美食組合 1/2
「美」という言葉には、いくつかの意味がある。
主な用途としては、見た目の美しさ。
人には美しさを感じ取る感覚――――美的感覚が備わっていて、調和や理想などを基準に「良い」と思えたものが「美しい」と表現される。
哲学的には、知覚や味覚などの感覚を媒介に、情感が刺激され、快楽を覚える体験が「美」とされている。
前者が「感覚的な美」だとすれば、後者は「精神的な美」となるだろう。
世界には様々な「位相の美」が存在するのだ。
ところで、食事に対して「美」を用いて表現するのは何故だろうか。
「美しい」と「味」を組み合わせて、「美味」。
「美味い」と書いて「うまい」。「美味しい」と書いて「おいしい」。
美味。美味しい。そして、美食。
「美食」という言葉は、美味い食べ物だけでなく、贅沢な食べ物を示す場合にも用いられる。
だから「美食家」は、金持ちの道楽として、忌み嫌われる。
しかし、「美」の中に、負の感情を持たせてはならない。
賛美や褒美というように、「美」には称賛するという意味もある。
心の奥に訴えかけ、感動する気持ちを喚起させるもの、それが美しいものなのだ。
美味とは、味に称賛すること。
美食とは、食の全てに称賛し、感謝すること。
心を満足させる料理に感謝を。
そんな料理を作る料理人に感謝を。
料理に感動し、感謝し、称賛し、偉大さを知り、敬意を払う者。
それこそが、本当の「美食家」である。
◇ ◇ ◇
「全員、集まったな」
高級料理店の一室を貸し切り。
円卓に座る四人の男女。
丸いテーブルの形は、彼らに上下関係が無いことを意味していた。
「それでは、定例会をはじめよう」
その合図を皮切りに、一人ずつ立ち上がり、口上を繋げていく。
「万の金より――――」
巨万の富を築いた商人の男が言った。
「千の地位より――――」
栄華をほしいままにする貴族の男が言った。
「百の強さより――――」
最高峰のレベルを誇る冒険者の男が言った。
「十の夫より――――」
絶世の美貌を持つ女が言った。
「「「「一の料理を!」」」」
商人、貴族、冒険者、美姫が、口を揃えて言った。
……各方面で頂点を極め、富と暇を持て余す四人が最後に辿り着いた道楽。
それこそが、たった一つでも、全てに勝る料理。
食への探求心に欠ける世界において、執拗に美食を探し求める狂気の集団。
人は彼らを「美食組合」と呼んだ。
「ふむ、悪くない」
常軌を逸した美食家の四人は、こうして定期的に集い、各々が見つけてきた良作を披露する品評会を開いていた。
溢れんばかりの力を持つ彼らが、世界中から集めて回った選りすぐりの料理。
一般に食されている料理と比べ、歴然とした差があった。
「だが、まだまだ足りぬ」
それでも、舌が肥えている美食家を満足させるにはほど遠い。
幾度となく品評会を開催しようとも、ソレを見つけ出した者はいない。
彼らの目的は、完全なる料理を生み出す唯一無二の料理人を探すこと。
美食組合は、「一の席」に座るに相応しい最高の料理人を加えて完成されるのだ。
「今宵の晩餐会の最後は、商人殿が探してきた料理か……」
手間暇金かけて発見した料理を披露するものの、満足するには至らず。
本日もまた、ただの食事会で終わるのかと諦めムードが漂うなか。
「グフッ――――」
でっぷりと太った商人は、込み上げる笑いを抑えきれず、自身が持ってきた料理を取り出し、テーブルの上に並べていく。
言うまでもなく、料理を保管していたのは、元の状態を永続的に保持する収納アイテム。
そんな最高級のマジックアイテムも、彼らにとっては数ある道具の一つでしかない。
「おや、この度の商人殿は、たいそう自信があるみたいですな」
「我々の中でも特に口うるさい商人殿にしては、初めてのことだろう」
「でも、それにしては見映えが良くないものばかりですわよ?」
「グフフッ、今回俺が見つけた料理店は、持ち帰り禁止でね。店員の目を盗んでこっそり一部だけを持ち出したから、形が崩れてしまったのさ」
「ほう、食に対する並々ならぬ拘り、期待できそうな店ですな」
「期待外れに終わらぬことを祈ろう」
「久しぶりに楽しめそうですわ」
「グフッ、グフフッ。さあ、召し上がれ」
準備を終えた商人は、気味が悪い笑みを絶やさぬまま促す。
付き合いが長い彼らには、その笑いが自信の表れだと分かる。
初めて見る奇妙な料理に、それほどの実力が秘められているとは思えないが。
半信半疑のまま、貴族、冒険者、美姫の三人は、食材も調理法も知れぬ料理を口に運び――――。
「「「――――」」」
絶句して、固まった。
……いや、口の中と頭脳は激しく動き続けている。
料理の味を分析し、理解しようと必死なのだ。
「「「――――」」」
しかし、一口では理解に及ばず、また一口、一口と食べ続け、その都度絶句を繰り返す。
さながら出来の悪いロボットが、消化できない料理を規則的に口に入れているようであった。
「「「…………」」」
やがて、全て食べ終えた三人は、無言のまま立ち上がり、空になった皿を睨みつける。
そこには、量が少ない料理に対する強い怒りが感じられた。
「グフフッ……。その様子だと、異存は無いようだな?」
完全に満足できたとは言い難い。
全てを理解するには、あまりにも量が不足しており、部分的で、食い合わせも良くなかったからだ。
――それでも、今まで食してきた料理とは一線を画する。
これの元となった料理こそが、彼らが長年探し求めてきた「完全なる料理」であることに、誰も疑いを持たなかった。
「そうか……。ついに、この日を迎えたのか…………」
「道程は遙か遠く、これまで遅々として進まなかったのに、まさか一足飛びに頂きまで駆け上がるとは…………」
「完全なる料理を望むが故に、到着点は無いのだと諦めていたのかもしれませんわね…………」
「グフッ、グフフッ…………」
四人の胸の中にあるのは、感慨。
誰よりも多くの料理を見つけ、食べ、失望してきたからこそ、限界を感じていたのだ。
そんな彼らが、いざ終着点を目の前にし、思うのは、料理に対する感動以上に、感慨深さであった。
「素晴らしい。この世界でこのような料理を探し出すとは、さすがは流通王として名高い商人殿であるな」
「うむ、世界を股にかける商人殿だからこそ、達成できた偉業であろう」
「味覚だけでなく、嗅覚にまで優れた商人殿ならではですわ」
「グフフッ、よしてくれ。我々が称賛する相手は、完全なる料理と、それを生み出す一なる料理人だけのはずだ」
過剰に褒められた商人は、ばつが悪そうに大きな腹を指先で掻いた。
彼がこの料理と出会ったのは、偶々立ち寄った街で、夜遅く他の料理店が開いておらず、仕方なく入った、真っ黒に染められた趣味の悪い店の中でのこと。
先客は一人だけの、寂しい店内。
見たことも聞いたことも食べたこともない料理ばかりが書かれたメニュー。
実際に口にするまでは、まるで期待していなかった。
探求心も、嗅覚も、へったくれも無い。
全ては、運。
料理の神に慈悲を授かったかのような、偶然の産物。
とても自慢できるような経緯ではない。
「そうであるな。完全なる料理を見つけた我々美食組合に残された使命は、担い手であるその料理人を迎え入れること」
「そして、料理を味わいつくすこと」
「何よりもそれが、料理に対する敬意となるのですわ」
「グフッ、グフフッ」
貴族、冒険者、美姫の三人は、笑いながら相槌を打つ商人を見る。
衆望を一身に集めた商人は、にやけ顔を正して立ち上がり、厳かに口を開く。
「――では、共に行こう。完全なる料理を提供する奇跡の料理店『ヨイガラス』へ!」
▼本章の真のタイトル
「美食組合~創作料理店ヨイガラスⅡ~」