月夜の晩に①/程々馴染んだある日に
その日、目が覚めると、昼だった。
前日に夜更かしした訳ではない。
寝つきが悪かった訳でもない。
酔っぱらってる訳でもない。
もしかして、寝てる間にまた別の世界に転移したのだろうか。
……正直に言おう。寝坊しただけだ。
こんなに眠り続けたのは、この世界に来て初めてである。
異世界に迷い込み、この街で宿を借りてから2ヶ月が経つ。拠点を構え、新たな生活にもある程度慣れ、安心して眠れるようになったのだろう。
当初は夢の世界かもと疑いもしたが、流石にこれだけの時間が経過すれば否定せざるを得ないだろう。
ただ、まだ現実の世界とは確信が持てないでいる。
レベル制や魔法をはじめとしたファンタジー主義。それもご都合主義――――これは俺の勘違いかもしれんが――――を考慮すれば、どうしてもゲームの中である可能性を捨てきれないからだ。
……まあ、夢の中であれゲームの中であれ、己が現実と認識するのであれば、夢現も変わらないだろう。
エドガーさんちのランちゃんも「夜の夢こそまこと」って言ってたしな。
微睡の中、窓から射す日光を背に、やる気を失った俺は再び眠りにつく。
そして、次に目が覚めた時は、夜だった。
……つまりは、一日中寝ていた事になる。
流石に丸一日睡眠は、暇を持て余していた大学時代にもなかった気がする。
……なんだろうな、この妙な罪悪感と達成感は。
一日を無駄にしてしまったという後悔と、一日を無駄に使えたという喜び。
限られた時間を無駄に費やしても後悔しない者は、よほどの愚者か幸せ者かのどちらかなのだろう。
「今宵は満月か……」
二階の窓から上半身を乗り出すと、大きな丸い月が見える。
この世界にも、地球と同じような月があるのは不思議だが、美しい分には問題ない。
「雅だな」
小説の好きな台詞を呟きながら、なんとなくアンニュイな気分になったので酒を飲む。
月見酒、と言うやつだ。
日本で暮らしていた頃は、さほど酒を嗜んではいなかった。
理由は上手く酔えないからだ。アルコールに弱い訳ではないが、深く酔う前に吐いてしまうのだ。
大学時代、下宿先でしこたま飲む事を強要されたため、悪酔いする前に吐いて逃げる癖が付いてしまっている。
まあ、軽くは酔えるので酒が嫌いな訳じゃない。
「偶には酒もいいものだな」
窓の縁に座り、さきイカや枝豆をつまみに、ちびちびと梅酒を口にする。
未だ酒の苦味を楽しむ事が出来ない子供舌なので、ビールや日本酒は苦手だ。
「中年ならではの楽しみだな」
ゆっくりと飲み続けた所為か、雰囲気が良かったからか、そこそこ酔いが回ってくる。
いい気分だ。こんなに気持ちよく酔ったのは初めてかもしれない。
大人の楽しみも悪くないものだ。大人になりきれない駄目な中年男がそんな事を考える。
この街にも慣れたためか、親しみを感じ始めている。
最初は電気製品の無い家に長く住めるのか不安だったが、住めば都というものか。沖縄に移住する人が多いのと同じ感覚かもしれない。
このまま住み着いて、第二の故郷とするのも悪くないのかもな。
住処はこの街以外にも確保しているが、住み易さを基準にするのならオクサード街は最も優秀だ。
ほどよく栄え、ほどよく活発に、ほどよく善良な民が集まっている。
コルトのような身寄りのない子供が、飢えず仕事に有り付けるのは珍しい事なのだ。それは単に、この街の住民がそこそこの生活をしており心に余裕があるから、だけが理由ではないのだろう。
政治の中心である王都などでは、貴族が集中しているため富裕層は飛び抜けているが、路地裏に入るとスラム街に近い水準に成り下がる。物乞いも多く、貧富の差が激しい。
オクサード街には飛び抜けて裕福な者が居ない代わりに、路地裏でひっそりと餓え死ぬような貧困層も居ない。
ほどよいバランスである。これが冒険者の街としての特性かは不明だが、この街を治める領主がよほど出来た者であるのは間違いないだろう。
……柄にもなくしんみりしながら、誰でもない自分のため、この街の平穏が続く事を祈る。
「――!」
「――――――!!」
夜の闇に月の光。
これに風と鈴虫の音が加われば最高だったのだが、茶番は終わりとばかりに街の中心部から喧噪が響いてくる。
何かあったのだろうか。
まあ、新参者の俺には関係あるまいて。関係ないったら関係ない。
無粋な横槍を忌々しく思いながら、気を取り直して酌を傾けようとした矢先。
「あんちゃん! よかった、居たのかっ」
今度は無視出来ない大声が、宿の外から投げかけられた。
「…………」
雅な気分を台無しにされ、半目になる。
ジト目は好きだが、自分でするのは好きじゃない。元々目が細いので、半目にするとガン付けてるように目つきが悪くなるのだ。
「……なんだー、コルトかー。いい子は寝る時間だぞー」
酔いが回っている所為か、無意識に間延びした声が出る。
思考もぽわぽわして変な感じだ。
「そんな場合じゃないぜっ、あんちゃんっ。ウォル爺がすぐに来てくれって!」
「……それはそれはー、ウサギを愛でてる場合じゃないなー」
あの偏屈爺さんから呼び出しが掛かるとはな。
空から槍が降り出すだろうから、どのみち月見は終了だ。
素直に出頭する義務はないのだが、無視すると後が怖い。アイテムの買取にも便宜を図って貰っているようだし。
借りを作るのを嫌ってそうなウォル爺からの頼みだ。よほどの事なのだろう。
「分かったー。ウォル爺はどこだー?」
緊急事態っぽいので、そのまま窓から飛び降り、コルトに居場所を聞く。
「ウォル爺は店に居るぜ。オレも行くよ」
「よしー、急ぐかー」
「うわっ、何するんだよ!?」
酔って変なテンションになっている俺は、ここぞとばかりにコルトをお姫様抱っこして走り出す。……何だか以前にも似た場面があった気がするような。
急用みたいなので、そこそこ真面目に走る。多少ふらつくが、まあ大丈夫だろう。
「よし、ついたぞー」
「……あんちゃんってさ、足が速いんだな」
「まあ、逃げ足には自信があるからなー」
「……とにかく、早く入ろうぜ」
何か気になる事でもあったのだろうか。
どさくさ紛れでセクハラしている事がばれたのだろうか。訴えるのは勘弁してつかーさい。
「ウォル爺、連れてきたぜ!」
コルトに続いて店に入ると、ウォル爺が店の真ん中で仁王立ちしていた。
俺はその様子を見て驚く。偏屈な店主はいつも以上にピリピリしており――――何よりも武装していたからだ。
全身を包む巨大な鎧に、天井に届かんばかりの大きな斧。
力自慢のドワーフらしい完全武装。見えている肌は顔だけだ。出来ればその怖い顔も隠して欲しいのだが。
…………あーあ、ついに俺を殺す事にしたのかな?
「早かったな、小僧」
「……ええ、ちょうど宿に居たもので。ただ、少し酔っているので失礼があるかもしれません」
「構わん。用があるのは儂の方じゃ。夜中に呼び出してすまなかった」
うおっとー。ウォル爺に謝られたのは初めてだ。
段々と怖くなってきたぞ。あれかな、下手に出て油断させた後に、その大きな斧を打ち下ろすつもりなのかな。
「……何かあったのですか?」
「先刻、南西の方角から救難魔法が上がった。王都から帰宅途中の領主らが襲撃を受けたようじゃ」
「そんなっ、みんなは無事なのかよ!?」
火急の事態にコルトが顔を青くする。領主家に知り合いでも居るのだろうか。
……しかし、領主の危機か。
つい先ほど、面識の無い領主の人柄に感服していただけに心配ではある。
街の一大事なのだろう。
「安否は不明じゃ。救難魔法が上がった後は音沙汰が無い。おそらく逃げ回っておるのじゃろう。一刻も早い救援が必要じゃ」
「…………」
「儂は冒険者どもを率いて現地へ向かう予定じゃ」
「……大変な事態である事は把握しました。それで、俺に用というのは?」
ウォル爺は一応、俺の数少ない協力者だ。理解者と言ってもいい。
そんな彼が、この緊急事態において何を望むのだろうか。
「……現地までは半日程かかる。往復と戦闘時間を考えると2日費やすじゃろう。……その間の店番を頼みたい」
「店番、ですか」
なるほど、そうきましたか。
やはり彼は、俺の事情を察している。そして俺の性格もだ。
天邪鬼相手に正攻法では通じないからな。
今回の事件……。
一番の問題は戦場が遠い事か。
ウォル爺の緊迫具合から察するに、救援が間に合わない可能性があるのだろう。
「ウォル爺、オレはっ?」
「コルトも小僧と一緒に店番を頼む」
「…………分かったぜ」
ぐっと我慢するようにコルトが頷く。
本心では救援部隊に混じりたいのだろうが、自分の力量不足をちゃんと自覚してるのだろう。
「――――小僧、頼めるのはお主しかおらん。……引き受けてくれるか?」
……単なる留守番の依頼だ。了承するのは吝かではない。
だが――――。
「質問があります。仮に領主が戻らなかった場合、この街はどうなりますか?」
「……王都から替わりが送り込まれるはずじゃ。ろくでなしのな」
そっか、今までの街並みとは一変するのか。
それは……、ちょっと、嫌かもな。
「最後にもう一つ。この時期に領主が襲われた原因は何ですか?」
「…………」
「時期?」
コルトは質問の意図が分からなかったようで首を傾げている。まあ、唐突な質問だからな。
俺も確信があって聞いている訳じゃない。魔力で強化している『感』に引っかかるのだ。
「……領主は長年寝込んでおったのじゃが、最近回復しおってな。これまで見送っていた王都の会議に急遽参加する事になったのじゃ」
「……そう、ですか」
そこを狙われた訳か。
領主の命が燃え尽きるのを待っていた輩が、突然回復したので焦って強硬手段に出たのかもな。
……つまり、見方を変えれば、領主が回復しなければ今回のような事態は起こらなかったかもしれないと言うこと。
そして、領主が元気になった理由はおそらく――――。
「――――分かりました。俺に出来る範囲で引き受けます」
これが因果応報という奴か。
正直、この件に関しては、俺は要望を飲んだだけで責任を感じる必要はないはずだ。
仮に俺がこの街に来なくとも、いずれ領主は天に召されて同じ事態が起こっていたはずなのだ。
だから、俺は関係ない、はずなのだが。
……まあ、いい勉強になったよ。
「…………そうか、頼んじゃぞ」
ウォル爺はそう言うと、店を出て冒険者ギルドへと走って行った。
流石は高レベル。老体と図体によらず動きが早い。
さてさて、俺はどうするかな。
「なあ、あんちゃん…………」
「ん? なんだ、コルト」
少女が、今まで見せた事のない真剣な表情で見上げてくる。……告白かな?
「あんちゃんってさ、知り合いに高レベルの冒険者が居るんだよな。その人にも救援を頼めないかな?」
あー確かに、そんな嘘設定がありましたね。
たぶん、最初にここで上位アイテムを売った時の言い訳に使ったんだよな。
「……コルトは、この街が好きか?」
「ああ! この街はみんな優しいから大好きだぜ!」
凄いな。
食べ物と趣味以外に、面と向かって好きだと言えるものがあるのは、とても凄い事だと思う。
……少し、羨ましく、思う。
「そうか。まあ、俺も、嫌いじゃないな」
そうだよ。せっかく慣れてきた住処なのだ。
部外者からの、しかも悪意によって安寧が脅かされるのは堪え難い。
降り懸かる火の粉を黙って見過ごすほどの境地には至ってないのだ。
「――――ああ、そうだな。そうなんだよな」
「あ、あんちゃん?」
「よし! それじゃあ、その知り合いに頼んでくるよ。遅くなるけど店番頼めるか?」
「任せとけ! だからあんちゃんも頼むな!」
「おうよ! かしこまりだっ!!」
コルトの声援を受け、体育会系のノリで返事する。
今宵はよほど悪酔いしているらしい。
店には付与紙で創った護衛を残しておけば大丈夫だろう。
――――それでは、可愛い女の子にお願いされた事だし、いっちょ気張りましょうかね!
妙にセンチな気分にさせやがって。
ほろ酔い気分を邪魔された怒りもあるんだよな。
ここはひとつ、腹いせに暴れようか!!




