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三大宗悪




 人が持つ、慣れという特技。

 以前は、逞しくも悲しい習性だと思っていた。

 だけど今は、少し違うように思えるようになった。

 慣れとは、心の許容量が増えた証し。

 余裕の表れでもあるのだ。


「……ちょっと旅人さん? 私の話、ちゃんと聞いているの?」


 拗ねたように口を尖らせながら、お嬢様が俺の顔を見上げている。

 そんなあざとい仕草も、今なら笑顔で対応できる。

 オクサードの街中を歩いていると高確率でやって来てひたすら話しかけてくる鬱陶しささえも可愛く思えるから不思議である。


「すまんすまん、少し考え事をしていてな」

「年下の可愛い女の子が話しかけているのに、上の空だなんて失礼な話よね」


「いやいや、確かに話は聞いていなかったが、お嬢様のことを考えていたんだぞ」

「えっ、そうなのっ!? 旅人さんがっ!? 本当にっ!?」


「まじまじ、この頃さ、お嬢様が笑っているところを見ると、ふつふつと沸き上がってくる想いがあるんだよ」

「それって、私が大好きってことじゃないっ!?」


「笑顔のお嬢様を見ていると、会話途中にいきなり頬を引っぱたいてビックリした顔を見たくなるんだ!」

「それって、私が大嫌いってことじゃないっ!?」


 そう、無邪気に笑うお嬢様を見ていると、何だか無性に裏切りたくなる。

 親愛の情を寄せてくる彼女にビンタしたら、いったいどんな表情になるのだろうか?

 そんな素朴な疑問を感じてしまうのだ。


「別に嫌いじゃないぞ。これも立派な愛情表現の一つだぞ」

「いきなり引っぱたくのがどうして愛情になるのよっ!?」


「大人になると色んな趣味に目覚めるものなのさ」

「……私、大人になるのが怖くなってきたわ」


 心に余裕が生まれてくると、新たな世界が見えてくる。

 新たな世界は、自分の中に眠っていた新たな可能性を呼び起こしてくれる。

 静寂な中にあって、時折聞こえてくる雑音を楽しむ。

 わびさびって、こういうこと。


「大丈夫大丈夫、俺は良識ある立派な大人でもあるから、いくらお嬢様とはいえ急に引っぱたいたりしないさ」

「何だか引っかかる言い方だけど、旅人さんにもまだ常識が残っていたようで助かったわ」


「そうそう、ちゃんと本人に許可を取っておけばいいんだよな。だからお嬢様、今後は急に引っぱたくかもしれないけど問題ないよな?」

「……そうよね、やっぱり旅人さんはまともな大人じゃないわよね」


 残念ながら、どれほど真摯にお願いしても、極上のお菓子をプレゼントしても、素直に現金を払おうとしても、お嬢様は首を縦に振ってくれなかった。

 なんだよー、ちょっと頬が赤くなるくらい我慢できるだろうがよー。

 その後すぐに回復薬をぶっかけるから傷も残らないし。

 ケチなお嬢様だな、まったく。


「まったくなのは旅人さんの方よ、まったく。旅人さんは一度、穏健派の宗教にでも入って悔い改めるべきだと思うわ」


 ふむ、神は知っていても男は知らない無垢なシスターと懺悔室で懺悔プレイとは罪深い。

 笑っているお嬢様を引っぱたきたい衝動とも似ている気がする。

 今度真面目に探してみよう。


 それはともかく、穏健派って言葉が出てくるってことは、過激派の宗教も存在するってこと。

 正直知りたくもない分野だが、危険から身を守るためには知識も必要。

 ついでなので、異世界の宗教事情について聞いておくか。



「宗教といえば、この街ではどんな派閥がブイブイ言わせているんだ?」

「ここは色々な種族が集まる冒険者の街だから、個人個人が生まれ故郷の神を崇めている場合が多いわね。街全体としては、戦の神が主流になっているわ」


「なーんだ、案外普通なんだな」

「旅人さんはこの街にどんな印象を持っていたのよ?」


「強面ドワーフや戦闘メイドや脳筋巨人族が棲息するやべー街だから、強奪上等を信条とする狂信者の集まりだと思っていたんだがな」

「すごい偏見もあったものね」


 俺の言葉を冗談だと思ったようで、お嬢様が呆れ声で溜息を吐く。

 オクサードの街を牛耳るやべー宗教団体の宗主様が実はソマリお嬢様その人だったとしても、俺は驚かないのに。


「偏見うんぬんについては議論の余地が残るが、俺はこの世界の宗教事情に詳しくない。そんなわけだから、無駄に詳しそうなお嬢様の無駄知識に耳を傾けるのもやぶさかではないぞ」

「偉そうにしている相手に教えるのは癪だけど、旅人さんが下手に関わると人類が滅亡しそうだから、しっかり教えておいた方がよさそうだわ」


 ははは、大丈夫さ。

 俺は神に興味を持っていないし、頼らず済むように力を集めたのだから、宗教団体と関わる機会なんてそうそう無いはず。 


「そうね、一々掘り下げても切りが無いから、目立った動きを見せている団体について説明するわね」


 したり顔のお嬢がうざい。

 話して聞かせるとうざいし、自分で話させてもうざい。

 もしかしてこいつ最強なのか?


「そうねぇ、ここ最近で一番話題になったのは、やっぱり水の都ヴァダラーナと炎の教団との抗争よね」

「……へー?」


 おっと、油断していたらいきなり聞き覚えがある名前が出てきたぞ。

 平常心平常心。


「勝ち残った水の都は勢力を伸ばし、宗教界隈で強い発言権を持つようになっているわ。三大宗悪の一つである悪名高い炎の教団を文字通り跡形も無く滅ぼしたのだから当然よね」

「へー、へー」


 反応するな、俺。

 気取られたら骨の髄までしゃぶりつくされるぞ。


「水の都は本物の神に守護されていると噂だけど、どうやって炎の教団を消滅させたのかを含めて謎のままなのよ」

「へー、ほー、ふーん」


「世の中には旅人さん以上の不思議が転がっているのかもしれないわね?」

「うーん?」


 ふっと笑ったお嬢様は、遠くを眺めるように視線を外した。

 自分の世界に入っている感じでうざい。

 それとも、馬鹿な振りして鎌を掛けているのか?


「それとね、最近注目を集めているのが、自然崇拝教って団体よ」

「…………」


「聞くところによると必中の災害予知だけでなく、不思議な魔法を使って人助けしているそうよ。実際に見える形で世に貢献している宗教もちゃんとあるってことよね」

「……かもな」


 たまにお嬢様は全部お見通しで俺をからかっているのではと思ってしまう。

 怒らないから、読心術ができるのなら正直に言ってみ?

 もし本当に俺の心が読めるのなら、痛みを感じさせずあの世に送り届けるからさ。


「ぐへへ」

「……?」


 お嬢様が小汚い山賊に無茶苦茶にされる姿を想像してみたが、本物は反応しなかった。

 どうやら、読心術は会得していないらしい。

 しかし、奇天烈スキルを持つお嬢様だから油断できない。

 彼女が本当に心を読める力を得た時が、お別れの瞬間だろう。


「どう、旅人さん、参考になるかしら?」

「ああ、すっごく身につまされる話だったぞ。……それで、他にもあるのかな?」


「他に話題になっているのは、美食組合っていう異常なまでに料理を崇める団体ね」

「…………」


「信仰対象が料理だから実害は無いみたいだけど、幹部全員がとびっきりの有力者で絶大な影響力を持っているって噂だわ」

「……なるほど?」


 あの組織って、宗教団体扱いだったのかよ。

 食事が制限されている宗教も多いから、両者は密接な関係なのかもしれない。


「旅人さん以外にも料理に拘る人がこんなにもいるなんてビックリだわ。でも、美食組合のトップだけは表に顔を出していないのよ。あれほどの人材を束ねる組織だから、トップは王族かもしれないわね」

「……料理は偉大だからな」


「もしかしたら、旅人さんのところにも勧誘が来るかもしれないわね」

「ははは、それは光栄だな?」


 間に合ってますから。

 本当の意味で間に合ってますから。

 もう勘弁してくれ。

 料理だけに、もうお腹いっぱいだよ!



「そ、そういえばお嬢様よ、先ほど三大宗悪とかいう聞き慣れない単語を使っていなかったか?」


 これ以上、美食組合に深入りされては困る。

 無駄話しているうちに真実へと辿り着いてしまいそうなお嬢様が怖い。

 不自然じゃない範囲で話題を逸らさないとっ。


「三大宗悪ってのは、極端な思想が多い宗教界隈の中でも、特に人へ害悪を及ぼすと忌避されている団体の総称よ。その内の一つである炎の教団は壊滅したから、正確には二大宗悪となるわね」

「……その、残りの二つっていうのは?」


「ええっと確か、魔族崇拝教と、因果転生教ね」


 よかった、初めて耳にする団体だ。

 だが、魔族の崇拝と、因果の転生、か……。

 単語だけ聞くと、どうにも安心できない。


「なあお嬢様よ、『悪魔』崇拝教の間違いではなく、崇拝の対象は『魔族』なのか?」

「ええそうよ、旅人さん。魔族崇拝教で合っているわ。悪魔といった姿のはっきりしない概念ではなく、実体と実害がある魔族を崇拝しているからこそ世間一般から忌避されているわ」


「人類の天敵を崇めているのだから、非難されて当然だろうな」

「でもね、実際のところ魔族崇拝教の信者自身は、人類に害をなすような行動をとっていないのよ。それに、別段魔族を庇ったり匿ったりしているわけでもなさそうだし。教義としては最悪だけど、害は無い不思議な団体なのよね」


 悪を悪だからこそ容認する組織、なのか?

 そういえば俺の地元には、必要悪なんて言葉があったな。

 それとも、反面教師みたいなものだろうか。 


 とにかく、魔族崇拝教を名乗るヤベー奴らには近づかない方が良さそうだ。

 不本意ながらも魔人を従えていて、間接的ながらも魔王様と付き合いがあるとバレてしまったら、俺自身が崇め奉られかねない。

 ……んん?

 …………。

 ………………。


 ……いや、違うぞ?

 チヤホヤされるのは楽しそうだな、なんて想像していたわけじゃないぞ?

 教主に成り代わって若い女信者を好き勝手できるとか思っていないぞ?

 何でもありそうな道楽道ではあるが、さすがに宗教は道楽には成り得ないはず。

 俺の感覚としては、宗教とは趣味よりも仕事に近い。


「もう一つの因果転生教ってのは、字面だとまともそうだが、なぜ悪者認定されているんだ?」


 魔族とのズブズブな関係をお嬢様に察知されると不味いから、もう一度話を変えよう。

 三大悪のうち二つは聞いたから、残る一つは因果転生教。

「因果応報」でも「輪廻転生」でもなく、「因果転生」。

「輪廻」じゃなくて「因果」が転生するってところが肝なのかもしれない。


 そもそも、この世界にも因果や転生といった考え方があるとは知らなかった。

 どちらも地球の、しかも仏教的な思想だったはず。

 地球ではけっこうメジャーな思想なので、別の世界でも似たような考えに至ってもおかしくないのだが……。


 それに転生といえば、お馴染み異世界転生。

 俺の場合は「転移」に分類されるはずだが、異世界から転じるという意味では「転生」と同類だろう。

 前世の記憶を持つ転生者が存在するとしたら、俺と敵対する恐れがある。

 日本で植え付けられた無駄な正義漢に燃える意識高い系とは反りが合わない。


「あのね旅人さん、因果ってのは自分の行動次第で後の自分に起こる事柄が変わるって意味でね、転生の方は死んでも別の人として生まれ変わる、って意味なのよ」

「ふむ、俺が認識する意味合いと同じようだ」


「あら、そんなに知られていない思想なのに、旅人さんは博識なのね?」

「俺の地元にも似たような考え方があるからな。しかしそれだと、教義として悪い要素はなさそうだが?」


「そう、この団体の不思議なところは、教義自体は真っ当なのに、実際にやっているのは人を害することばかりなのよ。教義と結果が噛み合っていなくて、魔族崇拝教とは正反対の厄介さになるわね」

「それはまた、皮肉な話だな」


 悪者を崇める魔族崇拝教には害が無く、善行を促すはずの因果転生教の方が悪行まみれとは、やはり宗教界隈は混沌としているようだ。

 善悪さえも表裏一体であることを体現しているのなら、真理の探究者としては正しいのかもしれない。


「それにしても、因果や転生がどう転じて悪行へ繋がるんだ?」

「因果転生教はその名前だけが示されていて、詳細な教義や人に危害を加える理由は謎に包まれているのよね」


「それも宗教っぽいと言えば、それまでのような気もするが……」

「とにかく、教徒以外の人を害する傍迷惑な団体だと覚えておけば間違いないわ。でも、他人の迷惑を顧みない旅人さんとは案外気が合うかもしれないわね」


 おいっ、俺ほど他人に気を遣っているナイスガイはそういないぞっ。

 まあ、それは置いておくとして――――。


「魔族崇拝教に、因果転生教、か……」


 魔族と関係する異世界人の俺にとっては、どちらも浅からぬ因縁があるかもしれない教団。

 さらには、壊滅した炎の教団、今話題の水の都、自然崇拝教、美食組合。

 無関係が確定している団体が一つも無い気がするのだが。

 うん、きっと、気のせいだよな。

 はは、はははっ。


 ……やめよう、目を背けてばかりでは厳しい現実に対応できない。

 せっかくの異世界だから色々な場所で観光して今までできなかった体験をしたいとは思っていたが、まさかもっとも避けていたはずの宗教界隈にどっぷり嵌まっていたとは気づかなかった。

 だが、済んだことを悔やみ続けても仕方ない。

 今回得た情報を活かせば、少なくともまだ接触していない団体を避け続けることができるはず。

 そういった意味では、情報提供者であるお嬢様に少しは感謝してもいいだろうさ。



「ところで旅人さんは、どんな宗教に入っているのかしら?」

「俺は、話の最初に出てきた冒険者連中と同じだな。実際に何かしているわけじゃないが、実家の宗教を踏襲している感じだ」


「それって、どんな教義なの?」

「うーん、俺は熱心な信者ではなかったから明言できないが、平穏な日々の生活に感謝し、他人の嫌がることはせず、死者と年上を敬い、お天道様に顔向けできない生き方はしないように、って感じかな」


「すっごいまともというか普通の教えね」

「そもそも大勢が共感できないような普通じゃない教義なのが問題だと思うが」


 むしろ少数意見だからこそ宗教化しているのかもしれない。

 芸術と同じように個性が際立つ世界なのだろうか。


「でも、旅人さんは私をイジメてばかりだから、教義を守れていないんじゃないの?」

「それは解釈違いというヤツだな。俺はお嬢様が憎くてイジメているんじゃないんだぞ」


「イジメ自体は否定しないのね。まあいいのだけど、だったらどうして?」

「オクサードの街を担う貴族様に相応しい人格を育てるために心を鬼にして厳しくしているのだよ」


 この街の領主様は人格者らしいが、いつまで続くかは分からない。

 年齢の問題もあるし、以前みたいに暗殺されないとも限らない。

 その際、恐ろしいことに街を統治していくのは、このお嬢様なのだ。

 改めて実感すると、絶望しかない。


「お嬢様は仮にもお嬢様なんだからちゃんとお嬢様してもらわないと一市民である俺が困るんだよ」

「つまり旅人さんは、私が大好きってことよねっ!」


 珍しく真面目な話をしているのに、ポジティブ思考のお嬢様は嬉しそうに笑って、そう言った。

 そのくだり、最初にやったよな?


「……人と人が理解し合うのは、難しいよな」


 こうした認識のズレが、軋轢や戦争、そして宗教を生み出すのかもしれない。

 人が人である限り、同じ心を持つことはありえない。

 だとすれば、違いと誤解と反感こそが世の摂理。

 残酷な世界で生きていくためには、隣人を愛し敬う気持ちが大切なのだろう。


「なあなあ、お嬢様よ。なんだか無性にお嬢様がビックリした顔を見たくなったから、やっぱり引っぱたいてもいいよな?」

「…………旅人さんが教祖になったら、壊滅した炎の教団に代わって新たな三大宗悪に認定されそうね」


 つまるところ、他人と解り合うのは難しいと今更気づいただけの不毛な一日であったとさ。




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[良い点] GDGDとイチャイチャ [一言] なんやかんやいって、 スキスキオーラ満開のメイドさんとより、 会話と筆がすすみますよね。 あとでみかえすと、グリンさん内容にあたまかかえそうですけど、…
[一言] あれ、お嬢様が跡継ぎ?確か兄がいたような……
[気になる点] 魔族崇拝教って、オークションでおろしてた人形のコレクターたちなんじゃ?
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