水の都の眠り巫女・後編⑥/水の巫女の役割・上
当代の「水の巫女」を務めるメイアナの蔑称は、「眠りの巫女」である。
水の都ヴァダラーナを代表する水の巫女とは、何か――――。
旅の者は、こう答えるだろう。
「水の都の象徴」であると。
水の都に住む者は、こう答えるだろう。
「水の都の守護者」であると。
そして、水の都の要職に就く者は、こう答えるだろう。
「水の都を守るための生け贄」であると。
これらの言い分は、全て当て嵌まっていた。
「水の巫女」の名を受け継ぐ少女達の役割は、水を司る象徴であり、外部と折衝して平和を維持する守護者であり、戦時には自らを犠牲に敵を殲滅する生ける爆弾であるのだから――――。
メイアナが、水の巫女に就任したのは、五年前の十五歳の時であった。
水の巫女という役職は、中枢を担う者達による指名制であり、身分や血縁を問わない。
就任に必要となる条件は、水の都の出身であること、信仰心を持つこと、特殊な魔法の素質があることの三つ。
このうち、最も重要視されるのが、魔法の素質である。
水の都に住む十歳になった少女達は、神殿に集められ、素質を調査される。
この時、素質有りと判断され、水の巫女の候補者に選ばれた十歳のメイアナは、他の少女達とは比べ物にならないほど歓喜した。
候補者となった少女達には、厳格な修行が課される代わりに、本人の地位と親族への褒賞が約束されるからだ。
…………メイアナには、父親が居ない。
家は貧しく、母親が身を粉にして彼女を育ててくれた。
「ごめんね」
それは、母親の口癖。
幼い頃のメイアナは、お腹いっぱいにご飯を食べられない事や、綺麗な服を買えない事について、母親が謝っているのだと思っていた。
しかし、何度も何度も「ごめんね」と言われ続け、そうではないと気づく。
母親は、「父親が居なくて、ごめんね」と謝っていたのだ。
生まれた時から父親がおらず、欲しいとも思わないメイアナには、その意味が分からない。
なんでお母さんは謝るのだろう、と首を傾げる。
ただ、父親のせいで母親が悲しい思いをしている事は、痛いほど分かった。
何の役にも立てない自分が、負担となっている事も…………。
だから、神殿に認められ、母親の助けとなるのが、何よりも嬉しかったのだ。
メイアナは、必死になって修業した。
立派な水の巫女となった自分を生んだ母親もまた、立派な存在なのだと、証明するために。
父親なんて、自分たち母娘には不要な存在なのだと、証明するために。
母親からもう、「ごめんね」と言われないために――――。
その強い意志が通じ、彼女は、晴れて、水の巫女になったのである。
――――都を守る、爆弾に、なったのである。
水の巫女の仕事は、平和な場合には笑顔で手を振り続けること、戦争が起きた場合には特攻して敵を巻き込み自爆すること。
言うなればこの二つに限られた、お飾りのようでいて、その実誰よりも過酷な使命を背負わされた役職だ。
水の都には、創設時より受け継がれてきた特殊な魔法が存在する。
高ランクの水魔法と火魔法、そして女性でなければ使用出来ない呪いのような秘術だ。
この魔法は、使用者そのものを爆弾に変え、広範囲を一度に殲滅するだけの威力を有していた。
この特殊な魔法の原理は、定かではない。
生み出された経緯も、定かではない。
誰かが強い力を手に入れるため開発したのか、偶然に偶然が重なり発現してしまったのか――――。
ただただ、強力無比な戦力としてだけ受け継がれてきたのだ。
原理は解明されないまま、方法だけがこう伝えられている。
水を操り。
炎で蒸発し。
爆発させる。
――――これを、体内で行うと、強烈な威力を発揮する。
水と火魔法の才能が必要である事は、この方法から明らかだ。
しかし、使用者が女性に限られる理由は、見当がついていない。
長い間、男の体においても試されてきたが、全て失敗に終わっている。
ある識者は、「女性は体内に閉じ込める能力を持つが故に」と意見しているが、証明には至っていない。
不明な箇所が多い伝統であるものの、それが問題視される事はない。
都にとって大事なのは、「素養を持つ女性が秘術を使い大勢の敵を殲滅する」という事実のみだからだ。
……このように、都の最大戦力となった水の巫女は、その役割を果たして殉職するか、万全な体調を維持出来なくなる三十歳まで解放されない。
非常時の役割が大きいため、通常時の仕事は重要性の低い形だけのものが多く、ある程度の自由と権力の行使が許されていた。
一人の少女に重責を背負わせる、せめてもの償いであったのだろう。
メイアナも例に漏れず、自由な時間を持て余し、神殿の頂上に与えられた部屋から空を眺めるだけの日々を送っていた。
そんな彼女の数少ない趣味は、お昼寝。
真昼間からウトウトと居眠りする姿を見た世話役からは、「眠りの巫女」と揶揄されている。
しかし、彼女の本当の役割を知る者は、決して陰口を叩かず、むしろその様子を哀れに思っていた。
――――水の巫女に指名されたその日、メイアナは自分に課せられた呪われた運命を知る。
候補者時代の厳しい修行の意味を悟り驚愕したが、同時に納得する部分も多かった。
そう、思い返してみれば、先代の巫女はいつも追い詰められたかのように神経を尖らせており、その姿は研ぎ澄まされた刃のように美しかったのだ。
その意味を、同じ立場となって、ようやく理解出来たのである。
メイアナは、己の暗い未来を痛感し、真っ暗な闇に染まる夜には怖くて眠れなくなった。
その所為で睡眠不足に陥った彼女は、昼間に眠気を催すようになったのだ。
水の巫女の就任期間は、三十歳になるまで。
殉職せずに定年を迎える巫女も少なくなかったが、メイアナにとってその事実は気休めにしかならない。
彼女は、選定条件である水魔法と火魔法の他に、「水占いスキル」といった変わった才能を持っていた。
そのスキルには、水面に将来の自分の姿を映し出す能力があり、避けられない未来を告げていたのだ。
こうして、終焉を迎えるまでの五年間、ずっと眠れぬ夜を過ごし、遂に恐れていた事態が起こってしまう。
炎の教団から宣戦布告されたのである。
これを聞いたメイアナは、とうとうこの日が来てしまったかと目の前が真っ暗になる。
水の巫女に選ばれたその日から、彼女に選択肢など残されていなかったのだ。
もしかして、生まれた時から避けられない悲運は決まっていたのかもしれない。
…………それでも、水が流れ、季節が流れ、そして人の心が流れ行くように、人の世とは儚く移ろいやすい。
神に仕えながらも、その身は人のままであるメイアナにも、一つの変化が生じていた。
それは、炎の教団との交戦が決定する、ほんの少し前。
「水占いスキル」が映す水面の姿が、気まぐれに形を変える月の光に照らされるように、時折、薄らぐようになったのだ。
――――小さな変化であったが、長い間、暗闇を彷徨っていたメイアナは、僅かな光にすがるしかなかったのである。
それなのに、敵が目前に迫るようになっても、何の変化もなかった。
元より確信などなく、情報の一つもない。
だからメイアナは、神殿に潜んでいた者を敵のスパイだと思い込み、自分を救うイレギュラーな出来事だと決めつけてしまう。
炎の教団は、相手を燃え尽すまで消えない火炎の如く、猪突猛進な信者の集まりである。
そんな彼らが偵察を放ってきたのは、まだ話し合いの余地が残されているからだと考えたからだ。
水の巫女の予想は外れる――――悪い意味でも、良い意味でも。
黒ずくめの怪しい侵入者は、自分は炎の教団と無関係であり、通りすがりの旅の者であると……。
ただの物見遊山であると告げたのだ。
それを聞いた時のメイアナの激情は、筆舌に尽くし難い。
これまで必死に押さえてきた感情が決壊し、怒りをぶつけ泣きじゃくるといった醜態を晒してしまう。
理想的な巫女を目指して創り上げてきた仮面が崩れ、子供のままの内面が浮き彫りになった瞬間であった。
……皮肉にも、泣き喚いた無様さが功を奏する格好となり。
男が許しを請うために発した言葉が、救いとなる。
それは、「自分は余所者だが、この都の素晴らしさを知っている。涙が似合わない麗しい貴女のため、この身を犠牲にしても戦争を止めてみせよう」といった騎士道精神に溢れる言葉であった。
実際に男が口にしたのは、「昼寝場所が無くなると困るから、どうにかしてみる」程度のおざなりな言葉であったが。
思い出とは、得てして都合が良いように記録されるものである。
ぽん、ぽん、と……。
男の人から初めて頭を撫でられながら、メイアナは、修業時代の出来事を思い出していた…………。
生まれた時から、母親だけに育てられてきたメイアナは、父親という存在の意義を知らない。
最初から居ない者に、その存在の意義を求めたりしないからだ。
だから彼女は、父親を欲した事などなかった。
でも、母親を悲しませる存在がどうしても気になり、他の候補者達に「父親とはどのようなものか?」と聞いて回ったのだ。
ある者は、こう答えた――――「意地悪ばかりしてくるから、嫌い」と。
ある者は、こう答えた――――「オドオドしてばかりだから、嫌い」と。
ある者は、こう答えた――――「母親に怒られ情けないから、嫌い」と。
やっぱり父親なんて要らないのだ、とメイアナは思う。
そんなモノのために、母親が謝る必要はないのだと憤る。
それなのに、「だったら父親なんて居ない方がいいよね?」と、問い詰めると。
みんなが、こう答えた――――「でも、困っている時に守ってくれるから、大好き!」と。
そんな記憶が、脳裏に浮かんできて…………。
つまり、父親とは。
意地悪で。
オドオドして。
怒られてばかりいるけど。
家族が困っている時には、守ってくれる存在。
――――それでは、まるで、この男のような存在ではないのかと、メイアナは思ってしまったのである。
そして……。
メイアナが、「がんばってね? ……でも、ちゃんと帰ってきてね?」と頼むと。
男は、「問題ない」と言い捨てて、去って行った。
初対面の相手を信じるほど、メイアナも世間知らずではなかったが。
男の言葉は深く心に残り、その晩は久しぶりに、安心して眠りにつく事が出来たのである…………。
◇ ◇ ◇
翌日、男の存在を必死に頭の片隅へと押し込めて、戦争の準備に明け暮れていたメイアナのもとに、一報が入る。
――――曰く、近くまで進軍していた炎の教団が、急遽、撤退した、と。
突然の事態に要領を得なかったが、集まった情報によると、巨大な炎が軍隊に降り注ぎ、撤退を余儀なくされたのだという。
あまりにも強力で無慈悲な所業から、当初は魔人の仕業かと騒がれた。
しかし、現在確認されている炎を司る魔人とは姿が異なっており、そもそも魔族が小規模な諍いに介入した前例がないため、犯人の目星は付いていない。
結局、その日のメイアナは、真相の究明と後始末に追われ、徹夜する羽目になった。
翌々日、更なる一報が入る。
――――曰く、炎の教団が壊滅した、と。
潜伏させていた諜報員の話によれば。
炎の教団の拠点である神殿が、空から降ってきた巨大な炎に包み込まれて壊滅し、教祖を含む全ての幹部が死亡したのだという。
炎の神を崇拝する信者が、その炎で壊滅されてしまうとは、如何なる皮肉であろうか。
王都を始めとした各地は、噂で持ちきりとなり、様々な原因について考察されている。
最も有力とされるのは、炎の神の逆鱗に触れ、神罰が下されたという説だ。
その理由は、炎の教団が攻撃された際、天空に神が告げたと思われる警告文が記されていたからだ。
この一報を聞いたメイアナは、突然の希望とこれまでの絶望が一気に入り混じって混乱し、気を失ってしまう。
皮肉な事に、彼女が水の巫女を襲名して以来、最も長い睡眠となったのである。
…………五日後、メイアナは、ようやく目を覚ました。
そして、全ての危機が去った事実を知ると、お忍びで街中に出るようになる。
本当は、あの男が報告に来るのを待っていたかったのだが、いつまで経っても訪れる気配がなかったため、痺れを切らし自分の足で探す事にしたのだ。
神殿の関係者は、重責を負った者のストレス発散として、温かく見守る事にした。
むろん、こっそりと監視を付けたが。
手掛かりは、三つ。
中年の男性であること。
意地悪でだらしないこと。
昼寝好きであること。
数少ないヒントを頼りに、メイアナは街中を駆け回る。
……そして、ようやく、見つけ出した。
「RuLaLa~~~」
漕手の歌を子守歌に、小舟の上で気持ちよさそうに眠る、緑色の髪をした男を――――。




