男を見る目がある女
「ねぇ、一杯おごってくれない?」
飲み屋の隅っこで、一人寂しく酒を飲んでいた中年男に、妙齢の女が話しかけた。
女は露出の多い扇情的な服を着ていて、あからさまな色香を放っている。
そんな相手に見つめられ、男は薄く笑った。
「おーけーおーけー、何でも好きな物を頼んでくれ」
「あら、随分と太っ腹なのね」
「これでもまだ現役なんでね。これくらいの見栄は張れるさ。その代わりに、面白い話を聞かせてくれ」
「面白い話? この私が?」
「そうそう、こんな景気の悪そうな顔をした冴えないおっさんに奢らせようとするあんたは、きっと面白い女に違いない。だから、面白い話の一つや二つ簡単にできるだろう?」
「随分と回りくどい喋り方をするのね」
「一人で酒を飲むおっさんってのは、そんなものさ」
女は向かい側の席に着き、高い料理を頼みはじめる。
その態度を契約成立だと受け取った男は、視線を向けて話を促す。
「あなたって落ち着いているのに、随分と卑屈というか、自分に自信が無い感じね」
「自信なんてものは、持っても持たれても厄介なだけだ。俺のようなおっさんに期待する方が悪い」
「本当に卑屈なのね。……でも、安心していいわよ。私って男を見る目があるから」
「おっ、いいぞいいぞ、その調子で面白いジョークを続けてくれ」
「あら、今の話のどこに面白い所があったの?」
「駄目男に対する皮肉になっている所がさ」
「あなたはどうして、自分の評価を下げようとするの?」
「下手に格好つけて失敗したら格好悪いけど、駄目男が少し頑張ると格好よく見えるからさ」
「それって、ズルくない?」
「ギャップ萌えってヤツだな」
運ばれてきた料理に手を伸ばしながら、女が笑う。
表情と仕草は悠然としているが、フォークを握る手の動きは素早い。
どうやら本当に腹を空かせているらしい。
「それで、男を見る目があるあんたから見た俺は、どんなふうに見えるのかな?」
自嘲気味に笑いながら、男が尋ねてくる。
「女が頼むがまま飯を奢ってくれる程度には、お金持ち」
「まあ、そうかもな」
「年下の女から生意気な喋り方をされても怒らない程度には、心が広い」
「まあ、そうかもな」
「慣れてない感じだから、この街に来たばかりの旅人」
「まあ、そうかもな」
「寂しくても自分からは食事一つ誘えない人見知り」
「それはほっといてくれ」
一気に酒を飲み干す男を見て、女は笑う。
「なるほど、長所ばかりでなく、短所までちゃんと見えている。あんたは確かに、男を見る目があるのかもしれないな」
「そうよ、これは私が唯一誇れる特技なのよ」
「人を見る目は大事だ。だが、そんな得意技があるのなら、こんな酒場で初めて見るおっさんに声を掛けずとも、若い男の一人や二人キープしているはずだろう?」
「それがそうでもないのよ。どんなに男を見る目が備わっていても、男運が良いとは限らないわ」
「矛盾しているようで、本質を突いた含蓄のあるお言葉だな。やっぱりあんたは、俺が見込んだとおり面白い女のようだ」
「光栄だわ。あなたも私が思っていたとおりの男よ。……今のところは、ね」
面白い話が聞けただけで満足している男を、女が挑発する。
「それはそれは、もっと先があるような口振りじゃないか」
「ええそうよ、男と女の夜はこれからが本番よ」
酔っている男の手を取り、女は店の外へと誘う。
上機嫌の男は抵抗せず、引っ張られるがままついていく。
テーブルの上に代金とチップを置いて。
「「「――――」」」
そんな二人を、周りの客と店員はニヤニヤと笑いながら見送っていた。
「おいおい、受け身なおっさんは積極的な女性も嫌いではないが、風情も大事にしないと駄目だぞ」
口では諫めるように言っているが、口元の緩みは隠しきれていない。
どうやら、女の正体は食事の誘いから始める娼婦だったらしい。
それでも、多くの客の中から選ばれたと思っている男は、ご満悦であった。
しかし――――。
「あー、そっちかー」
連れていかれた路地裏で、中年男は深々と溜息をつく。
隣の女は、楽しげに笑っている。
その憐れな姿を見物するかのように、いつの間にか大勢の男が二人を取り囲んでいた。
「まさかこの俺が、暴力で搾り取れる程の大金を持っているブルジョアに見えるとは思わなかったぞ」
「だから言ったでしょ、私は男を見る目があるって」
窮地に立たされているはずの中年男は、軽口を絶やさない。
追い剥ぎ目的の連中は苛つきながら、刃物をチラつかせて包囲網を狭めていく。
役目を終えた女は、離れた場所から静かに見守っていた。
「綺麗な女がちょっと誘っただけで飯を奢り、誘われるがままホイホイついていく非モテのおっさん。身なりは冴えないが、各地を旅して回る程度には金を持つ道楽者。それに、危機感が欠如していて、カツアゲにはもってこいの相手、か」
中年男は追い詰められて気が狂ったのか、ブツブツ呟きながら自身を分析している。
「なるほどなるほど、何から何まで正解だ。もしかして本当に、あんたは男を見る目があるのかもしれないな」
「…………」
「だけど、ここは肉体や心の強さとは別次元の強さが存在する世界」
「?」
「残念ながら俺の強さについては、見誤ったようだな」
「「「――――っ!?」」」
月の光が届きにくい路地裏でなくても見えなかっただろう。
女が三度瞬きする間に、中年男を囲んでいた連中は全て倒れてしまった。
「そう、ここは異世界。冴えない顔のおっさんでも、中年太りを気にするおっさんでも、使命を持たないおっさんでも、レベルが優遇してくれる世界。案外、おっさんには優しい世界なんだよ」
中年男が何をしたのか……。
女は目で追えなかったが、結果だけは理解していた。
多数による不利な状況を、個の強さでねじ伏せてしまったことを。
「さて、面白い話が得意なお嬢さん。これでも自分の見る目があるって、言い切れるかな?」
「――――」
中年男は、嫌みったらしく笑いながら、女に問いかける。
それは、紳士を気取る男なりの配慮。
口で脅して、逃げるように促したのだが。
「ふふっ、ふふふっ…………」
しかし女は、懐からナイフを取り出し、そして――――。
「お嬢さん、刃物を持つのは台所だけにしときな。……って、あれ?」
それを、気を失っている仲間の首元へ突き立てた。
「一人、二人、三人――――」
まるで皿を数える幽霊のように刺し殺した人数を口にしながら、女は笑う。
「四人、五人、六人――――」
「うわっ、ばっちいっ」
女がナイフを勢いよく振り下ろす度に、赤い花が空中に狂い咲く。
大切な作業着が血飛沫で汚れたらたまらないと、男は距離を取って見物している。
「七人、八人、これで最後の九人目!」
「…………」
「やった! やった! ついに私はやったわっ!!」
倒れていた全員の首を切り裂いた女は、真っ赤に染まった両腕を高く掲げ、天に向かって叫びながらくるくると舞う。
まさに狂喜乱舞という言葉が相応しい姿であった。
「……お取り込み中にすまないが、質問してもいいかな?」
「ええ、なんでも聞いて。あなたにはその権利があるわ」
「あまり嬉しくない権利だが……。そこでくたばっている追い剥ぎ連中は、あんたの仲間だったんじゃないのか?」
「仲間じゃないわ、むしろ逆よ。私は父がつくった借金のせいで、こいつらに客引きさせられていたのよ」
「なるほど、飯を食っている時に言っていた『男運が悪い』とは、あんたの父親と借金取りを指していたのか」
「ええ、そうよ。いくら男を見る目があっても親は選べないし、大勢の男から力ずくで脅されてはどうしようもないわ」
「そんな馬鹿親でも成り立つから、結婚は嫌なんだが。……それはいいとして、それで?」
「父の借金なんて私には関係ないって、何度も逃げ出そうとしたのよ。でも常に見張られていて逃げ出せず、黙って従うしかなかったわ」
「うんうん、それは困った話だな」
「そんな状態で、男を見る目だけが取り柄の私にできることなんて、一つしかなかったわ」
「…………」
「言いなりになる振りをしながら、ずっとずっと探していたのよ。いくら私に男を見る目があっても、肝心の相手が目の前に現れなければどうしようもないから」
「それって――――」
「そう、私が唯一できるのは、こいつらを簡単に倒せる男を見つけること」
「――――」
「それが、あなたよ」
雲の切れ間から月光が射し、女の全身を鮮明に映し出す。
血に汚れても毅然と立つ女を見て、男は美しいと思った。
「つまり、あんたは本当に、男を見る目があったってことか」
「ふふっ、だからそう言ったでしょう?」
「まいったよ、あんたの言い分は正しいと認めるしかない。全て計算尽くってことも、な。……それで、この後はどうなる?」
「こいつらは、あなたを殺して強奪しようとしたけど、逆に返り討ちにあったって証言するわ。か弱い私がやったとは、誰も思わないでしょうから」
「まあ、そうなるか」
「だから、このまま私を見逃せば、あなたは殺人犯として追われる身になるわね」
「……そこまで言われても、俺があんたに手を出せないってのも計算尽くだよな?」
「ふふっ、やっぱりあなたは、私がずっと探していた男だわ」
「男冥利に尽きる台詞だが、こんなシーンだと怖いだけだ」
「私の用事はこれで終わったけど、あなたはこの後どうするの? 最初の予定どおりに私を抱く?」
真夜中の路地裏で、地面に転がる死体をギャラリーに、情熱的な女からのお誘い。
こんな経験、たとえ異世界でも今後一生無いだろうな、と男は思った。
「いや、遠慮しておこう。女は血に慣れているかもしれないが、男は慣れていないから、そんな気分じゃなくなったよ」
「あら残念。私は最高に高ぶっているから最高のもてなしができるのに」
「それはまあ、またの機会ということで」
「ふふっ、その時を楽しみに待っているわ。私が見込んだ唯一の誰かさんをね」
こうして、血に濡れた路地裏に女一人を残し、男は去っていった。
◇ ◇ ◇
「――――ほら、こんな感じで『男を見る目がある』なんて言う女は、ろくなもんじゃないだろう?」
そう締めくくって、俺は語り終えた。
「…………」
引きつった顔をしているソマリお嬢様に、俺がこんな話をしたのは理由がある。
いつものように街中でばったり遭遇した彼女がしつこく絡んできたから、「こんな怪しいおっさんに気を許すと誘拐されて知り合いの奴隷商に安価で売られるぞ」と忠告したら、「私は男を見る目があるから大丈夫よ!」とドヤ顔で宣言しやがったので、先ほどの失敗談を語って論破したのだ。
摩訶不思議な世界で過ごすうちに耐性力が上がった俺でもドン引きしてしまう実話である。
好奇心旺盛なお嬢様も、さすがにびっくりしているようだ。
「ね、ねえ、今の話って、旅人さんの実体験なの?」
「さあー、どうだろうなー、友達から聞いた話だったかなー」
「あっ、それは嘘みたいね」
はぐらかそうとしたら、お嬢様の特殊能力である嘘センサーに引っかかったらしい。
俺に友達がいないと判定されたわけではないと思いたい。
「他人の話じゃないとすると、やっぱり旅人さんの実話なのね?」
「俺の実体験ってところは認めるが、脚色している部分もあるぞ」
「それって、どの部分が嘘なの? 旅人さんが女の色香に惑わされて、ほいほい誘い出されたところ?」
「そうそう、貞操観念の強い俺が騙されるわけないよな」
「今の返事は嘘みたいだから、逆に本当ってことよね。だったら、旅人さんがゴロツキどもをやっつけたところ?」
「そうそう、平和主義の俺が暴力を振るうわけないよな」
「今の返事も嘘みたいだから、逆に本当ってことよね。だったら、その女の人が全員殺したってところ?」
「そうそう、そんな猟奇的な女性がいるわけないよな」
「その返事も嘘……、ってことは、やっぱり全部実話じゃないっ!?」
「さあー、どうだろうなー」
脚色した部分とは、最後に女を抱かずに帰ったってところ。
人殺しの冤罪まで被せられて得せず帰るのは俺のポリシーに反するので、しっかり愉しませてもらった。
殺戮と解放感で興奮状態の彼女と、貧乏根性で元を取ろうとするヤケクソな俺との密会は朝まで続いた。
つまり、ラスト以外は全て実話である。
女って怖ひ……。
「些細なことを気にしても仕方ない。とにかく、『男を見る目がある』と自称する女は信用できないって、よーく分かっただろう?」
「それはもう、怖すぎるぐらい分かったけど……。むしろ例え話で、自分の犯罪歴を嬉々として語る旅人さんの方が怖いけどね」
「俺は直接手を下していないから無実だ」
「……旅人さんが捕まっちゃう日も遠くなさそうね」
大丈夫、逃げるのは得意だから。
ちなみに、死体は転送アイテムを使って火口に放りこんだから、俺が罪に問われる心配はない。
「まあ、いいわ。旅人さんの話が変なのは、いつものことですものね」
「褒め言葉として受け取っておこう」
「ある意味褒め言葉だからいいけど。でも結局のところ、その女の人は『男を見る目があった』ってことでしょう。この私のようにね!」
ドドンと無い胸を張るお嬢様。
このポジティブさだけは見習いたい。
「それは違うぞ、お嬢様。俺が教訓にしてほしいのは、女性視点の話ではない。肝心なのは、男視点なんだよ」
「男視点……、つまり旅人さんから見た場合ってこと?」
「そうそう、男連中からすると『男を見る目がある女』ってのは、厄介者以外の何者でもないってことさ」
「…………」
「大切なのは相手の立場に立って考えられる思いやりの心なんだぞ」
「極悪非道な旅人さんの口から、思いやりなんて言葉が出てくるとは思わなかったわ」
うっさい、どんな悪党も一縷の良心を持っているんだぞ。
蜘蛛の糸みたいに。
「でも、そうよね。思いやりの心は大切よね」
珍しいものばかりに目が行き、相手の事情を鑑みようとしない。
それが、彼女の悪癖。
俺の説法が功を奏し、お嬢様は一つ賢くなったようだ。
「だからね、思いやりに溢れる旅人さんは、私に優しくしてくれるわよね?」
「……うん、全く反省していないよな」
ここは異世界。
魔物が闊歩する弱肉強食な世界。
か弱い女性には住みにくい世界。
そんな彼女達に必要なのは、思いやりより、強かさであろう。
▼お知らせ
本日は「異世界道楽に飽きたら4巻」の発売です!
よろしくお願いします!!