孤児院カラノス②/娘にとっての仕事場、少女にとっての学び屋
「それでは院長、しばらくお待ち下さい」
「まっててね、いんちょ先生!」
「……はい」
メリルとリノンの母娘が少女達を風呂場に連れていくのを見送る。
少女達は俺に誘われた時よりも随分と安心しているように見える。
ふん、全然くやしくないからな!
「さて、俺は飯の準備だったか」
本来、飯を作るには下ごしらえが必要であり、結構な時間が掛かってしまうのだが。
「魔法で出せば、一瞬なんだよなー」
そうだよ。俺の仕事なんて直ぐ終わっちゃうんだよ。
手持ち無沙汰になるんだよ。
職場で人材を遊ばせておくのは良くない事なんだよ。
「やはり俺も手伝いに行くべきか」
でもなー。
メリルママがきっぱり断っていたから、怒られそうで怖いんだよなー。
……うん、まあ、約束は守らないとな。
俺は、約束を守る事が出来る男なのだ。
とりあえず、今日のところは。今回だけは。
…………しばらく本を読んだり逆立ちしたり空を飛んだりして時間を潰していると、廊下から食堂に近づいてくる足音が聞こえてくる。
長風呂である俺からすると結構早かったな。
食事を控えているから、湯船に浸かって疲れを癒すよりも、汚れを落として着替える事を優先したのだろう。
うむ、流石は俺が選んだ人材だ。
パチッツ!
こちらも準備を済ませるため、指を鳴らして一瞬で料理を出現させる。
――ことは魔法でも出来ないので、俺の心理上の演出である。
実際は、せこせこと一つずつテーブルの上に料理を出して並べていく。
自分で言うものなんだが、涙ぐましい地味な作業である。
ほどなくして、一行が到着。
少女達は湯船に浸かる時間が短かったため湯気を纏ってはいないが、その髪はまだしっとりと濡れている。
久しぶりに髪フェチ魂が疼くが、今は我慢、我慢。
少女達の恰好は、お揃いの囚人服もとい花柄のパジャマを着用。
本日の予定は、これから飯を食って寝るだけだからな。
仕事中に着てもらうメイド服は、明日からのお楽しみってところだ。
ついでと言っては何だが、娘のリノンも一緒に風呂に入ったようだ。
彼女の立場は従業員であるものの、その役割は孤児院の生徒である少女達を先導するリーダー的な色合いが濃い。
いつも一緒に行動する近しい友人やお姉ちゃんとして、少女達の心の支えになってほしい。
村の危機においても明朗快活であり続けた彼女なら、きっとやり遂げてくれるだろう。
「さあ、席に着きなさい」
少女達は俺の声を聞き、振り返ってメリルママとリノンお姉ちゃんが頷くのを確認して、思い思いの席に着く。
うん、あれだな、早くもこの孤児院の力関係が知れてしまったな。
従業員であるメリルとリノンが信頼されているのは、とても良い事なのだろう。
そして雇用主である俺の役割は、まあそんなものだろう。
……どこの家族でも父親は肩身の狭い思いをしているって聞くからな。
仕方ない。そう、仕方ない事なのだ。
ああ、結婚する気が益々失せていく。
「では、食事の前で悪いが、改めて挨拶させてもらおう。俺の名前はアオシ。この孤児院の責任者だ」
――孤児院という事業を立ち上げるに当たり、俺は新たな『顔』を作る事にした。
名は『アオシ』。
漢字で書くと『青し』。
『青は藍より出でて藍より青し』なる故事の文末から取っている。
後発だったり資質が不足していても、努力次第で先人を超える事が可能なのだと伝える有り難いお言葉なのだが、別に深い意味があって付けた名ではない。
ただ考え方と語感が好きなだけで、適当に付けた名前である。
役割は『事業家』。
商人版と被る処もあるが、商人版は表に出ずに金儲け、事業家版は表に出て仕事をするための顔だ。
今回のように大きな施設を使ったり、街の住民とも交流を必要とする場合などで使用する顔になるだろう。
容姿は『青』を基調に構成。
深い紫味の青色である瑠璃紺の髪にスーツを着用。
性格は自信家で尊大。
けれども身内には甘いみたいな感じ。
「そしてこちらが、従業員のメリルとリノンの母娘だ」
続いて従業員の紹介。
二人は笑顔で頭を下げる。
もうすでに本人から紹介済みかもしれないが、様式美は大事だからな。
特に今回は最初だから、きちっとしておこう。
「「「…………」」」
攫ってきた、いや拾ってきた、いやいや任意で連れてきた少女達を見ると、まだまだ緊張した面持ちである。
ここまでの対応に不満は無いにしても、これから何をさせられるのか全く分からないだろうし、詳しく説明するつもりもない。
もうこの屋敷に入ってしまった以上、孤児院の存在理由など説明しても意味がないのだ。
ただ、命じられるがままに行動するしかないのだ。
まあ、本当に嫌なら逃げ出せばいい話なのだが。
この屋敷は施錠しておらず門番も居ないため、いつなんどきでも出入り自由。
そう、最後の決定権は、あくまで当人に有るべきなのだ。
「ここに来る前に確認したように、これからは衣食住を保証する代わりとして、君達には仕事をしてもらう。それは決して楽ではないだろうが、頑張ればきっと成し遂げる事が出来るだろう」
「「「………………」」」
おやおや?
少女達の表情が強ばってしまったぞ。
気を引き締めようと厳しく言ったのだが、不安を助長させてしまったようだ。
リノンが「もーだめだよー」みたいな表情で口を尖らせている。
メリルママも非難するような目で見てくる。
うーむ。やはり慣れない事はするものじゃないな。
日本でリーマンやってた時も、碌に部下など居なかったから上司面するのに慣れていないのだ。
「こ、こほん。とは言っても難しく考える必要はない。俺達はこれから一緒に住む家族みたいなものだからな」
「「「…………?」」」
「だから、リノンの事は『お姉ちゃん』だと思えばいいし、メリルの事は『お母さん』だと思ってくれていい」
「「「…………??」」」
「そして俺の事は、『お父さん』だと思っても一向に構わない」
「「「…………???」」」
俺の言葉に、少女達はよく分かっていないような顔をした。
まあいい、最初だからな。
これから少しずつ刷り込みしていけばいいのだ。
「……」
「……」
対照的にリノンの方は、ニコニコと嬉しそうにしている。
友達のような新しい家族が出来て嬉しいのだろう。
一方のメリルママは、何やら複雑な表情をしている。
俺の言い分は、孤児院を円滑に運営するために必要な事だと承知しているのだろうが、それだと彼女と俺とが夫婦な関係になってしまうからな。
亡き夫に操を立てる未亡人としては、色々と思うところがあるのだろう。
申し訳ないが、そこはお仕事だと割り切ってもらうしかない。
……ほんと、こんな甲斐性無しの嫁役なんかをさせて申し訳ない。
だがしかし、俺にはどんな犠牲を払ってでも達成すべき目的があるのだ!
「――そう! 俺の事は『とうさま』と呼んでくれ!!」
「「「…………」」」
「……」
「……」
大事なことなので2回言った。しっかり強調した。
何故か複雑な表情をする者が増えた気がするが、こればかりは譲れない。
だって、これこそが、俺の真の目的なのだから!
「……まあ、そんな難しい話は明日からだ。今日は美味しい物を食べて、ゆっくり休んでくれ」
校長先生の長話は苦行に近いからな。
最初から悪印象を抱かせる訳にはいかない。
そういえば、学生時代にやたらと話が簡潔で物分かりの良い校長がいたっけ。
体育祭の総評を「感動した!」の一言で終わらせた後、生徒達から歓声が上がったものだ。
そんな尊敬される上役になりたいものである。
「では、目の前の蓋を取りなさい」
食卓には、ドーム型の銀の蓋で覆われた料理を用意している。
このフランス料理とかで使う蓋の名前は、……なんだろうな、たぶん食通かフランス人しか知らないのだろうな。
名前はともかく、この蓋の元来の目的は保温だろうが、今回の目的は「開けるまで中身が分からない」といった演出である。
しかしそれも、食べる側から見た目的であって、用意した側としては「客の驚く顔が見たい」だけなのかもしれない。
満腹感ならぬ俺の満足感を満たすための仕掛けであるが、少女達は中々蓋を空けてくれない。
この世界には料理を演出する洒落た文化が無いため、目の前の物が食べ物である事さえ気付けないのだろう。
このままでは埒が明かないので、リノンに目配せし、率先して蓋を取ってもらう。
「「「……っ!?」」」
リノンの目の前に現れた中身を見て、小さなどよめきが起こる。
そして堰を切ったように、少女達は我先にと蓋を取り除いていく。
ふふふっ。
慌てなくても大丈夫。
ちゃんと皆、同じ料理を用意しているからさ。
「「「――わあっ」」」
はじめて見る料理だろうに、少女達の口から感嘆の声が漏れる。
大人のメリルママでさえ、感心した表情を見せている。
当然の結果であろう。
俺が用意した料理は、日本の子供達に絶大な人気を誇る料理、その名も『お子様ランチ』だからだ。
定番のケチャップご飯、ハンバーグ、ソーセージ、海老フライ、ポテトなどが一分の隙もなく陳列されている。
もちろんご飯の上には日本の旗がそびえ立っている。
お子様でなくとも、見た目で食欲を掻き立てるラインナップだ。
時間帯としては『お子様ディナー』が正しいとか、野暮な事を考えてはいけない。
「それでは、『いただきます』」
「「「い、いただ、きま、す?」」」
両手を合わせてお辞儀する俺の仕草を、たどたどしくも真似する少女達の可愛さに満足しながら。
俺が下手くそな笑顔で頷くと、少女達は猛然と食べ始めた。
スプーンとフォークも用意しているのだが、大半の者は素手で齧り付くように食べている。
俺は、正そうと腰を上げたメリルママを手で制して首を横に振る。
今日は、自由に食べればいい。
作法のような細かい事は、落ち着いてゆっくりと覚えて行けばいい。
開院記念となる本日は、ただ食事を楽しむ事が重要なのだから。
「「「――――」」」
しばし無言で、しかしガツガツと賑やかな音を立てながら食事会は進んでいく。
慌てて食べる必要などないのに、な。
少女達が夢中を通り越して必死に食べているのは、食事が旨いという理由だけではないのだろう。
どんな幸福も、次の瞬間には消えて無くなってしまう恐れを知っているのだろう。
皆がゆったりと味わいながら、笑顔で食事が出来るようになるには時間が掛かるのかもしれない。
せこせこと空いたコップにオレンジジュースを継ぎ足し姑息にポイント稼ぎしながら、そんな事を思う。
「「「…………」」」
しばらくすると、食べ終わった少女達から、遠慮がちな視線が投げかけられる。
今回用意したのは子供用の普通の量だったので、常時腹ペコである少女達には足りなかったのだろう。
潤んだ瞳で悲しげな表情を作られると幾らでもお代りを出してしまいそうになるが、ここは心を鬼にして我慢我慢。
いくら腹が減っているとはいえ、一度に食べ過ぎるのは体に悪い。
少女達は一様に痩せこけている。
注意しながら少しずつ回復させていく必要があるだろう。
だから、お代わりの替わりと言っては何だが、別の物を用意しよう。
食後に食べても許される不思議な食べ物と言えば、もちろん――。
「食後のデザートだ」
一般的に使われるこの言葉。
文脈から考えると、デザートは食品の類から外れる事になる。
では、デザートとはいったい何物なのか?
きっと、物質的な空腹ではなく、精神的な空腹を満たすための食べ物なのだろう。
そんな哲学的な事を考えながら、好感度を上げるため一人一人、少女達の目の前にケーキを置いていく。
「「「あっ……」」」
お子様ランチの定番デザートと言えばプリンであろうが、プリンは見た目が地味で食べ方も初心者には難しいからケーキにしてみた。
種類は、定番のイチゴショートケーキ。
赤いリボンを付けた純白の花嫁。
どうぞ、召し上がれ。
「「「ああっっ…………」」」
日本では定番と言っても、ここはまともな甘味類が無い世界だ。
だから少女達は、ケーキなんて見た事も聞いた事もないはずだ。
「「「あああっっっ――」」」
それでも少女達は、目の前に置かれたそれを、食い入るように見つめている。
おそらく女性特有の本能が反応しているのだろう。
女性の味覚センサーの高性能っぷりには舌を巻くばかりである。
どこぞのメイドさんのしたり顔が思い浮かぶが……いや、あんたは食べ過ぎだからな? 明らかに異常だからな?
「それでは改めて、『いただきます』」
「「「いただき、ますっ」」」
意味は分からずとも、その挨拶の後に食べて良いのだと学習した少女達は。
今度はがっつくのではなく、恐る恐るゆっくりと食べ始める。
まるで偉大な存在に敬意を払っているかのようだ。
女性にとって、お菓子とはそれほど特別な存在なのだろうか。
ちょっと引くんですけど。
「「「うあっ…………、ああ、っん、ぐすっ――――」」」
そして、少女達は……。
食べながら、誰からともなく泣き出してしまった。
満腹となり、気が緩んだのだろうか。
それとも、はじめての甘い食べ物に感動しているのだろうか。
……何にせよ、感情を表に出せるようになったのは良い事なのだろう。
甘いお菓子は、これから孤児院で送る生活の象徴となるのかもしれない。
隣を見ると、リノンもつられて泣いているようだ。
感受性が豊かな子だからな。
メリルママも目元に浮かんだ涙をぬぐっている。
少女達に背を向け隠れるようにしているのは、大人の威厳を気にしての事だろう。
そして、一家の主に当たってしまう俺も、泣く訳にはいかない。
体裁が、大事なのだ。
威厳があってはじめて、頼っていい大人だと認めてもらえるのだ。
外から見たら、大勢の女の子を泣かせている屑男にしか見えないだろうが、気にしてはいけないのだ。
男は強く、あるべきなのだから。
……ああ、年を取ると涙もろくなるって、本当だよな。
――――こうして、俺を喜ばせるために存在するはずの孤児院カラノスは、なぜか涙ながらに開幕したのである。




