好奇心を殺すお嬢様とメイド①/発端・論考・方針
彼女は何時も決まった時間に目を覚ます。
几帳面で規則正しい生活を信条としている――――という訳ではなく、何時も決まった時間に起こされるからだ。
だが、その日の彼女は、メイドがノックする前に目を覚ました。
とても珍しい事だ。たとえそれが半時の違いであっても。
日本では早起きがお得とされているが、この世界ではそのような考え方はない。
「……ふふっ、今日は面白い事が起こりそうね」
しかし彼女は、漠然と異変を感じ取っていた。
――――困ったことに、彼女の予感はそこそこ当たる。
「お、おはようございます、ソマリお嬢様っ」
何時もの時間に起しに来た雑事係のメイドが驚く様に憤りを感じつつ、彼女――――ソマリは寝癖がついた髪を整えながら適当に返事する。
母親譲りの金色の髪。後頭部の高い位置からまとめて垂れ下がるくせっ毛は、馬のしっぽを彷彿させる。
白い肌に整った容姿はお嬢様然としているが、悪戯好きの子供のような瞳と性格が台無し感を漂わせている。
年は十七。良家の娘なら政治上結婚させられている年齢だが、本人の意志故か性格故か良縁に恵まれていない。
「ソマリお嬢様、お食事の用意が出来ております」
「ありがとう。直ぐに行くわ」
支度を終えたソマリは、部屋を後にする。
食堂に入ると、時間ピッタリを信条とする彼女の母、それに10分前行動を信条とする彼女の弟が席に座っていた。
「おはようございます」
「あら、大丈夫なのソマリ? 調子が悪いのなら休んでいた方がいいわよ?」
「……おはようございます姉上。本日もいい天気ですね」
「…………」
珍しく遅刻しなかった長女に対し、天然で皮肉った母親よりも、驚きを誤魔化すように作り笑いを浮かべる弟に憤りを感じながら、ソマリは父の姿が見えない事に気付く。
「あら、お父様が遅れるなんて珍しいわね」
「昨晩にウォル様がいらっしゃったようだから、遅くまで飲んでいたのじゃないかしら」
「ウォル様が? これまた珍しいわね」
オクサード街の領主が住むこの家に、無駄話を嫌うドワーフが訪れるのは少ない。
よほどの気まぐれか、でなければ――――。
(緊急の用があったか、ね)
早速の異変に、領主家の長女であるソマリの探求心が騒ぎ出す。
「私が起こしてくるわ」
「そうね。酔い潰れているのなら面倒だわ。お願いねソマリ」
「僕もご一緒しましょうか、姉上?」
「いいえ、私一人で大丈夫よ」
今はまだ些細な事であるが、日常と違う出来事。
これが今朝の予感が示すものだと考えた姉は、頭が固い弟の介入を断り、一人で調べようと足を運ぶ。
ソマリの父親――――オクサード街の領主クマラークは、冒険者時代に受けた毒で足を患っており、杖を使わないと歩く事も出来ない。
しかし彼は、人に頼るのを嫌い自分の力で行動するようにしていた。
父の寝室に着いた娘は、ノックしても返事がなかったのでドアを開ける。
「うっ、お酒臭いわね」
部屋には多くの酒瓶が転がっていた。
その横でだらしなく床に寝転ぶ父の姿が見える。
ウォルの姿は見えない。酒に強いドワーフは、朝早くにでも帰ったのだろう。
「ん…………、ソマリか? ……そうか、もう朝なのか」
「おはようございます、お父様。昨晩は随分と飲まれたようですね?」
心配や怒りよりも先に疑問が湧いてしまうのが彼女の気質である。
特に今回は無理からぬ事だった。
冒険者時代からの親友であるウォルと同様に、クマラークの酒好きは家族も知る処だが、満足に歩けなくなってからは酒を控えていたからだ。
「お父様、何か良い事でもあったの?」
考えられるのは二つ。
よほど良い事か、又はよほど悪い事があったのだろう。
父親の明るい雰囲気に、ソマリは良い事だと当たりを付けた。
「良い事? ……ああ、確かトンデモない出来事が起こった気がするんだが、…………うっ頭が!」
「二日酔いね。まったく、どれだけ飲んだのよ。ほら、お水を飲んだ方がいいわ」
「あ、ああ。すまないな」
顔をしかめながらも、しっかりとした足取りで立ち上がった父に水を手渡す。
「その様子なら大丈夫そうね」
「ああ、少し頭痛がするだけだ。この通り立ってもふらつかないぞ」
「そう、よかったわ…………って、ええっ!?」
「ど、どうした? 急に大声出して」
「お、お父様、あ、足は!?」
「あし? 俺の足がどうかしたのか?」
どうやらクマラークはまだ寝ぼけているようだ。
自分がどんな状態なのか――――普通に二本足で直立している事こそが異常なのだと気づいていない。
(これは、いったい…………)
ソマリは知的活動の起源となる感情を以て驚きを押さえ込み、考えを巡らす。
(朝起きたら自然に治っていた? ……有り得ないわね)
クマラークが侵されていた病気は猛毒に分類される。
幾ら時間を掛けようが、自然に治るような生易しい毒ではなかったはずだ。
(だとしたら…………)
突然来訪したウォル。祝杯の宴。
そこから導かれる回答は――――。
(!? ……あった! 本当にあったわっ!!)
ソマリは散らかっている酒瓶の影に隠れていたアイテムの空瓶を見つけ出した。
中身を使い空になったアイテムは、念じれば直ぐに消え去るが、放っておくと半日ほど原型を留めている。
まだ空瓶が残っているため、このアイテムは昨日の夜に使用されたのだと推測された。
(鑑定………………やっぱりっ!)
鑑定結果は予想どおり『解毒薬ランク7』を示していた。
これをクマラークが飲んでいたとしたら、今の状態に説明がつく。
つく、のだが…………。
(……おかしいわ)
ソマリは長年父親を蝕んでいた毒が消えた事実を認識し、素直に喜んだのだが、次の瞬間には疑問を抱いていた。
この切り替えの早さもまた、彼女の才能が為せる業であり、淑女らしからぬと嘆かれる所以でもある。
(お父様だけが飲むはずがないわ)
――――ソマリの推測は続く。
この解毒薬はウォルが手に入れたものだろう。
クマラークが手に入れたのであれば、家族にも伝わっているはずだ。
最も信頼するウォルからの施しだとしても、症状が遅れているとはいえ同じ毒を受けている旧友に先んじてクマラークだけが飲むはずがない。
ソマリの父親であるオクサード街の領主は、そういう男なのだ。
(だけどお父様は実際に薬を飲み、完治している。だとしたら…………)
ソマリは一つの結論を出す。
自らが辿り着いた結論に疑問を抱きつつも他に答えが見つからなかったので、真偽を確かめるため再度周囲を見渡した。
(――――あ、ありえないっ!?)
いや、ある。
実際にそれは、目の前にあるのだ。
彼女は真実を見つけたのだ。
(ランク7の解毒薬が同時に2本!! 何をどうしたらこんな事が可能になるのっ!?)
ソマリの両手には真実が――――2本のアイテムが掴まれていた。
最高クラスの元冒険者として名高いウォルの人脈を持ってすれば、ランク7の解毒薬を手に入れるのも可能かも知れない。
しかし、1本と2本では、難易度が大きく異なる。唯1本の発見でさえ困難なのだ。それの2倍ともなると、致命的なほどに可能性が下がってしまう。
その異常さは、肉親の命が助かった喜びさえも上塗りするものであった。
「何が起こったというの…………」
その疑問に答えてくれる者は居ない。
だけども表情を変えて悩むその姿は、深刻な状況を憂う令嬢というよりも、強敵に出遭い打ち震える冒険者のように見える。
ソマリは、一人で一喜一憂する娘に不安そうに話しかけてくる父親を尻目に、痺れを切らした母と弟が迎えに来るまで考え続けていた。
◇ ◇ ◇
……その後、ようやく昨晩の出来事を思い出したご領主様は、若干白い目を浴びながらも盛大に祝福された。
とはいえ、街を挙げてパレードが行われた訳ではない。
上流階級ながらも比較的慎ましい生活を送っている彼らには、身内で美味しい物でも食すのが精一杯であり、それで十分であった。
突然の祝賀会が終わり、気丈に振舞っていても内心不安だったのか泣きじゃくって喜ぶ母と困り顔の父を残し、子供達は席を立つ。
後は勝手にして下さいという心境だ。
「私は部屋で休むわ」
「はい姉上、僕もそうします」
弟と別れ部屋に戻ったソマリは、難しい顔をしながら口を開く。
「……エレレ、居るわよね?」
「はい、お嬢様。――――貴女の後ろに」
「っちょ、近い、近いわよ!」
気配を感じさせず、突然真後ろから聞こえた声に、ソマリは驚きながら距離を取って振り返る。
そこには、白と黒を基調にしたメイド姿の女性が両手でスカートをつまみ上げてポーズを決めていた。
肩口で揃えられたストレートの黒髪。
畏まりつつも、冷ややかさを感じさせる端麗な顔立ち。
可愛いと表現するには毅然としすぎており、美しいと表現するには円熟しきれていない雰囲気を持つ成人女性である。
「自分で呼び出して驚くのは、如何なものでしょうか」
「……はあ」
悪びれず抗議してくる侍女を見ながら、主人であるはずのソマリは諦めたようにため息を吐いた。
この容姿と年齢に似合わないおちゃめなメイドに何を言っても無駄だと悟っているからだ。
――――お澄まし顔でスカートをヒラヒラさせている女性は、ソマリ専属の護衛兼メイドを務めるエレレ。
なお、領主の認識では、護衛兼お目付役。
エレレ本人の認識では、教育係兼姉代わり兼遊び相手であった。
「そんな事より、状況は分かってるわよね?」
「はい、領主様が回復した件――――つまるところ、ウォル老師が持ってきた薬についてですね」
そしてエレレは、冒険者時代のウォルの弟子でもある。
今回の発端と思われるウォルをよく知っており、更には隊長クラスの高レベルかつ元冒険者として経験豊富なメイドは、ソマリにとって絶好の相談相手であった。
「その解毒薬なんだけど、エレレは心当たりあるの?」
「……ランク7の魔物討伐。全盛期の領主様と老師が所属していたパーティーであれば可能でしょうが、毒を受け現役を退いた状態では到底不可能です。ですが、老師は高レベルの冒険者にツテがあり、蓄えもあります。出現率が低い薬でも2、30年待てば譲り受けるのも可能でしょう」
「…………」
「ですがそれは、1本に限った話です」
「やっぱり、そうよね……」
2本を揃えるためには、数十年の月日が必要となる。
どう考えても毒で命を落とす方が早い。
「冒険者以外で入手可能なのは商人と貴族。ですが、老師にとって商人は商売敵、貴族には嫌われています」
「あら、それは初耳だわ」
「老師はあの性格です。権威を笠に着る貴族とはよく衝突していました」
「大抵の商人は貴族の味方でしょうしね」
「ですから貴族と商人は、むしろ邪魔する立場でしょう」
これで一つの結論が出た。……正攻法では無理だという結論が。
二人は顔を見合わせてため息を吐く。
「やっぱり、今回の件は尋常じゃないわね」
「そうですね。野次馬根性が過ぎるお嬢様でなくとも見過ごせません」
「悪かったわね。どうせ私は覗き見女よっ」
「そこまでは言ってません」
対外的には主従関係となる二人だが、姉妹のように気さくな関係でもある。
貴族令嬢たるソマリとしては、からかわれるのが癪なのだが、そんな明け透けな性格も含めエレレを信用していた。
「ウォル様の知人の冒険者、そして貴族と商人の可能性は無さそうね」
「しかし他に心当たりがありません。仕組まれたとしても、動機が不明です」
「手掛かりが少な過ぎるわね……」
しかれども、ここで諦めないのが――――いや、諦め切れないのがソマリというお嬢様であった。
「……情報が少ない状況で、あれこれ考えるのは得策じゃないわね。この件は目的を推測するより、まず誰が可能なのかを特定する方がよさそうだわ」
「……そうですね。取っ掛りがあれば、そこから話が繋がるかもしれません」
意図が読めない事が、この事件を複雑にしていた。
善意、あるいは悪意の仕業。
だが、思惑を取り除いて考えれば、大きなヒントがあった。
「そうね、まずランク7の魔物を倒せる者について考えましょう。エレレは元冒険者だし、噂くらい聞いたりするんじゃないの?」
「王都や他国には老師と繋がりのない実力者も居ます。ですが、見ず知らずの者に高級アイテムを譲る理由がありません。老師は冒険者時代の財産があるとはいえ、貴族の財力には及ばないでしょうし」
「ウォル様の知り合いの知り合いが偶々他の冒険者から譲ってもらったって線は?」
「ランク5以上の魔物討伐には、最低でも上級の冒険者3人以上のパーティーが必要です。ましてやランク7が相手では、パーティーの人数も多くならざるを得ません。そうなると一人当たりの分配を多くするため、少しでも高値で買い取ってくれる商人を選ぶはずです」
「人が多くなるとしがらみも増える訳ね。上位の魔物を単独で倒せる人は居ないの?」
「レベルが50を超えた者は有史以来確認されておりません。現代最強と称されるレベル46の者でも、一人ではランク6の魔物を倒すのが限界でしょう」
「冒険者以外でウォル様の知り合いは?」
「同族のドワーフには知人も多いでしょうが、老師以上の実力者は居ないと聞いています」
「だったら、魔物が勝手に死んで落としていたアイテムを偶然拾ったりする事はないの?」
「魔物が自然死や事故死した事例はありません」
ソマリの思い付きは片っ端から否定されていく。
だがそれは、消去法のような確認作業であった。
――――ソマリには、希有な才能を持つ彼女だからこそ到達した究極の思い付きが残っていたからだ。
「お嬢様、やはり他人から譲り受けた可能性は低いと思われます。むしろ、老師が腕ずくで貴族から奪い取ってきた可能性の方が高いでしょう。無論そんな非人道的な方法を選ぶお方ではありませんが」
「いえ、これで相手が一つに絞られたわ」
「……何か、思い至りましたか? 閃いちゃってしまいましたか?」
「条件は、冒険者でも商人でも貴族でもないこと。上位の魔物を単独で倒せる実力を持つこと。そして、実在すること。……そんな存在は、一つしかないわ」
「…………」
「そう、魔人よっ!!」
ソマリは、右手を腰に当て、左手の人差し指を前に突き出したポーズで告げた。
満面のドヤ顔で。
――――魔人。それは全ての魔物の上位に位置する存在である。
レベル100をも優に超える高い戦闘力と知能を持ち、実際に10人近くの存在が確認されている。
未だ最高レベルが50にも満たない人類との実力差は、推して知るべしであろう。
「…………確かに魔人であれば、どんなアイテムを持っていても不思議ではありませんが、それを敵対する我々に渡す理由がありません」
「魔人は賢いけど変わり者が多いと聞くわ。だったら人間社会に紛れ込んで偵察する酔狂な魔人が居てもおかしくないでしょ?」
人類を圧倒する力を持つ魔人が人間社会に入り込み、ましてや人助けをするなど通常なら考えるに値しない話だ。
しかし、この異常事態において、消去法に頼るのであれば一考する価値が無いこともないだろう。
さりとて、自分の勘を信じ常識に囚われないソマリであっても、魔人をも凌駕する存在――――魔王という可能性には考えが至らなかった。
「魔人であれば、高級アイテムは持っていても貨幣は持っていないでしょ。つまり今回の件は、お父様やウォル様をはじめとした人間社会には全く関係なく、単に魔人が資金を得るために偶々訪れたウォル様の店でアイテムを売っただけかもしれないわ」
「人類の通貨を得るためになら売る物は何でもよかった、と言う訳ですか。
…………なるほど、高ランクのアイテムを持つ来客であれば、老師自ら解毒薬を指定する事もあり得るでしょう」
主人の言葉を吟味したエレレは、深く頷く。
彼女は当初、毎度の如く暴走するお嬢様の妄想を諭すつもりでいたが、話を進めるにつれ、段々と可能性を否定出来なくなっていた。
「魔人の奇行は戦場で確認されています。部下たる魔物をも巻き込み無慈悲な攻撃を乱射する者が居る反面、負傷した人間を見逃す者も居るそうです。彼女達は統率されず好き勝手に行動している感があります」
「その中の一人が偵察のため、または任務でなくとも人間社会に興味を持ってこの街に来ちゃったのかもね」
「だとすれば、…………大問題ですね」
ここで一旦、二人は口を閉ざし視線を交わした。
互いに次の言葉は分かっていた。
「エレレ、無理強いはしないわ。だけど頼めるのは――――」
「承りました、お嬢様。老師に薬を売った者の特定と素性調査。程々に務めてみます」
「……ええ。適度に、お願いするわ」
オクサード街を裏から支えるウォルが口を噤む以上、余計な詮索は得策でないのかもしれない。
それでも、ソマリが領主の娘としての責任を感じて火種を消そうとしているのは間違いない。
……但し、興味本位に近い悪癖が先行している感も否めなかった。
かくして、方針は決まった。
いや、無理やり決めてしまったという方が正しいか。
しかも最悪の方向に向かって。
「事件性を含む場合は、最悪の可能性を想定しておいた方がいいでしょう。仮に魔人が相手でも、上手く立ち回ってみせます」
メイドは主人を安心させるため、したり顔で一礼する。
事実、彼女の実力は冒険者の街でもトップクラスであり、特に斥候を得意としていた。
戦闘メイドに与えられた任務は、解毒薬の出処を掴むこと。
メイド自身の目的としては、第一に、薬を持ち込んだ相手の危険性を確認すること。
第二に、危険と判断される場合は、可能であれば処分すること。
そして本命の第三に、主人のはた迷惑な妄想を否定して大人しくさせることだった。
――――紆余曲折を経て曲がりなりにも真相に近づいてしまった二人だが、そんな彼女達も魔族以上にタチが悪い存在があるとは思っていなかったのである。




