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娼婦の姉妹④/大掛かりな連れ込み宿の管理人




『仕事を探しています』


 赤ん坊を背負った女性が首に掛けている木片には、そう書かれていた。

 夫と家を失い、貯蓄も尽きたミラは、仕事を探し街中を彷徨う事しか出来ないでいた。

 特別な才能や容姿を持たず、子連れの女性が仕事に有り付ける程余裕のある街ではないと分かっていたのだが、他に選択肢が無かったのである。


 もしも、残されたのがミラ一人であれば、疾うに諦めていただろう。

 そういう意味では、彼女は背中の重荷に支えられていたのかもしれない。



 ――――街中を何度歩き回った時だろうか。


 ミラが緑色の服を着た男と擦れ違う瞬間、不意に赤ん坊が泣き始めた。

 それは、本能からくる恐怖、若しくは母親への警告だったのだろうか。

 しかし、結果として男の足を止めてしまったという事は、別の目的があったのかもしれない。



「……その赤ん坊は、女の子なのか?」

「は、はい」


 歩みを止めた男から問いかけられたミラは、深く考えずに返事をしてしまう。


「やはり、女性の方が感がいいのか。それとも子供だからか。どちらにしろ、羨ましいものだ」

「あ、あの?」


 しばらく一人で呟いていた男は、ふと納得したように顔を上げる。


「仕事を探しているのか?」

「は、はいっ」

「掃除は出来るか?」

「と、得意ですっ」

「住み込みで働けるか?」

「大丈夫ですっ」

「それは結構。仕事先に案内するので、付いてきてくれ」

「はいっ!」


 諦めていたところに、救いの声。

 ミラは疑問に感じる余裕もなく、言われるがまま、男の後を付いていく。


 ……赤ん坊は、いつの間にか泣き止んでいた。






「頼みたい仕事は、この家の管理だ」


 街の中心部から離れた場所に、その屋敷はあった。

 2階建ての12部屋。中央に玄関があり、左右対称を形取っている。

 家族の家としては大きく、屋敷としては小さいが、ミラの感覚では立派な屋敷であった。


 男は、簡単に屋敷の中を案内した後、一階の玄関横の部屋に入り、説明を続ける。


「基本的な仕事は、この家と庭の掃除、それに来客の世話だ。この部屋に住み込んで管理してくれ。給料は金貨1枚でいいか?」

「は、はい。それでお願いしますっ」


(1ヶ月30日で金貨1枚。1日だと銅貨3枚と少し。この子と私の食事分は十分にある)


 給金は、1ヶ月単位の支払いが基本。

 1ヶ月当たり金貨1枚の収入は、この地域で働く女性と比べ半分以下であったが、赤ん坊を連れ満足に働けない身。

 更には宿付きの条件としては、文句が言えない金額だ。


「年間契約として前払いしておこう。この世界は1年300日だから、金貨300枚だな」

「………………え?」

「疲れているようだから、詳しい話は明日の朝にしよう。今日は赤ん坊と共にこの薬を飲んで眠るといい」

「…………は、はい?」

「それじゃあ、また明日の朝に来る」

「は、はい。お休みなさいませ……」


 男はミラに質問する間を与えず、矢継ぎ早に言い捨てると去って行った。

 部屋に残されたのは、母子を除くと、ベッドとテーブル。それに、テーブルの上に置かれた給金が入っていると思われる革袋。

 ミラは、その袋を恐る恐る手に取る。


(き、金貨がこんなに!?)


 男の言葉通りであれば300枚入っているのだろうが、そんな大金は数えるのさえ躊躇われる。


(ま、まさか、1日の給金が金貨1枚なんて!)


 年収が金貨300枚。

 上級の冒険者や商人のみに許された収入である。

 活発な産業が無いこの街で、これほどの収入を得ている者が如何ほど居るだろうか。


(……きっと、疲れて幻覚を見ているのね。そもそも仕事を任された事さえ夢だったのかも。…………もう、寝てしまおう)


 理解が追いつかないミラは考えるのを止め、言われた通りに貰った薬を飲んだ後、ベッドに倒れ込んだ。




 そして、翌朝。

 見知らぬ天井の部屋で目を覚ましたミラは、テーブルの上に無造作に置かれていた金貨を5回も数え直し、やっと現実である事を理解しはじめる。


 睡眠により取り戻した冷静な思考で、今度は自分の身を確認する。

 すると、手の平の血色が良くなっている事に気づく。

 昨日まで全身を蝕んでいた疲労も、嘘のように消えている。


(昨晩に飲んだ薬のせいなの!?)


 自分の状態だけであれば、気のせいだと思い込んだかもしれない。

 しかし、昨日までぐったりしていた赤ん坊が、勢いよく乳を飲む姿を目の当たりにして。

 ――――自分達が置かれた状況を実感したミラは、まず男に感謝し、次に神に感謝し、ひっそりと涙を流した。






 その後は、赤ん坊が乳を飲み終え、衣服を正すのと同時に現れた男から、詳しい話を聞く事になる。


 提示される雇用条件を、男から渡された真っ白な紙に書き込みながら、ミラは一つ一つ頭に入れていく。

 とは言っても、さほど難しい事項はない。

 ただ、あまりにも変わった条件が多かったため、理解するのに苦労したのだ。



 それは、以下のような雇用条件であった。



一.通常の仕事は、屋敷と庭の掃除。


二.労働時間は、朝から日が暮れる迄適当に。昼食時には1時間の休息を取ること。特に昼寝が大事。


三.10日間のうち2日間の休暇を取ること。掃除は10日間で網羅する程度で良い。


四.2階は雇用主の来客用に使用。1階は労働者が自由に使って良い。個人的な来客も許可。


五.雇用主の来客時は、指示の無い限り2階の掃除や客の世話は不要。基本的に客との接触を禁じる。客が帰った後は、その部屋の掃除を優先すること。


六.雇用主から要請があった場合は、上記の条件に反しても極力協力すること。


七.赤ん坊と自分の体調を優先すること。不調の場合は必ず休養すること。その為に仕事が滞っても構わない。


八.長期休暇の取得など、上記の条件が履行出来なくなる場合は、雇用主に相談すること。


九.給金は1日金貨1枚。年間契約の前払い。


十.基本的に雇用主は不在のため、退職する際は書き置きして勝手に去って良い。雇用主が1年間姿を見せない場合は死亡扱いし、労働者に屋敷を譲渡する。




 多くの条件は、とてもミラの常識では考えられないものであった。


(条件が良すぎて恐ろしいけど、きっとオーナーは私の常識では測れないお方。私は言いつけを守り、赤ん坊の事を第一に考えよう)


 それは、男からの忠告でもあった。

 仕事の内容に対して給金が高過ぎるのでは、と遠慮がちに訪ねたミラに、男は言ったのだ。


「あんたは身一つで子供を育てている。金は幾らあっても困りはしないだろう。これからは赤ん坊の健康と教育を最優先に考えるべきだ。そのためには、あんた自身が元気に稼ぐ必要がある。むしろ増額を要求するような意気込みが必要だ」


 その言葉は、妙に含蓄があるように聞こえた。


(きっとオーナーは、自分の子供を育てるために大変なご苦労をなさったのだわ)


 まさか男が家庭に縛られる煩わしさを嫌い、子供どころか結婚さえしていないとは夢にも思わないミラであった。


「それに給金は、赤ん坊の分も含んでいる。赤ん坊には玩具のモニターを頼みたい」


 そう告げた男は、翌日から遊び道具を持ってくるようになった。

 それは、唄って踊る人形、子供用のピアノやフルートなど様々な玩具であり、赤ん坊を楽しませた。

 屋敷のオーナーとしては粗雑だが、無駄に細かい処がある男は、他にも色々な品を持ってきた。

 赤子専用のベッドであったり、乳母車であったり、甘いお菓子であったりと毎回違っていたが、その中でも変わったプレゼントとして黒い猫が渡された。


「これは魔法で創った猫だ。あんたの命令を聞くようにしてる。簡単な赤ん坊の遊び相手やお使いなんかも出来るが、基本的な役目は護衛だ。そこらのゴロツキ程度なら十分あしらえる。いつも一緒に居るようにしてくれ」


 横柄なようで心配性、特に子供には情のある態度を見せる男であったが、しかし赤ん坊が苦手らしかった。

 玩具に釣られた赤ん坊が擦り寄っても、オドオドして抱き上げようとせず、そのくせホッペタを突いたりする。

 そんな情味のある様子に、ミラは自然と警戒心を薄めていった。


 仕事の内容も大して難しいものはなかった。

 一人で管理するには大きな家だが、その日に出来る範囲で掃除すれば良いとされていたからだ。

 来客用に用意された家だと言うが、肝心の客は少ない。

 物音や来客後の様子から、情事目的の女性や訳ありの者が訪れているようだが、接客を命じられる事は稀。

 手間の少なさとオーナーの無頓着ぶりから、住み込みの管理人など必要ないのではと思えるほどであった。



 ……ある時、ミラは雇用主に尋ねてみた。


「なぜ私に、声を掛けて下さったのですか?」

「赤ん坊が一緒で、身寄りが無さそうだったからだ。そして、赤ん坊が可愛い女の子だったからだ」 


「…………」

「子供が居るのなら、母親として掃除が得意だろうし真面目に働くだろう。身寄りが無ければ、屋敷に住み着き仕事が長続きするだろう」


「そ、そんな理由で?」

「人が動く理由は、自分本位の打算だけだ。慈善に見える行為も自らの欲に従っているに過ぎない。だからもしも、あんたがこの仕事を得た事に幸福を感じるのなら、あの時に俺と出会った自分達が持つ運に感謝することだ」


 ミラは、男が熱弁するところの『運』が、実際には何を意味しているのか理解が及ばなかったが、人生とはそんなものだろうかと漠然に思う。

 突然夫が亡くなり彷徨った事も、今こうして安息の地を手に入れた事も、全て己の意志が及ばぬ出来事なのだ。

 それが『運』だと言うのであれば、自分は運に生かされ、運に殺される事になるだろう。


 ――――だから、男が語る『運』という大きな力に抗える意志が必要なのだ。


(既に翻弄されている私には無理かもしれないけど、この子だけでも強く生きてほしい……)


 今は得体の知れぬ男の庇護に下ろう。

 だが、子供が成長した暁には、ここを出て自分の意志で生きて行こう。


(……それに、成長した娘をオーナーに近づけるのは、何だか危険な気がするし)


 ――――どんなに尊厳な大志を抱いても、結局は自分と家族が大事なのだろう。






◆ ◆ ◆






―――― ?日後 ――――



 そこは、主立った産業が無い、寂しい街であった。


 ……ところが、街外れの屋敷に住む少女達から始まったとされるそれは、段々と街中に伝染していき、やがて街一番の産業として栄える事になるのだが――――――それはまた、別のお話。





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