小間使いの少女/珍妙な花嫁修業
オクサード街において上等な部類に入る宿、ポプラ亭。
この宿で小間使いとして働く少女リリの夢は、幸せなお嫁さん――――率直に言えば玉の輿である。
幸福な家庭を築く事は、この世界の多くの女性が目指す夢であるが故に競争率も高い。
特に少女リリが望む商人や上級冒険者といった資産家を伴侶とするのは困難だ。
わずか10歳で高い向上心を持っていた彼女は、自分の夢を叶えるためには家事スキルと美しさが必要だと考えていた。
家事スキルは、これからの努力――――しっかりと宿屋で働き続ける事でそれなりに身に付くだろう。
しかし美しさは、天より授かった性質と洗練する技術が必要となる。
仮に自分の素材が悪くないとしても、それを磨くための金が無く手段も分からない。
粗悪な鏡しか見た事の無い少女は、己の正確な容姿さえ知らないのである。
美貌を備えること。
それがリリの一番の課題であった。
――――そんな微笑ましい少女の悩みは、 思いがけないところから解決に向かう事になる。
改築以来借り手のなかった風呂付きの贅沢な部屋に、一人の中年男が住み始めた。
貴重な風呂を必要とする高貴な身分には見えなかったが、通常の客と比べ変わった言動を取る男であり、それが小間使いの少女の仕事内容にも影響を及ぼしたのだ。
高値な部屋を1年間貸し切る羽振りの良い上客であったため、店主は特に便宜を図るよう従業員に指示を出した。
件の部屋の掃除担当であり男と接する機会が最も多いリリは、率先して世話する格好となる。
少女は突然の大役に不安を抱くのだが、それは杞憂に終わる。
風呂を満たす湯を毎日運ぶのは大変な作業なのだが、男は自分の魔法で湯を出せるため、リリは風呂を掃除するだけで済んだ。
まだ魔法が使えない少女は深く考えなかったが、そこそこレベルの高い魔法使いである事がうかがえた。
男は中級の冒険者か何かで、このため金も持っているのだろう。
また、男はタタミと呼ばれる草で作られた分厚い絨毯を敷き、床を汚さぬよう過ごしていたため、部屋の掃除にも手間取る事はなかった。
このように、掃除の仕事には大きな変化がなかったのだが、男の影響は仕事の範疇を超えて少女の私生活に及ぶ事になる。
――――男の部屋に敷かれたタタミには、直に座ったり寝転んだりする場合が多い。
このため、部屋で過ごすには自身を清潔にしておく必要がある。
しかし、毎日の仕事で汚れた服しか持っていない小間使いの少女は、新品のタタミが敷き詰められた綺麗な部屋に入る事を気に病んでいた。
これを見かねた男は、少女のために専用のメイド服を用意した。
上はカチューシャから下はブーツまで衣類一式を完備する徹底ぶりだ。
貴族に仕える選ばれたメイドのように優雅で清潔な服に身を包んだリリは、初めて見るストッキングとガーターベルトなる下着には戸惑ったものの、嬉々として仕事に勤しんだのである。
…………実際は、男がメイド好きなだけであったが。
――――男は様々な品物をプレゼントしてきた。
それらは、男が旅先で衝動買いした物のうち直ぐに飽きてしまった品だったが、小間使いの少女にとっては有益な物が多かった。
王都のみで売られている高級な菓子、名だたる職人が拵えた衣服、手先が器用な種族が造った不思議な工芸品、そして色鮮やかな花々。
男から貰った花は不思議と長持ちし、リリの狭く何もなかった部屋に彩りと潤いをもたらしたのである。
…………実際は、男がプレゼント以外に女性への接し方を知らなかっただけであったが。
――――在宅中の男は、昼夜を問わずよく風呂に入っていた。
店主から男への配慮を指示されていたリリは、入浴の手伝いを申し出る。
しかし、湯気や水飛沫で服が濡れる事を心配した男は、どうせならと一緒に風呂に入るよう勧めてきた。
まだ羞恥心が薄かった少女は、深く考えず受け入れて裸になり、戯れで言った男を慌てさせる事になる。
幸いにも男が手を出さなかったため、少女の貞操は守られる。
男が魔法で出した効能豊かな温泉に入り、美容効果の高い洗面用具で体を洗い続ける事で、リリは知らないうちに美しい髪と肌を手に入れたのである。
…………実際は、男が少女と一緒に風呂に入りたかっただけであったが。
――――男の部屋には全身を完璧に映し出す大きな鏡が置かれた。
オクサード街では売られておらず、王都の貴族専用かと思われるほどの見事な鏡だった。
この鏡により自分の容姿を正確に認識したリリは、髪型や衣服などの外観はもとより、表情や仕草などの女性特有の魅力を確立させたのである。
…………実際は、男が鏡の前で一喜一憂する少女を影から覗きニマニマしたかっただけであったが。
かくして小間使いの少女は、念願の美しさを手に入れていったのである。
◆ ◆ ◆
―――― ?日後 ――――
とある宿屋で働いていた少女。
長年の努力と機会に恵まれ美しく成長した彼女は、多くの男性の目を惹きつけ、ついには見事玉の輿を果たす。
彼女は嫁入りする際、求婚してきた資産家に幾つかのお願いをする。
婚儀において女性が男性に条件を出すのは珍しかったが、美女に美しさを保つために必要だと言われた資産家は頷くしかなかった。
…………以来、オクサード街では美しい妻を迎え入れるため、たくさんの服、大きな風呂、綺麗な鏡が必需品となり、男連中の財布を逼迫していくのだが――――――それはまた、別のお話。




