奴隷少女の更生計画③/大きくて黒くて艶々しているもの
食への興味が乏しい世界で、初めて作られたカフェ。
コーヒーなる黒くて苦い飲み物を主体に軽食とデザートで成り立つ業務形態以外にも、色々な世界初がある。
奴隷がオーナーで、奴隷が運営し、奴隷が料理を作っているところ。
世界中から集められた食材をふんだんに使い、綿密なレシピに則り作られているところ。
そして、店内の片隅に、黒くて大きな物体が置いてあるところ。
「ねえ、ご主人様?」
「なんだい、ベル子や」
「あれ、邪魔なんですけど」
カフェのオーナー兼料理人兼奴隷である黒髪の女性は、一番の常連客である緑髪の中年男に、持ち前の半眼でジットリした視線を向け、指差しながら告げた。
その指先に鎮座するのは、黒くて大きな物体。
従業員にとっては、無用の長物。
おそらく、客にとっても。
「座席に十分な余裕を持たせた間取りだからあれくらい邪魔にならないし、そもそも客が少ないから問題ないと思うのだが?」
「確かに空間的には余っていて、客の少なさは誰かさんが意図的に値段を高くしているせいだけど。そういうことじゃなくて、飲食店の中に使わない物があっても困るだけだと言っているのよ」
「誰でも使っていいのに、使わない客が悪い。それに、お洒落カフェのオブジェクトしてもマッチしていると思うのだが?」
「そりゃあ高価な物でしょうけど、大きくて黒くて艶々しているから、ホコリが目立って毎日掃除するのが大変なのよ。古物商に売り払ってもいいかしら?」
「なっ、なんちゅーバチ当たりなことをっ!? のだめ先生が聞いたら目茶苦茶怒るぞっ! むしろ泣き出して手が付けられなくなるぞっ!」
「……また知らない女の名前が出てきたわね。女からもらった物だったら、ますます捨てたくなるわね」
注目の的である黒くて大きな物体とは、ピアノ。
この世界で作られた物体ではなく、緑髪の男が魔法で創り出した日本製なので比較的コンパクトだが、それでも人と比べれば十分大きい。
特に小柄な黒髪の女性にとっては、威圧感さえ覚えてしまうだろう。
「あの、旦那様、そもそもどうして、こんな黒くて大きな物を店内に置いているのでしょか?」
「そうだよっ、お姉ちゃんとベルーチェさんの言う通りだよっ」
「……この店を造る際に、ちゃんと説明したはずだが? ベル子たちはホント、料理のことしか頭にないんだな。ただの奴隷だったらそれで問題ないが、この店では経営者側なんだから、もっと美意識にも目を向けた方がいいぞ?」
「そんな残念なモノを見るような目を向けないでちょうだい。少なくとも私は、それが高価な楽器だってことは知っているわ。リエーとコニーとは違って、ね」
「えっ、それって楽器だったんですかっ!?」
「……お姉ちゃん、さすがにそのくらいは覚えておこうよ」
楽器の中でも、特に複雑な造りで高価なピアノは、庶民とは縁遠い代物だ。
奴隷であれば尚更。
元お嬢様である黒髪の女性は、知識としては頭に入っているが、実際に触れた経験は無い。
ただでさえ住む世界が違うと感じさせる音楽業界の代表的な楽器に、場違い感を抱くのは当然であろう。
「私が言っているのは、黒い物体の正体じゃなくて、どうして飲食店の中に関係ない楽器が置いてあるのかって話なのよ」
「カフェに音楽は欠かせないからって、これも説明したはずだが?」
「音楽だったら、ご主人様が用意した謎アイテムのお陰で、今もこうして店内に流れているでしょ」
「雰囲気作りとしてはこれで十分だろうが、客が自ら楽器を使うことで親しみ感が増すだろう?」
「あえて値段を高めに設定して、客層を制限しているのに?」
「まあ、それはそれってことで」
どうやら、主人の常識では、飲食店に楽器が置いてあるのは普通らしい。
もちろん、この世界では見たことも聞いたこともない。
主人の常識が、彼以外にとって非常識であるのは常なので、今更である。
「別に客だけに限ってはいないから、ベル子たち店員が弾いてもいいんだぞ?」
「そりゃあ、私だって弾けるものなら弾きたいけど、下手なのが分かっていて、それを晒そうと思うわけないでしょ」
「申し訳ございません、旦那様。わたしは料理とお掃除以外は苦手でして……」
「お姉ちゃんを悲しませないでよっ」
「別に下手でも音を出すだけで楽しめると思うのだが。そういえば、ベル子と姉のリエーは、家事関連のスキルしか持っていなかったな」
「使えない女で悪かったわね」
「ううっ、駄目な子でごめんなさい」
「妹のコニーは、うーん、その、根性スキルがあれば何でもできると思うぞ」
「そんなスキル無いから! 中途半端にフォローしなくていいから! あたしだけ何のスキルも持ってなくて悪かったわね!!」
「ベル子たちはホント、料理ばかりに特化した、料理馬鹿なんだなぁ」
「「「…………」」」
そんな人材を集めたのは、他ならぬ自分のくせに。
三人の奴隷娘はそう思いながら、恨めしそうな視線を向けるが、肝心の主人には全く伝わっていない様子。
むしろ、主人から向けられる憐れみの視線が増している。
「「「…………」」」
これにはさすがに、奴隷には許されていない感情が湧き上がってくる。
はっきり言って、ムカつく。
女心をこれっぽっちも理解できない主人に痛い目を見せたいのだが、力では三人がかりでも敵わない。
それどころか、最高峰の強さを持っているらしいので、下手したら誰も敵わないだろう。
力尽くでは駄目だとしたら……。
「そんなにピアノが好きなら、お客様であるご主人様が弾けばいいでしょ」
「俺は物事に関与しない観客でありたいから、自分で弾いても意味ないんだよなぁ。それに、ピアノってのは美しい娘さんが弾いて初めて映えるものなんだぞ」
「そんな言い訳ばかり並べて、本当はご主人様も下手だから弾きたくないだけじゃないの?」
「見た目が普通のおっさんだからって、侮ることなかれ。何を隠そう、この俺はあの超凄いのだめ先生の愛弟子なんだぞ?」
「だから誰よっ、その女っ!」
「ふむ、元はといえば、可愛い女の子にモテるために身に付けた技術。自分の奴隷に披露するのは何か違う気もするが、傍から見たら間違ってはいないだろうさ」
そう言って、割と単純で売り言葉に弱い主人は、ゆったりとした動きで席を立ち、妙に慣れた手つきで鍵盤蓋を開け、両手を前に出して構える。
そして、突然のミニコンサートが始まった。
「「「――――」」」
選んだ曲は、お得意のアニソン。
その中でも、女子受けが良さそうな、華やかでテンポがいい旋律。
数にして、5曲。
時間にして、10分足らず。
その間、言葉を発する者はおろか、緑髪の男から目を離す者もいなかった。
レッスン講師にして現役の超一流ピアニストである彼女から、「技術は一流だがオリジナル性もアレンジ力も気持ちさえ全く足りない」と評される不完全な曲であったが、ピアノが奏でる曲を初めて聞くような音楽初心者を唸らせるには十分であった。
「どうだい、お嬢様方、惚れ直したかな?」
「「「…………」」」
三人の奴隷娘は、憎まれ口を前に、口を噤むばかり。
ギャフンと言わせるつもりが、逆に言わされる結果に。
何よりも、ピアノを弾く姿が格好よく見えてしまったことが最高にもどかしい。
……そういえば、そうだった。
冴えないように見えて、実際に駄目な所ばかりだが、それ以上に何でもできてしまう所が主人のタチが悪い所。
そんな厄介な相手に仕返しするのは、どだい無理な話だったのだ。
「相変わらず、オキャクサマは変な特技ばかり持ってんだな」
反論できたのは、店員の中で最も異彩を放つ、ウエイトレスだけ。
ヒラヒラの可愛い給仕服のくせに、態度と目つきと口の悪い女である。
「先程まで客に放置プレイをかまし、客席でグースカ寝ておいて、ようやく起きたと思ったら、客に向かって悪態とは、さすがミニスカウエイトレスは最高だぜ」
「へっ、抜かしやがれ。オレが寝不足なのは、オキャクサマのせいだろうが」
「……冗談が通じないお子ちゃまの前でする話じゃないな」
「けけっ、ベル公に刺されないよう気をつけるこった」
「俺が刺されるとしたら、もれなくミニスカウエイトレスさんも刺されると思うが?」
「オキャクサマはたいそう恨みを買ってそうだから、何度も何度も刺され続けるに違いねえ。オレはその間に逃げ出すとするさ」
「唐突にボートの映像が流れ出すオチは勘弁してほしいなぁ。でも、それもまた、男の本懐かなぁ」
「へっ、そんなんだからオキャクサマは、刺される価値もないんだよ」
まだ余韻が冷めないお子様三人を余所に、年上の男と女は本当にありそうな冗談を繰り広げる。
もはやソレは、客と店員の間柄という感じではない。
「それにしても、そんな特技があったら、店の外でやればすごく稼げるんじゃないのか?」
「ピアノの役割は感動を与えることだから金儲けに使ってはいけないと先生から禁止されていてな。嘘だけど。……ほう、やけに素直に起きたと思ったら、珍しく興味があるご様子。それに、音楽系の潜在スキルもあるな」
「人の顔をニタニタ笑いながら見やがって。何が言いたいんだよ?」
「なーに、ミニスカウエイトレスさんが客の前でピアノを披露したら、たっぷりチップをもらえるだろうなぁ、と思ったまでさ」
「ふん、確かに稼ぎ口は多ければ多いほどいい。それに、こんな客の少ない店はいつ潰れてもおかしくねえから、無職になった時のために芸を身に付けておくのも悪い話じゃねえ」
「うんうん、立派な建前だな」
「……オキャクサマは、ほんとーに余計な口ばかり達者だよな。ベル公から刺される時は、オレも一緒にぶっ刺してやるよ」
「ははっ、最高のラブコールだ。それじゃあさっそく、休憩室で秘密のピアノレッスンを始めるとしようか」
こうして、緑髪の男と目つきと口の悪い女のペアは、負け犬トリオを尻目に、奥の部屋へと入っていった。
……しばらくして、ようやく正気を取り戻した黒髪の女性が、本当に包丁を握り締めながら突入したのだが、すでにもぬけの殻だったそうな。
それからしばらく、緑髪の男が自主的に出禁になったのは、言うまでもないだろう。
さらに、ほとぼりが冷めた後、目つきと口が悪いウエイトレスが披露するピアノが人気となり、カフェを訪れる客が増えるなか、毎回たくさんのお捻りを投じる緑髪の男を見て、黒髪の女料理人の機嫌がますます悪くなったのも、言うまでもないだろう。
緑髪の男が待ち望む、愛憎を養分に極限まで育った数多くの刃が天から降り注ぐ日が訪れるのも、そう遠くない未来であろう。




