病村の母娘①/おっさんも走れば少女に当たる
本日は晴天なり。
よって柄にもなく運動する事にした。
日本でリーマンしていた頃は、時間が無いのを言い訳に殆ど運動してなかったが、今はプータロー同然の身。時間はどれだけでも作れる。
レベルと共に身体能力も上がり、アイテム探しの旅で結構痩せたため、走っても膝が痛くなったりしない。
毎年の健康診断で「激しい運動は控えてください」と悲しい警告を受けていたのが嘘のようだ。
理由を付けなくとも、単に風を受けて走るのは結構気持ちいい。
久しく忘れていた感覚だ。これでも学生時代は運動部だったのでランニングは得意なのだ。
強化魔法を使わなくともレベルが高いため、走る速さも半端無い。
目立つと面倒なので、人目が少ない地域を選んで走りまくる。運動するのに気を遣うとは難儀なものだ。
「スポーツはいい。運動すればするほど全身の操縦が上手くなる」
自分の体じゃないような物言いだが、この世界に来る前と比べ身体能力が段違いなのでしっくりくる表現だ。今度は足でピアノでも弾いてみようかな。
レベルが上がると全ての身体機能が上昇するため、当然器用さも増すので力加減ができないわけではない。
ただ俺の場合は、一気に上がりすぎて感覚が追いつかず、慣れるのに多少の時間を要した。
今でも完璧とは言い難いので、例えば少女の頭を撫でてる最中にクシャミした反動で首をへし折るような失敗には注意する必要がある。
あー、少女の頭をなでなでしたいなー。
「ん……、あれは、人かな?」
動きがなかったので気付くのが遅れたが、遠目に見える里道の脇に人族らしき子供が座っているようだ。
近くに集落があるのでそこのお子様だろうが、遊んでいる様子ではない。
……さて、どうしたものか。
何か切羽詰まった気配を感じるので、無視して通り過ぎるのもどうかと。
何より少女のようなので、紳士としては放っておけまいて。似非紳士だけどな。
「事案にならない程度に声を掛けますか」
この世界では、どの程度までなら少女にちょっかい出しても通報されないのだろうか。
昨今の日本では声を掛けただけでアウトになる可能性がある。嫌な時代になったものだ。
ちょうど死角になる方面を走っていたためか、少女は俺の存在に気付いていないようだ。
無防備な背中を見せる少女に近づく中年男、と表現するとかなり危険である。
……何故だろう。
少女の背後から近づいていくと、こう、抱きついて然るべきという強迫観念に囚われるよな。お巡りさん、俺です!
「こんにちは、お嬢さん。誰かを待っているのですか?」
「ひゃっ!?」
なるべく穏やかに話し掛けたのだが、突然後ろから聞こえた声に驚いたようだ。
道から外れた荒野を移動する奴は居ないだろうしな。
「え、えっ? どこから来たの!?」
「アイテムで空を飛んでいたところ、お嬢さんの姿が見えたので降りてきたのですよ」
作り笑顔でもっともらしい嘘をついておく。
人を安心させる笑顔って難しいよな。特に子供相手には。
日本でも子供と動物にはあまり懐かれなかったからな。子供や動物が人の本性に敏感という話は本当だと思う。
少女は随分と痩せているが、人懐っこい顔つきをしている。
肉付きを取り戻しボサボサの髪を整えれば、愛らしい姿になるだろう。
「そ、そんな凄いアイテムを持ってるなんてっ、もしかして商人さまですか!?」
そう、俺の今の恰好は灰色ローブに眼鏡な腹黒商人バージョンだ。
未知の厄介事に足を突っ込む時は、商人バージョンに統一する方針である。
しかし少女の喜びよう。
もしかして待ち人はこの俺だったのか。まさか少女に歓迎される日が来ようとはな。
…………あーはいはい。
必要なのは商人ですよね。分かってますって。
「ええ、そうですよ。何かご入り用ですか?」
「く、薬を! おかあさん達が病気なの! 薬をくださいっ!!」
予想どおり、商人が持つ薬をご所望らしい。
「どんな病気なのですか?」
「……分からないの。とても難しい病気で、薬も魔法も効かなくて――――」
この世界の死亡原因は、一番が病気、二番が人類同士の抗争、三番が魔族、四番が餓死、五番が事故死だという。
魔族という天敵が存在する世界としては、意外な結果に思える。
これでも以前よりは、全体の死亡率が大幅に減少しているのだ。
魔族が出現する前は、ぶっちぎりで人類同士の抗争が一番。次いで餓死だったのだが、皮肉にも魔族の台頭が人類を団結させたこと、それと食料をはじめとしたドロップアイテムが死亡率を下げる結果になったそうだ。
このため現在は、繰り上がりで病死がナンバーワン。
事情は全く異なるのに近代化した日本と似た結果となっている。不思議な事だ。
俺は最高ランクの薬系アイテムをコンプしているが、念のため効用具合も試しておいた方がいいだろう。今後この世界の知り合いに使う機会があるかもしれんしな。
それに俺の魔法で改良した薬もあるので、その実験もやりたかったのだ。
くくくっ、無料で被検体を提供してくれるとはな。
これが渡りに船という奴か。精々我が覇道のための血肉となってもらおうではないか。
……なるほど、マッドサイエンティストとはこんな気持ちなのか。違うか。
「話だけではどの薬が良いのか分かりませんね。母君の病気を直接見せてもらってもいいですか?」
「うっ、うん! あの村! あの村におかあさんがいるの!」
少女は必死に村を指差す。
俺が薬を持っていると分かって必死なのだろう。ピョンピョン跳ねる様は、不謹慎ながら可愛いものだ。
此処から村までは百メートル程と近いが、痩せている少女の足で走るのは辛かろう。
だが急いだ方がいい。ぐずぐずして間に合いませんでしたでは、少女に顔向けできない。
「それでは失礼して」
「わわっ!?」
了解を得ずに少女を抱き上げる。もちろんお姫様だっこだ。
……いや、他意は無いぞ。決して少女に触れるのが目的ではない。
緊急だから仕方ないのだ。事案じゃないのだ。ほんとだぞ。
「目に砂が入ると危ないので、瞼を閉じていてくださいね」
「う、うん」
少女がギュッと目を閉じたのを確認して走り出す。
何故か一緒に両手もギュッとしているのが可愛い。
この距離なら本気で走れば一瞬で着く。風の抵抗は魔法で防ぐので問題無い。
「――――はい、着きました。もう目を開けても大丈夫ですよ」
「え? 本当に村に着いてる! 商人さますごい!」
「商人ですからね」
何者だよ、商人。
「さあ、母君の処に案内してください」
「うんっ、あっちだよ!」
少女が指差す方向へ、小走りで進む。
村は、想像以上に閑散としていた。
小さな村で起きた病気の蔓延。廃れるのは避けられないだろう。
人の気配はするものの、誰も外に出ておらず、村全体に風塵が舞っている。時代劇に出てくる廃村みたいだ。
このまま死に行く村。
そんな印象を寂しくも強烈に感じさせる。
……少し実家の農村を思い出す。ここまで過疎ってないけど、農村って独特の雰囲気があるんだよな。
「ここだよ、商人さまっ」
似たような家ばかりで判別しにくいが、少女の家に着いたようだ。
さすがに大事な娘さんを抱いたまま家に入る勇気はないので、名残惜しみつつ地面に下ろす。
「おかあさーん! 商人さまが薬を持ってきてくれたよ!」
病気に効く薬を持っているとは言ってないのだが。
少女の無垢な信頼が重い。
今更ながら治せなかったらどうしよう。必殺の逃げ足をこんな処で披露したくないな。
「……リノン、出入りが禁止されたこの村に、商人様が来るわけないでしょ?」
家の中から弱々しい声が聞こえてくる。
そうか、出入り禁止されるほどの伝染病なのか。
深く考えずに来ちゃったけど、大丈夫かよ。
「失礼します、奥様」
「あ、え? ……本当に、商人様なのですか?」
「はい。行商人のウスズミと申します」
「…………」
時間が無さそうなので勝手に家の中へ入る。
とりあえず挨拶すると、苦しそうに寝込んでいた女性が上半身を起こして会釈してきた。
――――彼女の全身には、黒い斑点が点在していた。
随分と分かりやすい疫病である。
三十歳前後だろうか。病気の影響で顔色が悪く痩せこけているが、娘さんに似て愛嬌のある顔立ちだ。
「……商人様。この様な村にまで足を運んでくださり感謝致します。しかしながら誠に申し訳ないのですが、私どもには高価な薬を購入するだけのお金がありません。村に居続けると商人様まで病気になります。早々にお立ち去りください」
「そんなっ!? おかあさんっ!」
「リノン、無関係の人を巻き込んではいけません。どうせお金の話はしてないのでしょう? それに、リノンも早く村から離れなさいといつも言ってるでしょう」
「そんなのやだっ。ずっとおかあさんと一緒にいるもん!」
自分の身が危ないのに、他人を気遣う事ができるとはな。
それとも死を目前にすると、逆に優しくなれるのだろうか……。
健気に互いの身を案ずる母娘には悲劇も似合いそうだが、まずは病症を確認しよう。
『伝染病ランク8。蚊等を介した血液感染。発症者は20日ほどで死に至る。余命3日程度』
うむ、鑑定アイテムは優秀だな。
必要な情報のみが簡潔に表示されるので助かる。
この状況で病名が分かってもどうしようもないしな。病気のランクと感染経路と余命さえ分かれば十分なのだ。
しかし血液感染ですか。空気感染よりマシだろうが、ランク8とは強い致死性の病だ。
医療技術が低いこの世界の手製の薬では効かないだろう。
「では、こうしてはいかがでしょうか。ここに試作中の新薬があります。副作用が起こる恐れがありますが、この新薬を試験していただけるのであれば、無料で提供しましょう」
新薬、といっても俺がゼロから創り出したわけではない。
小瓶の形をしている薬アイテムから中身の液体を取り出し、他の効用を持つ薬アイテムと混ぜ合わせ、付与魔法を施した付与紙で包みカプセル状にしたものだ。
この合成新薬の利点は三つ。
形が違うのでマジックアイテムだと悟られにくいこと。一度に複数の効果を発揮すること。外郭のカプセルに解凍条件を付与できること、だ。
「試験、ですか…………」
母親は僅かに視線を落として考え込む。
この新薬は作ったばかりで実験してないから、成分が混ざり合って効かなくなったり悪影響が出る危険性もある。
それらを踏まえて判断してほしい。
同意がないと副作用が出た時に犯罪になるからな。注意しましょう。18歳未満は同意があっても犯罪です。
「…………そういう事情でしたら、是非もありません。このままでは数日と持たない命。僅かでも助かる可能性が有るのなら喜んでお受けします」
末期で朦朧としているだろうに、礼儀正しいしっかりとした喋り方だ。
理性と教養の高さを感じさせる。もしかして都市から嫁いできているのかもしれない。いや、農家に偏見があるわけではないが。
それに、強い意志を感じる。治療とは別の思惑があるような……。
まあ、考えても仕方ないか。
「それでは、これを飲み込んでください。噛み砕く必要はありません。口の中に入れるだけで自然に溶けますよ」
「……こんな小さな薬があるのですね。はじめて見ました」
外殻のカプセルは口の中に入ると溶け出すようにしてある。
合成前のアイテムは病気回復薬ランク8と体力回復薬ランク8。
体力もずいぶん落ちてるようなので、ダブルミックス薬を試してみよう。
「おかあさん…………」
「それでは――――」
娘と中年男が見守る中、母親は娘の頭を撫でながら意を決したように薬を飲み込む。
そして次の瞬間、彼女の全身を淡い光が包み込む。
「こ、これはっ!?」
母親は目を見開いて、自分の体を確認している。
彼女の全身からは、先ほどまであった黒い斑点が消えていた。
俺は鑑定アイテムを発動して彼女のステイタスから病気の表示が消えている事を確認し、ほっと息を吐く。
「どうやら無事に効いたようですね。お加減はいかがですか?」
「……さ、先程までの傷みと高熱が消え去りました。なんだか体力も回復しているようです」
問題なく回復したようだな。
適当にミックスしてるので変な反応が起きたり、過剰摂取にならないか不安だったが大丈夫みたいだ。
おそらく薬系アイテム同士はどう混ぜても問題ないのだろう。さすがは魔法で創られた不思議物質だ。
そうなると全種類の薬を混合したら、さながらエリクサーのような全能薬ができるわけだ。
「おかあさんっ、黒い点々が全部消えてるよ! 病気が治ったんだよね!」
「まさか本当に、本当に治るなんて…………」
娘は文字通り飛び上がって喜びを表している。
母親は呆然と呟きながら、元通りになった手の平を眺めている。体感しても中々信じられないようだ。
まあ、ランク8の大病だしな。もしかすると、この病気が治った前例さえないのかもしれない。
「商人さま、商人さまっ、ありがとう!」
少女の満面の笑顔が眩しい。
これだけでお腹一杯だが、まだ満足するわけにはいかないだろう。
「…………商人様、本当にありがとうございました。どれほど感謝してもしきれません。……それで、その――――」
母親は礼を述べつつ、最後の言葉を濁す。
気が利かない事に定評がある俺でも分かってますよ。
女性が言いにくい事は、男から言い出すのが紳士ってもんだよな。似非紳士だけどさ。
「奥様、もう立てますか?」
「……はい、大丈夫です」
「それでは病み上がりに申し訳ないのですが、他の病人を紹介してもらえませんか? もっと臨床データを集めたいのです」
「っはい!! 直ぐに案内します!」
「わたしも案内する!」
母娘の期待が込もった返事には、下手くそな笑顔を返す事しかできない。
そりゃあね。こうなったら最後まで付き合いますけどね。
全部が全部上手くいく保証はないのですよ。やればやるだけ失敗する確率も上がるのですよ。百の感謝より一の非難の方が心に残るのですよ。
……ラックが低い俺が神に祈っても無駄だろうな。
この後の事は、俺を呼び込んでしまった少女の運に期待しよう。




