舞台アイドルのスキャンダル③/母と娘と鯨・後編
あの後、重い空気に耐えられず茶化してしまった俺と、茶化されて激怒したイライザ嬢との間で、割と過激な口喧嘩が発生してしまった。
娘の教育方針で揉める両親って、こんな感じだろうか……。
お父さんかよっ!?――――というセルフツッコミが、俺の心の中で虚しく響き渡るのであった。
「……最後に、もう一度だけ確認するが、本気でソロデビューを目指すんだな?」
「ああ、そうだよ」
「成功する可能性が低いと分かっていても、だな?」
「そうだよ」
「失敗して娘に幻滅されるより、最初っから断る方がダメージ少ないと分かっていても、だな?」
「そうだって言ってるだろうっ! 何度確認すれば気が済むんだいっ!?」
「いやだって、なあ……」
新たな挑戦に尻込みしてしまうのは、母親よりも父親の方だと聞いたことがある。
父親とは保守的で、弱い生き物なのだ。
……あかん、まだ家族ごっこを引きずっているな、俺。
「よし! 分かった! もう聞かない! 娘とお母さんの最強タッグにお父さんが敵わないのは世の常だからな!」
「だれが妻で、だれが夫だよっ!?」
ああっ、反射的に自虐ネタを入れてしまうボケ気質な自分が恨めしい。
それ以上に、頬を赤らめるお母さんを可愛いと思ってしまった自分が怖い。
これが、結婚した男女だけが味わえる、幸せ……?
「うむ! ではここからは、現実的な話をしよう! やると決まったからには、俺も本気を出すぞ! 実際に頑張るのは俺じゃないけどな!!」
こんな強がりでさえ、お父さんらしく感じてしまう。
ほんと、世の中のお父さんって、苦労してるんだなぁ。
「一応聞いておくが、お母さんには何か策があるのか?」
「……私はただ、自分ができることをやるだけだよ。私には、それしかできないからね」
「…………」
「でも、あんたなら、私の実力以上を引き出すことができるだろう?」
これが、父親に対する、母親からの、信頼……?
「もちろんだとも! そう、選択肢は常に三つだ!」
ならば、此方も全力で応えねば、無作法というもの!
「一つめは正道! ボイトレで歌唱力を上げる方法! お母さんの歌唱力は高いが、我流なのがネック! プロの歌い手からレッスンを受ければ、さらに向上するはずだ! ただし! 技術は上がっても、年齢的に全盛期の瑞々しさを取り戻すのは無理だろう!」
「歳の話はむかつくけど仕方ないとして、レッスンしてくれる講師に宛てはあるのかい?」
「ああ、俺のピアノの先生に紹介してもらって金を積めば、どうにかなるだろうさ」
「……あんた、案外顔が広いんだね」
音楽関連は、のだめ先生に相談すれば大丈夫。
今や売れっ子ピアニストになってしまった彼女の影響力は、音楽業界全体に及ぶ。
やっぱ、最後に頼りになるのはコネとカネなんだよなー。
「次に、二つめは邪道! レベルアップの恩恵により、基礎体力や声量を根本から引き上げる方法! 加えて今後の老化による歌唱力低下を抑える効果も期待できる! ファンタジックな世界ならではのイレギュラーな方法だな!」
「ろくに魔物を見たことさえない私に、今更レベルアップなんて可能なのかい? もし可能だとしても、どれくらい上げれば効果が出るんだい?」
「最低でもレベル30は欲しいところだな」
「それって、冒険者の中でも上級に入るんじゃ……」
「まあまあ、邪道もとい蛇の道は蛇だから、やり方はどうとでもなるさ。ぶっちゃけ、一つめの正道よりも、短時間で確実に達成可能だ。その分、死ぬほど大変というか、実際に何度か死ぬかもしれんがな」
「……まさに、死ぬ気でってことかい」
レベルアップには、魔物との戦闘が一番効率良い。
無駄に慕ってくる狼兄妹が行なったブーストレベルアップ訓練と同じだ。
死ぬ直前にアイテムで回復するので、実際には死なないのだが、何度も走馬灯を見て心が壊れるかもしれない。
たとえ心が壊れても、アイテムで治すから問題なし。
「怖じ気づいたか?」
「いいや、むしろ安心したよ。表と裏のどちらからでも成功させてしまう、あんたらしい方法だからね」
「ふん、それは買い被りだ。それに、解釈違いでもある。一つめと二つめは、どちらも表側。本当の裏側は、三つめだ!」
そう言って俺は、親指と小指を折り曲げ、人差し指と中指と薬指を立てたポーズを決める。
この三つの指だけをピンッと立てるのって、案外難しい。
「そう、最後の三つめは外道! 貴重なアイテムの中でも秘中の秘である若返薬を使って、二十歳前後の全盛期の肉体を取り戻す方法だ! 神をも恐れぬ、まさに外道!!」
「………………は?」
呆気に取られているお母さんを見ていると、最高の笑顔を決める赤ちゃんの画像が思い浮かぶ。
まさか、外道ベイビーが二人の愛の結晶なのかっ!?
「補足すると、若返薬とは、記憶や能力を保持したまま肉体年齢だけを若返らせる、とても都合が良いアイテム薬なのだ!」
「若返り? 二十歳の肉体に戻せる? え? 本気で言ってるのかい?」
「ああ、本気と書いてマジだとも! 倫理的には外道だとしても、真理の扉と違って対価は必要ない。ただ飲むだけだから、一つめや二つめと比べ、遙かに簡単に瑞々しい歌唱力が手に入り、おまけに見た目まで最盛期に戻る。こう言ってはなんだが、実力主義の音楽業界においても人前で披露する以上、外見の美しさも評価に影響を与えるだろう」
「…………」
「代償的なリスクは無い。だがあえて短所を述べるとしたら、今まで積み重ねた姿を捨てることになるので、人間関係に混乱が生じる恐れがある。それに潜在的なリスクとして、王族も知らないと思われる秘薬なので、もしバレたら問答無用で拉致されて尋問されたり解剖されたりする恐れがつきまとうだろう。まあ、一介のアラサー芸人が消え、代わりにピチピチな芸人が登場したとしても、まさか同一人物が若返ったなんて誰も思わないだろうさ」
「…………」
「もしも王族連中にバレても、力尽くで口封じすれば済む話。我が劇場は、踊り子へのお触り厳禁だからな」
「――――――」
身分が高い者が急に若返ったら目立つだろうが、庶民一人が若返ったとしても、せいぜいその娘だと思われる程度だろう。
そもそも存在自体が認められていないアイテムなので、疑いを持つ者もいないはず。
それでも、好奇の目に晒されるのは逃れられないだろう。
特に、愛娘からの視線には…………。
「さあさあ、どうするどうする? あくまでも自分自身を信じて正道を突き進むか? それとも、愛する娘のためなら神への叛逆も厭わないか?」
うーん、楽しい!
どれを選んでもしこりを残す選択肢を迫るのって、どうしてこんなに愉しいのだろう!
デスゲーム漫画の見過ぎだろうか。
今度、リアルデスゲームを開催してみようかな。
「さあ、己の心に従い、後悔しない道を選ぶがいい! ちなみに、言わずとも理解していると思うが、どれを選んでも茨の道に違いない。しかも、どの道先も成功という終着点に辿り着く保証もない。……それでも、進むのか?」
「――――」
俯いて震える彼女の表情は、見えない。
酸いも甘いも噛み分けてきた彼女だ。
三つの選択を迫りつつ、「無謀な挑戦は諦めて現状維持で満足しゆっくり暮らすのも悪くないぞ」と、暗に第四の道が示されていると気づいているだろう。
そんな彼女の葛藤は計り知れないが、俺の脳内に流れ込んでくる曲は、新世界を夢見る「鯨」。
そのポップで残酷な歌が、情緒をグチャグチャにしてくれる。
ああっ、やっぱり失恋ソングは最高だっ!
「一つめの正道か? 二つめの邪道か? 三つめの外道か? さあ! さあさあっ!?」
……だけど、俺は再び、思い知る。
女は、強い。
それが、子を持つ母であれば、尚更。
「――――だよっ」
「ん? よく聞こえなかったのだが?」
「その三つ全部だって言ったんだよ!」
「……は?」
え? どういうこと?
三つ全部って、禁断の欲張りハッピーセットってこと?
そんなのあり?
どれか一つでも大変なのに、まとめて抱え込むなんて、正気か?
「なに呆けた顔してるんだい? あんたが示した方法は、三つとも効果が違うんだから、実力を上げるためにはその全部をやって当然だろう? それとも、三つ一緒にはできない理由でもあるのかい?」
「いや、無理じゃないが、なんというか、ほら、常識的に考えて、な?」
「いつも非常識な事ばかりしてるあんたから、まさか常識なんて言葉が聞けるとは思わなかったよ」
デスゲームの主催者が、想定に無い展開で、参加者から意趣返しされた時の気持ちがよくわかる。
確かに彼女が主張するように、三つ一緒にできない理由なんてない。
むしろ、まず若返薬で全盛期の肉体を取り戻し、それをベースにレベルアップとボイトレするやり方が最も理に適っている。
だからといって、普通、全部やろうと思うか?
これが、母親としての、覚悟の違いってヤツか?
しょせん、腹を痛めて子を生み出した経験のない父親には、到底身に付かない覚悟の深さなのか?
「――――よしっ。こうなったら俺も、覚悟を決めたぞっ。だから、全部お母さんの言う通りにしよう! しょせん父親の役割なんて、力仕事とATMで十分。決定権はいつもお母さんにだけ!!」
「……その家族ごっこ、いつまで続ける気なんだい?」
「でも、念押ししておくが、本当に大変だぞ? 比喩表現じゃなく、物理的に死ぬ危険性が高いぞ? そんなハードワークに付き合わされる俺の時間消費量もとんでもないぞ?」
「ふふっ、結局最後まで、あんたは覚悟を決められないようだね。その感じは、優柔不断な夫らしいよ」
仕方ないじゃないか。
だって、面倒だもの。
しかも、俺にメリットなんてないし。
……いや、これで愛娘の喜ぶ姿が見られると思えば安いものか。
「パパ大好きっ」って、ほっぺにチュしてもらえるかもしれないし。
それに、お母さんが若返った姿にも、ちょっと興味あるし。
「私のことは私の責任でやるけど、気がかりなのはあんたへのお礼だよ。……今後、私がどんなに歌で成功したとしても、とても返せる金額じゃないんだろう?」
「先にお母さんが言ったように、俺は俺で自分ができる範囲でやっているだけだから、気にする必要はないさ。なにせ俺たちは、『娘の悲しむ姿を見たくない』という、同じ目的を持つ同志だからな」
「…………そうかい。だったら、私も私でやれる形で返すとするよ」
父親とは、土台。
家の中からは見えなくても、影から支える、無くてはならない存在。
それでいいじゃないか。
たとえ、真っ先にシロアリに喰われるのだとしても。
「それじゃあ、三つめの外道から始めるとしよう」
諦めの境地に達した俺は、そう言いながら、懐から取り出した若返薬を差し出す。
彼女は、力強く頷き、躊躇なく受け取る。
そして、躊躇なく、飲み干した。
「――――」
覚悟がガン決まりすぎて、怖い。
それ以上に、全盛期の姿を取り戻した彼女が美しすぎて、怖い。
こうして……。
実年齢は三十六歳、見た目も三十六歳の俺と。
実年齢は三十六歳、だけど見た目と肉体年齢は二十歳な彼女との。
奇妙なボイストレーニングが始まったのである。
◇ ◇ ◇
何事も最初の一歩が肝心であり、一度前に進んでしまえば後は転がり落ちるだけだから、その先は余話にすぎない。
だから、簡単に思い返すとしたら……。
ボイトレの外道と正道は順調に進んだが、邪道であるレベルアップは熾烈を極めた。
戦闘経験の無い彼女は、何度も何度も死にかけた。
だけど、彼女は、決して諦めなかった。
実は苦労せず、最初に出会った旅路の姉弟と同じように簡単なレベリング手段もあったのだが、それは何だか彼女の意に反する気がしてやらなかった。
そのせいで俺は、魔物に殴殺される美女の姿を何度も目視する羽目になり、真理の扉が開きそうになるのを堪えるので大変だった。
自主性に任せた甲斐あって、彼女はレベルアップ以外の力も手に入れた。
発達した声帯と肺活量が繰り出す複雑な旋律に乗せて風魔法を発動することで、強力な衝撃波の渦を形成するオリジナル魔法を生み出したのだ。
分かりやすく説明すると、怪盗アマリリスに登場する黒沢ゆかり嬢の声斬波ことミラクル・ボイスである。
いやまあ、俺がそそのかしたせいなのだが、さすがアイドル!
かくして、世にも奇妙なボイトレが実を結び、彼女は多くの力を手に入れた。
確かな技術に裏付けされた持ち前の歌唱力。
全盛期の美しさと瑞々しい音質。
中級の魔物さえ一撃で屠る声量。
高レベルと魔法による強力なバフ。
生と死の狭間を知る者の奥深い表現力。
それに、守るべき者を手に入れた彼女は、まさに無敵のアイドル!
ソロデビューの成否については、言うに及ばないだろう。
唯一の懸念は、突然若返った母親が、娘に受け入れてもらえるか、という問題であったが、それも杞憂に終わる。
どうやら元々、弟子であるフラーウムにとって、先生であるイライザ嬢は、母というより姉という側面が大きかったようで、二十歳の姿に変化して逆に話しやすくなり、大変ご満悦だったのだ。
お父さん役である俺も、一安心。
……あれ?
お母さん役がお姉ちゃん役に変わったってことは、お父さん役も不要なのでは?
ふ、ふんっ、どうせ嫌々な配役だったし、むしろ清々したよ。
フラーウムとイライザ嬢の仲さえ良好であれば、それで良いのだ。
まあ、予想以上に仲が深まったのは、この師弟コンビだけじゃないのだが。
場の雰囲気に流されたというか、魔が差したというか、嘘から出たまことというか……。
俺は三十路超えの女性を抱かない主義なのだが、肉体年齢的にはセーフということで。
それよりも、ネネ姉妹や似非妹から白い目で見られたのが悲しい。
皆の前で申告したわけでもないのに、気づくもんなのかねぇ。
とにかく、要するに。
これが国語のテストだとして、6文字でまとめるとしたら、「色々あった。」である。
まあ、色々あったけど、俺個人としては、大して代わり映えがしない日々ってことで――――。
「ねえ、あんたは、今のままでいいのかい?」
「ん? 何が?」
「あんたは、どうして、若返薬を使わないんだい?」
「……いや別に、ただ使おうという気にならないだけだが」
「年齢的なピークを過ぎた私らからしたら、副作用も無く良いことずくめの薬じゃないか。それなのに、使う気にならない方が変ってもんだろう?」
「年老いるのは、悪いことばかりじゃないさ」
「へぇ? たとえば?」
「中年男だからこそ滲み出る大人の渋さとか、包容力とか、色気とか?」
「それはあるだろうねぇ。でも、あんたとは関係ない話だねぇ」
「ははっ、またまたぁ。……え? 冗談、だよな?」
「…………」
「冗談じゃ、ない?」
「そんなにショックを受けるとは、悪いことを言ったね。でも、本当のことだから仕方ないよ」
「その豊満な胸の中で泣いていい?」
「後にしな。それより、もっと他に理由があるんだろう?」
「……そんな複雑な理由なんて無いけど、あるとしたら、その逆だろうな」
「逆?」
「中年男だからこそ、大して注目されないし、許される失敗もある。世間にとって無職な独身の中年男なんて、この世で最も価値の無い汚らわしい存在なのさ」
「無価値さをあえて曝け出して、どうするってんだい?」
「だからこその身軽さってヤツだよ。無価値であれば、期待されず余計な仕事や責任が回ってこないし、女が寄ってこないから慰謝料をむしり取られたり騙されたりすることもない。ほら、良いこと尽くめじゃないか」
「本気で言ってるとしたら、重症だね。それにあんたの場合は、色んな意味で手遅れだと思うよ?」
「今の俺は、どんなに冴えないおっさんでも、金さえ有ればこうして美女からも優しくしてもらえるという、悪い見本だ。でも、金遣いの荒さは、好き勝手に楽しみながら生きていく上で隠しようがない。そんな成金の俺が若さまで取り戻したら、嫌みの塊になってしまい、女が何を目的で近づいてくるのか分からなくなってしまう。だからあえて、汚らわしい中年男という欠点を残すことで、物事をシンプルにしている。それに、非の打ち所が無い奴よりも、欠点がある方が親近感が湧いてモテやすいって聞くし。……ん? 何か矛盾してる?」
「……やっぱりあんたは、早く結婚して、子供をつくって、真っ当に働いて、金の管理を妻に任せた方がいいと思うよ」
「俺という男が如何に結婚に向いていないのかを説明してきたのに、どうしてそんな結論になる? 仮に俺が結婚して、必死に稼いだ金を妻が勝手に使い、若いイケメンと浮気でもされたら、自暴自棄になってうっかり世界を滅ぼしちゃうぞ」
「だから、愛人しかつくらないってわけかい?」
「ああ、そうだ。最初っから金を介した関係であれば、こっぴどくフラれても引きずらない。少し泣くけど」
「ようするにあんたは、なーんにも背負いたくないんだね。残念ながら、深刻な手遅れだと思うけど……。それに、若返薬を飲まないのは、それだけが理由じゃなさそうだけどね」
「まあ、俺の性格が手遅れなのは否定しないが」
「きっと、身軽すぎるあんたには、逆に重荷が必要なんだろうね。それがお礼になるのを信じて、今はしがない愛人でも、いつかもっと重くなって制御できるよう気張るとするよ」
「ん? 何の話だ?」
「さぁて、どうすれば私たちは、いつまでも一緒にいられるだろうねぇ。あっ、勝手に私たちの前からいなくなったら許さないよっ。それに、あの子にまで手を出したら殺すよっ!」
「……いくら決定権がお母さんだけでも、勝手に納得して、勝手に話を進めるの、やめてもらえます?」




