そういう訳で、また来週も来るから!」
「あっ、ちょっと!?」
男は、その言葉と同時に起き上がり、そのまま陸地に飛び移って去っていった。
励ましの言葉も、別れの言葉もなく、振り返ろうともしない。
お互い顔を合わせるのは、これで最後になるかもしれないのに。
「――――」
不思議な事に、おどけた態度であっても、男の言葉は何故か確信めいていた気がする。
それは、昼寝場所を奪おうとする者に対して、男が初めて怒っていたからだろうか。
……もし、本当に、自分達が何もせずに、解決するのだとしたら。
あの男が昼寝のために、何かをしようとしているのだとしたら。
「……昼寝のために戦うなんて、そんな馬鹿な人がいる訳ないか…………」
ミズチはそう呟きながら、見えなくなるまで、男の背中を見送っていた。
◇ ◇ ◇
――――数日後。
戦争は、終わっていた。
ミズチが、参加する事もなく。
あの男が言ったように、ただ、寝ている間に…………。
「やあ、今日も頼むよ」
「…………」
釈然としない気持ちを隠しつつ、ミズチは迎え入れる。
いつものように、しかしどことなく上機嫌で現れた、その男を。
「とてもいい天気だ。素晴らしい昼寝日和だと思わないかい?」
「…………」
男の白々しい口調を聞くと、ますます腹が立ってくる。
でも、ここで怒り出してしまえば、男の言葉を認めた事になるだろう。
当事者が何もしなくても、事態が収まる事があり得るのだと。
「今日のランチセットは自信作なんだ。なにせ朝五時に起きて作ったんだからな」
「…………」
どうしても構ってもらいたいらしい男を、意地になって無視しながら、ミズチは船を漕ぎ、歌をうたう。
確かに男が言ったように、争いは唐突に終了した。
だけども、ミズチが何もしなかったとはいえ、誰もが何もしなかった訳ではないはずだ。
――――だったら、誰が、それを成したのだろうか。
どんな方法で、何のために、そんな事をしたのだろうか。
今回の吉報については、街中の至る所で噂されているが、詳細が伝わってこない。
神殿からの正式な通知もないため、水の巫女がどうこうする前に事態が収まったみたいなのだ。
……きっと、誰も真実を知らないのだろう。
その、本人以外は。
「――ぐすん」
構ってくれない漕手を前に、男はいじけたように体を丸めて寝息を立て始めた。
そんな情けない姿を横目で見ながら、ミズチは考える。
誰の仕業なのかは、分からない。
だけど、男が心配ないと言って去った翌日に、全てが解決したのは何故だろうか。
「…………」
もちろん、ただの偶然だと思う。
でも。
もしかして。
例えば、この男が強い力を持つ貴族だとしたら…………。
いや、どんな貴族の力を以てしても、大規模な教団を一日で壊滅させる事など不可能。
では……。
だれが…………。
どうやって………………。
なんのために……………………。
「――――す、すみませんっ! その、ふ、船を、貸してもらえませんかっ?」
ミズチが出口の無い思考の迷路に陥っていた時、陸上から女性の声が投げかけられた。
「えっ? それって、どういうこと…………てっ、も、もしかしてっ、巫女様!?」
驚くべきことに声の主は、水の都の守り神である水の巫女。
ミズチは遠くからその顔を見た事があるだけで、話すのは初めてだ。
「み、巫女様が、お一人で、なんでこんな所にっ!?」
「……その方に、お話があるのです」
「ええっ、このお客さんとっ!? ど、どういった関係なのですか?」
「あっ、その、ですね…………お、お父さんなんですっ。そう、私の父親なんです!」
驚愕が収まらぬまま話を聞くと、更に驚くことに、だらしなく寝そべってる男が父親だという。
水の巫女は、都に住む子供達から選ばれるため、街中に父親が居てもおかしくないのだが。
当代の巫女には父親が居ないと、噂に聞いた事がある。
行方不明だった者が突然帰ってくるのも、あり得ない話ではないだろうが――――。
「……分かりました。そういう事情でしたら、船は好きに使ってください。私はあの広場で待っています」
恥ずかしそうに、でも、どことなく嬉しそうに、船を漕ぎ出す巫女を見送りながら、ミズチの混乱は深まっていく。
年の差はあるのだが、とても親子には見えない。
では、どんな関係に見えるのかと問われても、答えに詰まるのだが。
……戦争なんて、寝ている間に終わる、と言い切った男。
その男を探しに来た、水の巫女。
そして男は、巫女を心配して、この都に来たという。
果たしてそれは、どのような意味を持つのだろうか――――。
「――――お客さんは、何者なの?」
随分と時間をかけて戻ってきた後、気恥ずかしそうに礼を述べて去っていく巫女の後ろ姿を見ながら。
ミズチは、男に問い質す。
その目には、怒りに近い感情が含まれていた。
「見ての通り、昼寝好きのおっさんだよ」
「…………」
「あえて言うなら、変なスキル持ちに絡まれるアンラッキーボーイさ」
それは、いつものように、嘘か本当か分からない返答。
「お客さんが、この都を守ってくれたの?」
ミズチは、馬鹿な質問だと分かっていても、聞かずにいられない。
最初から最後まで、自分は何も出来なかった。
本当に、寝ている間に全て終わっていた。
仮に、戦争に参加したとしても、何の役にも立たなかっただろう。
だから、水の都と何の関係もない男に助けられたと思うと、胸が苦しくなるのだ。
「もし、もしも本当に、そうだとしたら……、私は………………」
そんなミズチを見て、男は何かを考えるように、空を見上げる。
「――――――」
……そして、ゆっくりと、口を開く。
「――――そうだよなぁ」
「…………」
「全部、君のせいなのかもなぁ」
「……なんで、私のせいになるのよ?」
珍しく感情の籠った男の言葉に対して、ミズチは問い返す。
「だって、君が素晴らしい昼寝場所を提供してくれたから、俺はここにいる訳だろう?」
「えっ……」
「だから、もしも俺が、誰かの役に立ったとしたら…………」
「――――」
「本当に感謝されるのは、俺を導いた君なんだろうなぁ」
「――――――」
男が言いたい事は、分からないでもないが、本当にそうなのだろうか。
この美しい街並みを守ったのが…………。
水の都の守護者である、水の巫女ではなく。
大きな力を持つかもしれない、奇妙な男でもなく。
自分こそが、本当にそうなのだとしたら――――。
「――――私は、都を守る事が出来たの?」
「『果報は寝て待て』の本当の意味は、自分に出来る事が全て終わったら、結果を待つしかないって事なんだ」
「――――」
「あの時は冗談で言ったんだが――――君は本当に、自分のすべき事を成し遂げていたんだろうなぁ……」
「――――」
「水の主としての役目を、果たしていたんだろうなぁ……」
男の言葉を聞いて、ミズチは俯く。
ぽたり、ぽたり、と。
船の上に、水の滴が零れ落ちた。
「一念、天に通ず…………」
彼女の姿を見ようとせず、男は再び口を開く。
その瞳は、虚空を見ていた。
「強い信念は、時に天をも動かす、か」
「…………」
「結局、何かをやろうとする意志が、一番大事なんだろうなぁ」
「…………」
「しょせん力なんてものはハリボテで、強い意志には敵わないのだろうなぁ」
「…………」
「もしかして、余裕ってのは、どれだけ力があっても、手に入らないのかなぁ」
「…………」
男は、寂しそうに呟く。
その姿は――――。
今まで悠然としていた旅人。
水の巫女から慕われる父親。
そして、水の都を救った英雄には、見えなかった……。
「いや、ただの寝言だな。……もう一眠りしたいから、口直しの歌を頼むよ」
「……うん」
水と歌は、今日も流れ続ける。
◆ ◆ ◆
―――― ?日後 ――――
水の都の名物である、手漕ぎの小さな観光船。
それは、ある観光客の気まぐれから始まったと伝えられている。
船上にて、流麗に響き渡る歌声と、優雅に昼寝する姿が、段々と人の目を引きつけてゆき。
出所が不明な巨額の資金と、水の巫女による支援もあって、観光船は急速に広がっていった。
観光船の漕手は、華やかに見える職業であるが。
その実、若い女性、歌唱力、社交性、操船技術。
そして、水の都を愛する気持ち、と。
謎の圧力による厳しい資格が求められた。
…………こうして、水の主として都を守ろうとする意志が、受け継がれていったのである。
今日も、水の都には、水の流れる音とともに、美しい歌声が流れ続けるのだが――――――それはまた、別のお話。




