奴隷少女の日常 4/7
≪ 第6話/ノルマ達成とご褒美 ≫
「完成、したわね……」
その日、規定のレシピ――――十種類の料理のレシピが完成した。
しかも、申し合わせたかのように三人同時にだ。
……三人のうち二人は共同作業なので、大した偶然ではないのだが。
費やした期間は、ちょうど一年間。
ゼロから始めたことを考えると、短い期間だといえる。
どれほど才能と環境に恵まれていても、レシピを作る概念さえ無いような世界で成し遂げたのは、やはりモチベーションが続いたお陰だろう。
色々と問題はあったのだが、結果的に男が選んだ方法は間違ってはいなかったことになる。
「これで、ご褒美がもらえるんだよね、お姉ちゃん?」
「……うん、そうだよ、コニー」
男が大手を振って提示したご褒美とやらは、具体性が全くないものであった。
なにしろ、「十種類のレシピに見合う希望なら何でも叶える」といった内容だったからだ。
そもそも、道具に等しい奴隷が褒美をもらうこと自体がおこがましいため、詳しく聞くのもはばかられる。
このため少女達は、心の内で想像するだけで、それが本当にご褒美として認められるのか知らないでいた。
「ベルーチェさんは、どんなご褒美をお願いするか、もう決めてるんですか?」
にやにやと含み笑いしているベルーチェに、コニーが問いかける。
「ええ、もちろんよ。私は生まれた街と奴隷館があった街、そしてこの街しか知らないから、もっと色々な街を巡って美味しいものをたくさん食べたいわ。もちろん、彼と一緒にね」
「それはつまり、あいつと一緒にお出掛けしたいってことですね?」
「そんなんじゃないわ。料理に対する見識を深めるために必要なのよ。それに初めての街は危険だから、彼にも同行してもらうだけ。だからけっして楽しみにしているわけじゃないわよ」
「でもそれって、料理の研究のためだってお願いすれば、いつでも連れてってくれるんじゃないですか?」
「……え?」
「ベルーチェちゃん、わたしもそう思うよ。旦那さまにとって一番大切なのは料理だから、そのくらいならご褒美じゃなくても叶えてくれるはずだよ」
「た、確かにそうだわ。そんなことにも気づけないなんて、やっぱり馬鹿な私っ。ご褒美がもらえるのをずっと楽しみにしてきたのに、本当に馬鹿みたいっ」
「やっぱり、あいつと遊びたいだけなんじゃ?」
コニーが発した呟きは、幸いにもベルーチェには聞こえなかった。
「まあ、いいわ。私のご褒美は別のを考えるとして、あなた達姉妹のご褒美はもう決まっているの?」
「……ううん、まだ決まってないよ、ベルーチェちゃん。今まで目の前のことで精一杯だったから」
「あら、考えるまでもないと思っていたのだけど? リエーはともかく、コニーはずっと奴隷から解放されることを願っていたのでしょう?」
「ええっ!? ま、まさかご褒美として奴隷からの解放もできるんですかっ!?」
「大丈夫だと思うわ。いつも気前が良すぎる彼が『何でも叶える』って断言したのだから、奴隷解放も当然含まれるわよ」
「で、でもっ、今までたくさんのお金と時間を使ってきたあたし達を手放すのは、あいつでもさすがに大損だって嫌がるんじゃ……」
「お金はともかく、レシピ作りについてはそうかもしれないわね。……だったら、直接本人に聞いてきましょう」
◇ ◇ ◇
「――――ああ、むろん奴隷解放もありだぞ」
ベルーチェが自分の使い魔に話しかけると、そう答えが返ってきた。
三人の少女には、魔法で創られた使い魔がそれぞれに与えられており、護衛やお使いだけでなく、主人との連絡係も担っている。
……本来は連絡用アイテムの役割だが、指輪型アイテムの譲渡で苦い経験を持つ男が使い魔に通信機能を付与しているのだ。
「望まず奴隷になった者としては、むしろこれ以外の望みなどないと思っていたのだがな」
姿を見せず声だけで応対する男は、さも当然のように言ってのけた。
「……でもそうなると、これからレシピを作る子が居なくなっちゃうから、その、困るでしょう?」
「それは残念だが、モチベーションを保つためには仕方のないことだ。成果には相応の対価で応えなければならないからな」
「…………」
「それに、君達で培ったノウハウと実際に完成したレシピがあれば、同じ業務を継続させるのはそう難しくないはずだ」
「……私達が奴隷から解放され、この家から出ていったら、また新しい奴隷を買って同じことをさせるつもりなのね」
「まあ、そうなるだろうな。料理のレシピは多いに越したことはないし」
「…………」
「あっ、それだと比較的効率が悪くなるから、一応他の褒美も提案して継続を検討してもらうつもりだぞ」
「……参考までに、聞かせてちょうだい?」
「それはもちろん金だ。レシピ一つに対して金貨十枚、つまり一人当たりに十種類のレシピ分として金貨百枚を支払おう。奴隷から解放されても先立つものが無ければ困るだろうから、まずは解放後の資金を蓄えることを推奨する。俺が言うのもなんだが、悪くない話だと思うぞ?」
「……なるほど、十種類のレシピを完成させる度に、何度でもご褒美がもらえる仕組みなのね」
「もちろんだともっ。……あれ、もしかしてこれも言ってなかったかな?」
「そうね、初耳だわ」
「それは申し訳ないことをした。まあ、そんなわけで褒美の種類は三つ。奴隷解放か、金貨百枚か、それとも金貨百枚相当の別の願いか、だ。どれを選ぶかは自由だから、じっくり考えてくれ」
「……理解したわ。決まったら、また連絡するわね」
「では、色よい返事を期待しているぞ。全ては素晴らしい料理ライフのために!」
顔が見えずともうざったい男との会話が終わった。
ようやくご褒美の子細について把握した三人は、項垂れるように黙り込む。
「――――今までの付き合いで慣れたつもりだったけど、とんでもない人ね」
最初に沈黙を破ったのは、ベルーチェ。
「やっぱり、彼にとって私達は使い捨ての道具に過ぎないのね」
「……あの、他にもっと驚くことがあると思うんですが?」
深刻な表情で的外れなことを言い出したベルーチェに、コニーが反論する。
「私にとってはそれが一番の問題なのだけど、ね。……でも、そうね、何度もご褒美をもらえるのなら、彼が勧めるようにお金を貯めてから解放を選ぶ方が賢いわよね」
「でもでもっ、すっごく時間がかかったけど、料理の作り方を書いた紙一つに金貨十枚も出すなんて……」
「物の価値なんて人それぞれだわ。特に彼は、足手まといでしかなかった私の価値を簡単に逆転させるような人だから、驚くのも今更ね」
「…………」
「ここは素直に、私達の頑張りがそれだけ評価されたのだと喜ぶべきでしょうね」
「…………」
「それで、あなた達姉妹はどうするの? しばらくレシピ作りを続けて、お金を貯めてから解放されるの? それとも、路頭に迷うのを承知で今すぐ解放される道を選ぶの?」
「そ、それは…………」
これまで、姉の貞操を脅かす男の元から逃げることばかり考えていたコニーも、さすがに躊躇ってしまう。
十種類のレシピを完成させるのに一年を費やしたとはいえ、その報酬が金貨百枚であれば釣り合いがとれる。
いや、釣り合うどころか、十代前半の少女としては破格。
技能を持つ大人の平均年収が同程度であるのだから。
しかも、衣食住は全て無料であり、レシピ作りも次からはもっと早くできるはず。
手慣れてしまえば、高給取りの商人にさえ負けない稼ぎとなるだろう。
……そもそも、奴隷が報奨金を得ること自体が異常なのだが、それを気にしない程度には全員が毒されていた。
「ねえねえっ、お姉ちゃんはどうしたらいいと思う?」
「あっ、その、わたしは…………」
「ここから出た後の生活のために金貨百枚はすっごく欲しいけど、お姉ちゃんをこんな危険な所にいつまでも置いとくわけにもいかないし」
「…………」
「あっ、そうだっ。お姉ちゃんだけ解放してもらって、あたしが残る代わりに金貨を受け取って、それをお姉ちゃんの生活費にすれば全部解決じゃないっ!」
コニーは、これ以上無い良案を思いついたとばかりに、飛び跳ねながら姉に賛同を求める。
その赤く大きな目は、姉が快諾すると信じて疑わない。
「ごめんね、コニー。それは、できないんだよ……」
だけど、リエーは首を横に振って、きっぱりと否定した。
「えっ、どうしてダメなのっ、お姉ちゃんっ?」
「だって、わたしのご褒美は、もう無いから」
「ど、どういうことっ!?」
「わたしのご褒美――――お願いは、旦那さまに買われる前に、使っちゃったから……」
「そんなっ――――」
姉にそこまで言わせて、妹はようやく察した。
男から姉を守ることばかりを考えていてすっかり忘れていたが、そもそも自分は姉のおまけで買われたのだ。
姉妹が一緒に居ること。
その願いを前借りしてしまった姉には、もうご褒美をもらう資格がない。
妹の願いは、叶えられるというのに。
「ごめんね、ごめんねお姉ちゃん……。やっぱりあたしは、ここに来たらダメだったんだね……」
「ううん、いいのよ、わたしがコニーと少しでも長く一緒に居たかっただけだから……」
兎族の姉妹は抱き合って涙を流す。
この場に全ての元凶である男が居たら、こう言っただろう。
ああ、仲良きことは、美しきかな――――。
「……あの、盛り上がっているところに悪いのだけど」
悲劇の真っ只中に居る二人に取り残されてしまったベルーチェは、気まずそうに声をかけた。
「いいんですっ、ベルーチェさんっ。これがお姉ちゃんとあたしの運命なんですっ。だから、ベルーチェさんは気にせずに自分の願いを叶えてくださいっ!」
「そうじゃなくて、あなた達姉妹が悲観する必要なんて無いって思うわよ」
「「……え?」」
「だって、リエーが言うように既にご褒美をもらっていたとしても、それはあくまで一回分の話でしょう? だから、今回は無理でも、次のご褒美を使えば普通に解放してもらえると思うわよ」
「「えっ?」」
「それに、どうしても今すぐ解放されたいのなら、コニーのご褒美を使ってリエーを解放させればいいだけでしょう」
「「ええっ!?」」
真面目な雰囲気をぶち壊す話だったが、言われてみればその通り。
十種類のレシピを完成させる度にご褒美をもらえるのだから、根気と命が続く限り、それこそ何だって実現可能な契約なのだ。
「「――――」」
ようやく気づいた姉妹は、顔を赤らめて仲良く俯いた。
「でも本当に、そんな都合が良いご褒美が許されるんでしょうか?」
「許すも何も、ご主人様である彼が勝手に決めて、勝手に守ろうとする約束だわ。それが料理のためだと彼が信じている限り、どんなご褒美も叶ってしまうのでしょうね」
「……今更ですけど、あたし達のご主人様は、本当に無茶苦茶な人なんですね」
「くふふっ、本当に今更ね」
男について話をする時、いつも嫌そうな顔をしていたコニーが、初めて違う表情を見せた。
少なくとも男が敵ではないことに、ようやく彼女も理解しはじめたのだろう。
「そもそも、コニーがいつも警戒しているけど、リエーはこの一年間で彼から迫られた経験があるの?」
「あっ、そういえば全然無いっ!?」
迫る以前に、男は触れようとさえしない。
まるで、腫れ物を扱っているみたいに……。
コニー以上に男を目で追っているベルーチェにも、それはよく分かっていた。
「そういえばも何も、彼は最初っから手を出すつもりなんてないと思うわよ」
「でっ、でも、あたしには、レシピ作りが上手くいかなかったらお姉ちゃんを襲うって……」
「からかわれたのよ、コニーは。彼がいつも言っているモチベーションとやらを出させるために、誤解するよう仕向けたんだわ」
「そ、そんなっ」
「意地が悪いとは思うけど、実際にコニーがここまで頑張ってこれたのも確か。私もコニーと一緒でなければ落ちぶれていただろうから、結果的にすっごく助かっているわ」
「…………」
「最後は全てが上手くいってしまう。やっぱり彼の一番凄いところはそれね」
「…………」
「…………」
「――――もう一度、よく考えましょう。私達の望みが何であるのか。そして、彼の望みが何であるのかを、ね」
悩んだ末、少女達が選んだご褒美は、金貨百枚であった。
ベルーチェは色々と画策したのだが、考えすぎて上手くまとまらず、次回に持ち越した格好。
兎族姉妹も、先立つ物が無ければどうしようもないということで、奴隷からの解放については次回まで検討。
色々と理由を付けているものの、結局のところは、現状維持を選んだのである。