トリコロール狂騒曲
≪ 仕事をしない男 ≫
王都の劇場で人気を博す歌謡劇のユニット「コン・トラスト」。
彼女らに続く二組目として結成された「トリ・コロール」の育成は、順調に進んでいた。
妹に似ているという理由だけで抜擢された少女――――ブラウは、流れ出る汗をタオルで拭き取りながら、心地よい気怠さに満足を覚える。
大きな鏡に映る自分の姿には手応えを感じるし、指導役である先輩姉妹も太鼓判を押してくれている。
晴れの舞台に立つ日は、もう間近だ。
「今日も顔を出さないなんて、やる気がない証拠じゃないっ……」
それなのに、不満が口から漏れる。
矛先は言うまでもなく、彼女をここに連れてきた中年男。
少女達の自主性に任せっきりで、全く仕事をしない男に対し、アイドル兼妹役を演じるブラウは憤りを感じていた。
「そんなことないって、ああ見えて旦那はちゃんとやることやってるよっ」
「そうですっ、旦那様の準備はいつも完璧なんですっ!」
アイドル兼愛人であるらしい姉妹に相談したら、案の定怒られてしまう。
優しく面倒見が良い先輩だが、プロデューサーへの信頼が厚すぎるところが欠点だ。
「どんなに頑張っても、あたいらができるのは自分のことだけ。だから旦那は、それ以外の全てを準備してくれるんだよ」
「劇場の手配はもちろん、演出から雑用まで全部旦那様の担当なんです」
「……演出って、舞台の上を光りで照らしたり風を流したりする大変な作業ですよね? あれって、舞台を管理している人が用意してるんじゃないんですか?」
「オーナーさんは舞台を貸してくれるだけ。お金を出して頼めば協力してくれるかもしれないけど、きっと旦那のような演出は無理だと思うよ」
「そうですっ、どんなに王都が凄くても、旦那様が一番ですっ」
そう言われてみれば確かに、とブラウは思い返す。
王都へ連れてこられた当初、目を養うためだと色々な舞台劇を見て回った。
一つ一つに特徴があったが、やはりそれは手作り感が強く、魔法を駆使した高度な演出を行っている劇団は一つもなかった。
「それじゃあ、お、お兄ちゃんが、魔法が得意な人をたくさん雇って指示してるんですか?」
「違うね、旦那一人でだよ」
「えっ?」
「そうですっ、演出は全て旦那様一人でやってくれているんですっ」
「で、でもっ、黒頭巾の人がいっぱい手伝っていたじゃないですか?」
「あれも全て旦那が魔法で動かしてるんだよ」
「ええっ!?」
ブラウが使える魔法は、低ランクの水魔法だけ。
農民の大半はその程度。
いくら都会が発展していても、魔法の技能は一般市民では大して変わらないと聞いたことがある。
だから、劇を彩る魔法がいかに規格外なのか、理屈以上に肌で感じてしまう。
「……そんなこと、本当にできるんですか?」
「あたいも魔法には詳しくないけど、きっと他の人じゃ無理だろうね」
「そうですっ、旦那様だからこそできるんですっ」
「…………もしかして、お、お兄ちゃんって、ただの金持ちじゃなくて、もっと凄い人なんでしょうか?」
「そうだね、きっとそうなんだよ」
「はいっ、きっと想像もつかないくらい凄いんです」
「………………」
◇ ◇ ◇
最近、俺の似非妹の様子がちょっとおかしいんだが?
厳しいレッスンを一緒に乗り越えて少しは打ち解けたと思っていたのに、妙によそよそしい態度を取るようになったのだ。
俺と会話している時も何だかご立腹で目を合わせてくれず、かと思えば背中から視線を感じることが多くなった。
とりあえず、ご機嫌を取ろうとお菓子を差し出すと、どうしてか余計に不機嫌になる。
まあ、お菓子はしっかり食べてるんだけどな。
これが反抗期ってヤツか。
二次成長期ってヤツか。
おっぱいはまだ小さいけど赤飯が必要なのか。
よき兄としては、妹の独り立ちを見守るべきかもしれないが。
くすん。
お兄ちゃんは悲しいよ。
≪ 委員長と不良娘 ≫
少女の渾名は「委員長」。
実際に学園のクラス委員長を務めているのだから正式な呼び方だが、クラスメイト以外からもそう呼ばれるので渾名に違いない。
友人曰く、「何だかそれっぽいから」だそうだ。
本人がそうあるよう心掛けている結果、他人からそう見えるのは当然。
……ただし、本人と他人の間には、多かれ少なかれ認識の差があって。
本人が「規則正しい清廉潔白」を信条としているのに対し、他人からは「融通の利かない堅物」だと思われてしまうのは仕方ないことなのだろう。
そんな堅物委員長も、ティーンの夢見る乙女には違いない。
規則の範囲内でお洒落に気を使うし、異性に興味が無いわけではない。
一番の趣味は、演劇を鑑賞すること。
歴史劇のような教養深い内容よりも、派手で面白い芸を好む。
校則違反ではないし、公序良俗にも反しない真っ当な趣味であるが、学園における自分のイメージとは違うと承知しているため、誰にも話していない秘密の道楽。
今日もまた彼女は、完璧に変装し、大好きな劇へと足を運ぶ。
最近のお気に入りは、異国の音楽を扱った歌謡劇。
劇としての決まった名前は無いが、コン・トラストと名乗る二人組の少女が不思議な歌と踊りを披露する人気の舞台だ。
(今回も席が取れてよかった)
デビューしてさほど月日が経っていないのに、人気の程は大手にも引けを取らない。
公演の頻度が月に数回と少ないため、チケットは売りに出されるや否や完売。
入手できるかは運頼みだが、人が介在するだけに抜け道がある。
劇場を貸し出しているオーナー特権で確保される分を、その親族である父に頼んで優先的に譲り受けている。
小狡い行為だが、委員長と呼ばれる少女がそうしてまで手に入れるだけの魅力がその劇にはあったのだ。
(……助かった、今日はあの子がいないみたい)
初めて見るモギリ係にチケットを渡し、劇場の中へと入る。
委員長の秘密の趣味は、誰も知らない。
誰にも知られてはいけない。
委員長としての威厳が損なわれるから。
それなのに、この劇場では顔見知りのクラスメイトがアルバイトしていた。
赤い髪の少女は、学園では不良グループとまではいかないものの、いつも寝てばかりいて試験の点数も悪い落ちこぼれ組。
当の本人は全く気にせず飄々としており、相容れぬ委員長との接点は少ない。
学園内でもろくに挨拶もしない間柄なのに、チケットを渡すと変装している姿を不思議そうに見てくるので、いつも肝を冷やしていたのだが。
(もしかして、辞めちゃったのかな?)
いない方が安心できるはずなのに、姿が無いと分かると寂しく感じる。
素晴らしい劇を知る者同士、仲間意識があったのかもしれない。
(所詮は他人。気にしても仕方ない。それよりも、今日もしっかり楽しもうっ)
切り替えの潔さは、堅物と揶揄される委員長らしからぬ長所。
余計なことを気にして、娯楽に興じることができない者は、損するだけなのだ。
◇ ◇ ◇
(ああ、今日も最高……)
光と汗と歓声が飛び交うなか、委員長は人目もはばからず恍惚とした表情を浮かべる。
劇の構成としては歌と踊りだけだが、毎回新しい歌や演出が追加され、飽きることはない。
そもそも、従来の劇では見られなかった魔法を十全に使った演出の数々に感性が追いついていないから、楽しめる余地はまだまだある。
(……あれ?)
いつもと同じように、最高の歌と踊り。
いつもと同じように、華々しくも愉快な工夫。
だけど、いつもと同じではない、大きな変化があった。
(あれって、まさか――――)
どれほど千差万別な芸であったとしても、演じるのはたった二人の少女だったはず。
それなのに、今、目の前には、舞台の上で初めて見る三人の少女が立っていた。
(うそっ!?)
新たなユニットの登場に驚いたのではない。
何もかも新しすぎる劇にとっては、むしろ当然のこと。
だから問題は、初めてではない、見知った顔があること、だ。
(ま、間違いないっ。あの赤い髪は、ここでアルバイトしていたロートさんだわっ!!)
なぜ、彼女が舞台の上に立っているのだろう?
なぜ、彼女はあれほど素敵な踊りができるのだろう?
……いつも学園で眠そうにしている彼女がなぜ、あんなにも輝いているのだろう?
(うわっ)
先輩の二人に比べれば、今回新たに加わった後輩の演技は拙い。
初陣なので緊張もあるのだろう。
にも関わらず、彼女達は強い輝きを放っていた。
(あああ――――)
委員長は、舞台の上に立つ少女に、憧れを抱いているわけではない。
自分の心を満たしてくれる相手に、感謝しているだけ。
そう、今日から感謝を捧げる対象に、クラスメイトが加わっただけ……。
◇ ◇ ◇
「ねえねえロートさんっ、今日もお弁当を作り過ぎちゃったから、食べてもらえない?」
「わー、ありがと、いいんちょー。でもー、最近もらってばかりだけど、いいのー?」
「いいのいいの。それよりも、勉強で困ってることはない? これからは一緒にお勉強しましょうね」
「それもうれしーけど、いいんちょーは大変じゃないのー?」
「ロートさんは他で頑張っているから、そんなこと気にしなくていいのよ。これからは何でも私を頼ってね」
「うんっ」
この日を境に、学園では急に仲良くなった堅物の委員長と奔放な赤髪少女が話題になるのだが、その理由を知る者はいない。
≪ 三つのデビュー ≫
拝啓 イライザ様
新緑の候、いかがお過ごしでしょうか。
無職であるはずの俺は、どうしてか割と忙しい日々を送っております。
引退して食っちゃ寝している誰かさんが大変羨ましいです。
さて、本日は、貴方様の大切で大事なお弟子さんのデビューが決定したことをお知らせします。
つきましては、当日のチケットを同封しておりますので、是非ともお越しくださいませませ。
ダンディで気が利く紳士より
「このっ」
イライザは、読み終わった手紙を投げ捨て――――られなかった。
普段ならそうしていただろう、間違いなく。
だけど、今日ばかりは、そうできない理由があった。
「あっ、そ、そのっ……」
なぜなら、手紙を持ってきた黄色い髪の少女フラーウムがじっと見ているからだ。
少女の瞳は不安げで、それでいて期待に満ちている。
「……分かったよっ、行けばいいんだろう、行けばっ」
観念したように、イライザは叫んだ。
少し前まで世話していた少女の劇場デビューを知らせる手紙。
思いやりと優しさが込められた善意に見えるが、その実、フラーウム本人に手紙を持たせることで逃げ場を奪う悪意が感じられる。
イライザの脳裏には、声を抑えて笑う中年男の姿がありありと浮かんだ。
「ありがとう、ございますっ」
唯一の救いは、弟子の笑顔を見られたこと。
そうでも思わないとやってられない。
「向こうで会ったら、殴ってやるっ」
手紙と一緒に渡された、三十路超えの女には似合わぬ派手なドレスを見て、イライザは隠しきれない殺意を抱いた。
◇ ◇ ◇
「「「わあぁぁっーーー」」」
大歓声のなか、三人組の新ユニットはデビューを終える。
「…………」
愛弟子が独り立ちする姿を、イライザは最前列で見ていた。
彼女が知る歌謡劇とは何もかもが違いすぎて、善し悪しまでは判別できない。
それでも、フラーウムが最後まで堂々と歌いきった姿が目に焼きついている。
自分の後ろに隠れてばかりだった少女が、今、大人になったのだ。
「…………」
表舞台に立つ自身の姿を想像したことはない、といえば嘘になる。
憧れと未練が、まだ残っていた。
だけど、自分の代わりに弟子が舞台に上がったことで昇華されたと感じる。
イライザの夢は、今日叶ったのだ。
「…………」
感無量、という言葉はこのような時に使うのだろう。
後は、幕が降りて大団円。
心地よい余韻を残したまま、今日という日を終えることができる。
「……?」
なのに、下りたはずの幕がまた上がりだした。
ざわざわと観客が戸惑う様子を見るに、斬新な演出を繰り返すこの劇でも珍しいのだろう。
再び開かれた舞台上にあったのは、一台のピアノ。
……と、その隣に立つ、裏方であるはずの黒子。
その組み合わせを見て、イライザは猛烈に悪い予感を抱いた。
「あー、あー、テステス……。えー、ご来場の皆様方。本日は新ユニットのお披露目の他に、もう一つサプライズをご用意しておりまーす」
そう言って黒子は、恭しく一礼する。
聞き覚えがある中年男の声に、イライザの予感は確信へと変わる。
それを裏付けるかのように、舞台の脇から一人の少女がおろおろ歩いてきて、イライザの正面で立ち止まった。
「あのっ、そのっ、わたしもっ、……あなたの歌が、聞きたいですっ」
舞台の上から観客席へ手を伸ばしてくるのは、黄色い髪の少女。
「――――っ」
その手を拒否する術を、イライザは知らない。
フラーウムの影に隠れ、黒子は肩を震わせて笑っている。
よくもまあ、こうも的確に相手が嫌がることをできるものだと感心する。
「……あんた、後で覚えときなよ」
「ということは、美声を披露してもらえるんで?」
「ここまでやっといてよく言うよ。この子の初舞台を半端に終わらせるわけにはいかないよ」
「そうそう、全ては可愛い弟子のため。そう考えれば全て丸く収まるってもんだ」
「私の怒りはちっとも収まっちゃいないよ。……でも、大勢の前でいきなり歌えと言われてもねぇ?」
「そこは大丈夫だ。こんなこともあろうかと、いけないルナ先生と秘密のレッスンで鍛えてきたからな」
自信満々に告げた男は、椅子に座り、おもむろにピアノを弾き始めた。
「あっ……」
聞き覚えがある旋律に、イライザは目を見開く。
それは、彼女が最も得意とする歌。
踊る人形に組み込まれ、今では多くの母子を笑顔にする優しい歌。
ここまでお膳立てされたら、もう何も言い返せない。
そして彼女は、舞台に上がり――――。
こうして、トリ・コロールが初めて登場した劇は、大歓声のなか終わりを迎えた。
これ以降、幕間には黒子の寸劇に置き換わり、彼女の優しい歌が場を和ませることとなる。
黒子役の男は、代役を立て楽できると目論んでいたようだが……。
ピアノ奏者として本番のみならず練習にまで付き合わされ、これまで以上に忙しい日々を送るようになるのだが――――――それはまた、どうでもいいお話。