病村の母娘③/一流の悲劇と三流の喜劇
――――少女は一人、人通りが途絶えた里道の脇に座り、待ち続ける。
突如、少女が住む村で発生した病魔は、誰も手がつけられない凶悪なものであった。
さりとて珍しい事ではない。
この世界では断続的に同じ現象が起こっているからだ。
この時ばかりは、王都の対応は迅速であった。
住民が村から離れるのを禁じ、余所の者が村に近づくのも禁じたのである。
隔離された村人は死を待つのみとなり、病死か餓死かの死因さえ選ぶ事が出来なくなったのだ。
少女の母親も、病魔に侵された一人であった。
母親は、幸いにも発病していない愛娘を村外へ逃がそうとしたが、娘は頑なに聞き入れなかった。
禁じられているとはいえ村から出る事は可能だが、他の街には門番に出身を鑑定されるため入る事が出来ない。
このため、外に出ても野たれ死ぬか魔物に襲われるという死の選択肢が増えるだけ。
それでも母親は、少しでも生存の可能性が高い方に賭けたかったのだ。
少女は村に居続ける道を選んだが、日々弱りゆく母親を見守る事しか出来ない。
本来ならば、そんな益体のない事を続け、心と体を摩耗し、やがて母親と同じ病に侵され死にゆく道しか残っていなかったはずである。
しかし、少女は諦めなかった。
村への出入りが禁止されていても、もしかして何も知らない行商人が村の近くを通るかもしれない。
もしかしてその人が、話を聞いてくれるかもしれない。
もしかしてその人が、薬を持っているかもしれない。
もしかしてその人が、母を助けてくれるかもしれない。
もしかして、もしかして…………。
そんな零に等しい偶然が重なる事を、少女は一人、村近くの道沿いに座り、雨の日も風の日も待ち続け、決して諦めなかった。
――――これは、そんな少女の意志が手繰り寄せた物語である。
「こんにちは、お嬢さん。誰かを待っているのですか?」
突然、誰も居ないはずの後方から声を掛けられ、リノンはただ驚く事しか出来なかった。
彼女は瞬きするのも惜しみ、目の前の道を見続けていた。だから人影を見逃すはずがなかったのだ。
後ろから現れた相手は、灰色の髪と服で装った中年の男。
だが、男の周辺には移動手段の馬が見当たらない。
「え、えっ? どこからきたの!?」
「アイテムで空を飛んでいたところ、お嬢さんの姿が見えたので降りてきたのですよ」
男は目尻を動かさず、口だけを歪めて笑みらしき表情を作る。
嘘っぽい仕草だったが、リノンには男が笑いかける事に慣れていないように見えた。
「そ、そんな凄いアイテムを持ってるなんてっ、もしかして商人さまですか!?」
男の丁寧な口調で少し落ち着いたのか、リノンは相手の素性に気づく。
通りすがりの行商人。
それこそが、彼女が待ち続けていた理想の相手だった。
「ええ、そうですよ。何かご入り用ですか?」
「く、薬を! おかあさん達が病気なの! 薬をくださいっ!!」
「どんな病気なのですか?」
「……分からないの。とても難しい病気で、薬も魔法も効かなくて――――」
「話だけではどの薬が良いのか分かりませんね。母君の病気を直接見せてもらってもいいですか?」
「うっ、うん! あの村! あの村におかあさんがいるの!」
リノンは必死に説明を続ける。
……もし少女が、もう少し年を経て経験を積んでおり、そして冷静であれば疑問に思っただろう。
商人を自称する中年男は、無茶な願いに躊躇うどころか嫌な顔もせず、逆に誘導するかのように話を進めている。
まるで病人が居た方が都合いいかのように。それでいて他人の病気なんかどうでもいいかのように。
しかし、今のリノンは気づく事が出来ない。
たとえ気づけたとしても、どうしようもない。
彼女に選択肢はなく、事態を悪化させる可能性があっても、男に縋るしかなかったのである。
――――少女の選択は、間違っていなかった。
悲劇のヒロインとして、少女は十分な素質を持っていた。
悪役の中年男にも、素質は十二分にあった。
気まぐれ一つで、希望を得た娘の前で母親の首を折り少女が奏でる絶叫を愉しむ事も、絶望を纏った母親の前で娘を手折り更なる絶望を知らしめる事も…………。
男はその性質を持っていたのだ。
舞台は万全で、キャストも上々。
後は男が嗜好に従って行動するだけで、悲劇の物語は完成する。
……だが、男には、物語を盛り上げる才能が無かった。
話の流れを読む能力が欠落していたのだ。
――――こうして、少女の純真な願いを一流の悲劇に昇華させることなく、物語は三流のありふれた結末へと向かったのである。
「おかあさーん! 商人さまが薬を持ってきてくれたよ!」
「……リノン、出入りが禁止されたこの村に、商人様が来るわけないでしょ?」
朦朧とする意識の中、リノンの母親であるメリルはやんわりと否定する。
考えるまでもなく、今のこの村に人が来るはずがないのだ。ましてや利と危険に聡い商人なら尚更だ。
メリルはいよいよ娘にまで病が及んでしまったのかと胸を痛めた。
「失礼します、奥様」
そんな憂虞を嘲笑うかのように、薄い笑みを浮かべた中年の男が家に入ってくる。
その灰色づくしの怪しい格好を見て、とうとう死神が迎えに来たのだとメリルは死を覚悟した。
……だけど、死神は立ちつくしたままで、命を奪い取りに来る様子ではない。
「あ、え? ……本当に、商人様なのですか?」
「はい。行商人のウスズミと申します」
「…………」
じんわりとした違和感が残るが、悪魔や魔物の類ではないらしい。
冷静になったメリルは、とにかく実情を素直に告げる事にした。
「……商人様。このような村にまで足を運んでくださり感謝致します。しかしながら誠に申し訳ないのですが、私どもには高価な薬を購入するだけのお金がありません。村に居続けると商人様まで病気になります。早々にお立ち去りください」
「そんなっ!? おかあさんっ!」
「リノン、無関係の人を巻き込んではいけません。どうせお金の話はしてないのでしょう? それに、リノンも早く村から離れなさいと何時も言ってるでしょう」
「そんなのやだっ。ずっとおかあさんと一緒にいるもん!」
幾重の偶然が重なり、仮に商人と名乗る男が薬を持っていたとしても、収入が少ない村人にはとても払える額ではない。
娘のリノンが自分自身を対価に、と思っている事を母親たるメリルは感じ取っていたが、それでも到底釣り合う額ではない。
もしも人一人の命が対価となるのであれば喜んで我が身を差し出し、いずれ発病するであろう娘に渡しただろう。
だが、村人全員の命を捧げたとしても足りない程の難病である事を、実際に病に侵されているメリルは分かっていたのだ。
「では、こうしてはいかがでしょうか。ここに試作中の新薬があります。副作用が起こる可能性がありますが、この新薬を試験していただけるのであれば、無料で提供しましょう」
「試験、ですか…………」
ここでようやく、メリルは男の目論見を察する。
男が商人だというのは嘘ではないのだろう。しかし本当の目的は、人命を無視した非情なる人体実験。
かつて王都に住んでいたメリルは、そのような犠牲の上に成り立つ薬の存在を聞いた事があった。
やはり偶然に迷い込んだ善良な商人ではなかったのだ。
男の正体は、危険を承知で金儲けを企む闇の商人、若しくは自ら発病するリスクを無視して国から送り込まれた哀れな奴隷なのかもしれない。
世の中には、うまい話など転がっていないのだ。
「…………そういう事情でしたら、是非もありません。このままでは数日と持たない命。僅かでも助かる可能性が有るのなら喜んでお受けします」
だけど、それでもいい――――それでいいのだと、メリルは思う。
今まで完治した前例のない難病である。国がどれほど力を入れようと直ぐに治るものではない。
万が一成功したとしても、大きな副作用を起こし少々延命する程度だろう。
その後で法外な要求をされるかもしれないが、生き残れば娘だけでも救えるかもしれない。
それに、失敗しても構わない。悪化してもいいのだ。
その結果に男が少しでも責任を感じてくれるのなら、娘だけでも村の外に連れ出すよう頼み易くなる。
見たところ、男はそれほど非道な人間ではなさそうだ。
薬の悪影響で苦しみながら死に向かう自分が必死に頼み込めば、娘を大事にしてくれる可能性も零ではないだろう。
――――そんな狂気にも似た願望を抱きながら、メリルは薬を受け入れる決心をしたのだ。
「おかあさん…………」
「それでは――――」
無垢なのだろう。
不安よりも期待を強く抱いている娘を愛おしく思い、ゆっくりと小さい頭を撫でながら薬を飲み込む。
……おそらくこれが、娘に触れられる最後になるだろうと覚悟を決めて。
そして、全身を包み込んだ光が消えた後、自身の体の様子を確かめ、メリルは目を見張った。
「こ、これはっ!?」
薬の効果は劇的であった。
全身に刻まれていた病魔の黒い印が綺麗に消え去っていたのだ。
更には痩せ細っていた手足の血色も良くなっていた。
「どうやら無事に効いたようですね。お加減はいかがですか?」
「……さ、先程までの傷みと高熱が消え去りました。なんだか体力も回復しているようです」
メリルは客観的に自分の体を説明しながらも、現状を信じられないでいた。
光を放ったという事は、単なる薬ではなく魔法が付与された魔法薬なのだろう。
人の手でも魔法薬を創り出せる者が居ると聞いた事があるが、まさかその希有なる力の持ち主がこの男なのだろうか。
メリルは考える。
考えるが、答えはまとまらない。
「おかあさんっ、黒い点々が全部消えてるよ! 病気が治ったんだよね!」
「まさか本当に、本当に治るなんて…………」
……ただ、歴然とした事実があった。
最悪の病気が治ったこと。そして最良の薬を無償で提供してくれた相手を疑ってしまったこと。
メリルは喜ぶのと同時に深く恥じた。
「…………商人様、本当にありがとうございました。どれほど感謝してもしきれません。……それで、その――――」
懺悔は後でも出来る。
今はまだ、優先すべき事があるはずだと自分に言い聞かせ、メリルは男に頼み込もうと頭を下げる。
恩人に無理を言っていいものかと躊躇する彼女の心配を余所に。
男は直ぐに事情を汲み取り、他の家へと足を向けた。
男は、笑顔いっぱいのリノンに手を引っ張られながら、次々と病人を訪問していく。
呆気ないと不謹慎な感想が漏れるほどに素早く難病が治っていく様を、メリルは呆然と眺めていた。
全ての村人から感謝の言葉を述べられた男は、ぎこちない笑顔で応えている。
……上手く行っている。
そう、全てが――――男が村人からの感謝よりも娘と手を繋いでいる時の方が嬉しそうにしていること以外は――――上手く行っているように見える。
国が見放した重病を一瞬で治す効用、病気だけでなく怪我や毒さえも完全に回復させる有効範囲の広さ、村人全てに行き渡るほどの量産能力、それほどの薬を無料で提供する寛容さ。
どれ一つとっても常識では考えられない功績であった。
そんな常識外れの舞台を目の当たりにしたメリルは、素直に喜び続ける事が出来ず、段々と恐ろしさを感じ始める。
男の貢献は常軌を逸しており、これ程までに世間離れした行動となると、逆に男の目的を推察する事が出来ない。
いや、目的があるのかさえ怪しくなってくる。
……確かに実験には違いないのだろう。
男は薬を飲ませるだけでなく、患部に当てたり、頭から注いだりと様々な使い方を試している。通常、薬の実験とは効用を試すものだが、それが二の次とされている。
それほど効用には自信があるのだろう。ランク8の重病を相手に。
こんな事実、目の前で起こってなければ到底信じられなかっただろう。
メリルが最も気になったのは、自らの手で大勢の命を救っても、男自身がさして嬉しそうにしていない事だ。
この程度は当然だと思っているのなら、まだ救いようがあっただろう。
……おそらく男は、村人が生きようが死のうがどちらでもいいのだ。
試してみたかったのが偶々病気の薬だったので人が助かる結果となった。
これが仮に毒薬の実験であったとしても、大勢の死体を前に、男は今と同じ表情をするのではないだろうか。
――――生も死も男の前では等価。
そんな考えがメリルの脳裏に浮かび、冷汗が流れる。
「……ありがとうリノン。あなたが商人様を連れてきたお陰で村が助かったわ」
「ううん、全部商人さまのおかげだよっ、おかあさん!」
「……ええ、そうね」
「ねえ、おかあさん。商人さまは、どんなお礼をすれば喜んでくれるかな?」
リノンは一連の異常さに気づかず、村人の病気が治ったという事実に、ただ感謝している。
――――どこまでも純粋な娘を見て、母親は決心した。
「大丈夫よリノン。お母さんも一緒にお礼するわ」
「ほんとっ!?」
「ええ、一緒にあの人をお助けしましょう」
「うんっ」
……彼の商人は、これから多くの者の人生に多大な影響を残していくだろう。
問題はプラスかマイナスか、右か左かの方向の違いだけで、そこに優劣など存在しないのだろう。
だったら、どちらでもいいのなら。
男が知らないうちに、プラス方面に向きを変える事が出来るかもしれない。
何よりも村の恩人となった男に、間違った道を進んでほしくないという思いが、メリルにはあったのだ。
自分達に出来る事は少ないかもしれない。
それでも男の話し相手になること、身を捧げること、あるいは最初の犠牲になることで僅かでも矛先が変えられるのなら、それでいい。
娘には辛い思いをさせるかもしれない。でもそれが、男を村に招いた者の責任。
自分も、それを娘に強いた責任がある。
……男の行く末を見届けよう。
そして出来ることなら、この村のように、男の周りがいつも笑顔でありますように…………。
こうしてメリルとリノンの母娘は、男の傍に居る事を選んだ。
娘は、純粋に恩返しをするために。
母は、恩返しという名目の監視をするために。
――――ありふれた三流の喜劇は、こんな風に幕を閉じたのである。
◆ ◆ ◆
―――― ?日後 ――――
かつて国から見捨てられた村があった。
しかしながら、致死率100%の伝染病と鑑定されたはずの村人は、誰一人欠けることなく回復し平常を取り戻した。
不審に思った王都が調査したのだが、原因は最後まで判明しなかった。
通りすがりの商人に助けられたとの証言があったが、あまりにも荒唐無稽な話であったため、病人の妄言として扱われ深く追及される事はなかった。
……結局、程度の低い病気との取り違えであったとして片付けられたのである。
その後、訪れた者の病を治す村の噂が流れるのだが――――――それはまた、別のお話。




