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月夜の晩に⑫/そんな、不思議な夜の、物語。




 彼女にとって、それは、最初から、特別な夜だった。



 一つに、始まりは敵襲。


 多勢に無勢。しかも、子守りしながらの戦い。

 何もかも捨て一人で立ち回れば、逃げおおせる事が出来たであろう。

 しかし、護衛兼メイドとしての矜持を持ち、雇い主たる領主を尊敬し、その娘を妹のように愛していた彼女が、その選択肢を考える事は無かった。


 ……その夜、彼女は、死を覚悟したのである。



 二つに、胡乱な男との出会い。


 突然の。無理やりの。

 噂に聞いた甘い味の。

 艶めかしい舌使いの、おまけ付き。


 ……その夜、彼女は、はじめての口づけを体験したのである。



 三つに、命の価値。


 諦めかけていた自分の命。最後まで諦めたくなかった領主家の命。既に諦めていた護衛の命。

 予想より、遙かに多い味方の命が救われたこと。

 予想より、遙かに多い敵勢の命が失われたこと。


 ……その夜、彼女は、命の重さと軽さを見せつけられたのである。



 四つに、甘露。


 彼女にとって、人類の英知により創造された甘露を食す事は、人生最高の喜びであった。

 しかもその夜は、極上かつ沢山のお菓子。

 至福としか、言いようがない。


 ……その夜、彼女は、本物のお菓子の味を識ったのである。



 五つに、自分の扱い。


 それは誰も、雇い主である領主や師と仰ぐドワーフでさえも出来なかった待遇。

 その男は、街一番の女傑を、手が掛かる年下の女の子扱いしたのだ。

 ある意味で、これを超える奇跡はない。


 ……その夜、彼女は、自分が年相応の――――実際は年不相応なのだが――――か弱い女の子である事を思い出したのである。




 これだけの出来事が一夜に起これば、感情のぶれは察するに余りあるだろう。


 このような体験をした者は、誰しもがその相手に特別な感情を抱くだろう。


 感謝、羨望、崇高、執着、憂虞、恐怖――――。


 それが偶々、彼女にとっては、思慕らしき感情として、認識されたのである。


 ……その点、似たような体験をしつつも、興味という感情しか抱かなかったお嬢様は、特殊な人物であると言えよう。



 「メイドには、奇跡=男の夢が溢れている」と、誰かが言った。


 その夜、正真正銘メイドである彼女には、奇跡が満ち溢れていた。


 ――――そんな、不思議な夜の、物語。






 齢25を数えるエレレは、オクサード街に住む女性の中で、最も高いレベルを誇る女傑である。


 そんな彼女の職業は、もちろん冒険者――――ではなく、メイドだった。


 卓抜した強さを手に入れたこと、そしてメイドに従事していることは、彼女の祖母が原因となっていた。



 エレレが物心つく頃、既に高齢だった祖母は、一風変わった人物であった。

 出自が不明であり、珍しい考え方や知識を持っていた。

 祖父からは強力な魔法の使い手と聞かされていたが、最後まで披露される事はなかった。


 自らを語る事が少ない老婆であったが、家族を大切にし、特に孫であるエレレには色々な話を聞かせてくれた。

 エレレもまた、祖母によく懐いていた。



 「女は強くあれ」


 それが祖母の口癖であった。


 素直かつ素質があったエレレは、その言葉の通り、自分を鍛え続けた。

 15歳で冒険者となり、当時オクサードで最強と謳われていたウォルに見込まれ才能が開花する。

 異例の速さで強くなり続け、僅か20歳にしてトップクラスの力を手にしたのだ。


 強固な強さと確固とした地位を得て、華やかな人生を送っているように見えたかつての少女には、しかし大きな悩みがあった。


 …………それは、恋人が出来ない事である。


 若くしてベテラン冒険者のレベルを凌駕したエレレには、強面のウォルが保護者的立場だった事もあり、大半の男は声を掛けることさえ出来なかった。

 また、冷淡な表情から醸し出される能面的な美しさも、近寄りがたさを演出していた。


 女性を外見だけで判別する命知らずの特攻野郎も居たのだが、彼女は愚者の類を受け入れず、丁重に力を以てお断りした。

 異性との縁が薄い者にも、選ぶ権利はあるのだ。


 このような理由により、長い間、エレレの横に並び立つ男が現れる事は無かったのである。




 ――――暫くして、祖母は天寿を全うして旅立つ時、最愛の孫に衝撃の事実を告げた。


 祖母は、確かに「強くあれ」と言ったのだが、それは精神的な気高さを意味する言葉であり、物理的に男性より強くなる事を望んでいた訳ではなかったのだ。

 その言葉をひたむきに信じて必要以上に強くなり、男性との縁を失ってしまった孫を不憫に思っていたのだが、自分の教えが原因であったため中々言い出せず、この世を去る間際に懺悔したのである。


 この時ばかりは、無表情がスタンダードなエレレも眼を見開いて絶句した。

 そして、強さを求める空しさを変な角度から実感してしまった彼女は、冒険者業から引退し、領主家のメイド兼護衛という平和なんだか物騒なんだか半端な職業に転身したのである。




 このような経緯から、メイドの性格は適度にほぐれてフランクになったのだが、それでも祖母の影響は「強さ」以外にも色濃く残っていた。

 その最たるものが、甘党であることだ。

 彼女が甘露に人一倍興味を抱くきっかけになったのは、やはり祖母の一言であった。


 ――――曰わく、「口づけは甘い」。


 それは、老婦に似合わぬ乙女のような言い回し。

 意外にも色恋話を好んだ祖母の言葉は、心身ともに乙女であったエレレの精神に深く刻まれる。


 以来、彼女は甘い物を求めるようになったのである。


 甘い、もの。

 ……本来それは、男女関係への憧れを象徴した言葉であったはずなのだが。

 月日が流れて残ったものが、糖分を摂取する本能だけであった事は、悲劇と呼んで差し支えないだろう。




 ――――しかし、いつしか忘れていたはずの憧憬は、文字通り甘い口づけによって呼び覚まされる事になる。


(これが、口づけ……?)


 その相手は、突如現れ助っ人を名乗る怪しい黒装束の中年男であった。


 自称助っ人の能力に拘束され、エレレには避ける術がない。

 腹を立てる余裕もなく、最初に唇が奪われているという衝撃、次に強烈な甘み、最後に艶めかしい舌の感触が脳髄を支配していく。

 男が子供用として薬にシロップを混ぜていた事が、予期せぬ影響を及ぼしてしまったのだ。


 その最中、エレレは、子供の頃に聞いた祖母の話を思い出していた。


(疑ってごめんなさい、お祖母様。本当に、甘いのですね…………)


 そんな、感想であった。






 その後、理性を取り戻したエレレは、一旦この事を考えないように努めた。


 危機的状況は、継続している。

 今は主人の安全を第一に考え、個人的な問題は後回しにするべきなのだ。



 そんな風に自分に言い聞かせながら、男と行動を共にすると、恩人であるはずの相手の異様さが顕わになっていく。


 多くの手練れをたった一人で一掃し、瀕死だった護衛の命を救い、オマケとばかりに黒幕の貴族をも始末する能力。

 どれ程のアイテムを使えば、可能なのだろうか。

 どのような魔法を使えば、可能なのだろうか。

 それを成し得る人物が何者であるのか、本来ならば想像も出来なかっただろう。


 ――――しかし、エレレは、以前にも似た経験をしていた。

 その時に感じた畏怖と、今回のそれとは、同質で同規模だったのだ。



 決定打は、様々な甘味類を所有していた事だ。


(高位のアイテムや魔法だけでなく、英知の結晶が如く洗練された甘味類を持つ者。…………間違いない。ウォル老師に薬を売った男と同一人物!)


 エレレは、男の正体を確信する。

 正確には、このような特異な存在が2人も居て堪るかと言う懇願も混じっていたのだが、彼女の予想は当たっていたのである。




 ……男の正体を知り、力を知り、そして多少の人となりを知り、エレレの疑念は氷解していく。

 それは、解毒薬の件で男を探っていた時、ずっと疑問に思っていた事だ。


(男の目的は?)


 男の行動は及ぼす影響が大きいため、金銭目的か、それとも別の目的があるのか捉える事が出来なかった。

 だが、今回、男と話をして感じたこと。

 それは――――。


(彼にとって、ワタシ達人類は他人であり、子供同然ということ……)


 それが、エレレが辿り着いた結論であった。

 その結論には、自分自身にも当て嵌る部分があり、納得出来るのだ。


 目の前で子供が喧嘩をしていれば諫めるし、お腹が減った子供が泣いていれば食料を与えるだろう。

 それは、大人として、力のある者として、当然の行為。


 優しかった祖母しかり、師匠たるウォルしかり、そして女傑と謳われる自分を顧みると、大きな力を持つ者は、その広大な自由の中から好んで面白味の薄い平穏を選んでいるように思える。

 抗争など聞き分けのない子供が暴れるが如く、真の強者は征服や利権に興味を抱かないのだ。


 それは、やや極端な老成した考え方であったが、エレレにはしっくりときたのである。



 ……とは言っても、大人としては少々、いや、かなり型破りな部分も目立つ。

 諍いに乗じて騒ぎを楽しもうとする不謹慎さ、間違った者を正そうとせず即座に排除する残忍さ、子供をからかって遊ぶ幼稚さ。

 男からは、そんな力と精神の不均衡さも感じられるのだ。


 そんな危うさに対して、エレレは――――。


(これが、愛おしいという感情……?)


 何故か、甘美な思いを抱いてしまっていた。



 好意的に解釈すると、確固とした能力に裏付けされた安心感、間違いを許さない潔白さ、状況を楽しもうとするユーモラスさが、彼女の琴線に触れてしまったのだ。

 通常、これらは、人類に仇なす暴力、気に入らない者を排除する傲慢、不幸をも愉しむ快楽主義として評価するのが妥当であろう。


 とどのつまり、彼女がプラス面に評価したのは、男の趣味が悪い、という理由になってしまうのだろう。



 ――――彼女は、いわゆる『美人でいい女ほどダメ男が好き』理論に当て嵌まる、それはそれは残念なメイドさんだったのである。 


 心理学においては、美人は高嶺の花や彼氏持ちと敬遠されて言い寄られる機会が少なく、恋愛慣れしていないケースが発生するという。

 そんな経験値の少ない美人が、ちょっとした事で男に魅力を感じ、深く嵌り込んでしまう初心者理論だ。

 眉唾な考え方なのだが、恋愛経験が無い彼女にピタリと当て嵌まっていたのだ。



 このようにギリギリまで昂ぶっていた彼女に対し、空気を読めない、いや、ある意味空気を読み過ぎてしまった男は、事もあろうに指輪をプレゼントしてしまう。

 この世界では、指輪の形をしたマジックアイテムが存在するため、男女間の特別な約束事に指輪が使われる風習はなかった。

 しかし、ここでもエレレの祖母が余計な知恵を授けていた。


 その知恵とは勿論、「結婚する約束の証明として男が女に指輪を贈る」話であった。

 当然、「その指輪は左手の薬指に嵌める」ことも聞かされていた。


 エレレは、彼女にしては珍しく、しかし初な恋愛初心者としては許容されるであろう可愛い嘘をつき、まんまと左手の薬指に指輪をゲットする。

 これをもって、彼女の男に対する想いは昇華してしまい、晴れて思慕らしき感情へとレベルアップしてしまったのだ。



 ――――こうして、残念なメイドと、残念過ぎる中年男との、やはり残念な関係が始まったのである。




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