狼族の兄妹 1/4
クーロウは思う。
最初の出会いは、ただただ驚愕だった。
ワラにもすがる心境で、手を伸ばした。
訓練の最中は、憎しみに支配されていた。
元凶である怨敵はもとより、恩人であるはずの彼に対しても。
全てが終わった後は、虚無。
目的を達した喜びもなく、消失感だけが残った。
そして、その後は――――。
◇ ◇ ◇
「がはっ……、はぁっ……、はぁっ……」
樹海を必死に駆ける二つの影。
その背に迫るのは、絶望。
人類の強さを遙かに超える、ランク8の魔物。
「くっ、まだ追ってくるのかっ!?」
「も、もう足が持ちませんっ……。兄様だけでも逃げてくださいっ」
狼族の兄妹は、魔物と遭遇する前から疲労していた。
特に、まだ肉体が成熟しきれていない妹には限界が迫っていた。
泣き言に活を入れる気力もなく、兄もまた半ば諦めていた。
「あっ……」
「クーレイっ」
やがて、力尽きた妹が倒れ。
魔物に抵抗する力が残っていない兄もまた、妹に覆い被さって倒れ込み。
――――ゴガァァァッ!
無慈悲な魔物が雄叫びを上げ、巨大な爪を振り下ろし。
「うるせぇぇぇ!」
そこに何故か、第三者の声が混ざり込み。
「「っ!?」」
次の瞬間、魔物は霧散していた。
「まったく、都会の喧騒から離れた森の中では静かにするべきだぞ。せっかく良い夢見てたのに、目が覚めちまったじゃないか」
横槍を入れてきた声の主は、くすんだ緑色の髪と服をした中年の男。
凶悪な魔物が住まう樹海の中にて、木々の間にハンモックを揺らし、優雅に昼寝していたようで。
眠りを邪魔された腹いせに魔法を放ち、一撃で魔物を殲滅したのであった。
「よし、静かになったからもう一眠りしよう。今なら夢の続きを見れるかもしれないし…………、ぐがぁ……」
「…………」
「…………」
力尽くで静寂を取り戻した男は、独り言を呟きながらまた眠りにつく。
どうやら、巨木の陰に隠れた兄妹には気づかなかったようだ。
九死に一生を得た兄妹は、樹木の裏から恐る恐る顔を出し、恩人の姿をこっそり窺う。
(な、なんなのだアレはっ? 外見は人族に見えるが、本当に人なのかっ?)
(お、おそらく、言葉を喋っていたので、そうだと思いますが……)
(しかれども、ランク8の魔物を一瞬で粉砕する人類など存在するはずがないっ)
(そ、そう言われましても、イビキをかいてヨダレを垂らし不格好に眠る姿は人そのものですっ)
高ランクの魔物よりも恐ろしい相手を刺激しないよう、兄妹は小声で話しこむ。
(如何しましょう、兄様。とにかく魔物は消滅したのですから、今のうちに逃げた方がいいのでは?)
(……いや、ここに残ろう。森の出口はまだ先だし、途中でまた別の魔物に遭遇するだろう)
(ですが……)
(今この時この場所は、世界で一番安全な場所かもしれない。それに――――)
考えた末、兄妹はこの場に残る道を選んだ。
それが、新たな地獄の入り口だとは知らずに……。
◇ ◇ ◇
「――――んんーっ、ああーっ、久しぶりによく眠れたなー」
「……」
「……」
「ハンモックは背中が痛くなるのが欠点だったけど、レベルアップで強化された肉体で使うと心地よい寝具だよなー」
「……」
「……」
「もしかして俺のレベルは、快適な昼寝を過ごすために備わったのかもしれないなー」
「……」
「……」
「はは、はははっ! すっきり目覚めてこその昼寝! ビバ昼寝! 昼寝万歳!!」
「……」
「……」
それから数時間後……。
ようやく目を覚ました男は、ハンモックの上で上半身を起こし、陽気に喋り出した。
横からその様子を眺める兄妹は、また別の人物も居るのかと周囲を見渡すが、人の影はない。
寝癖で髪がぼさぼさな男は、間違いなく独り言を言っているのだ。
「あ、あのっ?」
「ん?」
いたたまれない空気に耐えきれなくなった狼族の兄が、横から声をかける。
寝起きの男は、少し離れた場所で控えていた兄妹には気づいていなかったようで、呼びかけられた方向に顔を向け、そして首を捻った。
「…………」
「…………」
「…………」
またもや、気まずい沈黙が流れる。
「眠りから覚めたばかりのところ、申し訳ありません。お話があって、これまで待たせてもらったのですが……」
「ふむ、人様の睡眠を妨げない気遣いはあってしかるべきだが。……それより何より、先に聞きたいことがある」
「は、はいっ」
「君達は、いつからそこに居たのかな?」
「その、魔物が騒ぎ立てた時からですが」
「そんなに前からなのか」
「はい……」
「…………」
「テイク2!」
「っ!?」
唐突に叫んだ男は、もう一度横になって目を閉じた。
「「……?」」
訳が分からず、狼族の兄妹は仲良く首を傾げる。
「――――んんっ、あー、素晴らしい目覚めだなー」
「「……え?」」
「おやおや、どうしたのかな君達。森で優雅に眠るおっさんに何用かな?」
「?」
「は、はいっ、実はお話ししたいことがありまして――――」
白々しい演技の意図に気づいた妹が話を合わせる。
どうやら男は、先ほどの起き抜けに独り言を繰り返していた失態を無かったことにしたいらしい。
(と、突然どうしたのだ彼は? いったい何をしたいのだ?)
(兄上も話を合わせてください。彼は私達との出会いをやり直したいのです)
理解が追いつかない兄は、それでも妹に合わせてどうにか対応する。
常識離れした力を持つ男は、言動も常識離れしているようだった。
「先刻、あなたが倒された魔物についてですが……」
「魔物? ああ、そういえば、睡眠を邪魔する騒がしい輩を片づけた気がするな……」
「そうです、その時の魔物ですっ」
ようやくまともな話ができそうな流れになり、兄妹は安堵する。
しかし――――。
「……そうか、あの魔物は君達の獲物だったのか。それは悪いことをした」
「え?」
「冒険者にとって、魔物の横取りは御法度だと聞いたことがある。俺は冒険者じゃないが、それは言い訳にならないだろう。寝ぼけていたとはいえ、本当に申し訳ない」
「そ、そんなっ、謝ってもらうことではっ」
「むろん、謝罪だけでなく賠償しよう。魔物のドロップアイテムは当然引き渡すとしても、魔物を倒した経験値は返却できないから、別の形で償うしかない」
「は、はあ」
「経験値は何物にも変えがたい貴重なものだから、何をもって対価とするか、てんで想像がつかない。だから丸投げで申し訳ないが、そちらの希望を言ってくれないだろうか?」
「き、希望、ですか?」
「ああ、君達が望むものを、俺が可能な範囲で最大限に叶える。これをもって清算したと認めてくれると有り難い」
「…………す、少し待ってもらっていいですかっ」
「時間は気にせず、ゆっくり考えてくれ。こう見えて俺はそこそこ何でもできるから、まずは遠慮なく言ってみてくれ」
兄妹は引きつった顔で会釈しながら後ろを向き、内緒話を始める。
(彼はいったい何を言っているんだっ? 全く理解できないぞっ)
(おそらく彼は、私達が冒険者で、魔物を狩っている途中に、自分がうっかり倒してしまい経験値を横取りしてしまったので謝罪させてくれ。……そう言っているのだと思いますよ、兄上)
(そんな馬鹿な話があるかっ。ランク8の魔物を相手に、どうしてそんな誤解に行き着くのだっ!? 彼の頭の中はどうなっているっ!?)
(もしかして、彼にとってはランク1も8も大差ないのかもしれません。そんな超越者だからこそ、人が魔物に襲われてるという発想がすっぽり抜けているのでしょう)
(言葉だけではとても信じられんが、実際に彼が一撃で倒すところを見ている。……そうか、巨大すぎる力を持つと、人格まで歪んでしまうと聞く。これがそうなのか…………)
男が発した言葉の意味に気づいた兄妹は、心底身震いした。
ハンモックに寝転んであくびしている姿さえ、恐ろしく感じる。
(だが、これは願ってもない展開だ。この話に乗らせてもらう)
(……本当にいいのですか、兄上? 恩人を騙す格好になりますが)
(残された我ら兄妹には、何としてでも成し遂げねばならぬ目的がある。そのためには大きな力が必要で、それを得る好機は今回をおいて他に無い)
(そうかも、しれませんが……)
(彼には、全てが終わった後に謝罪しよう。そして、望まれるがままに全てを差し出そう。たとえそれが、我らの命であってもだ)
(……はい。兄上の仰せのままに)
クーロウとクーレイは、最後に目を合わせて頷き合い、覚悟を決めた。
「待たせてしまい、すみませんでした。先ほどお聞きした内容で進めてほしいと思います」
「それはよかった。借りはその場で返しておかないと後々面倒になるから助かるよ」
「……いいえ、こちらこそ」
ハンモックの上で無邪気に喜ぶ男を見て、兄は心の中で深く謝罪した。
その横で妹も頭を下げた。
「それで、俺は何をすればいいのかな?」
「――――してほしいっ」
「……ん? すまないが、もう一度言ってくれないか?」
「何度でも言いますっ。我ら兄妹を強くしてほしい! それが願いです!!」
こうして兄妹の悲願は、最も適任であるのと同時に、最も不安要素が大きい相手へと委ねられたのである。
◇ ◇ ◇
「なるほどなるほど、君達の希望はよーく理解した」
兄妹は「強くしてくれ」としか言っていないのに、男は全てを察したように何度も頷いた。
強くなること。
それが兄妹の願い。
何としてでも大きな力を手に入れたいのだ。
しかしそれは、最終目的を達成するための手段でもあった。
「それで、具体的には如何ほどのレベルをご所望かな?」
「レベル30……、いや40以上ないと駄目だっ。しかもできるだけ早くにっ」
「あっ、兄上っ!? いくら何でもそれはっ」
兄妹が望む強さとは、生粋の戦闘能力だ。
レベル30は、上級の冒険者に匹敵する。
恵まれた素質を持っていたとしても、十年以上の鍛錬を必要とする強さである。
それなのに、兄のクーロウが望んだ強さはレベル40。
それは、世界に百人も存在しない頂点に位置する強さ。
妹のクーレイが驚くのも無理はない。
「うん、承知したぞ」
それなのに男は、あっさりと頷いてしまった。
まるで、レベル30も40も大差ないとでも言うように。
まるで、レベル40でさえも大した強さではないと言うように。
兄妹はまたもや驚きをもって男を凝視する。
「それじゃあ、次は方法を決めよう」
男は淡々と話を進めていく。
「三つの中から選んでくれ」
「え、選ぶ? 何を?」
「訓練のコースだ」
「こ、コース?」
「一つめは、ヌルゲーコース。難度の高いゲームが嫌いでスーマリもクリアできない昨今の子供向けに、一年を使ってゆっくりじっくり安全に強くなっていくコースだ。キャッチフレーズは『努力が苦手なあなたも寝ている間に強くなれる!』だ」
「……」
「二つめは、ノーマルコース。バトル漫画でお馴染みの訓練編は好きだけどさすがに一年中だとダレるよな、と厳しい読者向けに半年間でそこそこ頑張りながら強くなるコースだ。キャッチフレーズは『食事制限なし! 適度な運動を続けるだけで誰でも強くなれる!』だ」
「…………」
「三つめは、鬼畜ゲーコース。食べて寝る以外の時間を全て戦闘に費やし、サイヤ人のように何度も死を乗り越えることで僅か一ヶ月で強くなるコースだ。キャッチフレーズは『どんな手を使ってでも必ず強くなってみせる! たとえ悪魔に魂を売ってでも!!』だ」
「………………」
楽しげに笑う男は、指を一つずつ立てながら説明していく。
これは彼なりの非常に分かりにくい冗談だろうか、と訝しむ兄妹を余所に。
「そう、選択肢は常に三つだ」
男が三本の指を立てたところで、話は終わってしまった。
「…………」
「…………」
無茶なお願いを引き受けてくれるだけでも驚きなのに、その上、具体的かつ極めて短い時間を真顔で提示する男を前に、兄妹は三度恐怖した。
そして、とんでもない男に頼ってしまったのだと、今更ながら実感する。
……それでも、後悔はない。
一刻でも早く強くなること。
それは、自らが望んだことなのだ。
だから、どんなに過酷な選択だとしても、答えは決まっていた。
「もちろん、三つめの一ヶ月コースでお願いしますっ!」
これより狼族の兄妹は、もう一つの地獄を見る。