孤児院カラノス⑤/妹にとっての感泣、兄にとっての慟哭
「い、嫌だっ! ノノは――――妹は絶対に渡さない!!」
「……言うに事欠いて、イヤ、とはな」
二人の男が、路地裏で対峙していた。
一人は、紺色の上等なスーツを着た中年男。
もう一人は、薄汚れたボロボロの服を着た少年。
そして、少年の傍らには、意識を失った少女が横たわっていた。
「どうやら、お前に兄を名乗る資格は無さそうだな」
「ど、どういう意味だよっ!?」
中年男は、肩をすくめて大げさに首を横に振る。
その人を小馬鹿にした素振りを見て、少年は確信する。
目の前の男は、自分達の味方ではない。
今まで散々見てきた無関心な大人達とは違うようだが、男の奥底にある醜悪さを少年は感じ取っていた。
「お前の妹は病気だ。そのままだと、明日にでも死んでしまうぞ」
「うっ、嘘だ!? ノノが、ノノが死ぬなんてっ」
少年の妹は、生来の体の弱さに極度の栄養失調が重なり、遂には病に侵されていた。
症状は末期に達し、今はもう意識を保つ事さえ出来ない。
「本当に嘘だと思い何もしないのなら、本当に救いようがないな」
「……薬があれば、ノノは助かるんだろっ!?」
「ああ。だが、お前の妹は重病だ。治す薬は金貨100枚はするだろうな」
「ひゃくっ!? そ、そんな金……」
男が控え目に言った金額に、少年は絶句せずにはいられない。
仕事にありつけず、物乞い同然の少年にとっては、金貨1枚用意するのも無理だった。
「――己の立場が分かったところで、最後にもう一度だけ聞こう」
「うっ」
「お前の妹は、俺が引き取れば、厳しい仕事をさせられるし、兄であるお前とも会えなくなる」
「ううっ」
「だが、病気は治る。その後も、健康に過ごせる事を約束しよう」
「うううっ」
「さあ、選べ。無理だと分かって兄妹二人で生きていくのか? それとも妹を俺に差し出すのか?」
「うわあああああああああああああっーーーーー」
――――少年は、泣いた。
それは、自分達が置かれた境遇への怒り。
妹を奪っていく、怪しい男への怒り。
そして何よりも、妹を守る事が出来ない自分へ向けた怒号であった。
「……お前はもう、失敗していたんだ。兄を名乗る資格を失っているんだ」
少年の叫びを肯定の合図だと受け取った男は、冷酷な台詞を残すと、苦しそうに眠る少女を抱え去っていく。
後には、泣き続ける少年だけが残された――――。
◇ ◇ ◇
「――――」
「まだ泣いているのか……」
翌日。
一晩中うなだれていた少年の前に戻ってきた男が、うんざりした声を上げる。
「……ノノは、大丈夫なのかよ」
「ああ、病気は治った。今は安静にしている」
「そう、かよ…………」
「……」
男の声にかろうじて反応した少年は、妹の安否を聞くと、また視線を下げた。
「…………俺なんかに、まだ用があるのかよ?」
「お前を孤児院に連れていく。妹とは別の処だがな」
「なんだよそれ。ノノと違う処じゃ意味ないんだよ……」
「……」
全てを失ってしまったかのように、少年からは生きる気力が失われていた。
少年にとって、妹を守る事が唯一の生きる目的だった。
その妹を奪われ……、いや、妹を守れなかったという事実が、少年を無気力にさせていた。
「昨日、言ったよな。お前は失敗して、兄の資格が無いのだと」
「……だから、ノノと一緒に居られないんだろう?」
「そうだ。今のお前には、その資格が無いのだから当然だ」
「ううっ」
優しさの欠片も無い言葉を放つ男を、少年はにらみつける。
しかし、男の言葉が間違っている訳ではないと分かっているため、言い返す事が出来ない。
「――だが、失敗したのならやり直せばいい。資格が無いのなら、また取り戻せばいいだけだ」
「えっ!?」
「妹がきつい仕事をさせられているのに、お前は泣いたまま何もしないつもりなのか?」
「ち、ちがうっ!」
「だったら一緒に来い。こんな何も無い場所に居続けるよりは、失敗を帳消しにする機会があるだろう」
「んぐっ……」
「それとも、大人に頼りたくないお前のちっぽけな自尊心のため、妹を奪い返す機会まで見捨てるのか?」
「――くそっ、くそくそっ! ぜったい、ぜったい強くなってやる! 強くなって、あんたからノノを取り戻してやる!!」
「ははっ、そうだ、その意気だっ。その時を愉しみに待っているぞ!」
「ぜったい、ぜったいだっ!!」
「ははっ、はははははっ!!」
涙ぐんで決死の覚悟を表明する少年を前に、男はとても愉しそうに笑った。
◇ ◇ ◇
こうして少年は、妹とは別の街の孤児院に預けられた。
その孤児院は、紺色のスーツを着た男とは直接関係の無い施設であったが、なぜだか男を信頼しているようであった。
それは、わざわざ他の街から連れてこられた素性の知れぬ少年を、嫌な顔一つせず二つ返事で三つ指をつき迎え入れた事からも明らかだった。
……少年は、いけ好かない男が信頼されている理由を聞かずにはいられなかった。
「――アオシ様は、とても素晴らしいお方です。
以前この孤児院は、借りた金が返せず借金取りに追われ困っていたのですが、そこに偶然通りかかったアオシ様が助けてくださったのです。
アオシ様は借金の全てを肩代わりし、更には多額の寄付までしてくださいました。
世界中で様々な事業を展開されているそうで、その時折に見かける孤児達の存在に心を痛めていらっしゃったようなのです。
しかし、多忙を極める身の上のため、孤児達を預かってくれる場所を探していたところ、偶然この孤児院の近くを通り掛かったそうなのです」
院を切り盛りする若いシスターは、夢見心地な表情でペラペラと話してくれた。
少年は、その話に嘘が含まれている事に気付く。
少なくともあの男は、妹を監禁している自分専用の別の孤児院を持っているはずなのだ。
男がこの孤児院に、少年ばかりを連れてくるのが何よりの証拠である。
「それにアオシ様は、とてもお強いのです。
私を借金取りから助けてくださった時、襲いかかってきた相手の剣を素手で掴んで握りつぶしてしまったのです。
それで大人しくなった彼らと、返済の話をまとめる事が出来ました。
まだまだ男盛りなお年なのに、多くの事業を成功させ富を築き、強さまで持っていらしゃる。
そして、辛い境遇に置かれた子供達にも目を向ける寛容さ。
ああっ、本当に素晴らしいお方ですっ!」
底意地の悪い男のことだから、借金取りと偶然会ったという話も怪しい。
わざと借金取りが現れる時間を狙って登場したのかもしれない。
そして、まんまと孤児院に取り入った男は、不要な少年をそこに捨て、自分の下には少女だけを置いているのだ。
……そうだ、そうに決まっていると、少年は根拠が無いものの実際にありそうな想像に腹を立てる。
「アオシ様は仕事が忙しく、まだ家庭を持っていないそうです。
ということは、私にもまだチャンスが――――」
「…………」
最後に、個人的な話で締めくくったシスターの頬は赤く染まっていた。
その様子を見ながら少年は、男の正体を大声でぶちまけたい衝動を必死に抑え込んでいた。
理由は何にせよ、男が孤児院に貢献しているのは確かだからだ。
その院に養われ、まだ何の役にも立っていない自分が口に出せる事など無い。
何よりも、あの男を信じ込んでいるシスターを悲しませたくなかったのだ。
……少年の淡い恋心は、本人が自覚する間もなく潰されてしまったのである。
――男へのそんな対抗心もあり、いつしか少年は冒険者を目指すようになっていた。
特別な才能を持たず、機会にも恵まれなかった少年にとって、世間から一人前として認められる道は、他に無かったのかもしれない。
皆を騙している男を倒せる強さを持ちたい。
妹を助け出し、そして守り通す強さを持ちたい。
そんな強い想いと比例するように、少年は強くなっていく。
紺色のスーツしか着ない男は、新たに男児を連れて孤児院を訪れる際、戯れに少年と手合わせする。
少年は相手を殺す気で立ち向かっていくのだが、シスターが言ったように男の強さは尋常ではない。
必死に挑んでくる少年をボロボロにして高笑いする様は、悪魔そのものであった。
「なんでっ、あんたみたいなヤツがっ、こんなに強いんだよっ!?」
「ふははっ。今時の悪役は強くて金持ちでないと務まらないのさ」
男が教えてくれる事は無かったが、少年は見よう見まねで技を盗み自分の力に変えていく。
――――その経験と想いが、少年を強くしていったのである。
◆ ◆ ◆
―――― ?日後 ――――
少年――――今や立派に成長した青年は、念願の冒険者となり独り立ちしていた。
孤児院の仲間達とパーティを組み、自ら稼げるようになったのだ。
しかし、一人前と呼ばれるには、まだ足りない。
最低でも冒険者の平均レベル20に達しなければ、妹を迎えに行く資格が得られない。
その目標に向かって、青年は必死に進んでいたのである。
……しかし、このところ、青年は焦っていた。
レベルは高くなればなるほど、上がり具合が鈍化していくものだ。
青年は、凡庸な才能を振り絞ってレベル19まで登ってきたものの、後もう一つを上げるのに手間取っていた。
もう一歩で手が届くようになった事で、逆に焦りが生じ空回りしていたのだ。
……そして、功を急いだ青年は、上級パーティが中心となる大物討伐に参加してしまう。
その戦いで、無理をして最前線に出ていた青年は、孤立してしまい魔物達に包囲される。
予想よりも魔物の数が多いため、パーティの仲間も他の者も、青年を助ける余裕が無い。
青年もダメージを受け、満足に動く事が出来ない。
…………絶体絶命の危機に陥った青年は、必死に魔物の攻撃を防ぎつつ、心の中で懺悔していた。
(俺はまた、失敗してしまったのか……。ごめんよ、ノノ。お兄ちゃんは、お前を守る事が出来なかったよ)
――――その時、青年の前に影が舞い降りた。
(……誰か、助けに来てくれたのか?)
それは、まだ少女と呼べるほどに若い戦士であった。
その少女は、青年を守るように魔物達に立ち向かっていく。
(す、すごいっ)
女戦士の鍛え上げられた技が、次々と魔物を倒していく。
(とても、きれいだ……)
戦闘技術と言うよりも演舞のような洗練された動きに、青年は心を奪われていく。
(まるで、女神のようだ……)
青年が惚けている間に、周囲の魔物は全て姿を消していた。
後には、青年と、背を向けた少女だけが残されていた。
「あ、ありがとう。その、助けてくれて」
青年は、まだ助かった実感が湧かぬまま。
誰とも知れぬ救いの女神に礼を告げる。
――――少女は振り返り、本当の女神のように微笑んだ。
「こんなのへっちゃらだよ! それよりも大丈夫だった、お兄ちゃん?」
「…………へ?」
どこかで見たことのある顔立ち。
どこかで聞いたことのある声。
最後に、はっきり「お兄ちゃん」と呼ばれ。
――青年はようやく、女神の正体に気付く。
「お、お前っ、も、もしかして…………ノノ、なのか?」
「そうだよ! お兄ちゃんの妹のノノだよ!!」
「!?」
「やっと会えたねっ、お兄ちゃん!」
「あ、うん……、いや、そうだけど、そうじゃなくて……」
「どうしたの、お兄ちゃん?」
「その……、なんで、こんなところに?」
「お兄ちゃんが危ないって聞いたからっ、慌てて助けに来たんだよ!!」
強き女戦士。
美しき女神。
そして病弱だったはずの少年の妹は。
曇りの無い満面の笑顔で答えた。
「――お、俺を、ノノが、助けに? 助けられたのは、……俺?」
この時、青年の胸の中には、長年探し求めていた妹と再会出来た喜びが、確かにあった。
……確かにあったのだが、それと同時に、何かがガラガラと崩れ落ちる音が聞こえていた。
「お兄ちゃんと一緒に居られなかったのは、ノノが弱かったからだよね」
「っ……」
「だからノノ、強くなるためずっと鍛えてきたんだよ!」
「うっ」
「それでね、レベルも23まで上がったの。えへへ、ノノ強くなったでしょ?」
「ううっ」
「もう守られてばかりのノノじゃないからね! これからは、ノノがお兄ちゃんを守るから安心してね!!」
「うううっ」
「泣いてるの、お兄ちゃん? あっ、ノノと会えたのを、そんなに喜んでくれるんだねっ。ノノもお兄ちゃん大好きっ!!」
「うわあああああああああああああっーーーーー」
――――青年は、泣いた。
その涙の本当の意味を知る者は、本人の他には、紺色のスーツを着た男だけであった。




