水の都の眠り巫女・後編⑦/水の巫女の役割・下
先日、神殿に侵入してきた男は、黒頭巾で顔を隠していたため、外見では確認出来ない。
しかしメイアナには、小舟で寝ている男こそが捜していた相手だという強い予感があった。
その緩みきった寝顔を見て、最初は安心したが、次第に腹が立ってくる。
こんなにも大変な思いをしたのに、ずっと待っていたのに、必死に捜していたのに。
自分だけ気持ちよさそうに寝ているなんて、と言った八つ当たりに近い感情だ。
一言文句を言わないと気が済まない、とばかりに。
メイアナは、小舟を漕いでいる女性に、頼み込む事にした。
「す、すみませんっ! その、ふ、船を、貸してもらえませんかっ?」
「えっ? それって、どういうこと…………てっ、も、もしかしてっ、巫女様!?」
小舟の漕手は、陸上から見知らぬ誰かに、突然話しかけられて驚く。
しかしその相手が、庶民的な服を着て布を羽織り、顔を見えにくくしているものの、水の巫女だと気づいた。
「は、はい、そうです……」
すぐにばれると思っていなかったメイアナだが、正体を隠したままで船を借りるのは難しいと判断し、素直に認める。
「み、巫女様が、お一人で、なんでこんな所にっ!?」
「……その方に、お話があるのです」
「ええっ、このお客さんとっ!? ど、どういった関係なのですか?」
漕手は、水の巫女と寝たままの男を交互に見比べ、一層驚いた声を出す。
純粋に巫女を心配する気持ちが大きかったが、好奇心も幾分混じっていた。
「あっ、その、ですね…………お、お父さんなんですっ。そう、私の父親なんです!」
「巫女様の父親っ!? こんなだらしない人がっ!?」
その声の後に、男の体がピクリと動いたように見えたが、瞼を開く事はなかった。
「は、はい。どうやら戦争の話を聞きつけて、心配になって来てくれたようなのです。こう見えて、その、や、優しい処もあるみたいですよ?」
「……分かりました。そういう事情でしたら、船は好きに使ってください。私はあの広場で待っています」
「ありがとうございますっ。……それとこの事は、どうか内緒にしておいてください」
「はい……」
船の持ち主は、ぎこちなく頷いた後、男の方を一瞥して去って行った。
「…………」
どうにか納得してもらい、船を借りたのはいいが、肝心の男は一向に目を覚まそうとしない。
勝手に押しかけておいて、無理やり起こすのも気が引ける。
仕方なくメイアナは、船を漕ぎ出し、先程の女性がそうしていたように、歌い出す。
「RuLaLa~~~」
メイアナの趣味は昼寝だと思われているが、本当は不安を掻き消すために始めた歌がそれだった。
彼女の歌声は、昼夜問わず神殿の天辺から聞こえてくる。
神殿内の誰もが褒めてくれる歌が、メイアナの唯一ともいえる自慢となっていた。
「LaLa~~~」
「…………ふあぁーーー。……なんだ、変な歌だと思ったら、あんただったのか」
メイアナの歌を聞いた男は、大きく欠伸をしながらようやく目を覚ます。
そして、漕手が変わっている事に驚きもせず、失礼な感想を述べた。
「……水の巫女である私の歌を貶したのは、あなたが初めてです」
「周りが気を遣って、教えてもらえなかったんだな。よかったじゃないか、真実が知れて」
「…………」
驚愕の真実を告げられ、メイアナは絶句する。
そんな、まさか、と思いつつ。
そう言われてみれば、歌声を褒め称える者達の態度は、どこか空々しかった気がする。
「そ、そんなに、私の歌は、へ、下手なのですかっ?」
「いや、下手という訳じゃない。ただ、あんたの歌声を聞いていると不安になる。これじゃあ、子守歌じゃなくて呪いの歌だ。怖くて眠れないから、もう歌わないでくれ。能登こわいよ能登」
「――――」
「巫女だけに、呪いの歌が得意なのかな。はははっ」
唯一の特技を否定され、震える声で問いかけたメイアナに、男はにべもない。
優しさの欠片もない言い様に、メイアナの頬がぷくーと膨れていく。
「それで、そのお偉い巫女様は、わざわざ俺の安眠を邪魔するために来てくれたのかな?」
「――――これで確信しました。その意地悪な口ぶりは、先日神殿に侵入してきた男に間違いありませんね?」
未だに眠そうな顔で寝転ぶ男を、踏みつけてしまいたくなる衝動を必死に抑え、通告する。
そう、やはりこの男こそが、捜していた相手なのだ。
「さあ? そんな黒頭巾の怪しい奴には、全く心当たりがないなぁー?」
「…………むー」
メイアナは、なぜ侵入者が黒頭巾だと知っているのか問い詰めようとしたが、疲れるだけになりそうなので、やめておいた。
「ふぁーーー」
なおも眠そうに、男は欠伸をかく。
男の印象は、最初に出会った時と同じまま、そして候補者達から聞いた父親の印象通りに、意地悪でだらしない。
「…………」
でも、興味なさそうにしながら、時折、薄目でこちらを窺ってくる男を見て、メイアナは思う。
もしかして、これは男なりの照れ隠しなのでは、と。
そういえば、父親は「恥ずかしがり屋」だとも聞いた事がある。
「ばか……」
「…………」
結局、神殿への侵入や炎の教団との関わりについて、男が認める事はなかった。
たった一人の力で教団を壊滅出来るとは、メイアナも思っていない。
それでもこの男が、水の都のために、そして自分のために、敵を倒してくれたのだと感じていた。
父親のような存在かもしれない男が、自分のために頑張ってくれたのだと信じたかったのだ。
己の功罪を認めようとしない男への詰問が終わると。
その間、律儀に船を漕ぎ続けていたメイアナは、心身ともに疲れていた。
「……ずるい」
「何がだよ?」
「メイも、お昼寝したい」
「……勝手にすればいいさ」
メイアナの言葉遣いは、その頃にはすっかり素に戻っていた。
傍若無人な男に対して遠慮する必要がないと思ったからか、父親に似た相手に甘えているのかは、本人もよく分かっていない。
ともあれ、許可が出たので、おずおずと男の隣に寝転ぶ。
「枕がないと寝づらい……」
「はいはい」
水の巫女の我がままに、男は文句を言わず腕を差し出す。
妙にこなれた仕草に、メイアナは頬を膨らませる。
「なによ、もうっ」
「……なんで腕枕を提供している俺が怒られるんだ?」
都と自分を救ってくれたためか。
年上の男に父性を感じるのか。
それとも、別の感情なのか…………。
メイアナは、男のそばにいるだけで、安心するようになっていた。
「……あのね、お父さん」
「お父さん言うなし」
「し、仕方ないでしょっ、そうしないと誤魔化せないでしょ!」
「いやいや、そもそも誤解されるような真似をしなければいいだろう?」
迷惑だからさっさと帰ってくれ、と暗に告げる男を、メイアナは睨みつける。
「なによっ、メイと一緒に居るのがそんなに嫌なのっ!?」
「誤解されて困るのは、そっちだろう?」
「メイはいいのよっ」
「さいですか」
意地悪でとんでもない力を持つかもしれない男も、涙ぐむ女の子を拒絶する勇気はないらしい。
「だけど、独身なのにお父さんと呼ばれるのは、ちょっとなぁ」
「えっ」
「幼女だったら大歓迎だが、あんたみたいな成人女性にそう呼ばれると、背中がムズムズするんだよ」
「……独身、なの?」
独身という言葉を強調された独身男が、嫌そうな顔をする。
「ふん、悪かったな。いい歳こいて、お国の未来に貢献出来ない駄目な男でさ」
「そ、そこまで言ってないでしょ!」
「…………」
「…………」
男は茶化したが、その中に影が隠されている気がして、メイアナは胸に痛みを覚えた。
しかし、世俗から離れた環境で育ってきた少女には、その痛みの元が何であるのか特定出来ない。
「だって、メイも結婚してないし……」
「そりゃあ、神様に身を捧げる巫女が結婚しちゃ駄目だろう」
「うん。巫女のお仕事が終わるまで、あと十年間の三十歳まで結婚しちゃだめなの」
「そ、それは…………」
「メイが三十歳になっても、結婚出来るのかなぁ」
「…………」
これまで、戦争の心配で頭が一杯だったメイアナは、この時、初めて引退後について考えた。
それは本来、喜ぶべき進歩であったが、彼女の呪われた運命はそう簡単に解けそうにない。
ブラックな職業なのに、退職後も業を背負わされるとあっては、デリカシーの欠ける男も軽口を叩けない。
男に出来るのは、話題をそらすだけだ。
「せ、せめて、パパと呼んでくれ」
「なによそれ、同じ意味じゃないの?」
「ニュアンスが違う。『お父さん』はガチだが、『パパ』は淫靡な優雅さがある」
「意味が分かんないわよっ」
「大人になれば分かるさ」
「子供扱いしないでよっ」
父親扱いしているのに、子供扱いをされたくない少女。
人生経験の長い大人なのに、乙女の心を理解出来ない男。
ある意味、噛み合うのかもしれない二人の会話は続く。
「分かったわよ、パパって呼べばいいんでしょ」
「本当は、何も呼ばれないのがベストなんだが?」
「むーーー」
「はいはい。お許しください、巫女様」
「もうっ、茶化さないでよっ」
「はいはい。それで、何か用があったんだろう?」
「……ううん、なんでもないの…………」
「……そうか」
メイアナは、言い淀む。
男を見つけ出しても、会話を交わしても、触れ合っても。
男の考えは、何も分からない。
だから、男に伝えるべき感謝の言葉が分からない。
きっと、とぼけて知らん顔をしている男も、望んでいないのだろう。
もしも、男が喜ぶ言葉があるのだとしたら――――。
「――――おかえりなさい」
「…………ああ、ただいま」
船は、ゆっくりと流れてゆく。
◆ ◆ ◆
―――― ?日後 ――――
麗しさが目を引く、その都には、鋭利な刃が隠されている。
都を囲む美麗な湖。
水を基調とした壮麗な街並み。
都を代表する佳麗な巫女。
水の女神から愛されたような麗しい都であるが、それ故に疎まれる事も少なくない。
その度に、神に仕える「水の巫女」が自らを刃と化して、都を守ってきたのだ。
――――ところが、その時、矢面に立ったのは、「水の巫女」ではなく、「炎の化身」と称される存在であった。
ソレは、まさに炎の如く、前触れもなく現れ、全てを焼き尽くし、掻き消すように去っていった。
神の名に相応しい力を目の当たりにし、力を欲する多くの勢力が血眼になって捜し回ったが、行方は杳として知れなかった。
ただ一つ判明したのは、その都が「炎の化身」に守られているという事実である。
……水の都は、湖の上に造られた美しい都市である。
その代表を務める代々の巫女もまた、華々しい評価を得ていた。
では、三十三代目の水の巫女である、メイアナの評価はどうであろうか。
都の外から見た評価は、理想的。
清楚で穏やかでありながらも強い意志を持つ、水を司る巫女のイメージそのもの。
神殿の関係者の評価は、不良娘。
居眠りばかりしており、更には神殿を抜け出して男と逢い引きするはしたない娘。
都の中枢を担う者と敵対組織の評価は、真の巫女。
水の都に降りかかる全ての災難を退け、今日における盤石の地位を築いた彼女こそが、真の守り神。
誰もが安心して眠れる都を作り上げた、一番の功労者。
こうして彼女は、「炎の化身」に愛された「真の水の巫女」として語り継がれてゆくのだが――――――それはまた、別のお話。




