ある日、満足した男⑤/旅立ち
さてさて。
摩訶不思議な世界のルールが分かったところで、今後の身の振り方をもう一度考えてみよう。
一番の懸念材料であった己の強さは、既に十分だと見ていいだろう。
だが、練度が低いまま人と交わっても無駄に目立ち、面倒事が増えるだけだ。
今の俺に足りないものは、降って湧いた不相応な力を有効利用する技術と知恵であろう。
仮にトップクラスの力を持っていたとしても、あくまで人類と比較しての話。
敵対勢力である魔族の強さは未知数なのだ。
それに、忘れちゃいけない。
ここが俺の願望が生んだ夢のような世界だったらいいのだが、今のところ地球とは別世界の可能性が高い。
だとしたら、俺は迷子だ。
そして迷子は、一人とは限らない。
他の地球人が存在し得る可能性も有るのだ。
知識とレベルが比例するこの世界では、俺のような向上心の低い人間よりも、他の勤勉な地球人の方が高レベルになるだろう。
現時点では、並外れた力を持つ人物、いわゆる『勇者』と称される者は存在しないそうだが、潜んでいる可能性も十分にある。
…………やはり当初の予定通りに、アイテムを集めながらダンジョンを巡り地力を上げた方が良さそうである。
その後にアイテムを使って隠蔽工作し、ゆったりと観光に興じればいいだろう。
盗賊の話によると、この世界には多種多様な便利アイテムが有るらしいからな。
探索中に自分より強い相手に出遭わない事は祈るしかないが、俺もそこそこ高いレベルなので逃げるぐらいは出来るだろう。
――――そして何よりも、俺は『余裕』を手に入れたい。
ある本に『暇』こそが人間最大の取り柄であり素晴らしさなのだと描かれていたが、三十代になってようやく意味が分かった気がする。
日本での生活は、目の前の仕事と生活に手一杯で、心に余裕なんて無かった。
趣味でさえストレスを解消するための手段となっていた。
そういった意味で俺は、社畜であり、人間ではなかったのだろう。
だからこそ、能力を磨き、知恵を獲得して、何事にも対処しうる力を――――『余裕』を手に入れたいのだ。
情報提供者である盗賊の方々は、身ぐるみを剥がして拘束し、見晴らしがいい歩道に転がしておいた。
彼らが待機していたこの付近なら人通りがあるはずだし、運が良ければ餓死する前に誰かが見つけるだろう。
そのまま警察に連行されて処分されるだろう。
「お達者で」
譲り受けたアイテムや金銭を確かめながら、別れの挨拶をする。
「それじゃあ、次はダンジョンに行ってみますか」
なるべく人が少ない、出来れば未踏の魔物スポットが理想だ。
盗賊から聞いた高ランクの魔物が多い場所へ向かって飛び立つ。
「じゅわっち!」
ネタが古いな。
◇ ◇ ◇
――――こうして俺は、数十日にわたり魔物が多い地帯を巡った。
機械的なレベル上げ作業だったので、記憶に残る出来事は少ない。
RPGは好きなジャンルだが、ストーリーを楽しむのが主目的であって、地道にレベルを上げたりスキルを鍛えたりする作業は苦手なのだ。
ダンジョンのボスや魔族幹部などの強い敵とも戦ったが、さして苦戦する事はなかった。
俺のレベルは、魔族にも通用するようだ。
ただ、魔王の拠点と噂される塔には近づいていない。
あの場所には行くべきでないと『感』が警告するのだ。
俺には英雄願望など無いはずなので、魔王様と相見える機会は訪れないだろう。
冒険を終えた俺は、予定通り戦闘に慣れ、魔法も精錬され、己の能力が及ばない欠点をカバーする多種多様なアイテムを手に入れていた。
レベルは187から203へと16アップ。
最高級の魔物を倒しまくった事と、ファンタジー世界の新たな知識を得た事でそこそこ上がってる。
レベルは元より十分なので、汎用性が高いアイテムを揃えた事が一番の収穫だろう。
物体への執着は薄い方だと思うが、キテレツ斎様も驚く奇天烈な道具への興味は高い。
これらのマジックアイテムは、生活から戦闘まで幅広く役立ってくれるだろう。
魔力の運用にも随分慣れた。
相変わらず回復やサポート系はサッパリだが、戦いに活かせる魔法は十分身に付いたと思う。
それに、俺の固有能力ともいえる特殊な魔法――――『複製魔法』を会得した。
これは元の世界の恋しさ故に生まれた魔法だ。
別世界で過ごしているうち、情けない話だがホームシックを感じてしまった。
まあ、欲したのは人の温かさではなく、食べ物や漫画といった娯楽品なのだが。
魔物から入手出来る食べ物は肉だけなので直ぐに飽きてしまう。
養分としては問題なくとも、様々な食文化に慣れ親しんだ日本人としては、同じメニューばかりだと苦痛なのだ。
娯楽はやはり読書。
冒険は楽しいが、休憩がてら木陰で読書しつつ昼寝したい。
裕福でお気楽な日本人の弊害といえるが、一度知った娯楽を手放すのは難しい。
そこで魔力の万能性を信じて試行錯誤していたら、食べ慣れたカツ丼を出す事に成功。
食べてみると味も安全性にも問題なさそうなので、調子に乗って色々出してみた。
判明したのは、この魔法が『召喚』ではなく『複製』であること。
ポケットに入っていたハンカチが寸分違わずコピーされたので間違いない。
複製可能な対象は一度手にした物に限られるようで、俺の経験をレシピに魔力を材料として作成されるようだ。
食べ物や娯楽物に限らず、この手で触れた物であれば何でも何個でも複製可能。
特殊魔法なので消費魔力が大きいが、時限式で消えたりしないので魔力の余裕がある時に複製してストックしておけば問題ない。
戦闘には役立たないだろうが、文明が遅れてそうなこの世界では欠かせない力となるだろう。
何よりも生活面の心配が解消されるのが素晴らしい。
おっさんとはいえ生活水準が低いとストレスになるからな。
――――――――高い戦闘力に、多様なアイテムに、生活的な魔法。
これにて、準備が整った。
今までの禁欲生活から卒業し、これからは俗世で俗物らしい欲にまみれた生活を送るとしよう。
最も懸念していた『自分以外の地球人』の存在は、さほど心配する必要はないのかもしれない。
異世界に迷い込む確率、魔物との第一種接近遭遇を乗り越える幸運、そして魔法世界に適合する中二力を併せ持つ希有さを考慮すると、俺以外の地球人がこの世界に存在する可能性はかなり低いだろう。
後はこの世界で最強と思われる魔王様に目を付けられない範囲なら、好き勝手に遊んでも問題無いだろう。
うん、大丈夫…………だと思う。
魔人とのやり取りで既にロックオンされてる可能性も否めないが、これまでの魔族の習性から考えると、こちら側から大々的に喧嘩を売らない限りは大丈夫なはずだ。
願望も混じっているが、此処まで生き長らえたことに感謝しつつも自信を持とう。
いい加減、我慢の限界なのだ。
自由に愉しみたいのだ。
そのために俺は、力を手に入れたのだ!
……力とは、暴力であり、金力であり、権力であり、心力だ。
力が無ければ、世界を救うことも、病気を治すことも、道路の真ん中で泣いている子猫を助けることも出来ない。
力が有れば、世界を壊すことも、命を弄ぶことも、道路の真ん中で泣いている子猫を助けることも出来る。
俺には救世願望も破壊願望も無いが、いざという時にそれが出来る力を持っていれば、いかなる時も『余裕』を失わず笑っていられるだろう。
……『余裕』があれば、今まで気に留めなかった物にも、人にも、景色にも、文化にも、世界にも興味を抱けるのだろうか。
美しさを感じる事が出来るのだろうか。
その答えを知るためにも――――。
――――さあ、異世界という未知なる道を愉しむ道楽の旅に出よう!




