お嬢様とメイドの奮闘記⑭/お嬢様タンとメイドタン
「……あら? いつもの味とは違う感じがするわね?」
オクサードの街を統治する領主家の長女――――ソマリは、家族とのディナーの最中、ふとそんな感想を述べた。
「そうかしら、いつもと同じだと思うわよ?」
「ああ、俺もそう思うぞ」
「僕も今までと変わらない味付けだと思いますよ、姉上」
ソマリの意見は、母親と父親と弟の全員から否定された。
長女が変な話をするのはいつものことなので、対応も手慣れたものだ。
「調理方法で変えたところはないの?」
負けず嫌いのお嬢様は納得せず、配膳係のメイドに問い掛ける。
「いいえ、そのような話は聞いていませんが……」
だが、申し訳なさそうに返答するメイドの言葉に嘘は感じられない。
「料理には違いがないのだとしたら…………」
味方を得られないソマリは、首を傾げながら考え方を改める。
そして、口を開くと、とんでもない爆弾発言を投下した。
「変わったのは、私の味覚かもしれないわね」
「「「――――っ!?」」」
「大人になると苦い料理やお酒も平気になるって聞くから、それと同じかもしれないわね」
「「「…………」」」
「つまりこれは、私が素敵なレディに成長した証拠じゃないかしら」
「「「…………」」」
ソマリは頷きながら一人で納得しているが、同意する声が返ってこない。
彼女を除く全員がギョッとした顔をして固まっている。
「え? どうしてみんな、驚いた顔をしているの?」
「…………」
「私、そんなに変なことを言ったかしら?」
「ソ、ソマリ…………」
「どうしたの、お父様?」
沈黙に耐えきれなくなった父親が、恐る恐る問い質す。
「お前、もしかして、妊娠したのか?」
「――――え?」
この日、領主家は、先に起きた襲撃事件に負けずとも劣らない大騒ぎとなった。
◇ ◇ ◇
「そんなことがあってね、すっごく大変だったのよね」
「…………」
「私のような貞操観念のしっかりした淑女が結婚もせずに妊娠しただなんて、誤解にも程があるわよね」
「…………」
「しかもお父様ったら、その相手が旅人さんだと決めつけてしまってね」
「…………」
「あのまま放っておいたら、お父様は旅人さんを斬り殺す勢いだったわね」
「…………」
「本当に危なかったのよ。だから、お父様を説得して止めた私に感謝してよね、旅人さん?」
「…………」
何してくれちゃってんのお、この小娘。
謝意どころか殺意しか湧かないのだが。
本当にこのお嬢様は、頭に虫が湧いているんじゃなかろうか。
「頭が痛いってのは比喩表現じゃなくて、本当に頭痛を感じるようになるんだな」
指先でこめかみを押さえながら、深々と溜息をつく。
ここは、宿屋の一室を借り切った俺の自室、ではない。
多くの一般人が行き交う街中、である。
いつものように散歩していたら、お嬢様とメイドさんのカツアゲコンビに絡まれ、俺の部屋で話したいと言われたので断固断ったら、あろうことか往来の真ん中で語りはじめやがった。
「貞操」だの「妊娠」だの「斬り殺す」だの物騒なキーワードを耳にした通りすがりの人々が、立ち止まってこちらを見ながらこそこそと話している。
ようやく婚約者騒動が記憶から薄れかけていたのに、見事にぶり返してくれちゃってよぉ。
ほんと、どうしてくれようか。
「なあなあ、お宅のお嬢様をどうにかしちゃいたいんだが、どうすればいいと思う、メイドさん?」
「ワタシのことは、どうかエレレとお呼びください」
ほとほと困り果てた俺は、お嬢様の隣で眉間にシワを寄せているメイドさんに助けを求める。
俺は最高級の翻訳アイテムを使っているので、会話による行き違いは極力少ないはずなのに、別次元で生きてるような変人を言葉で説得するのは極めて困難。
今までは穏便に済ませようと我慢してきたが、我慢強いと評判の俺もさすがに限界が近づいてきたぞ。
「グリン様、暴力的な制裁だけはご勘弁ください。いざとなれば、ワタシがその役目を担いますので」
俺の企みを察したメイドさんが、やんわりと制止してくる。
彼女は一応護衛として雇われた身だから見逃せないのだろう。
ちっ、お嬢様め、命拾いしたな。
「だが、そろそろ真面目に手を打たないと本当に手遅れになりそうだぞ。主に俺の立場が」
「……聞く耳を持たないお嬢様に何を言っても無駄でしょう。ここは本人が自覚できるよう仕向ける方がよろしいかと」
「聞き分けのない子供を叩いて躾けるよりも遙かに難しそうだが、具体的な策があるのかな?」
「たとえばですが、メイド服が似合う女性と結ばれて子供に囲まれた幸せな家庭を見せつければ、いかに空気が読めない残念なお嬢様でもグリン様に執着しなくなるはずです」
「なるほど、それは妙案かもしれないな。この際、疫病神のお嬢様との悪縁を切れるのなら、もう何でもいい気がしてきたぞ……」
「では、その役目はワタシが――――」
「ちょっとっ、二人して本人の目の前で堂々と悪口を言わないでよっ!」
おっと。
お嬢様から発せられた怒鳴り声で目が覚めた。
どうやら俺は、自暴自棄になっていたようだ。
ふー、あぶないあぶない。
あやうく甘党なメイドさんの甘い言葉に囚われるところだったぜ。
「…………」
「な、なによっ、私を口実にして旅人さんに迫ったエレレが悪いんでしょっ」
作戦を邪魔されてお怒りのメイドさんに、お嬢様が及び腰で反論している。
相変わらず仲がよろしいことで。
お嬢様への報復は大事だが、ひとまず置いといて、先に確認しておくことがある。
「それよりも、お嬢様よぉ、本当に誤解は解けたんだろうなぁ? 本当に領主様が剣を抜いて襲ってきたら、俺は自慢の逃げ足で街の外へ避難して、もう二度と戻って来なくなるぞ?」
「大丈夫よっ、旅人さん。お父様が早とちりしただけだから、ちゃんと説明したら納得してくれたわよ」
そもそも誤解される立ち位置に俺が置かれている現実こそが問題なのだが。
今更ながら、無職で住民票さえ持っていない中年男が、どうして貴族のお嬢様と浮き名を流す関係になっているのか謎である。
「それで、味覚が変化した原因は俺じゃないのは当然として、いったい誰が原因なんだ?」
「誰って、どういうこと?」
「だから、いったい誰に妊娠させられたんだ?」
「誰ともしていないわよっ。れっきとした乙女なんだからっ」
もちろん分かっている。
お嬢様の口から聞きたかっただけ。
「――――って、なに言わせるのよっ!?」
俺の罠にまんまと嵌まったお嬢様は、街中で処女宣言してしまい顔を真っ赤にしている。
これには処女厨もニッコリ。
ほら、ギャラリーも生温かい目で微笑んでいるぞ。
風俗で世話になった俺はユニコーンではないが、もしもお嬢様が生娘じゃなかったら、世界中の女性を信じられなくなっていたかもしれない。
「もうっ、旅人さんのせいでとんだ恥をかいちゃったじゃないっ」
今まで散々、婚約者だの妊娠だの叫んでいたくせに、何を今更。
お嬢様の恥じらいポイントがよくわからない。
俺を貶めるためなら平気だが、自分だけが注目されるのは嫌なのか?
全く以て傍迷惑なお嬢様である。
「……じゃあ、そういうことで」
「ちょっと待ってよ。話はまだ終わっていないでしょ。むしろこれからが本題なのよっ」
いやいや、もう十分疲れたから勘弁してくれ。
これ以上気の滅入る話を聞かされたら、ストレスで死んでしまうわ。
状態回復薬って、ストレスにも効くのかな。
今度試しておこう。
「はいはい。最後まで付き合えば満足するんだろう。……それで結局、原因は何だったんだ?」
半端にしておくのも不味そうな話題だから、一応片付けておくか。
「それがね、よくよく考えたらやっぱりね、旅人さんが原因だったのよ」
「――――」
メイドさんが無表情のまま、首だけをぐりっと動かし、俺の顔を見てくる。
誤解ですから、怖いですから、こっちを見ないでくれ。
しかし、先ほど妊娠が原因ではないと自ら言ったはずなのに、結局俺のせいとはこれいかに?
処女受胎だとしても、俺は関係ないはずだよな?
「そろそろ誤解を招く言い方はやめて、真面目に答えてほしいのだが」
俺を困らせたいお嬢様は、わざと誤解させるために言っているのだろうけどな。
「せっかく盛り上がってきたのに、せっかちな旅人さんね」
「……あー、何だか無性に柔らかい物を引っぱたきたい気分になってきたなー。おー、ちょうどいいところにいい音しそうなほっぺたがあるなー」
「わ、分かったから素振りするのは止めてよね。まったくもう、旅人さんは結婚の話題になるとすぐ怒るんだから。……実はね、私が自宅の食事の味が変わったと感じたのは、舌が肥えたからだったのよ」
お嬢様は、可愛くぺろっと出した舌を指差しながら、真実を告げた。
ちょっと可愛いのが本当にむかつく。
「……なるほど、それは確かにグリン様が原因、になるのでしょうね」
その言葉の意味するところをいち早く察したメイドさんが、大きく頷いて同意する。
彼女も同じ体験をしているのでピンときたのだろう。
「つまり、俺の部屋に押しかけて無理やり提供させている料理が美味しすぎて、それに舌が慣れてしまい、これまでの料理だと物足りなく感じてしまったのか……」
「その通りなのよっ。ねっ、だから旅人さんのせいでしょ、ねっ?」
ね、じゃねーよ。
全て自業自得じゃねーかよ。
全て俺が被害者じゃねーかよ、ね!
「そういうわけで、旅人さんがいないと満足できない体になったから困っているのよね」
お嬢様は両手を頬にあてながら体をくねくね動かし、ふしぎなおどりを踊っている。
SAN値が削られるから止めてほしい。
「正直、不満ばかりが膨れあがる説明だったが、お嬢様が主張したいことは一応理解したぞ。……それで、俺にどうしろと?」
「だから、それを一緒に考えてほしいって相談しているのでしょう?」
察しが悪いわねー、ってな感じでお嬢様が頬を膨らませた。
なぜ一番の被害者である俺が批難されにゃならんのだ。
「そう言われてもなぁ……」
ようやく俺のターンが回ってきたので、協力するフリをしながら、どうやって報復するか考える。
今回は全面的にお嬢様が悪いはずだから、きっついお仕置きをしないと気がすまない。
「だが、俺の料理が原因なら、エレレ嬢にも同じ症状が出ているはずだが?」
考える時間稼ぎがてらに、思いついたことを聞いてみる。
「いいえ、ワタシはそれほど気になりませんでした」
「エレレは甘い物以外はどうでもいいものね。それに貧乏貴族である我が家には、お菓子なんて出てこないから比べようがないものね」
そう言われてみれば、メイドさんの舌は甘ければ何でもいい馬鹿舌っぽいからな。
毎回俺が大量のお菓子をプレゼントしているから、毎日のストックにも困らないだろうし。
「…………」
残念な味覚を馬鹿にされたメイドさんがお嬢様を睨んでいるが、自覚があるので言い返せないでいる。
お嬢様の陰に隠れて目立たないが、メイドさんも大概だからなぁ。
だがまあ、これで主人に危害を加えても、護衛役の彼女は止めないだろう。
今のお嬢様に味方はいない。
さあ、報復の開始だ!
「……そうだな、この問題を解決するには、三つの方法があるだろう」
「私を助ける方法を三つも見つけてくれるだなんて、さすがは舌が回る旅人さんねっ」
それ、褒め言葉じゃないよな?
「とにかく、その三つの中から好きな方法を選ぶといい」
「分かったわ」
お嬢様は、俺の提案に深く考えず了解してしまった。
すぐに後悔するとも知らずに。
「よし、まず一つめは、俺の部屋で料理を食べるのを止めること、だ」
「ええっ!? それだと意味ないじゃないっ!」
「原因を無くすのが最も簡単な解決策だろう? 舌が肥えたといってもまだ日が浅い、いわばグルメ界の新参者にすぎない。元の食生活に戻れば、味覚もすぐに戻ってくれるだろう」
「でもそれだと、旅人さんの部屋で食事会をしている時に、私は何を食べればいいのよっ」
「何も食べない、ってのはさすがに可哀想だから、お嬢様だけ別メニューを用意しよう」
「別メニューって、どんな内容になるの?」
「高級食材をふんだんに使った健康的な献立にするから、安心していいぞ。ただし……」
「た、ただし?」
「無味無臭の料理だけどな」
「そんなの食べる意味がないでしょうっ!?」
何を言う、食の基本は健康のためなんだぞ。
贅沢に慣れてしまった現代っ子はこれだから困る。
「もしかして、お気に召さないのか?」
「却下よっ、断固却下するわっ」
残念。
これが一番まともな解決策だったのに。
「では、二つめだ。これは解決策というより、毒を食らわば皿まで作戦だな」
「ど、どく?」
「外食メニューに毒された味覚を直す気が無いのなら、いっそのこと自宅で食べる料理も同じ内容にしてしまえばいい」
「えっ、それってまさかっ」
「そう、俺が領主家に食事を提供するって方法だ」
食べ過ぎも体に毒だが、それは知ったことではない。
俺に課せされた問題は、お嬢様の味覚に対する不満を無くすことなので、それ以外はどうでもいい。
「いいわねっ、とっても素敵な解決策だわっ。……でもそれって、旅人さんが毎日私の屋敷にご飯を作りに来てくれるってことなの?」
「無職の俺もそこまで暇じゃない。だから、事前に作った料理を収納用アイテムに保管し、それを提供する格好になるだろう」
「そうよね、旅人さんとはまだ婚約していない間柄だから、屋敷に住んでもらうのはまだ早いわよね」
まだも何も、そんな未来は一切予定されていませんが。
もしかしなくても、俺に構ってくるのは料理ができる家政夫が欲しいだけなのでは?
それはそれで一抹の物悲しさ感じる自分が恨めしい。
「今度はお気に召したようだな。それじゃあ、後は交渉次第か」
「えっ、交渉って、何を?」
「決まっているだろう、提供する料理の値段、だよ」
「うっ、そ、それは、確かに……」
ジャイアニズムなお嬢様も無料でよこせとは命令できないらしく、現実問題を突きつけられて青い顔をしている。
人の世は金で回ってるんだぞ。
「お嬢様だけならともかく、領主様も食されるのだから、ぼったくるつもりはない。……そうだな、お嬢様一家は四人家族だから、朝昼晩の三食で一日当たり金貨一枚、ってところだ」
「金貨っ!? 一枚っ!? 毎日がっ!?」
「そんなに驚かれても困るが、上等な外食レベルを求めるのなら、むしろ安いくらいだぞ?」
「で、でもっ、私の毎月のお小遣いが金貨一枚なのよっ。それなのに毎日金貨が必要だなんて、いくらお父様でも払えるわけないわよっ」
お嬢様が拳を握りしめて力説してくるが、本当に最低ラインの価格なので、これ以上は譲りようがない。
住民に優しい税率を心がけている領主様だとは聞いていたが、さすがに清貧が過ぎませんかね。
街の代表なんだから、余所から舐められないよう、もうちょっと贅沢しても良いと思うぞ。
「どうやら、二つめの案も駄目だったようだな」
「ううっ、今ほど金持ちな大貴族を妬ましく思ったことはないわ」
それ、一般人の前で言っちゃ駄目な台詞だぞ。
コルトなんて、平均日当が銅貨五枚って言ってたし。
でも、そうかー、前の二つの案は却下かー。
比較的まともな案だったのになー。
後は一つしか残っていないなー。
「ならば仕方あるまい。原因を解消するのは駄目、後のフォローするのも駄目だとしたら、根本的に解決するしかないよな?」
「うえっ!?」
そう言って、にっこり笑いながら近づくと、お嬢様が少し怯えた表情で後ずさる。
優しい俺が優しい笑顔で優しい打開策を提供しようとしているのに、失礼なお嬢様だ。
「どうして逃げようとするんだ、お嬢様よ?」
「だ、だって、いつも愛想の欠片も無い旅人さんが急に笑顔になると怖いのよっ」
「お嬢様の悩みを無くそうと頑張っているのに、酷い言い草だなぁ」
「……根本的に解決するって、いったいどうするつもりなの?」
「別に難しい方法じゃない。俺の地元には、『舌切り雀』ってお伽噺があってな」
「そ、それってまさかっ」
「そう、タイトルどおりに悪戯した雀が罰として舌を切られるって話だ」
「私は悪戯なんてしてないわよっ」
「ほほう? 事ある毎に領主様の誤解を招き、俺の善良なイメージをぶち壊したのは何処の誰かさんだったかなぁ?」
「諸悪の根源である旅人さんが善良なわけないでしょうっ!」
「やっぱり、悪口ばかりを言う舌は切り取った方が良さそうだなぁ。それに、舌が無くなれば味も感じなくなるから、お嬢様の悩みも根本的に解決されるよなぁ」
「ひうっ!?」
磁石の同じ極が反発しあうように、俺が前進すると、お嬢様は後ずさる。
だけど、街中の狭い通りではすぐに行き止まり、お嬢様の背中は建造物とぶつかる。
慌てて横に逃げようとするが、俺の両腕が通せんぼ。
……人生初の壁ドンの相手が、まさかお嬢様とは思わなかった。
「お嬢様は、黙っていれば可愛いと思うぞ」
「えっ――――かはっ!?」
お嬢様が口の形を「え」にした瞬間、素早く右指を突っ込んで、舌を引っ張り出す。
母音の中で舌が一番前に出るのは「い」だが、口が閉じた状態なので指が入らない。
だから、口が開き、なおかつ舌が前方に出る「え」の時が掴みやすい。
お嬢様タン、ゲットだぜ!
「ふむ、お嬢様の舌は二枚あると思っていたが、残念ながら一枚だけのようだな」
「う゛ー、う゛ーっ」
「赤くて艶がある。コリコリして活きもいいから、噛み応えがありそうだ」
「へぐっ!?」
親指と人差し指の間から、ぬめっとした感触が伝わってくる。
いかに穢れなき少女だとしても、唾液に興奮する高尚な趣味はない。
でも、うーうー言いながら舌を弄られびくんびくんするお嬢様は最高に可愛い。
「あの大人しい牛のタンがあれだけ美味いのだから、元気すぎるお嬢様のタンはもっともっと美味いのだろうなぁ?」
「――――っ!?」
少女の舌が抜き取られる連続事件が発生したら、きっとそれは牛タン好きの犯行であろう。
そんな猟奇的な趣味に目覚めそうなほど、お嬢様の怯える表情にはそそられるものがある。
「この世の全ての食材に感謝を込めて、いただきます!」
「ぎやーーーっ!!!」
新鮮な生のまま食べようと、大きく口を開けて接近したら、お嬢様は顔を真っ青にして全力で暴れだし、なり振り構わず脱出してどこかへと逃げてしまった。
壁ドンしながら相手の舌を掴むと隙が生じるらしい。
次回は逃げられないよう反省を活かそう。
「これで少しは気が晴れたかな。お嬢様もワイルドな男の危険性を再認識したはずだし、これに懲りて俺から離れてくれればいいんだが……」
ゴキブリ並にしぶとく、ニワトリ並に物忘れが激しいお嬢様だから、すぐに復活してしまうだろう。
この程度で解決するのなら、苦労はしない。
「……もしかして、少々やり過ぎただろうか?」
冷静に振り返ってみるとセクハラに見えなくもないので、俺のすぐ傍で待機しているメイドさんに聞いてみる。
っていうか、メイドさんはお嬢様の護衛役だよな?
主人を放置していいのかと思うが、別の護衛もいるはずなので問題ないのだろう。
「お嬢様には、良い薬になったでしょう。ですが……」
メイドさんは俺の味方をしてくれるが、若干言い淀んでいる。
「何か、別の問題でも?」
「はい、大変言いにくいのですが、泣き喚きながら走り去るお嬢様を目撃した街の人々や領主様が、どのような反応を示すのか気になりまして」
「あっ――――」
駄目じゃん。
お嬢様と話す前より悪化してるじゃん。
お嬢様弄りがあまりにも楽しかったから、頭から抜けてしまっていた。
「ま、まあ、街の噂は今更だから仕方ないとして、領主家の皆様にはエレレ嬢の方から適当に誤魔化しといてくれないか?」
「承りました。ですが……」
おいおい、追い打ちの重ねがけは勘弁してくれよ。
「まだ、何かあるのか?」
「はい――――ワタシの舌は、食べていただけないのでしょうか?」
メイドさんはそう言うと、本当にぺろっと舌を出して近づいてくる。
無表情のまま赤い舌を出し迫ってくるその姿は、可愛いさを通り越して恐いんですけど。
「…………」
俺は、思わず後ずさってしまった。
だけど、彼女は、歩みを止めようとしない。
どうしても俺に、舌をコリコリされたいらしい。
もしかして、舌が性感帯なのだろうか。
初めて対面したあの時に舌を弄ばれる快感を覚えてしまったのだろうか。
だとしたら、俺が責任を取らなくてはならない。
「どうぞ、お召し上がりください」
そういえば、牛にチョコレートなどのスイーツを与えると、濃厚で柔らかな肉質になると聞いたことがある。
これが本当であれば、お菓子ばかりを食べているメイドさんのタンは極上品だろう。
貧乏飯ばかり食っているお嬢様なんかより、ずっとずっと美味しいだろう。
メイドさんのタン、すなわちメイドタンとして売り出せば大ヒット間違いなしだ。
「…………」
メイドとメイド服とメイドタンが誘う。
蠱惑的な雰囲気に飲まれた俺は、誘われるがまま手を伸ばす。
そして、その指先が、メイドタンに触れ――――。
「――――っ!?」
口を押さえたメイドさんは、声にならない悲鳴を上げ、おそらく水場を探して走り去ってしまった。
ふう、危ない危ない。
ギリギリで理性を取り戻し、とっさに指先でワサビを出現させていなかったら、俺の方がぱくりと食べられていたかもしれない。
メイドタンは色んな意味で危険である。
「ふうっ、今日もどうにか乗り切れたようだな」
「「「………………」」」
日に日に手強くなっていくお嬢様とメイドさんコンビに辛うじて勝利した俺は、安堵の溜息をついた。
農作物の天敵である害虫に同じ農薬を使い続けると薬剤抵抗性を獲得されて効果が薄まってしまう。
これと同様に、あの二人を撃退し続けるためには、俺も新技を開発しなければならない。
イタチごっこ、というより、もはや袋小路。
いつか来る約束された敗北から目を背けるように先延ばししているだけ、なのかもしれない。
「たとえ、時間稼ぎだとしても、俺にはまだ余裕が足りない」
「「「…………」」」
「だから、今は、目先の恐怖から逃げるだけで精一杯なんだよ」
「「「……」」」
俺は、そう呟くと、走り出し、お嬢様とメイドさんを泣かせた犯人を捕まえようと迫ってくる暴徒から全力で逃げるのであった。