デッド・オア・デート 2/2
デートの方針を定めた俺とエレレ嬢は、人気が無い路地裏で転送アイテムを使い、遠く離れた別の街へと移動した。
オクサードの街以外にも孤児院がある街やネネ姉妹が住んでいる街など詳しい場所はあるのだが、今回は一度通りかかっただけの馴染みが薄い街を選んだ。
街並みに詳しくてもどうせ上手くエスコートできないのだから、いっそのこと俺も見知らぬ街を楽しもうと合理的な計画なのだ。
どうせすぐ愛想を尽かされるから、真面目に考えるだけ無駄なのだ。
「少々、気恥ずかしいですね」
そんな様子を感じさせないお澄まし顔で、エレレ嬢が呟く。
本日の彼女はいつものメイド服ではなく、妙齢の女性に相応しい外出用の落ち着いた服を着ている。
当人はメイド服のままでも問題ないと宣ったのだが、さすがの俺もメイド服の女性とデートする勇気はない。
それに、彼女はオクサードの街以外でもけっこうな有名人らしいから、変装も兼ねてお着替えしてもらっている。
ついでに後ろ髪を結わえて、淑女っぽい帽子も被って、いつもと違う雰囲気だ。
こんな姿だと、いいところのお嬢さんに見えるから不思議だ。
実際そうなのかもしれないが、普段の彼女はメイド服なので、メイドさん以外の何者でもない。
メイド服を着ないメイドはありえない。
男の場合はそうでもないのだが、女は着る服で印象をガラリと変えてしまう。
凄いとは思うが、それが良いことなのか、悪いことなのか、俺には判断できない。
……つまり、何を言いたいかというと、今日の彼女はメイドさんではなく、エレレ嬢なのだ。
「偶にはこんな格好も良いだろうさ」
かくいう俺も、いつもの作業着を脱ぎ、デートに相応しい作業着っぽいジャケットに着替えている。
有名人ではない俺は変装しなくてもいいのだが、相手に合わせてというか、もしメイドさんの正体がバレた時にしらばっくれるためというか、色々と配慮してのこと。
あまり変わっていない気もするが、気にしてはいけない。
二人で変装した結果、スマート美人とちょいワルおやじのカップルが出来上がり。
顔立ちは似ていないから、親子には見えないのが救いである。
「それじゃあ、適当に街を散策しようか」
いつもの一人旅行と変わらぬ感じだが、他にやり方を知らないのだから仕方ない。
デートとは神聖なものだけど曖昧でもあるから、連れ添って歩くだけで一応の形を成す、はず。
「承知しました。では――――」
頷いたエレレ嬢は、しかしその場から動こうとしない。
その代わり、そっと右手を差し出して、じっと俺の方を見ている。
「…………」
戦闘狂のメイドとは思えないほど、細く、しなやかで、傷一つ無い手の平。
大丈夫大丈夫、言葉に出さずともよーく理解しているから。
俺は若い娘さんに優しいと評判なんだぞ。
「はい」
だから俺は、そのすべすべな手の上に、お菓子を乗せた。
「あむあむ」
「…………」
「違います。お菓子を要求したわけではありません」
しっかり食べ終わった後に否定するのはどうかと思うが。
「だったら、そのポーズは何かな?」
「ポーズではありません。手を繋いでほしいという明確な意思表示です」
「っ!?」
後頭部をガンッと殴られたような衝撃を受けた。
どこから狙撃されたのかな?
「……て、手を、繋ぐ? な、なにゆえ?」
「それが正しいでーとの作法だとお聞きしています」
そういえば、デートなる概念をなかなか理解できないお嬢様に事細かに力説した馬鹿が居たんだったな。
どこまで余計な真似をするんだよっ、昔のおれぇぇぇっ。
「……確かに密着するのはデートの定番だが、お互い大人なんだし、腕を組むくらいでいいじゃないのか?」
「腕を組むのは結婚した後。初々しいでーとでは手を繋ぐべし、とお聞きしています」
結婚に強い嫌悪感を抱く俺は、その反動からデートには過剰な美意識を持っているらしい。
きっと、少女漫画の影響もあるのだろう。
まさか漫画の知識を恨む日がくるとは思わなかったぞ。
「そ、そうだったな、それが正しいデートの作法だったなっ」
こうなったら、毒食らわば皿までの精神で特攻するしかない。
美人なお姉さんとデートする機会なんて今後無いだろうし。
きれいなおねえさんは、好きですか?
はい、大好きですっ!
「で、では、失礼して」
エレレ嬢の美しい右手を、俺の汚れた左手で掴む。
誰かと手を繋ぐだなんて、いつ以来だろうか。
……冷静に考えれば、地球に居た頃に、甥っ子とはぐれぬよう手を繋いだり、箱型風俗店のおねーちゃんから繋いでもらったりしているが。
それでも、普通の女の子と手を繋ぐのは、きっと小学生の時の遠足以来であろう。
「――――」
エレレ嬢の手は、冷たかった。
無表情な氷の女と呼ばれる所以か、緊張で俺の手が熱くなっているためか、とにかくひんやりとした冷たさが伝わってくる。
不快な感じは一切しない。
むしろ、気高く不可侵なモノに触れてしまったかのような後ろめたさを感じる。
……一度はその唇を穢しておいてよく言うよ、俺も。
「うおっ!?」
手と手を合わせたまま動けずにいると、彼女が冷たい手を滑らせ、指と指とを絡め合う形へと体勢へと変化させた。
いわゆる、恋人繋ぎである。
「これがでーとの時の正しい繋ぎ方ですよね」
ほんと、いい加減にしてくれ、昔のおれぇぇぇっ!
「――――」
「それではグリン様、参りましょう」
「お、おう……」
エレレ嬢に急かされ、ようやく俺達は歩き出すのであった。
◇ ◇ ◇
手を繋ぎ、街を歩く、カップル。
普通は並んで歩き、会話を楽しむべきだろうが、俺の足は常に半歩先に出てしまう。
気恥ずかしさのあまり、隣の彼女を顔を見れないからだ。
「――――」
「ああ、そうだな」
何だこれっ、何だこれっ!?
ただ手を繋いでいるだけなのに、何でこんなにも恥ずかしいんだっ!?
これより後ろめたい真似なんていっぱい経験しているはずなのにっ。
裸同士のぐっちょぐちょなマットプレイに比べれば全然大したことないのにっ。
なぜ、彼女と手を繋ぐだけで、俺の鼓動は早まるのだろう……。
「――――」
「あれは――――だろうな」
冒険者の街オクサードの外に出る機会が少ないエレレ嬢は、新鮮な街並みを楽しそうに眺め、色々と話しかけてくる。
俺は相槌を打ったり曖昧に返事したりするのが精一杯。
話の内容がまったく頭の中に入ってこない。
これではどちらがエスコートしているのか分かったもんじゃない。
「――――」
「そうそう、俺もそう思うぞ」
少女漫画ではよく、意中の相手と会話するだけで世界が変わって見えると表現されていた。
その瞬間、世界はキラキラに輝くのだ。
……だけど、現実はどうだろう。
浮かれるような暇は与えられない。
世界が鮮明になるどころか、流るる汗が目に入ってぐんにゃり歪んで見える。
眼球が忙しなく動き続け、何を見ているのかさえ定かではない。
美しい世界を楽しむ余裕なんてとてもとても……。
デートの時間を満喫できるとは、恋する乙女達は案外豪胆なのかもしれない。
嫌でも不快でも逃げ出したいわけでもない。
ただただ、平静を装い受け答えするだけで一杯一杯。
彼女の声より自分の鼓動が大きく聞こえる。
もしかして世界が輝いて見えるのは、興奮しすぎて脳卒中になっているのではなかろうか。
「――――」
「うんうん、今日もいい天気だなー」
もう、勘弁してくれ……。
羞恥心なんて独身三十路を過ぎた時に消滅したと思っていたのに。
まさか、こんな羞恥プレイが存在するなんて。
世界って、本当に広いんだなぁ。
「――――」
「ははっ、ははははは…………」
手を繋ぐ男と女。
街中でよく見かける風景。
おそらくは、正しくて、健全な、愛の形。
それなのに、カップルの年齢次第で、違う印象を受けるのは何故だろう。
幼稚園の少年少女が手を繋ぐ姿を見ると、微笑ましくなる。
男子高校生と女子高校生が手を繋ぐ姿を見ると、殴りたくなる。
中年の男女が手を繋ぐ姿を見ると、何ともいえない気持ちになる。
お爺ちゃんとお婆ちゃんが手を繋ぐ姿を見ると、胸が苦しくなる。
今の俺と彼女の姿は、周りにどんな印象を与えているのだろうか。
「おいおいっ、見せつけてくれるじゃねーかぁ」
……うん、知ってた。
どうせ碌な印象は与えてないだろうって。
「――――」
どうやら俺達は、一応本物のカップルに見えたらしく、いつの間にか街のチンピラ連中に囲まれていたようだ。
頭がフットーしていたから、全然気づかなかった。
「おいおっさん、なんとか言ったらどうなんだぁー」
絵に描いたようなチンピラが、ニヤニヤと笑いながら威嚇してくる。
どうせカツアゲするのならカップルを狙って男に恥を掻かせてやろうという、強い気概が感じられる。
品性の欠片も感じられないモテなそうな顔をしているもんなぁ。
カップル狩りは、普段なら諸手を挙げて賛同するのだが。
「まったくよー、若い女が相手だからって、おっさんのくせにデレデレしちゃって……」
「――――言わせねえよ、それ以上は」
普段の俺を馬鹿にするのは構わない。
だけど、今の俺を馬鹿にするのは許されない。
他人から言葉にされてしまったら、本当にそうなってしまうじゃないかっ。
俺は断じてデレデレしてないっ!!
「ほげっ!?」
俺の愛用武器である棍棒をくらったチンピラAは、股間を押さえてうずくまってしまった。
男を黙らせるには、これに限る。
「て、てめえっ、もっ君に何しやがるっ!?」
「いきなり攻撃するなんて、頭おかしいんじゃねぇのかっ!?」
「もっ君のもっ君が再起不能になったらどうすんだよっ!?」
うるせえ。
先に仕掛けてきたのはお前らだろうが。
言葉の暴力を知らないのか。
デート中のおっさんは、それはもう繊細な生き物なんだぞ。
ちょっと弄っただけで、心に大ダメージを受けちゃうんだぞ。
どうでもいいけど、不良共って案外可愛い愛称で呼び合うよな。
「グリン様、ここはワタシが対処しましょうか?」
「……いや、デートの最中に女性から助けられては男として失格。ここは俺に任せてくれ」
「それでは手を――――」
「いや、そのままで良い」
動くのに邪魔だと気遣い、離れようとするエレレ嬢を手の平をぎゅっと握りしめる。
別に若い娘さんのすべすべな手の感触を惜しんでいるわけではない。
一度手を離してしまえば、デートを中断したことになってしまう。
こんなチンピラ共に、俺の貴重なデートを邪魔されたと認めたくない。
たとえ不本意で不格好なデートであったとしても、デートはデートなのだっ!
「一応忠告しておこう。……金輪際、子作りを諦めた者だけがかかってこいっ」
「「「やっちまえーーーっ!!!」」」
俺としては、同じモテない仲間として最大限配慮した台詞だったのだが。
彼らにとっては、挑発にしか聞こえなかったらしく。
一分後には、股間を押さえて泡を吹く複数の前衛的なオブジェが街の景観に加わった。
◇ ◇ ◇
見事、障害物を退けた俺とエレレ嬢は、無事にデートを続け――――られるはずもなく。
離れた場所から見ていたらしい別のチンピラが仲間を呼んで襲いかかってきて。
これまた秒殺するも、また別の仲間がやってきて。
無限ループって、怖い……。
それでも、俺達は、最後まで手を離さなかった。
それが、神の試練に等しいデートに挑む者の、せめてもの矜持。
よほどチンピラが多い街だったようで、ランチをする暇もなく次々と襲いかかってきたから、棒きれを振り回して害虫を追っ払いながら森の中を進むヘンテコなデートになってしまった。
俺の心情はともかく、さすがにこれではご褒美にならないので、エレレ嬢とはリベンジデートの約束を交わして、その日はお開きとなった。
「明日でもいいです」と彼女は言ったが、そこは丁重にお断り。
ある程度期間を空けるのが正しいデートの作法だと説くと、どうにか納得してくれた。
あの様子だと、誘ったら毎日でもデートに付き合ってくれそうで怖い。
ちゃんとメイド兼護衛の仕事をしているのかも心配。
そんなこんなで、次のデートは来月へと持ち越し。
今回は準備不足が露呈してしまったから、入念な準備が必要だろう。
主に、心の準備が。
……あれ?
当初の予定では、すぐに愛想を尽かされて試合終了のはずだったのに、どうしてこんなことに?
なぜもう一度、デートの約束をしてしまったのだろう?
もしかして、愛想を尽かされるまで、ずっと続くのだろうか……。
――――俺は、知っている。
慣れの怖さを、知っている。
このままなんとはなしに何度もデートを繰り返せば、多少の照れを伴ったまま、手を握った状態でも普通に笑い合って話せるようになるだろう。
そう、まるで、本物の恋人みたいに。
――――だけど、俺は、知らない。
本当の恋人が出来てしまった俺が、どうなるのかを。
俺は、知らない。
◆ ◆ ◆
―――― ?日後 ――――
「どうやら、『でーと』は順調みたいね、エレレ」
「はい、もちろんです、お嬢様」
大方の予想に反し、繰り返し実行されているデートについて、お嬢様は高く評価した。
メイドの方も、これまでになく得意げである。
「あの物臭な旅人さんから何度もでーとに誘われるなんて、いったいどんな魔法を使ったの?」
「ワタシの魅力を魔法と呼ぶのなら、そうなのでしょう」
最高潮に調子に乗っているメイドを、お嬢様は訝しげに見ている。
ソマリが疑問に思っているように、デートが継続しているのはエレレの魅力ばかりが要因ではない。
二人がデートをする度にトラブルに見舞われ、無駄に体裁を気にする男がやり直しを提案する結果なのだ。
「何にせよ、あの旅人さんと二人っきりでお出掛けするなんて、またとないチャンスよ。この機会を逃しちゃ駄目だからね?」
「言われるまでもありません。すこぶる順調なので」
メイドが言う「順調」は当てにならない、とお嬢様は知っていた。
しかし今回ばかりは、メイドは確かな手応えを感じていた。
いつも鷹揚に構え、驚いている時もどこかわざとらしい男が、デートの最中には明確に動揺した様子を見せているのだ。
この先どうなるかまでは確約できないが、少なくとも女として強く意識されているのは間違いない。
……一般的に見たらスタートラインに立ったに過ぎなかったが、それでも当人達にとっては大きな進歩であった。
「そもそもの話、旅人さんが誰かに愛を囁いている姿が全然まったくこれっぽっちも想像できないのが問題なのよね」
「以前から思っていましたが、お嬢様はグリン様に対して偏見が過ぎます」
自分のことは棚に置いといて愛を語るお嬢様に、メイドが苦言を呈する。
「正当な評価だと思うけどね? 少なくとも色恋に浮かれている誰かさんより正確なはずよ」
「そんなことだからお嬢様は、殿方に見向きされないのです」
「言ってくれるじゃない。だったらエレレは、旅人さんの何を知っているって言うのよ?」
「ワタシは今回のデートで、ビビララが言っていた『男ってのは可愛い生き物だ』の意味を理解しました」
それは、新婚ほやほやの友人から惚気として聞かされた言葉。
腕っ節の強さを至上とするビビララの口から出た台詞とは思えず、エレレは随分と当惑したものだ。
だけど、二人で過ごす経験を重ね、あの時のビビララが何を言っていたのか理解するに至ったのだ。
「かわいい? 旅人さんが?」
「はい」
「この世で一番、旅人さんに似合わない言葉だと思うけど?」
「どうかお嬢様は、いつまでもそのままでいてください」
「ええーっ?」
「…………」
冗談でも蔑みでもなく、エレレは本心からそう呟いた。
余計な心配かもしれないが、男心というものを深く識ったソマリがどう行動するのか未知数だ。
どうか目に見える謎だけで満足していてほしいと、メイドは願う。
「それにしても、毎回どこででーとしているの? 街中を探し回っても、全然見つからないのよね」
「でーととは神聖なものなので秘密です。尾行しないでくださいと、何度もお願いしているはずですが?」
「エレレに任せておくと失敗しそうだから仕方ないじゃない。二人の仲をちゃんとフォローするのが私の役目なのよっ」
「…………」
普通それは裏方であるメイドの役目では、とエレレは思ったが、自分とお嬢様の役目が逆になったら困るので黙っていた。
「ねえ、エレレ。話は変わるのだけど……」
問い詰めても無駄だと悟ったソマリは、次の話題を振る。
「近頃、多くの街で暴力団や盗賊一味みたいな悪者達が、全員叩きのめされる謎の事件が起きているそうなのだけど、どうしてかしら?」
「悪者は成敗されて当然ではないでしょうか」
「そういう問題じゃないと思うけど……。それに、悶絶して捕らえられた悪者の中にはレベル30を超える凶悪犯も混じっているそうなのよね。そんな厄介な人達が簡単にやられちゃうものかしら?」
「天罰かもしれませんね。きっと、怒らせてはいけない相手の逆鱗に触れてしまったのでしょう」
「それも本題を外した回答ね。……でもね、その相手は神様じゃなくて、男女の二人組だったそうなのよね?」
「同じことです。神聖なでーとを邪魔する者は誰であろうと地獄に落ちるべきです」
かくして、とある男女がデートに勤しむ度に、その街の治安が良くなっていくのだが――――――それはまた、別のお話。