十日市④/柿売りの少女と甘党なメイド
ナシカは、オクサード街から少し離れた村に住む農家の娘である。
少女の家族は、両親ともうすぐ生まれる赤子の3人。
祖父の時代から受け継がれた柿の専業農家だ。
甘い柿の実は人気が高く、家族が慎ましく生活出来るだけの収入を得ていた。
だが、経年とともに収穫量は減少していく。
柿の種を植えて新たな木を育てているのだが、その多くが渋い柿の実が成り、売り物となる甘い柿は減る一方であった。
そんな不安を抱えたある日、ナシカは一人でオクサード街の十日市に出店していた。
いつもは父か母が一緒なのだが、今回は出産が近い母を一人に出来ず、少女が一人で店番をする事となった。
――――それが、どのような影響を及ぼしたかは、定かでない。
その日の甘い柿はすぐに完売した。
だが、元々数が少ない甘い柿が売り切れても収入は増えない。
新たに増える家族の食い扶持を稼ぐため、ナシカは無駄と知りつつ渋い柿も店先に並べていた。
もちろん甘い柿と偽って売るつもりはない。
変わり者がもしかして買ってくれれば、という淡い期待に縋るしかなかったのである。
そして、夕刻に差し掛かった頃、少年を連れた中年の男が現れた。
「美味しそうな柿だね。一つもらえるかな」
「こ、この柿はとても渋いですが、それでもいいですか?」
「渋柿か。ああ、昔を思い出すな。久しぶりに食べたくなったよ」
ナシカの忠告を余所に、男は金を払うと躊躇無く大きな口で囓りだす。
「しっぶっ。まじ渋い! これ、これだよ! 子供の頃に畑の脇にあった柿を知らずに食ってさ。確かにこの味だった。ずっと舌が麻痺しているような渋さが続くんだよな!」
男は味の評価とは逆に、笑顔で感想を述べる。
渋いのは知ってるのだが、大切に育て上げた果物を馬鹿にされたように感じたナシカは憤りを覚えた。
「ははっ、すまんね娘さん。余りにも懐かしい味で、つい騒いでしまった。お詫びと言っては何だが、全部買い取るよ」
そんなナシカの心情を読み取ってか、男は気前の良い事を言い出した。
「そんなにたくさん買って、その、だいじょうぶですか?」
「大丈夫、大丈夫。真っ当に食べるのは厳しいけど、それだけに使い道もあるだろうさ」
男は曖昧な返答をしながら料金を払う。
「ところで娘さんは、なぜ渋柿ばかりを売ってるんだい?」
「そ、それは、甘い柿があまりとれなくなって…………」
「ああ、老木化しているのか。それは仕方ない。だったら干し柿にせず、そのまま売っているのは何故かな?」
「ほし、がき?」
「そう、干し柿。渋柿を乾燥させて甘くしたヤツだ。もしかして知らないのかな?」
「は、はい。はじめて、ききました」
「そっか、これが文化の違いってヤツか。それとも歴史の長さの違いってヤツかもな」
男は矢継ぎ早に質問してくる。
ナシカは考える間もなく、答えるのに精一杯だ。
だが男の言葉には、無視出来ない単語が含まれていた。
「その、渋い柿が、ほんとうに甘くなるんですか?」
「ああ、俺が知っている柿と同じ物なら出来るはずだ。砂糖よりも甘くなるよ」
「さとうよりも!?」
あまりの話に、ナシカは大声を上げる。
渋い柿が砂糖よりも甘くなるなんて、誰も信じないだろう。
「そうだな、娘さんは字が読めるかな?」
「……いいえ。でも家にかえれば、おとうさんがよめます」
「それは良かった。ちょっと待ってくれ」
そう言うと男は、胸のポケットから紙の束と細い棒を取り出す。
その棒でしばらく紙を擦ると、一枚を破いてナシカに渡した。
「干し柿の作り方を書いておいた。まあ、時間があれば期待せず試してくれ。これ以上は詳しくないから、失敗したら諦めてくれ」
「は、はい?」
「それに、植え替えるならこの柿の種も試したらどうかな。大秋柿と言ってね。食感が新鮮で美味しいよ」
続いて男は、懐から条紋が付いた大きな柿を10個程取り出してナシカに渡す。
「ありがとう、ございます?」
渡された紙に何が書かれているのか、柿を売ったのになぜ柿をもらったのか、狭い懐の何処に沢山の柿が入っていたのか。
色々と理解が追いつかないナシカが反射的に礼を返すと、男は一人満足げに頷き、そして去っていた。
中年男とお付きの少年を見送った後、しばらくして正気を取り戻した少女は、目の前に並べられた大きな柿を眺める。
このまま売ってしまうかとも考えたが、男の言葉が気になり、結局持ち帰る事にしたのであった。
――――日が沈みきる頃、家に帰り着いたナシカの生活は、この日から変わり始める。
今まで使い道が無かった渋柿が売れた事に少女の両親は大いに喜んだが、客からもらってきた条紋が入った柿を見て首を捻った。
何せ今まで見た事もない外見である。
不安を感じながらも職業柄、好奇心に負けた父親が最初に食べ、目を見開いて硬直。心配する母娘は、目を見開いたままの父親に催促されて食べ、同じく目を見開いて硬直した。
三人はしばらく顔を見合わせると、互いに頷き合い、猛然と残りの柿を食べ尽くし、残った種を一番日の当りの良い畑に植えた。
その後は、俄然信憑性の増した紙に書かれた『渋柿を甘くする方法』を試す。
それは『皮を剥き軒下の風通しが良い場所に二十日程吊るしておくと甘くなる』といった、やり方自体は簡単であるものの瑞々しさが売りの果物を乾燥させる型破りな加工法だった。
どの道、失敗しても使い道のない渋柿である。家族はやり方を少しずつ変えて毎日試し続けた。
……こうした独自の努力も実り、遂には砂糖を上回る甘さを持った加工柿が完成したのである。
――――その日の事を、ナシカは一生忘れないだろう。
甘くなった渋柿と、しょっぱい涙が混ざり合った、その味を。
◇ ◇ ◇
「あら、変わった物を売っていますね」
初めて売り出された干し柿を目ざとく見つけたのは、メイド姿の女性だった。
「あ、エレレさまっ。こんにちはですっ」
ナシカは嬉しそうに返事する。
少女にとって、いやオクサード街に住む多くの女性にとって、エレレと呼ばれたメイド服の女性は憧れの存在であった。
「これは渋い柿をつかって作ったんです。さとうよりも甘いので、さとう柿ってよんでますっ」
「砂糖より甘いとは、大きくでましたね」
この世界では一般に、砂糖よりも甘い食べ物は蜂蜜しか無いという認識である。
渋さを残す場合が多い果物が、砂糖と比較される事は少ない。
ましてや砂糖を上回るなど聞き捨てならない言葉であった。
――――少なくとも、メイド姿の女性にとっては。
「では、お一つ頂けますか。お幾らで?」
「その、今日はじめて売るので、まだきまってないので、エレレさまがきめてくれませんか?」
「ワタシが、ですか?」
「はいっ! 甘いものをいっぱい食べてるエレレさまなら、きっとだいじょうぶですっ!」
「……そう、ですか」
子供に甘い物が大好きな人だと認識されている事が、果たしてどのような意味を持つのだろうかとメイド姿の女性は考える。
が、自覚はあったので、追及はしなかった。
「それでは僭越ながら、試食させてもらいましょう。あむっ………………」
「…………」
「あむあむ…………」
「あの、どうですかエレレさま?」
「あむあむあむ………………………………」
「エ、エレレさま?」
メイド服の女性の能面のように美しい顔に変化はない。
しかしナシカは、ただならぬ圧力を感じて思わず後ずさった。
「……この砂糖柿は、御家族で作った物だと言いましたね?」
「は、はい。渋い柿のかわをむいて――――」
「いけません。このような貴重品の作り方を無闇に口にしては危険です」
何時もと変わらぬ上品な口調のまま、有無を言わせぬ声色でメイド服の女性は忠告する。
「きっ、きちょうひん、ですか?」
「はい。これは間違いなく砂糖より甘い食べ物です。果物の中でも、これ程の甘さを誇る物は極僅かでしょう」
「そ、そうなんですかっ。さすがエレレさまです!」
何故か商品よりも自分の評価が上がっていく事に首を傾げながら、メイド服の女性の見立ては続く。
「そうそう、値段でしたね。この砂糖柿は甘さも極上ながら、食感も今までにない独特な美味しさです。更に希少性を考慮すれば、1つ銅貨5枚程が妥当かと」
「ええっ!?」
ナシカが今まで売っていた甘柿は2個で銅貨1枚だったので、比べると10倍の値段となる。
しかも売り物にならなかった渋い柿が、である。
「ほ、ほんとうに銅貨5枚でうれるんですか!?」
「はい。果物としては破格ですが、この砂糖柿は最早甘味類ですので確実に売れるでしょう。なんでしたら毎回ワタシが全部買い取っても構いません」
「いいんですか!?」
「……ただの冗談です。こんな貴重品をワタシが独り占めする訳にはいきません。商売は多くの人に食べてもらい顧客を増やす事が大事ですから」
メイド服の女性はもう一度「冗談ですよ」と念を押したが、ナシカはかなりの本気さを感じていた。
「なるべく早く買いに来ますので、毎回10個ほど取り置きしてもらえると助かります」
「っはい。ありがとうございますエレレさまっ」
「――――ですが、今回は特別と言う事で、全部買っても構いませんよね?」
「……ハイ、モチロンデスえれれサマ」
メイド姿の女性が見せた本気の眼光に射竦められたナシカには、カクカクと首を縦に振る選択肢しかなかった。
「……ところで、ここだけの話として聞きますが、作り方は何処で知ったのですか?」
「その、前にここで会ったおじさんが教えてくれました」
「…………その方は、緑色の髪と服ではありませんでしたか?」
「そうですっ。お礼をいいたくて探してるんですけど、エレレさまもしってるんですか?」
「……いえ、小耳に挟んだだけです。それよりも、砂糖柿の作り方が広まると真似されて価値が下がってしまいます。作り方とその男性の事は、他人に話さない方がいいでしょう」
「は、はい。お父さんとお母さんにもいっておきますっ」
ナシカが頷くのを見て安心したように微笑み、メイド服の女性は去って行った。
颯爽と、可憐に、買ったばかりの干し柿を頬張りながら。
◆ ◆ ◆
―――― ?日後 ――――
冒険者の街オクサードには、屈強な戦士に相応しくない名物があった。
渋柿を元に作られた砂糖柿は、加工前の渋さを180度ひっくり返したような甘さを誇る逸品である。
当初はある農家のみが扱っていたが、その後真似る者が増えて生産量が増加し、今では誰もが知る名物となり割高にもかかわらず毎日完売する程の人気を博している。
……更に後日、ある農家が新たな品種の柿を売り出す。
その柿は、元来の旨さに独特の食感が付け加わった奇跡の種だと絶賛される。
ある農家の息子と同じ名前を冠したタイシュウ柿は、街の名物として長く親しまれていくのだが――――――それはまた、別のお話。