水の都の眠り巫女・前編①/それは、お気に入りの昼寝場所
ここのところ、俺が最も力を注いでいる道楽は、昼寝である。
昼寝はとても重要だ。
一説によれば、昼寝の十分間は、夜間に行う通常睡眠の一時間分に匹敵するらしい。
だったら六十分間昼寝すれば、夜寝なくてもいいんじゃね?ってな考えが湧かないでもないが。
とにかく、良い子の諸君もしっかり昼寝した方がいいぞ。
夜間には上手く眠れない俺も、何故か昼寝だと深い眠りに落ちる事が出来る。
夜の睡眠は、明日に備えてしっかり休養しないといけない義務感に苛まれるが、休日の昼寝は、いつ寝てもいつ起きても自由という開放感がそうさせるのだろう。
結局何が言いたいのかというと、俺にとって昼寝はとても大事だという事だ。
快適な昼寝のためには、どんな苦労も犠牲も厭わない。
俺にとって昼寝は、休息でも趣味でもなく、道楽そのものなのだ。
だから、様々な場所で、様々なシチュエーションで、よりベターな昼寝場所の確保に力を注いでいる。
その成功例の一つがここ、水の都ヴァダラーナの観光船である。
「RuLaLa~~~」
水の上を流れる船の形をしたゆりかごの中で、浮遊感を味わいながら、穏やかな風に乗って流れる歌声は、最高の安らぎを与えてくれる。
遮蔽物の無い水上から仰向けに見た世界は、どこまでも蒼く、まるで空に向かって落ちて行くような錯覚を抱かせる。
「LaLa~~~」
視線を前の方に向けると、直立して船を漕ぎながら歌っている水先案内人の可愛いお尻がフリフリしている。
通常は船の後方から漕ぐのだが、それだと寝ている俺が見下ろされる状態になり落ち着かないので、無理を言って先頭部で漕いでもらっているのだ。
人の後ろを歩きたがるのは、人に見られるのが苦手なぼっちの習性なのだろう。
それはともかく、美しい景色と共に眺める美尻は最高である。
「RuRuLa~~~」
――最高だ、船で味わう、歌と尻。
そんな川柳を自然に詠んでしまうほど、心が満たされていく。
俗世のしがらみを捨て、空気と一体化するように透明な感覚になっていく。
これぞ、昼寝の極致。
昼寝道楽、ここに極まれり――――。
「…………………………」
――しかし、惜しむらくは。
いつも静かな街並みは、今日に限って騒がしさを感じさせる。
いや、直接的な騒動というよりは、目に見えず耳に聞こえない緊張感が漂っている感じだ。
「今日は少し、風が騒がしいな」
「……もしかして、お客さんは知らないの?」
いつもは晴れ晴れとした笑顔を浮かべている漕ぎ手が、物憂げな表情で振り返ってくる。
彼女の名は、ミズチ。
茶色の少しぼさついたボブカットに、水辺でこんがりと健康的に焼けた肌がマッチしている。
年は18歳と、少女から大人の女性へと転換期を迎えるお年ごろ。
だけど、しっかりとした意思を感じさせる瞳を持ち、既に独り立ちしているのだから大人の女性と見るべきだろう。
考え方も、同様に大人びているし。
まあ、それでも、俺の年の半分しかない少女である事も忘れてはいけない。
――そして、この水の都で唯一、いや、もしかしたらこの世界で唯一の観光用小舟の漕ぎ手である。
だから俺は、感謝と敬意を込めて、『水と縁を結ぶ女神』の二つ名を勝手に進呈している。
「残念ながら心当たりが無いな。だから教えておくれよ、ミズっち?」
「……その変な呼び方、止めてほしいんだけど」
「この都には観光と昼寝目的で立ち寄っているだけだから、世情には疎いんだよ」
「…………ほんと、お客さんはお気楽だよね。それに付き合っている私が責める事は出来ないけど」
ここは、『水の都』と呼ばれるに相応しい都市。
大きな湖の真ん中に造られたこの都では、道路の代わりに巨大な水路が四方八方に走っている。
元からある自然、というよりは『水』を活かした街並みになっている。
もちろん陸路もあるのだが、細く曲がりくねった使い勝手が悪い道路ばかりなので、荷物の運搬には広い水路が使われている。
そこで活躍しているのが、洋風の小舟なのだ。
空を飛びながら旅していたところ、この都を発見した俺は、それはもう歓喜したものだ。
アニメで見た、水の道を優雅に渡り美しい歌声を響かせる水先案内人が実在すると思ったからだ。
……しかし、現実は非情である。
そのような小舟を使った観光向けの職業など存在せず、後々調べても、この世界の何処にもそんな職業は無かったのだ。
されど、汝、諦めることなかれ。
諦めなければ、いつか夢は叶う。
「この際だから言うけど。私なんかに頼んで、こんな事に金と時間を使うくらいなら、もっと他に重要な事が出来るんじゃないの?」
「ははっ、この無駄こそが大人の有意義な時間と金の使い方というものさ」
――そう、夢を諦め切れなかった俺は、偶然見かけた彼女の歌声に惚れ込み、本業である荷物運送の空き時間に、金で無理やり頼み込んで水先案内人の真似事をやってもらっているのだ。
ふははっ、これが大人の夢の叶え方というものだ。
無いものは、創ればいいのだ。
豊臣秀吉の「鳴かぬなら鳴かせてみせようホトトギス」な考え方に似ている部分もあるが。
言うなれば、「鳴かぬなら創ってしまうぞホトトギス」って感じだ。
情緒に欠けるやり方なので、良い子の諸君は真似しない方がいいだろう。
まあ、金と暇が無ければ真似しようとしても無理だろうがな。
ふははははっ!
「…………」
ミズっちが呆れた表情で見下ろしてくる。
おじさん、女性を呆れさせる事に関しては、ちょっとしたものですぜ?
「――それで、話を戻すと、何があったのかな?」
まだ呆れている感じで、しかし表情を引き締めて、ミズっちはゆっくりと口を開く。
「…………もうすぐ始まるんだよ、戦争が」
――――その瞬間、一陣の風が吹き荒れて船を揺らす。
あたかも、平和な時間の終わりを告げるように。
……いや、そんな演出いらないから。
勝手に不吉なフラグを立てないでくれ。
平和主義のおっさんを面倒事に巻き込まないでおくれよ。
「へー、そうなんだー」
「……なんで興味無さそうな顔が出来るの? 普通は驚いたり怖がったりする場面じゃないの?」
「俺は余所者だからな。全く無関係の善良な一市民だからな。少し寄り道しただけの異邦人だからな」
「……そこまで無関係を強調されると、逆に怪しく感じるよ?」
詳細は知らないのだが、いつぞやの領主襲撃事件と違い、この件には本当に全くの無縁であろう。
なにせ俺は、この都では船に乗って昼寝しかしてないからな。
起因となりそうな事は、欠片もやってないはずなのだ。
だから関係無い。これ以上知ろうとも思わない。
――断言しよう。関与するつもりは一切無い!!
「そんな訳だから、もうお客さんを船に乗せる余裕なんて無くなっちゃうんだよ」
「――――詳しく」
「え?」
「その話、詳しく聞かせてもらおうかっ!」
俺の奥底に眠っていた正義感が目を覚ます。
困っているレディを見捨てないのが、紳士の条件なのだ。似非紳士だけどな!
良い子の諸君にも見習ってほしいものである。




