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娼婦の姉妹③/金貨3枚の関係




 ルーネとティーネの姉妹が、親元から逃げ出したのは、半年前の話である。


 彼女達の実家は特に貧しい訳ではなかったが、際限なく金に執着し実の娘でさえも――――外見の違いや情の希薄さから親と血が繋がっていない可能性も考えられるが――――娼館で使い潰すつもりでいた。


 姉のルーネだけなら従っていたかもしれないが、視力が低く人見知りする妹のティーネでは耐えきれないと思い、家出を敢行したのだ。


 当ても力も無かった姉妹は、結局流しの娼婦に収まったのだが、強要されず二人一緒に居られるだけでも家を出た成果を感じていた。

 後はもう少し生活を改善する術があれば良いのだが、そう都合が良い話は転がってこない。

 人気者の娼婦でさえパトロンを見つけるのは難しいのだ。

 固定客も居ない姉妹にとっては、ハードルが高い目標であった。




 そんな姉妹にも契機が訪れる。

 ――――因みに『契機』とは、変化が生じる原因を意味し、必ずしもプラス方面を示す言葉ではない。


 ……それは、最初から、少々毛色の異なる客であった。


(なんだか変わった感じの客だね)


 ルーネの初見の感想は、凡庸な中年男。

 敢えて特徴を挙げるとしたら、やや太めの体躯、煤けた緑色の髪と服。

 敢えて褒めるとしたら、緩んだ目元と苦労を知らぬテカテカとした肌が貴族っぽいと言えなくもない。

 そんな面白味のない外見である。


 それでも目に付いたのは、場末の娼婦を求める客に多い横柄さがなく、逆に怯えているような落ち着かない態度だったからだ。

 大半の客は、成熟した美しさと技術を持つ女性を選ぶ。

 しかし、そんな余裕たっぷりの女性から声を掛けられても、男はオドオドと断り続けている。


 このような嗜好の客は珍しく、自分達のような半端な娼婦でも相手をしてもらえるのではと考えたルーネは、男をターゲットに定めたのだ。



「旦那! 相手が決まってないなら、あたいらはどうだい? 今なら二人で金貨1枚でいいよ!」

「……二人?」

「そうだよ! あたいとこの子が相手するよ!」


 男は、二人といった単語に食いつく。

 出費が嵩む二人相手は嫌がる客が常なのだが、今回の客は珍しく両手に花を望んでいるようだ。

 姉妹一緒では客が捕れていなかったため、ここぞとばかりに姉は、自分の背中に隠れていた妹を押し出しアピールする。


「よ、よろしくお願いします、旦那さまっ」

「お、おおっ、君たち二人か。素晴らしい組合せだ。……ところで、二人の関係は?」

「? 姉妹だよ」

「エクセレーーーンッツ!!」


 理由は不明だが、男は相手の続柄が姉妹である事を喜んでいるようだ。

 小声で「男の願望108が一つ姉妹丼にありつけるとは」と呟きながら、涙を流しガッツポーズをしている。



「んっ、んー。……それで、時間制かな? 出来れば無制限でゆっくりしたいのだが」

「朝までかい? だったら金貨3枚だね」


 妙なテンションの男に若干の不安を覚えながら、ルーネは答える。

 通常は一回限りの一時間程度だが、偶に二回以上続ける性欲の強い男も居る。

 当然、料金は割増である。


「ああ、それでお願いするよ」

「そうかいっ。ありがとうっ、旦那!」

「あ、ありがとうございます、旦那さまっ」


(よっし、ついてる!)


 ルーネが礼を言ったのは、客が値切らなかったからだ。

 この世界では値段を下げるよう掛け合うのが基本のため、彼女は倍の値段を吹っ掛けていたのだ。


「先払いがいいのかな?」

「終わった後でいいよ」


 金払いが良さそうな客は、後払いの方がチップを期待出来る。

 そんな打算的な事を考えながら、ルーネは話を進める。



「それで旦那、場所は何処にするかい? この辺の廃墟だったらタダ。宿を借りるなら宿代は旦那持ちになっちゃうよ?」

「俺の部屋でもいいのかな?」

「近くなら、どこでもいいけど」

「距離的には遠いが、直ぐに着くよ」

「?」


 二人を連れて物陰に入った男は、周囲を見渡す。

 そして「少し目を閉じてくれ」という男の言葉に従い、不思議に思いながらも姉妹は目を閉じる。 



「――――もう目を開けていいよ」

「「!?」」


 気温が変わった事を肌で感じ、訝しげに目を開けた姉妹は仰天する。

 そこが今まで居た路地裏とは全く違う、整頓された部屋の中だったからだ。


 その部屋は、真っ白なシーツに包まれた広いベッドと丸いテーブルが置いてあるだけのシンプルな体裁だったが、綺麗に掃除され、柑橘類のいい匂いが漂っていたのである。


「え、え? こ、ここは何処だいっ?」

「お、お姉ちゃん…………」

「アイテムで俺の部屋に転移しただけだよ。朝になったら元の場所に戻すから、心配しないでくれ」

「「――――――」」


(て、転移アイテムだって!?)


 アイテムに縁が無いルーネでも、遠くの場所に一瞬で移動する便利な道具の価値は分かる。

 貴族が緊急時にしか使わないほど希少なアイテムだと、世間話で聞いた事がある。

 無論、一夜限りの娼婦を買うために使うなど、既知の外の話である。


(……まいったね。見た目が温厚そうだったんで騙されたよ。こりゃあ、とんでもない相手だ。…………あたいらの命もここまでかね)


 身寄りのない者――――平たく言うと居なくなっても誰も困らない浮浪者や娼婦――――を狙う人攫いの噂をルーネは聞いていた。

 人攫いの目的は不明だが、攫われた者が真っ当な扱いをされない事は想像に難くない。


(こんな強力なアイテムを持つ相手じゃ、抵抗しても無駄だろうね。ここは大人しく従って、隙を見て逃げるしかないかね。……せめて、ティーネだけでも)


 ルーネは、自分と同じように隣で震えている妹の手をギュッと握る。

 たとえ虚勢であっても、大丈夫だと安心づけるように。



「えーと、そうだな。うん、まず晩飯にするか!」

「……え?」


 そんな姉妹の緊張した様子をどう勘違いしたのか、男は予想外の提案をしてきた。

 人気が高い娼婦は飯を奢ってもらう事があるそうだが、二人にはその経験がなかった。


(め、めし!? ……そりゃあいつも昼飯だけだから、晩飯に有り付けるのは嬉しいけどさ。もしかして飯に眠り薬を? いや、そんな回りくどい事をする必要は――――――)


 男の意図が読めず、ルーネは混乱を深め警戒を増したが、…………全て徒労に終わる事になる。




「な、なんだい、この料理は…………」

「美味しいね、お姉ちゃん」


 まずは料理。

 これまで見た事さえないラインナップ。

 味は言うこと及ばず、見た目だけでも満足できそうな豪華な食事が振る舞われたのである。



「こ、これが風呂かい。はじめて入るよ…………」

「気持ちいいね、お姉ちゃん」


 次は風呂。

 どんな素材で造られたのか想像も出来ないほど、白く輝きツルツルした広い風呂。

 おずおずと胸を触ってくる男の存在を差し引いても、日頃の疲れが癒されるような時間を味わったのである。



「こ、こんなに柔らかい布団とベッドがあったのかい…………」

「ふわふわだね、お姉ちゃん」


 最後はベッド。

 すべすべで柔らかい真っ白な布団と、高い柔軟性と弾力性に富むベッド。

 男が直ぐに満足したお陰で、布団とベッドの抱擁感をゆっくりと味わい、熟睡する事が出来たのである。



 こんな風に、最初となる日は。

 姉はひたすら驚き続け、何故か妹の方が落ち着いている事に気づかぬまま過ぎていった。




 翌朝、目を覚ましたルーネは、見慣れぬ天井に驚いたが、直ぐに昨晩の出来事を思い出し、何故だか夢でなかった事に安堵した。


 その後は、いつの間にか用意されていた朝食を食べ、約束通り元の場所に戻してくれた男が去っていく後ろ姿を、ぼーと眺める。


 ――――何から何まで初めての体験であり、常識外れの出来事であった。


 男の姿が見えなくなってしまうと、やはり夢だったのではと疑ってしまうが、姉妹の各々の手に握られた三枚の金貨がそれを否定する。


(…………あたいは二人で金貨三枚と言ったんだけどね)


 受け取った代価を無邪気に喜ぶ妹を見て、姉はあれこれ考えるのが馬鹿らしくなり、思わぬ収入を素直に喜ぶ事にした。






 そんな驚愕の出会いから始まり、男は定期的に訪れるようになった。


 慣れか、それとも諦観か。

 当初、あれほど驚き警戒していたルーネも、段々と男を歓迎するようになっていく。



 ……男の言動は、基本的に初日の繰り返しであったが、偶に奇抜な出来事もあった。


 三人がベッドで寛いでいると、窓の外から騒々しい声が聞こえくる。

 どうやら、冒険者と思しき連中が争っているようであった。


「……余韻がぶち壊しだな。ちょっと出てくる」


 年齢と金遣いの割に繊細な処がある男は、ため息を吐いた後、二階の窓から飛び出して行った。

 驚く姉妹を余所に、男は直ぐに戻ってくる。

 ……二階の窓から、全裸のままで。

 その時には、喧騒は静まっていた。


 男は裸だったので、アイテムどころか武器も持っていなかったはずだ。

 素手で複数の冒険者を沈黙させる強さは、戦う力のないルーネにも想像出来る。


(金、アイテム、そして腕も立つ。旦那はほんと、何者なんだろうねぇ…………)


 不安要素は多かったが、自分達を選んでくれる人物の事を考えるのは、悪い気分ではない。

 それに、何となくではあるが、男が自分達と同じ余所者である事を感じ取り、知らず知らずに親近感も抱いていた。


 だからルーネは、思い切って質問してみた。


「ねえ、どうして旦那は、こんなにも優しくしてくれるのさ?」

「特に優しくしているつもりは無いが?」


「そんな事はないよ。他の客と比べれば格別さ」

「……ベッドの上で他の男の話をするのは、どうかと思うが。……まあ、だとしたら、女性に慣れていないからだろうな」


「あははっ、なんだいそりゃあ?」

「男が女に暴力を振るうのは、女を道具だと思っているからじゃないかな。ほら、扱いに慣れた道具は乱暴に扱うだろ?」


「旦那は偶に怖いこと言うね。だったら、旦那もあたいらに慣れたら、暴力を振るうのかい?」

「俺は慣れたら興味が無くなり、放置するタイプだな」


「……そっちの方が悲しむ女も居るだろうに、旦那も酷い人だね」

「ああ、よく云われるよ。だから精々、気を付けておいてくれ」


 男は笑っていたが、冗談かどうかは定かでない。

 仮に本人は冗談のつもりでも、人は全く本心に無い事を口にしないだろう。


(やっぱり、旦那は怖い人なのかね。それとも照れ隠し……だったらいいんだけどね?)


 どちらであっても、タチが悪い事には違いなかった。



 つまるところ、姉妹にとって男は、優しく危険な人物であった。

 優しく、淡泊で、どうにも掴みにくい性格。

 ただ一つ間違いない事実は、金銭面において最上級の客だということ。

 男が毎回支払っている金貨六枚は、姉妹の三カ月分の稼ぎに相当していたのである。



(……そういえば、はじめて旦那の部屋に行った時、ティーネは妙に落ち着いていたね)


 ある日ルーネは、いつも人見知りするティーネが、その時ばかりは馴染んでいた様子を思い出し、問いかけてみた。


「それはね、お姉ちゃん。旦那様がね、とても必死に、私達を楽しませようと頑張っているんだって分かったからだよ」


 妹はその時の様子を思い出しつつ、笑いながら答えた。


「理由は分からないけど、あの時の私達は、とても大切にされていたんだよ。……ふふっ、今まで大切にされた事なんて無かったのにね」

「あたいらを、たいせつ、に?」

「だからね、お姉ちゃんと同じくらい緊張している旦那様を見ていたら、何だか落ち着いちゃったんだよ」


 冷静に思い返すと、確かに男の行動は変だった。

 本来、相手に尽くすのは買われた娼婦の役目であって、買った側はただ享受すれば良いはずなのだ。


 ――――男は、女を抱く事に慣れていなかったため、「嫌われたくない」という卑屈な心理がそうさせていたのだが。

 それが姉妹には、「大切にされている」と感じられたのである。



「それじゃあ、旦那は良い人なのかい?」

「……ううん、そういう訳じゃないと思うよ。私達の事は外見で気に入っただけで、きっと飽きたら直ぐに忘れられちゃう」

「…………」

「でも、良い処と悪い処の両方あるのが普通だと思うの。きっと旦那様は、凄い力を持っているだけの普通の人なんだよ」


 ティーネの言い分は、ルーネにもしっくりときた。

 そして、妹の洞察力が富んでいる事に、姉は今更のように気づく。


(……もしかすると、一人で生きていけなかったのは、あたいの方で、ずっとティーネに支えられていたのかもしれないね)



 普通の人。


 偏りはあるものの、確かに優しい人も、優しくない人も居た。

 優しい人が、時に優しくない人になる時もあった。

 そして、その逆も――――。


 それが、普通という事なのだろうか。


 ……普通の人として、普通に生きること。

 好きなものを好きと言えること。

 嫌いなものを嫌いと言えること。


 持たざる者にとって、それがどれほど難しいのか、ルーネには身に沁みている。

 持てる者にとって、それは当り前すぎて、気付く事さえないのだろう。


 だからこそ、力を持つくせに、普通のままであろうとする男を不思議に思うのだ。



(あたいも、普通になりたい……)


 その道は、切っ掛けは、今、目の前にあるのかもしれない。

 今の自分達に、普通として在り続ける力は無いが、男の近くに居たら、もしかして変われるのかもしれない。


 そして変わりたい――――――そう、ルーネは願う。


(思い切って、旦那にお願いしてみようかね。きっと普通に断られるだろうけどね?)



 そんな前向きだか後ろ向きだか分からない事を、ルーネはサッパリとした表情で考えるのであった。






◆ ◆ ◆






―――― ?日後 ――――



 その街には、白色と褐色の肌が特徴的な姉妹が住んでいたのだが、特に気に留めている者は居なかった。


 ある日突然、その姉妹が街から姿を消した事を気にする者も居なかった。


 ……それ故に、炎の断罪と称される騒動の中で踊っていた少女、そして王都の劇場を席巻した少女が、その姉妹と同一人物である事に気づく者は誰一人居なかったのだが――――――それはまた、別のお話。





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