死蔵喰らいと間違えない女 2/6
待ち合わせ場所で対面したのは、身なりがぱりっとした中年男と、その息子らしき少年と、二頭の馬に繋がれた馬車であった。
馬車の中からは人の気配がしないので、依頼主はこの男二人に違いない。
それが意味するところは、若い娘さんとの接触が一切期待できない仕事ってこと。
ここに来るまでは珍しくやる気があったのに、一気に失せてしまったぞ。
あー、空から美少女が降ってこないかなー。
「ドーモ、はじめまして。この度の依頼を担当する冒険者のクロスケ、ただいま参上でござる。にんにん」
受付嬢から渡された依頼書を掲げながら、簡単に挨拶をする。
「こ、これはご丁寧にっ。わたくしは商人のアルベールで、こちらは息子のマルケといいます。この度は依頼を受けてくださり、本当にありがとうございますっ」
「……よろしく、おねがいします」
依頼主のうち大人の方は商人だったようで、好意的に迎えてくれた。
もう一人の少年は、探るような目つきで見ているが、父親にならって頭を下げた。
「それで、クロスケさん以外のパーティーの方々は、遅れていらっしゃるのですか?」
「連れはいないでござるよ。拙者は仕事も私生活もソロを信条としている故」
「……お、お一人で活動されているとは、さぞかし経験豊富なのでしょうね?」
「拙者は本日冒険者に登録したばかりのピッチピチなド新人でござる」
「…………」
最初は歓迎していた彼も、質疑応答を重ねる度に段々と泣きそうな顔になっていく。
それでも文句を言ったりチェンジを申し出ないのは、自らが出した依頼の難しさを認識しており、誰であろうと受けてくれただけマシだと思っているからだろう。
節度ある態度を取れるのは、大人というよりも、それだけ苦労している証拠だ。
おっさんと仲良くするつもりはないが、少なくとも悪い印象は持たずに済んだな。
「なんだよ、それ…………」
しかし、息子の方はまだまだ人生経験が足りないらしく、悔しそうに唇を噛みながら俯いている。
直接俺に文句を言わないだけ、まだマシなのだろう。
噛んだ唇から滲み出る血の味はさぞかし苦かろう。
それが人生のほろ苦さだぞ、少年。
精々噛みしめろ。
「少年よ、大志を抱け」
「…………」
俺にしては珍しく男に対して励ます言葉を述べたのに、親の敵を見るような目で睨まれてしまった。
お前の父ちゃんは隣にいるぞ。
やっぱり、少年は駄目だな。
早く少女が降ってこないかな。
「拙者は冒険者としての経験は皆無だが、レベルはそこそこでござる。だから、そこそこ安心してくだされ」
「……そうですね。どうせわたしどもだけでは戦う力がありません。ですので、そこそこでも生き長らえる確率が上がるのならありがたい話です」
「そうそう、何事もそこそこが一番でござる」
「…………」
商人の男は、俺の適当な説得にとりあえず納得してくれたようだ。
息子はまだ不満そうにしているが、父親の意向に逆らうつもりはないのだろう。
依頼を取り下げられるのが一番時間の無駄だから助かった。
「ではでは、挨拶はこれくらいにして、すぐに出発するでござるよ。依頼書にはたいそう急ぐと書いてあった故」
「それはそうですが、まずは詳しい打ち合わせを行うべきでは?」
「委細承知の上、不要でござる」
「は、はあ、そう仰るのなら、さっそく――――」
かくして、簡単な顔見せだけで、記念すべき俺の初仕事は開始される運びとなった。
本当は依頼内容を理解していないのだが、これまでの会話から察するに、この親子の安全を確保しておけばいいのだろう。
事情も人情も過程さえも不要。
冒険者とは、結果さえ間違っていなければ、それでいいのだ。
たぶん。
◇ ◇ ◇
本当に辛いのは、絶望を味わうことではない。
絶望と希望を交互に何度も味わい続けることなのだと、アルベールは痛いほどに実感していた。
最初の絶望は、商売に失敗したこと。
借金の返済期限が迫り、払えなければ自分だけでなく、家族全員が奴隷落ちとなる。
自分と、妻と、息子と、娘の、四人全員が、奴隷に……。
最初の希望は、起死回生を図るために出向いた隣街で、利益を見込める商品が手に入ったこと。
これを自身が住む街に持ち帰り、想定どおりの値段で捌ければ、借金の返済はどうにかなる。
後はそう、急いで戻るだけ……。
二回目の絶望は、街と街を繋ぐ大切な橋が壊れ、安全なルートが使えなくなったこと。
返済期限は、明日まで。
それまでに帰り着かなければ、半ば人質として自宅に残っている妻と娘が容赦なく回収されるだろう。
男の奴隷は肉体的に辛いだけだが、女の奴隷は加えて精神まで蝕まれる。
奴隷落ちは、限りなく死と同義なのだ。
残された手段は、魔物が出現するスポット内を通る山道を駆け抜けるしかない。
そこには初級だけでなく中級ランクの魔物も徘徊しており、対面すれば死に直結する。
魔物の行動は不規則なので、運良く出遭わずに通り抜ける可能性もそれなりにあるのだが。
一か八かの賭けに出るのは、よほどの馬鹿か、阿呆か、死にたがり。
対策としては、冒険者を護衛に雇って守りを固めるしかない。
最上級のAランク冒険者であっても眉をひそめる内容であり。
十分な対価も用意できないため、当然見向きもされない依頼。
それ故に、死蔵案件。
無理を言っているのは、アルベールも重々承知していた。
だけど、それが精一杯だった。
引き受ける冒険者が現れなくても、息子と二人で特攻する覚悟であった。
家族全員が生き長らえる方法は、もう他に無いのだから。
そんな折に、二回目の希望が見えた。
最低限の報酬で最高難度の依頼を受ける物好きが現れたのだ。
……そして、すぐに三回目の絶望へと変わった。
依頼を受けたのは、たった一人。
黒ずくめの怪しい中年男で、しかも初心者だという。
冒険者に期待する頼りがいがまるで感じられず、茶化した態度で軽口を叩く。
安心できる材料を探すのは無理というもの。
乾いた笑いさえ出てくる絶望の中で、アルベールは馬車を走らせ、山道へと突入する。
せめて息子だけは隣街に残してくるべきだったが、本人がそれを望まなかった。
商人の子供として、妹を持つ兄として、懸命に役目を果たそうとしている息子を説き伏せる言葉を父は持っていなかった。
道中。
アルベールは必死に馬車を操作し。
息子は馬車の中で商品が傷つかないよう必死に押さえ。
残る一人は、馬車の上で寝そべる。
この場所が一番見渡しがいい、とは黒装束の冒険者の弁であるが。
どこまで信用していいのか怪しいもの。
絶望と希望を何度も繰り返したアルベールの感情は、既に麻痺していた。
頼りない助っ人を恨むつもりはない。
しがない商人の無謀な賭けに巻き込まれた彼は、運頼みの死地へと赴く。
道連れになれとは言わない。
対処できない魔物と遭遇したら、すぐに逃げてほしい。
彼だけでも、生き延びてほしい。
そして、我ら親子の死を冒険者ギルドに伝えてほしい。
そうすれば、残してきた妻と娘にも訃報が届くはずだから。
妻と娘には、資金調達が失敗したと分かったら逃げ出すよう伝えている。
借金取りの目を掻い潜るのは難しいだろうが、それでも生きることを諦めないでほしい。
不甲斐ない父親を恨みながら、最後まで足掻いてほしい。
今は絶望で真っ暗だとしても、いつか光りが見えるかもしれないから。
人生、山あり、谷あり。
運命の起伏を知り、妻と娘の幸せを望むアルベールは、自身にまで考えが及んでいなかった。
今は、絶望の真っ只中。
だけど、三回目の絶望の先には、三回目の希望があるかもしれないことを。
絶望と希望は、案外裏返しであることを。
荷馬車の上で寝転ぶやる気の無い中年男こそが、彼女が送り出したお墨付きの冒険者であることを――――。
◇ ◇ ◇
「なんだよ、それ……」
険しい山道を駆け抜ける荷馬車の中で。
激しく揺れる商品を必死に押さえながら、少年は憤っていた。
失敗したのは、自分の父親だ。
誰が一番悪いかと問われれば、やはり父になるだろう。
だけど、まだ挽回のチャンスはある。
父も諦めておらず、懸命に足掻いている。
自分だって、命懸けで手伝っている。
それなのに、冒険者ギルドは非協力的で、ようやく護衛が現れたと思ったら覇気が全く感じられなかった。
事の重大さを理解しようとせず、惰性で動いているような薄っぺらさが目立つ。
「なんでそんなに、やる気がないんだよ……」
八つ当たりしていることに、少年は気づけない。
それだけの余裕も人生経験も足りない。
ただただ、自分達に味方してくれない世間に対して怒りを抱く。
「父さん、がんばってっ」
後はもう、馬車を走らせる父親に賭けるしかない。
魔物が出てくる前に、急いで駆け抜けるしかない。
護衛役の冒険者は頼りにならないから、残された道は運任せ。
どうか、どうかっ――――。
◇ ◇ ◇
「――――やっ、やった! 無事に帰ってこれたんだっ!!」
数時間の時を経て。
少年は、割とあっさり到着した事実に戸惑いながらも、父親の頑張りと幸運に感謝した。
魔物がどれほど危険でも、出遭わなければ怖くない。
全速力で走る馬車の速度に追いつけなかったのだろう。
魔物なんて現れなかったのだ。
父親と自分は、一世一代の賭けに勝ったのだ!
「本当にありがとうございました! このご恩は一生忘れませんっ」
「拙者は任務を遂行しただけでござるよ。それよりも、早くギルドに報告したいので、依頼達成後のサインを頂戴したいでござる」
少年が馬車から降りて喜びを噛みしめていると、父親と黒装束の冒険者が別れの挨拶を交わしている姿が見えた。
魔物は現れなかったから、護衛の出番なんてなかったのに。
何もせずに感謝され、さらに報酬までもらえるなんて、冒険者って案外楽な仕事なんだな、と少年は唇を曲げる。
「ではでは、拙者はこれにて。……少年も達者でな。御免!」
そう捨て台詞を残し、黒装束の冒険者はそそくさと去ってしまった。
おちゃらけた態度は、最後まで変わらなかった。
「父さんっ、あんな不真面目な奴に、そんなにヘコヘコしないでいいだろう?」
「失礼なことを言うんじゃない。あの方のお陰で我々は無傷で、しかもこんなに早く到着できたんだぞ」
「運が良かっただけじゃないかっ。けっきょく魔物が襲ってこなかったんだから、あんな奴がいなくても同じだったよっ」
「…………そうか、お前はずっと荷馬車の中にいたから、気づいていなかったんだな」
「え?」
「魔物は、現れたぞ」
「ええっ?」
「しかも、十体は超えていた。やはり、おれの商運は最悪のようだ」
「そんなっ、だってっ!?」
「お前が最後まで気づかなかったのも、無理もない。魔物が姿を現した瞬間に、あの方が退治していたのだからな」
もしそれが本当だとしたら、襲われる前にどころか、魔物が雄叫びを上げる時間さえ与えず瞬殺していたことになる。
「う、嘘だよっ、そんなのっ」
「魔法で攻撃していたのか、武器を使っていたのか、あまりにも速すぎてよく分からなかったが、あの方が全部倒したのは違いない」
「……あっ、そうかっ、レベル1の弱い魔物ばかりだったんだよねっ!」
「確かに下級も混じっていたが、中級が多くて、一番高いランクは6だった。消滅する直前に鑑定アイテムで見えたから、間違いない」
「ランク6!? …………冒険者って、そんなに強いの?」
魔物のランク6は、人類のレベル60に相当する。
対して、冒険者のレベルは良くても30程。
レベル差は技能でもカバーできるが、それにしても地力の差が大きいはず。
「おれは以前に冒険者が戦っている様子を見たことがあるが、数人がかりでランク5の魔物をようやく倒していたよ」
「それじゃ、どうやってっ」
「おそらく特殊な魔法やアイテムを使っていたのだろうが、世の中には凄い人がいるのものだな」
「…………」
子供にとって、仕事に励む父親は尊敬の対象だ。
今回はたまたま失敗してしまったが、敬う気持ちは薄れていない。
そんな一家の大黒柱が畏敬の念を向ける相手。
やる気のない、冒険者。
「なんだよ、それ…………」
少年はまた、唇を噛みしめて俯く。
今度はもっと強く強く噛みしめて。
「だったらなんで、強そうにしないんだよっ。偉そうにしないんだよっ。威張りちらして、恩着せがましくふんぞり返ってればいいのにっ!」
「……それが、大人の仕事というものだ」
理解と感情が追いつかない息子の頭を優しく撫でながら、父親は諭す。
「お前が言ったように、運良く魔物に見つからなくても結果は変わらなかった。強くても弱くても、上手くやれても下手をこいても、成功することもある」
「…………」
「大切なのは、自分が受け持った仕事を遂行しようとする真摯さだ。あの方は、高価なドロップアイテムには脇目も振らず先を急いでくれた。こちらが出した依頼を完璧に達成してくれたんだ」
「…………」
「だけど、仕事を最後までこなすのは、大人にとって当たり前のこと。だからあの方は、何も言わずに立ち去ったんだよ」
「…………」
「一度失敗したおれが説教できることじゃないのかもしれない。でも、だからこそ、息子のお前には失敗してほしくない。仕事だけでなく、誰に対しても真摯であってほしい。そうすればお前も、あの方のように立派な大人になれるはずだ」
「――――うん」
少年は、強く頷き、顔を上げた。
いずれ父親の跡を継いで商人になれば、また冒険者ギルドに依頼する場合もでてくるだろう。
冒険者である彼とも、再会する機会があるはずだ。
その時、今の情けない姿を見せるわけにはいかない。
次は、一流の冒険者に見合う依頼料を用意してみせる。
今回の足りなかった分まで、上乗せして払ってみせる。
必ず、対等な関係になってみせる。
そして今度こそは、ちゃんと名前で呼ばせてみせると、マルケは心に誓った。