ある日、満足した男②/世界の迷子
――――目が覚めると、そこは、森の中だった。
「……とりあえず、生きてはいるようだな」
全身を見渡して、怪我が無いか確認する。
意識もはっきりしており、体調に問題は無いようだ。
車内から外の様子を窺うと、全方位に延々と樹木がそびえ立っている。
先程まで走っていた道路の付近には無いはずの風景だ。
冷静になるためにも、まず今の状況を考察してみよう。
一つめは、夢であること。
落雷の衝撃で気絶し、夢を見ている状況。
だったら直ぐに可愛い女の子を捜しに行く必要があるな。
二つめは、死んでいること。
雷の直撃か運転ミスかは定かでないが、事故死して死後の世界に居る状況。
やべー、自宅のパソコンを始末しないと死んでも死にきれないぞ。
三つめは、転移したこと。
二次娯楽でお馴染みなワープ的なものに巻き込まれ、違う場所に飛ばされた状況。
日本国内だったら良いが、国外ならパスポートが必要だな。
四つめは……って、段々現実味が薄くなるな。
他にも荒唐無稽な可能性を思い付いたのだが、切りが無いので考える事を止める。
車のエンジンはかかるもののラジオが受信できず、携帯電話も圏外になっている。
あまり楽観は出来ない状況のようだ。
「とにかく、周りを確かめてみるか」
車から降り、改めて周辺を見渡す。
――――大きな木だ。
テレビで見た樹齢数百年の樹木より、一回りも二回りも大きい。
しかも、見渡す限りに大樹が広がっている。
「…………おおっ」
触ってみると、その重量感に圧倒される。
高さも頂きが見えない程だ。
「スギやヒノキとは明らかに違うな」
人工林やガジュマルみたいな熱帯地域の樹木とも違うようだ。
人工林の大半はスギとヒノキだから、自然林の山中である可能性が高いのだが……。
「雰囲気からして、日本って気がしないんだよなー」
樹木は、植物とは思えないほど強い存在感を発している。
単に大きさから感じるものではない。
何か、樹木を纏う湯気みたいな空気の揺らぎを感じる。
「……もしかすると」
今度は自分の手の平を観察してみる。
外に出た時から感じていたのだが、樹木と同質の、だが比べものにならない強い力を感じる。
これを認識してしまったら、もう見ない振りは出来ない。
「仕方ない。試してみますか……」
諦めを装い、その実は抑えきれない胸の高鳴りに笑みを浮かべながら、体を動かす事にした。
まずは、ボクシングのジャブもどきを繰り出してみる。
ブッォン! ブッォン!
「おおっ、これが風を切る音ってやつか」
自分でやってるのに、とてつもないスピードで動く腕を見て感激してしまう。
これなら葉っぱ10枚掴むのも容易かろう。
「ふっ、今日は風が騒がしいな」
自らのパンチで風を起こしながら、スカした台詞を飛ばしてみる。
「…………」
うん、あれだな。
軽く死にたくなってくるな。
「次は蹴ってみるか」
樹木に軽くローキックしてみる。
はい、揺れました。揺れちゃいました。
大きな樹木が大きく揺れてしまいました。
……となると、最後はジャンプだな。
いっちょ跳んでみますか。
「んーーーっ、とうっ!」
かがみ込んだ体勢から軽くジャンプする。
「たかっ!?」
うわっ、これ3メートルくらい跳んでるぞっ!
世界新記録だぞっ!
「ふーーー、怖かったー」
何とか無事に着地して、ため息を吐く。
あれだけの高さから落下しても、衝撃を感じなかったぞ。
それにしても、この跳躍力は素晴らしい。
中年太りしている体が面白いように跳ねる。
……ふと、昔の夢を思い出した。
もしかして、学生の頃の夢が一つ叶うかもしれない。
憧れた、あの必殺技がっ――――。
「今なら、出来るかも知れないっ!」
そうつぶやくと、助走を付けて大きく飛び上がる。
「秘技! ムーンサルト!!」
説明しよう!
ムーンサルトとは、バク転しながら足に込めた気の力を放つ技なのだ!
すみません、嘘つきました。それはサマーソルトでした。
本当は体操競技の技の一つで、公式名称『ツカハラ』の通称である。
空中で後方二回宙返りと一回ひねりする技で、『月面宙返り』と書いて『ムーンサルト』と呼ぶ、躍動感たっぷりの格好いい技なのだ!
「ごがっ」
あ、もちろん失敗しましたけどね。
いくら身体能力が上がっていても、知識だけで技術の無い者が成功するような技ではありませんて。
空中で適当に回転したため、天地が分からなくなった図体は、見事地面に頭から突っ込んだようだ。
「犬神家かよ」
よっこらしょ、と地面から頭を抜き出しながら、セルフでツッコむ。
まあ、初っぱなから成功するとは思ってなかったさ。
空中感覚を養うためにも練習していこう。
「いつか絶対成功してやる!」
人生の新たな目標を見つけた俺は、宣言するのであった。
…………悪ノリして横道に逸れてしまったが、これで間違いないだろう。
俺の身体能力は跳ね上がっている。
重力の違いなど科学的な理由によるものか、はたまたSF的な特殊ルールによるものかは判別出来ないが、とにかく今の俺が並外れた体力を持っているのは事実のようだ。
だが、気楽に喜んで良い状況ではない。
この力が俺だけの特有なものか、それとも『ここ』では標準的なものか。
それ次第で、今後の命運が大きく変わるだろう。
などなど、と。
予期せぬ力を得て、すっかりファンタジーな思考に陥っていた時、――――そいつは現れた。
大樹を押しのけるように現れたそれは、森という場所に相応しい風貌だった。
「くまモンきたーー!?」
ちゃんと利用許諾申請したの? そんな厳つい顔は指定デザインに無いよね? あれってホッペの赤丸の色調まで指定されてるんだぜ?
……いやいや、冷静になれ。
目の前のヤツは、黒い熊もどきであって愛らしさ皆無だし、大きさも全然違う。
全長三メートルはあるぞ。二足歩行してるから野生の熊とも違うし。
根本的に生物としての生っぽさが感じられないし。
こんな状況で現れるヘンテコな物体といえば――――。
「魔物、か?」
そんな非常識な見解が自然に出てくる。
非常識さが許される雰囲気が、この場には満ちていた。
…………さて、どうしたものか。
とりあえず魔物として認識してみると、自分でも不思議なくらいに落ち着く事が出来た。
現実感に乏しいからだろうか。
危機感が足りないのは日本人の欠点だと言われるが、この場合、冷静でいられる事はプラスに働くだろう。
――――選択肢は2つ。
逃げるか迎え撃つか。
どちらも飛躍的に向上している身体能力が頼りだ。
逃げる場合は、お互いの脚力を競べる事になる。
魔物を振り切るか、助けてくれる人を見つけるか、どちらにしろ此処から遠く離れる事になるだろう。
戦う場合は、相手の強さが不明なのが最大のネックとなる。
自分の戦闘能力も不明だし、経験も武器も無い。
魔物が逃げ出したり、「ハチミツ食べるかい?」なんて友好的に接してくれる可能性も考慮したいのだが。
「グガァァァァァ!!!」
雄叫びを上げ恐ろしい形相で突進してくる物体を前に、そんな希望的観測をする余地もありませんよ!
確かに俺はぽっちゃり系だけど、肉体のピーク過ぎてるし、引き締まった美味しい肉ではないと思うんだけどなぁ。
「……よし、戦ってみるかっ」
少し迷った後に、戦う事を選ぶ。
理由は幾つかある。
この迷子な状況で、数少ない所有物である車を捨てるのが惜しい事。
逃げ切れずに疲れた処を襲われて死ぬのは悔いが残る事。
身体能力が強化されているため気が大きくなっている事。
特に車は重要だ。
ここが元と異なる世界であった場合、来たときと同じ状況が戻る条件となる可能性がある。
戻れない場合でも、寝床として重宝するだろう。
他にはそう、最初に遭遇する敵は雑魚であるゲーム的お約束とかね。
……分かってる。こんなのは唯の言い訳だ。
――――俺は単に戦いたいだけなのだ。
それは、一度は夢見た異世界。超常的な力。明確な敵。
そして、困難に立ち向かい、絶望的な状況を打破する、さながら、英雄のように。
そんな馬鹿な誘惑に負けた俺は、自らを鼓舞するため、叫ぶ。
「うぅぉぉぉおおおお!!!」
そして――――。
うん。まず様子見だな。
樹木を盾にして、熊もどきの突進をかわす。
え? 正面から殴り合い? ムリムリムリムリかたつむりっすよ!
そう! 俺は信じている!
どんな状況であろうと、自分が頼りない事を誰よりも分かっているんだ!
「よっと! うわっと! あぶないっと!」
幸いなことに敵さんは旋回が苦手らしい。
スピードも大した事ない。
サイドステップで十分避けられるようだ。
直進力とパワーによるゴリ押しタイプといったところか。
そういえば幽霊も直進しか出来ないと聞いた事がある。あまり関係ないけどな!
「そろそろ反撃してみますか」
連続の回避成功で気を良くし、更に強化されてるらしい体の使い方にも慣れてきたので、ヒット&アウェイで攻撃してみよう。
グゴッ!!
体勢を崩した熊もどきの横っ腹に蹴りをかまし、反動でその場を離れる。
結構効いたようで、黒い巨体がよろめく。
いやー、これが本物のくまモン部長だったら懲戒免職ものですよ。
「やったか!?」
なんでやねん。
相手はまだ元気一杯なのに、何でその台詞言っちゃったの俺?
めっちゃ死亡フラグやん。
今度は後に回り込み、ヤクザキックをかましながら、一人でノリつっこみ。
精神的な余裕も出てきたようだ。
「もう一回っと」
鼻歌交じりに同じ攻撃を繰り返す。
魔物は学習能力が無いのか、こちらの動きに対応出来ていない。
「何とかなりそうだな」
やはり俺の身体能力は、かなり強化されているようだ。
だが油断出来ない。
確かに相手の攻撃は当たらず、こちらの攻撃は必中であるが。
「いい加減、ダウンしてくれないかなー」
何度蹴っても致命傷に至らないのだ。
モンスターだけに打撃には耐性があるのか、中々倒れてくれない。
俺の回避を重視した腰の引けた攻撃が温い所為もあるだろうが。
せめて諦めて帰ってくれないものか。
このままではジリ貧である。
体力にはまだ余裕があるが、それは相手も同じかもしれないし。
ならば、余裕があるうちに大技を決めるのが得策だろうか。
だが、大技は隙が出来やすい。
耐えられた場合には反撃を喰らう可能性が高くなる。
それに攻撃力は強化されているようだが、防御力には不安が残る。
敵さんのベアーナックルは威力が高そうで、空振りした諸手が大樹を深くえぐっている。
「武器も無いしなー」
逃げ回りながら周辺を捜してみたが、武器になりそうな物は落ちていない。
石を投擲するのも手だが、魔物を蹴った感じでは皮膚が硬く、石が当たっても砕け散るだけでダメージは少ないだろう。
そうなると、残された手段は――――。
「……やっぱり魔法かな」
樹木から出ている湯気のようなそれは、ファンタジーっぽく解釈すれば魔力…………みたいな力の源だろうか。
対峙する魔物も禍々しい魔力もどきを纏っている。
だが薄い。
樹木も魔物も薄い魔力しか放出していない。
対して俺自身を覆い尽くすそれは、戦い続けるにつれ広範囲に、そして色合いを濃くしていく。
樹木の爽やかな緑色の魔力と違い、悪く云えば魔物に似た禍々しい黒、良く云っても多くの色を混ぜたような魔力の坩堝。
これを力として使う事が出来れば、それは魔法と呼んで差し支えないだろう。
――――そんな、突拍子もない発想と歓喜に支配される。
「っーーーぁぁぁああああああ!!!」
バックステップで大きく距離を取り、右腕に魔力を集めるイメージで力を込める。
イメージ。そう、イメージだ!
そして思い出せ!!
子供の頃から、空想の物語が大好きだった。
いつか特別な力が使えると信じていた。
その思いは、『信じる』から『信じたい』へ、そして『願望』に変わり、成人して現実にどっぷり染まるにつれ、最後には『羨望』へと変貌していた。
……だけど残っている。
最初の『それ』と比べると、取るに足らない程小さくなり、形さえも変化してしまっているが、……それでも残っている。
生まれ落ちた世界では、特別な力など与えられるはずもない凡人だと痛感していた。
だけど、もし、……もしも、別の世界では違ってもいいんじゃないだろうか。
いや、それさえも烏滸がましい自惚れだろうが、何でも有りの可能性としての話なら、僕でさえも特別で在る事が出来る世界が有るのでは、と。
その世界でなら、特別な力を使えるのでは、と。
――――ゆっくりと、目の前に手の平をかざし、魔物を見据える。
僕は、信じて、いたんだ!
――――――そして、力が光となって飛び出し、魔物を包み込んだ。