孤児院カラノス③/母にとっての希望、男にとっての絶望
泣き疲れた少女達を寝室へと送り届け、初日の仕事は終わりとなる。
部屋は余っているが、しばらくは一室にまとまって雑魚寝した方がいいだろう。
一人では寂しいだろうからな。
――寝る前に少し、リノンから話を聞いてみた。
「リノン、少しいいかな」
「あっ、いんちょ先生、どうかしたの?」
「その、子供達の様子はどうかな?」
「……まだ元気が無いみたい。あまりお話もしてくれなくて…………」
「そうか……」
「わたしも、おかあさんまで居なくなって一人になったら、どうしたらいいのか分からなくなっちゃうと思うの」
「そう、だな」
「でもね! これからは、おかあさんとわたしも一緒だし、いんちょ先生もみんなのおとうさんになってくれるから、きっと大丈夫だよ!」
「…………」
「だからね、わたしもみんなのおねえちゃんとして頑張るよ!」
「……ああ、頼んだぞ、リノン」
「うんっ。まかせてっ、みんなのおとうさん!!」
健康体を取り戻したリノンは、益々溌剌としてとても可愛らしい。
俺が本当に父親だったら、絶対に嫁にはやらないな。
……少女達の心を開くのは容易ではないだろうが、きっと大丈夫だろう。
こんなにも素晴らしいお姉ちゃんが一緒に居るのだから。
俺は長男だったので年上の兄姉を持つ感覚がよく分からないのだが、もし姉が居たら甘えまくっただろうな。
妹は至高だが、だだ甘お姉ちゃんも最高であろう。
俺も甘やかされたいなー。
「うーむ」
そして俺は、自分の部屋で一人悩んでいる。
ここは院長としての個室だ。
俺は通い院長なので無くてもいいのだが、今後来客とかで使う機会もあるのだろう。
「頭脳が冴える午前中は勉学が中心。お昼はしっかりと昼寝。午後からは実習が中心。夜は皆でご飯を作って食べる」
今やっているのは、教育方針の最終確認だ。
子供の頃に都会で学習した経験のあるメリルママが教壇に立つので、最小限の教育は施せるだろう。
別に難しい事を教える必要はない。
一般常識や文字の読み書きといった基本かつ利便性の高い事を教えればいい。
だが、成人して一人で生きていくとなると、それだけでは足りない。
「だから、まず鑑定アイテムでスキルや魔法の適性検査を行い、その長所を伸ばす方法がいいだろう。まあ、一応本人の希望も聞くがな」
絶望の中にいた少女達に夢なんてものがあるとは思えないが、もし明確な将来の夢があるのなら才能の有無よりも優先してもいいだろう。
好きな仕事を選ぶか、適性のある仕事を選ぶかは、日本でも意見が分かれる問題だったよな。
「実習は、街中から各職業のプロを招いて授業してもらおう。実際の経験談を聞くのが一番ためになるからな」
近年増えているらしい地域人材を生かした学習というやつだ。
問題は、こんな怪しい孤児院に来てくれる人が居るかだが、そこはほら、俺の人望でどうにかなるだろう。
ちなみに俺の辞書では、「金と力」と書いて「じんぼう」と読む。
「うん、とりあえずこれで良いだろう。……って、あれ? それだと俺の出番なくね?」
えっ、俺ってば役立たずなの?
金だけ出せばお払い箱なの?
もう既に、俺の居場所は無いの?
……やばい。それはやばいよ君。
ちゃんと俺の良さをアピールするポイントを作ってもらわないと困るじゃないか。
少女達から尊敬されて「とうさま」と呼んでもらえなくなるじゃないか。
「どうしよう、どうしよう。……そうだ、まずリノンを買収して、俺が如何にナイスガイであるのか噂を流してもらおう!」
リノンは結構俺に懐いてくれているから、きっと引き受けてくれるだろう。
メリルママに頼むのは難しいかな。
彼女はお堅い処があるから、そんな馬鹿な事を持ち掛けたら怒られそうで怖い。
何か他に効果的な対策が必要だ。
「そうだっ。レベルや魔法の実習として、俺も教壇に立てばいいんだ。そこで俺の魅力をアピールしよう!」
くっくっくっ。
俺の無駄に高いレベルを使った体術や魔法に驚く少女達の顔が思い浮かぶぜ。
ひっそりと練習していたムーンサルトを披露する機会が遂にきたのだ。
はじめは、驚いてばかりの少女達。
その驚愕は、徐々に尊敬へと変わり、最後には淡い恋心へと昇華され。
そして少女達は、俺の膝の上に座る権利を巡って喧嘩したりするのだ。
更にはホッペにチューとかされちゃたりして。
くっくっくっ、今から愉しみだぜ。
――コンコン。
そんな俺の夢想を打ち消すように、ドアがノックされる。
せっかく盛り上がってきたのに、邪魔しないでほしい。
「……どうぞ」
「失礼します」
ドアを開け、そこで一礼した後に、メリルママが入ってくる。
まあ、この場面で登場するのは、彼女以外に考えられないよな。
「子供達はしばらく話をしていたようですが、今は寝静まったようです」
「今日は色々あったから、疲れているのだろうな」
メリルママは、本日の仕事がつつがなく終了した事を知らせに来てくれたようだ。
問題が生じた時に報告してくれればいいと言ってあるのだが、生来の生真面目さが窺える。
娘のリノンが同行していないのは、少女達と一緒に寝ているからだろう。
それがリノンの仕事だからな。
最初に村で会った時は商人のウスズミ版だったため敬語で話していたが、その後正式に雇用契約を行う際に、メリルママから敬語を止めてくださいと言われている。
雇用上、俺が上司に当たるため、少女達に対しても示しが付かないという真っ当な理由からだ。
それ以来、事業家のアオシとして尊大な喋り方を心掛けているのだが、中々慣れない。
彼女とは同世代だが、結婚して新たな生命を創造している人生の先輩みたいな存在なので気後れしているのだろう。
……自分で始めた仕事とはいえ、人の上に立つのは大変だよな。
デメリットが無い仕事なんてありえないのだろう。
「明日は休息日とした方がいいだろう。屋敷や街の案内などをして、まずは緊張をほぐすべきだろうな」
「はい。私もそれが良いと思います」
よかった、メリルママも同じ意見のようだ。
「では、そのように。仕事はゆっくり仕込んでいけばいい。焦る必要など何も無いのだからな」
「はい。かしこまりました」
メリルママが、深々と頭を下げる。
彼女は俺が雇っているとはいえ、この事業の立ち上げから積極的に協力してくれている同志だ。
それに俺は偶に顔を出すだけなので、実質的なトップは彼女なのだ。
だから、せめて二人っきりの時にはフレンドリーに接してほしいのだが。
……彼女が頑なに一線を越えようとしないのは、俺が命の恩人だと遠慮しているのだろう。
律義なものである。
「――――院長」
「なに、かな?」
「この度の開院、おめでとうございます」
「……ああ、ありが――」
「――そして有り難うございました」
うおっ、急に祝われたので礼を返そうとしたら、逆に礼を言われてしまったぞ。
しかも被せ気味に。
「君が礼を言う必要はない。むしろ、こんな馬鹿げた事に付き合ってもらっている俺の方が礼を言うべきだろう?」
「いいえ、それは違います」
うーん、何だか重苦しい雰囲気になってきたぞ。
メリルママとは、事業の立ち上げ当初から色々と意見を交わしてきたのだが、こんな真剣な表情を見たのは初めてだ。
……いや、正確には二度目になるだろう。
今の彼女の表情は、最初に村で会った時とそっくりだ。
何か強い信念を貫こうとしているような、そんな眼をしている。
その彼女が、再び口を開く――。
「あの村で院長にお会いするまでは、私には絶望しかありませんでした」
「……リノンはまだ、元気だったのに?」
「はい。病気にかからなくとも、娘が一人で生きていくのは難しかったでしょう」
確かに、身寄りの無い普通の子供が一人残されても餓死を待つだけ。
もしくは、賊や奴隷商人に拾われて壊される可能性が高い。
「ですから、娘が辿っていたかもしれない境遇のあの子達を、他人とは思えないのです」
「……」
ようやく、彼女の言いたい事が分かってきた気がする。
「行き場を失ったあの子達にも、真っ当な人生を歩む機会が与えられる可能性を、院長は示してくださいました」
「…………」
「あの時に私が朽ち果てていたとしても、娘は幸せになれたのだと信じる事が出来ます」
「…………」
「ですから、私は、あなたに、何度でもお礼を伝えるのです」
そうか、そうだったのか。
だから彼女は、俺がこの事業をやりたいと伝えた時、あんなにも喜んでいたのか。
だからこんなにも協力的で、やる気に溢れていたのか。
「……買いかぶり過ぎだ。君にはこの事業の真意を伝えているはずだが?」
当事業は、表向きには慈善活動。
もう少し詳しく言うのであれば、教育の実験場。
ゼロから教育を施す準備、過程、成果、そして社会への影響を観測するための事業。
だが、そんな上辺の理由で、メリルママが納得して手伝ってくれるとは思えなかった。
だから俺は、この事業の真意を素直に話したのだ。
――当事業の本当の目的とは、家族を持たない俺が父親の気分を味わうために、少女達の生活を援助する対価として、慕ってもらうこと。
ただただ、その場を作り出すための事業。
……そんな明け透けな事情を、彼女には説明しているはずなのだ。
「だからこそ、です。あの子達は、あなたの娘として愛される事で、幸せになれるのです」
「……本当に、そうだろうか?」
少女を不幸にする趣味は、今の俺には無い。
しかし、誰かを幸せに出来る自信もまた、無い。
だからこそ、俺の悪趣味に付き合わせる礼として少女達の生活を保障しておけば、お互い益の有る話となり、たとえ事業が頓挫しても自己嫌悪が薄らぐと目論んでいるのだが。
「あなたであれば、大丈夫です。――――ですから、必ずあの子達を幸せにしましょう」
「…………」
やられた、と思った。
メリルママが自分の娘を引き合いにしたのは、俺に謝意を述べるためなんかじゃなかった。
彼女は、こう言っているのだ。
「娘同然のあの子達を不幸にしたら、許しませんよ?」って。
――俺は、釘を刺されてしまったのだ。
「……確かに自分の子供を不幸にするようでは、父親は名乗れないのだろうな」
「はい」
曖昧ながら肯定してしまった俺を見て、メリルママは満足したように頷いた。
まったく、女は強いね。
俺の悪癖を飲み込んだ上で、最善の道へと導こうとしているのだから。
もしかして彼女は、最初から俺の暴走を心配して付いてきたのかもしれない。
まるで、俺にとっても母親であるが如く、である。
母が強しとはよく聞く言葉だが、本当だよな。
男は幾つになっても、母親に頭が上がらないのだろう。
男は皆マザコンだって言うしな。
まあ、俺は若い子が好きだからマザコンじゃねーし。
……俺の母親もこんな馬鹿息子を真っ当な社会人にするため、散々苦労したのだろうな。
「それでは、本日は失礼させていただきます」
「……ああ、明日も頼む」
「はい。こちらこそよろしくお願いします」
笑顔で退室していくメリルママを見送り、一人になった俺は溜息を吐く。
……彼女に話した本当の目的は、けっして嘘ではない。
だけど、完全な真実という訳でもない。
確かに俺は、この世界で家族を持たないが、持てない訳ではない。
この世界にとって不法侵入者に当たる俺だが、有り余る力と金を使えば戸籍なんてどうにでもなるし、妻や子を持つ事も難しくないだろう。
ただ、自分の子を残す意思が無い事も確かだ。
責任が重過ぎてやりきれる自信が無いし、自分の遺伝子を残すなんて怖くてとても出来ない。
しかし、である。
『父親』という社会的に特別扱いされる称号に、全く興味が無いと断言出来ないのも確かなのだ。
特に最近は、庇護欲をかきたてる少女達と接触する機会が多かったため、父性らしきものを感じないでもないし。
つまり、である。
俺は、父親の真似事をして、父性の有無を確かめたいのだ。
もしそんなものが、本当に有るのだとしたら――――。
……まあ、やっぱり父性とやらが無かったとしても、少女達に囲まれて暮らす日々は、とても素晴らしいものになるだろう。
飽きたら金を置いてトンズラすればいいし。
金さえ有れば大抵の事はどうにかなるだろうし。
そう、どう転んだとしても、俺的には損しない素晴らしい事業なのだ。
ここは世間の目を気にせず、合法的に少女達と過ごせる場なのだ。
だから少女達には、俺の本性を確かめるために頑張ってもらわないといけない。
そのためには、どんな出費も惜しまないつもりだ。
ギギッ。
ギギッ、と。
静かになった部屋に、椅子の軋む音が響く。
ゆらゆら。
ゆらゆら、と。
一人残された立派な部屋にて。
立派な椅子の上で揺られながら、目を閉じる。
「カラノス、か……」
当院の名である『カラノス』とは、鳥が巣立った後に残される『空の巣』の事だ。
表の意味としては、孤児院から巣立ち立派になってほしいという、真っ当な願い。
裏の意味としては、生徒が巣立った後に感じる寂しさと『空の巣症候群』――――子供が独立して居なくなった家庭に残される親が空虚な気持ちになる症状――――とを掛けた自嘲。
その奥底には、『空の巣』にしないため永遠に捕らえて逃したくない本音が隠れているのかもしれない。
「…………」
――想像してみよう。
年を取り、老衰してベッドから出られなくなった俺は。
この世を去る瞬間を、無垢な少女達に囲まれて迎える事が出来るのだ。
それはきっと、素晴らしい事なのだろう。
この上ない幸せなのだろう。
そして、心の底から俺を心配してくれる少女達を見て、こう思うのだ。
ああ、紳士的に振る舞ってきて良かったな、と。
――――だから、その時まで、頑張って自重してくれよ、俺?




