愛の数
「ねえねえっ、旅人さんは今、何人の愛人を囲っているの?」
俺が借りている宿で行われている毎月の定例会。
もはや何の集まりであったのか忘れそうになるくらい、普通の晩餐会。
皆が美味しい料理に舌鼓を打つなか、空気を読まない質問をしてきたのは言うまでもない。
そう、我らがお嬢様――――領主の娘にして好奇心旺盛なソマリちゃんである。
「愛人はしっかりちゃっかり囲っているくせに、どうして恋人は駄目なの? 結婚嫌いは貴族の中にも居るからなんとなく理解できるけど、恋人まで嫌わなくてもいいと思うけど? 愛人も恋人も同じようなものでしょう?」
今日も今日とて絶好調のお嬢様は、俺に回答する間を与えず、質問に質問を重ねてくる。
独身貴族の俺だけでなく、同じく独り身であるメイドさんやミシルにまで失礼な質問だ。
しかし、止める者はおらず、コルトを含めた四人の女性が興味津々でこちらを見ている。
お嬢様だけなら無視もできようが、こうも期待されては応えぬわけにもいかない。
「……お子ちゃまなお嬢様には理解できんだろうが、愛人と恋人は違う。全く違う」
「どう違うの?」
「しかと聞くがいい。恋人の延長上にあるのが結婚。だから恋人と結婚は同じもの。たとえ途中で挫折したとしても、目指す頂きは同じ所。だけど、愛人はどんなに時間が経っても恋人や結婚には至らない。だから安心。金という唯一絶対的な契約で繋がれた関係。どれほど濃密な肉体関係があっても仕事上のパートナーにすぎない」
「「「…………」」」
あれ、女性陣が「うわっ」って顔で見ているぞ?
特に純朴なミシルの少し悲しそうな表情が胸に刺さる。
「大人の男性って、そういう考え方をするのね。でも、人の価値観はそれぞれだし、仕方ないわよね」
お嬢様のドライなところ、嫌いじゃないぜ。
「だったら、結婚なんて気にしない旅人さんは、ばんばん愛人を作りまくればいいんじゃないの?」
お嬢様のしつこいところ、好きじゃないぜ。
「金で繋がるパートナーだとしても、相性は良くないといけない。むろん体だけでなく性格の相性もだ。しかし残念ながら、俺を許容できる女性は滅多に居ない」
「……旅人さんの厄介なところは、本気でそう思っているところよね」
「「「…………」」」
女性陣がうんうんと頷いている。
やはりみんな、俺が致命的な性格破綻者だと思っているようだ。
「だがまあ、恋人は不要だが、元恋人だったらちょっと欲しいかもな」
「旅人さんが何を言っているのか、ちょっと分からないのだけど?」
「重要なのは特殊な間柄だ。元恋人同士ってほら、淫靡な感じがして良いだろう?」
「ええー?」
淫靡と雅びって、似ているよな。
「予期せぬ場所で偶然再会する元恋人の二人。しかし相手の隣には自分以外の異性の姿が。離別したはずなのに、未練もないはずなのに、何故か気まずい空気が流れる。……うむ、これぞ出来る大人の男って感じだよなぁ」
「本当に全く理解できないのだけど……。でも、元恋人を作るためには、まず恋人を作る必要があるわよね?」
「ふむ、言われてみればそうだな。仕方ない、元恋人になるため恋人を作ってみるか!」
「それって、どうやって作るつもりなの?」
「そりゃあ当然、俺の元恋人になってくれ、ってお願いするしかないだろう」
「……そんな一瞬で別れるのを前提とした告白を受ける女の子は居ないわよ」
「「「…………」」」
お嬢様の呆れ声に、他の三人もうんうんと頷いている。
どうやら男のロマンは、女には理解できないようだ。
女のロマンも男には理解できないからお相子だろう。
それはいいのだが、何故かいたたまれない空気が流れている気がする。
食事会は雰囲気が悪くなると、料理まで不味くなってしまう。
ここは一つ、巧みな話術で場を和ませるとするか。
「はいそれではー、ここでクイズを出しまーす。紳士でダンディだと評判なこの俺ですが、今現在いったい何人の愛人が居るのでしょーか? 正解に近い人から豪華デザートを選ぶ権利が与えられまーす!」
「「「「――――っ!?」」」」
一斉に目の色を変える女性陣。
うんうん、やっぱりおっさんのディナーに付き合うような女性は、花より団子だよな。
「さあさあ、誰から答えるんだ? 人数が同じ場合は早く答えた者勝ちだぞ」
「……では、僭越ながら最初はワタシが」
すっと片手を挙げたのは、メイドさん。
何故か自信がありそうな顔をしている。
「20人、だと思います」
この世界で大都市と呼ばれ、特に発展しているメガシティの数がそのくらいだったはず。
地球に住んでいた頃は都道府県別に愛人が欲しいと思っていたから、その方向性は間違っていない。
「甘いわね、エレレ。旅人さんを侮っちゃいけないわっ。ズバリ、300人が正解よ!」
二番目に答えたのは、ソマリお嬢様。
こちらも無駄に自信一杯だ。
なるほど、この世界の一年間は300日間だから、一日一人の計算か。
在全グループ総統様かな。
「あんちゃんは面倒くさがりだから、5人くらいじゃねーか」
お次は、コルト。
俺の女好きな部分と物臭な部分を天秤に掛けた結果、後者に傾いたわけか。
やっぱり俺を一番理解しているのはコルコルだ。
早く大きくなっておくれ。
「おおおじ様にはっ、ああ愛人なんて居ないと思いますっ」
最後は、ミシル。
愛人という単語を恥ずかしそうに口にする様が初々しくて可愛い。
若い子に卑猥な言葉を言わせて喜ぶエロオヤジの気持ちがよく分かる。
「答えは出揃ったわよ、旅人さんっ。さあっ、いったい誰が正解かしらっ!?」
クイズというか謎が大好きなお嬢様がワクワクした顔でせかしてくる。
期待しているところ悪いが、ネタに走ったお嬢様じゃないことだけは確かだぞ。
「それではー、発表しまーす。ドラムロール、スタート!」
「どらむろーる?」
「じゃかじゃかーじゃん! はいっ、最も正解に近かったのは――――もちろんミシルです!」
「「「ええーっ!?」」」
ミシルを除く三人の女性から抗議の声が上がった。
自分が正解ではなかったから、ではなく、愛人がゼロという答えに不満があるようだ。
失敬なと憤るべきか、甲斐性があると思われ喜ぶべきか、悩みどころである。
体裁を気にして嘘をついたわけではない。
愛人の数はゼロではないのだが、ネネ姉妹の二人から増えてもいない。
その他にも肉体関係がある相手も居なくはないが、愛人という契約は結んでいない。
理由は単にそういう縁がなかったから。
いくらドライな愛人関係とはいえ、ご縁が無い相手とはどうしようもない。
「つまり順位は数が少なかった方から、ミシル、コルト、エレレ嬢、そしてドベがソマリお嬢様、だな」
「そ、そんなーっ」
お嬢様が情けない声を出してこちらを見てくるが、俺の言葉に嘘が無いのは自身で分かっているはずだから、それ以上強くは出てこない。
ただの泣き落としである。
お嬢様がやっても効果が無いが、武士の情けでデザートは全て甘い物にしておこう。
けっきょく、愛人の数については正式な数を悟らせないよう誤魔化したが、実際は2人以下だと白状したようなものなので痛み分けであろう。
ただ単に自爆しただけな気もする。
全く、何をしたいんだろうな、俺は。
なお、愛人の数に対して、各人の感想は以下のとおり。
「わわわたしはおじ様を信じていましたっ」
ありがとう、ミシル。
でもな、俺は君が思っているような潔癖な男じゃないんだよ。
独身中年男にとって愛人は唯一最後の希望なんだよ。
清濁併せ呑んでこそ大人だと思うんだよ。
「あんちゃんだから、そんなもんだよな」
深い理解力を見せてくれるコルト。
彼氏の駄目なところを受け入れている彼女みたいで大変素晴らしい。
でも偶には焼き餅焼いてもいいだぞ。
「ワタシもグリン様を信じていました」
しれっと嘘をつくメイドさん。
いつものように分かりにくい表情だが、微笑んでいるようだ。
実は本当に全てを見通しているようで、ちょっと怖い。
「なーんだ。旅人さんってば、案外甲斐性が無いのね」
お嬢様が冗談か本気か分からない感想を呟く。
腹立たしいが、本当のことなので反論しようもない。
多くの愛人を囲い、その関係を成立させ続けているゲス野郎には、遺憾ながら称賛の念を感じる。
とても俺には真似できない。
まあ、実際にそんな奴と出会ったらぶん殴るだろうけどな。
「余興はこれで終わりだ。デザートを食ったらお開きにしよう」
正解者から順に好きなデザートを選べるルールだったが、各々が好むお菓子を用意すれば不満は出ないだろう。
「えっ、なに、この白いお菓子? もちもちして甘くはあるのだけど、なんだかとっても物足りない感じがするわ」
むろん、元凶でありドベでもあるお嬢様には報いを受けさせるため、ただの白餅を出しておいた。
砂糖醤油やきな粉を付けるだけで激うまになるだけに、今一つ足りないもどかしさに悶えるがいい。
オチも付いたし、めでたく解散と思いきや……。
「なあ、あんちゃん。やっぱオレ、よく分かんないだけどさ?」
最後に茶々を入れてきたのは、空気が読める子ナンバーワンであるはずのコルコルだった。
「ん? ……ああ、今日の話は大人を構成する闇の部分だから、コルトは無理に理解する必要はないんだぞ?」
「大人の闇というより、男性のド汚い暗部だと思うけど?」
それに気づくお嬢様もしっかり汚れているんだぞ。
「でもさぁ、どうしても恋人と愛人とやらの違いが分かんないんだよ」
「だからそれは、繊細で複雑な大人の事情があって――――」
「一夫一婦制なら分かるんだよ。一人だけしか好きになっちゃダメだって決められているから、表立って言えるのが恋人、隠れて裏で作るのが愛人、だよな」
愛人には色々な定義があるが、コルトが言った意味合いが近代社会では一番強いだろう。
「でも、大体の人族は一夫多妻制みたいだし、あんちゃんも人族なんだからさ。一夫多妻制なら、恋人も愛人も同じもんだろう?」
「い、いやいや、確かに愛の有無なんて証明できないから、プラス面では恋人と愛人の差は区別できないかもしれんが、マイナス面で決定的な差がある。それが金だよ金。金というマイナス要素がある限り、恋人と愛人は決定的に違うんだっ。愛人とは金を持つ大人にだけ許された特権なんだっ!」
「そこが一番分かんねーところだよ、あんちゃん。ここら辺では男の方が金を持っているのは当たり前だし、金を持っている奴じゃないと援助できないのも当然だし、それが恋人だったらなおさら当然だろう?」
「こ、恋人でも金が絡んで当然? む、むしろ恋人だからこそ金を渡している? は、ははは、そんな馬鹿な……。真実の愛ってヤツは、金じゃ買えないんだぜ?」
「あんちゃんはその台詞、よく言うけどさ。それって逆に考えたら、愛に金の有り無しは関係ない証拠になるんじゃねーのか? 金なんかで愛は壊れたりしないんじゃねーのか?」
「あ、愛は金で買えないからこそ、金という不純物が混ざっていたとしても、真実の愛は揺るがない……?」
コルトが何を言っているのか、理解できない。
だけど、俺の数少ない価値観の一つにヒビが入った音が聞こえた。
そもそも俺は、どうしてネネ姉妹を愛人にしたのだろう?
ええと確か、姉のルーネからそう打診されたんだよな。
では何故、恋人ではなく、愛人だったのか。
彼女達が娼婦だったからだろうか。
……いや、違う。
恋人なんて言うと、俺が絶対断ると分かっていたからだ。
だとしたら、ネネ姉妹にとっては最初っから愛人も恋人も同じ意味だったのか?
俺と彼女達は、愛人でもあり、恋人でもあるということか?
俺はもう既に、恋人を作っていたのか?
実質、結婚しているようなものなのか?
結婚、していいのか?
――――ゴチンッ!
「あんちゃんっ!?」
「旅人さんっ!?」
一瞬、世界が闇に転じたかと思ったらテーブルに顔面を叩きつけていた。
どうやら、酔いが回ったところに考えすぎて、脳内のヒューズが飛んだらしい。
「……グリン様?」
「おっ、おじ様っ、すすすごい音がしましたけどっ!?」
四方から心配する声が届く。
かなり大きな音がしたから、よほど勢いよく頭をぶつけたのだろう。
「驚かせてすまない。ちょっと意識が飛んでいたようだ」
「「「「…………」」」」
あっ、テーブルにヒビが入っている。
「ご、ごめんよ、あんちゃん。なんというか、ほら、あんちゃんには難しい話だったよな」
「ぷくくっ、そうよねっ、旅人さんは小難しいことを考えるのが苦手だもんねっ」
コルトとお嬢様がフォローしているようだが、釈然としない。
思春期前の子供から「赤ちゃんはどこから来るの?」と聞かれて苦笑している母親にあやされているようで居心地が悪い。
「グリン様、愛とは自由なものなのです」
俺以上に愛と縁が無さそうなメイドさんがしたり顔で言ってくる。
大層なことを言ってそうで、その実中身が無いところが彼女らしい。
「きききっとおじ様にもっ、すす素敵な出逢いが待っているはずですっ」
ミシルも必死に慰めてくれる。
それは嬉しいのだが、いつの間にかモテない中年男の相談会みたいになっているのは何故だろう。
「――――とにかく、今日はこれまでにしよう」
これ以上深く考えてはいけない気がするが、とにかく今は一人になりたい。
一人になって、ぼーっとしたい。
そう思って退室を促していたら、またもや最後に余計な一言を口にしてくる奴が居た。
むろん、お嬢様である。
「ねえねえっ、旅人さんが言うところの愛人とは、『でーと』をするの?」
「……しないな」
俺が定義する愛人とは金ありきの関係だから、愛を育む純粋な儀式であるデートは成立しない。
「だったら、『でーと』をする相手とは、どんな関係になるのかしら?」
「…………」
分かりきった答えを聞いてくるお嬢様。
分かりきった答えを答えられない俺。
「旅人さん、明日の『でーと』、頑張ってね?」
にんまり笑いながら、そう言い残して、性悪女は去っていった。
自分の部屋に一人残された俺は、もう一度テーブルに頭を叩きつける。
――――ゴチンッ!
「…………無駄、か」
そう都合良く記憶は無くならないらしい。
明日は、メイドさんとデートである。