奴隷少女の日常 2/7
≪ 第2話/朝の始まり ≫
「――――っ!」
ベルーチェの朝は、早い。
奴隷館に幽閉されていた頃は、不自由な手足と不安しかない未来に苛まれ、悪夢にうなされる日々を過ごしていた。
だけど今は、清潔で柔らかいベッドで熟睡し、次の日が待ちきれないとばかりに目を覚ます。
「……あるわね」
目を覚ました彼女は、まず両手が体に付いていることを確かめ、次に両足を確かめ、最後に頬をつねって夢でないことを確かめる。
普通の者にとっては、当たり前の日常だが、ベルーチェにとっては、これ以上ない日常だ。
「よしっ」
朝の日課を終えると、そそくさと着替え、部屋を飛び出る。
この気持ちを誰かに伝えたくて仕方ない。
だけど、その相手に相応しい男は、この家には居ない。
立派すぎる家に住むのは、三人の少女だけ。
家主であるはずの男は、十日に一度の品評会か、緊急事態だと騒ぎ立てて呼び出さない限りは顔を出さない。
少女達の住む環境と料理を作る環境を整えた後は、基本放ったらかし。
「まったく、買ったら最後まで面倒見なさいよっ」
高い金を払ってまで購入した奴隷を放置。
本物のペットでも、もう少し構ってくれるはず。
レシピ作りに欠かせない人材だとおだてるくせに、実際の扱いはペット以下。
「ほっ、ほっ、ほっ…………」
鬱積した感情を発散するかのように、ベルーチェは早朝のランニングに勤しむ。
謎の男が持つ謎の薬で、手足は復調され、体調も元に戻った。
しかし、これまで体力の衰えまでは戻しようがない。
こうして体を動かし、人並みの体力をつけねばらなない。
料理作りには、体力も必要なのだ。
「ふう……。朝風呂は最高ね。料理以外にはあまり興味を示さない彼が必需品として準備したのもよく分かるわ」
運動で汗を流した後は、風呂に入ってさっぱりする。
彼女達が住む家には、立派なキッチンばかりでなく、風呂場まで完備されていた。
これほど整った環境の恩恵を受ける者は、この広い都市の中でも一握りだろう。
「これだけ広くて住みやすいのだから、一緒に住めばいいのに……」
普段の男は、いったいどのような暮らしをしているのだろうか。
奴隷である自分達がこんな贅沢をしているのだから、もっと広くて立派な豪邸に住んでいるに違いない。
そして、周りには多くの美女を侍らせているはず。
「ぶくっ……」
邪念を追い払おうと、ベルーチェは湯に頭を沈めた。
これ以上考えても、どうしようもない。
自分は奴隷であり、男はそのご主人様。
それに、底が抜けているのかと思うほど懐が広い男だから、女なんて選り取り見取りだろう。
まだ子供で貧相な自分なんかでは太刀打ちできない。
「ぶくぶくぶく……」
だけど、自分には料理がある。
何一つ不自由していない男が、わざわざ小汚い奴隷を買ってまで得ようとしている。
それだけの価値が、料理には――――自分にはあるのだと信じたい。
男の関心を引くには、それしかないのだから。
「ぷはっ……。よしっ、今日こそは、すっごいレシピを完成させるわよっ」
ベルーチェの一日は、こうして始まる。
◇ ◇ ◇
「お姉ちゃん……」
「う、ううっ……」
兎族姉妹の朝は、遅い。
妹は、姉に抱きついて、気持ち良さそうに寝続ける。
姉は、妹からめいっぱい抱きつかれ身動きが取れないが、安心したように眠り続ける。
「「…………」」
奴隷館に閉じ込められていた頃も、二人で一緒に眠っていた。
奴隷の質を損ねないよう、環境はけっして悪くはなかった。
だけど、妹は不安で眠れず、姉も妹が寝るまであやしていたため、熟睡できなかった。
近いうちにどちらかが購入され、離ればなれになる時が来るのだと思っていたからだ。
そしてそのまま、一生再会できないのだと……。
「「…………」」
幸運なことに、心配は杞憂に終わった。
姉妹の飼い主はとびっきりの変人だが、直接的な害は無い。
少なくとも、今のところは。
「「…………」」
目を覚ませば、現実が待っている。
ただひたすらに、料理のレシピを作る日々が。
普通に料理店で働いていると思えば、大した違いはない。
それどころか、全て自分の裁量で進めることができる。
決まった給料こそ無いが、衣食住の環境に問題はない。
むしろ、街中で働く大人の女性よりも、遙かに恵まれているだろう。
だから、男のもとで働くのは、苦ではない。
「「すーすー…………」」
それでも、姉妹一緒に安心して眠る一時は、何ものにも代え難い。
男の幸せが、料理であるように。
姉妹の幸せは、ただ二人でゆっくりと過ごせる日常。
「ほらっ、そろそろ起きなさいっ!」
リエーとコニーの一日は、朝風呂を終えたベルーチェが起こしに来るまで始まらない。
◇ ◇ ◇
「らっしゃい、らっしゃいっ!」
三人の料理作りは、買い物から始まる。
朝市へ出向き、思い思いの食材を購入する。
「よおっ、ちっこい黒髪のお嬢ちゃん! 今日も活きがいいヤツが入ってるぜっ!!」
すっかり常連となった三人は、行く先々で気軽に声を掛けられる。
「……本当に、彼が言ったような状況になってしまったわね」
人との接触が苦手なベルーチェは、うんざりした声を上げた。
しかし、これも仕事。
男が満足する料理を作るため、新鮮な食材は欠かせない。
「わたしとしては、毎日お勧めの食材を教えてくれるから助かっているけど……」
「お姉ちゃんはいっつも買いすぎだよっ。言われたとおりに全部買ってどうするのっ!?」
「でもっ、たくさん買えば、たくさん料理が作れるし」
「目の前にある材料でちゃんとした料理を作る才能は、リエーが一番ね。きっとあなたのような人が、いいお嫁さんになるのだわ」
「そ、そんなことないよ、ベルーチェちゃんっ」
「結婚なんて絶対にダメだよっ、お姉ちゃんを幸せにできる男なんて居ないからっ」
両親に売られ、同じ理由で買われ、共同生活を続ける三人は、すっかり仲良くなっていた。
一癖も二癖もある共通の敵に飼われているのだから、結束は不可欠である。
「コレとソレ、ついでにアレももらうわ」
「へい、まいどっ!」
ベルーチェは気になった食材を、リエーとコニーは店員のお勧めを購入しながら朝市を見て回る。
最初は遠慮して安い物ばかり買っていたのだが、男から渡される必要経費に上限が無いと分かった今では、値段を気にしなくなってしまった。
『必要と思った物を必要な時に必要なだけ買うための経費。それこそが必要経費だ』
金銭感覚が狂いつつある自分も恐ろしいが、それ以上に大金をぽんと渡してくる男の気が知れない。
美味しい料理のレシピを作るためには、金なんてどうでもいいのだろう。
レシピ作りに任命された彼女達に求められるのは、節約や効率などではない。
誰もが再現できる確実なレシピの完成、それだけなのだ。
「「「――――」」」
食材を買い集め、家に戻った三人は、各々で料理作りに勤しむ。
これまで家事の手伝い程度にしか携わっていなかったので、ほぼ手探り状態。
それでなくとも、この世界の料理は単純に切って焼いて食べるのが基本。
高ランクの料理スキルがあっても、手本となる完成品があっても、簡単にはいかない。
慣れるために、色々な調理法を試すために、多くの料理を作り続ける。
思考。実行。試行錯誤。
教訓。反省材料。失敗は成功の母。
とにかく最初は、実践が一番。
調理という簡単なようで何処までも奥深い技能を我が身を以て理解していく。
少しずつではあるが、より確実に、より深くに。
「……今日も、作りすぎたわね」
作った料理はお互いに試食して意見を出し合うが、胃袋が消費可能な量には限界がある。
当然、多くの料理が余ってしまう。
この問題について男に相談したら、意外な答えが返ってきた。
高い食材の購入や試作の繰り返しは全く気にしないくせに、余った料理を捨てるのには拒否反応を示したのだ。
『どんな料理にも神が宿っている。だからご飯一粒でも残すのは宜しくない』
宗教めいた道徳観であったが、奴隷館で質素な生活を余儀なくされてきた少女達に異論などあろうはずがない。
だからといって、男が提案した『そこら辺の暇そうな子供に食べてもらえばいい』という投げやりな解決法もどうかと思ったが。
他に案が浮かばないのだから、仕方がない。
「余った料理は、わたしとコニーで配ってくるね」
「行ってくるね、ベルーチェさんっ」
「……ええ、お願いするわ」
習慣になってしまったため、三人が住む家の庭には、昼食と夕食時に子供達が集まるようになっていた。
人付き合いが苦手なベルーチェは、兎族姉妹が配る料理にがっつく姿を屋敷の中からこっそり窺う。
一応は、他人から料理の感想を聞くといった理由もあるのだが、あの調子では期待できない。
様々な物が集まる裕福な都市ではあるが、日常的に腹を空かしている子供も少なくない。
富はあれど、平等に行き渡らないのが社会の仕組み。
このため、集まってくるのはただの腹ぺこ小僧ではなく、貧困層の子供達ばかり。
「はあ……、何をやっているのか、ますます分からなくなるわ」
奇妙な社会構造を垣間見たベルーチェは、嘆息した。
腹を空かせた子供達にとって、無償で料理を提供する兎族姉妹は天使に見えるだろう。
法律上の身分としては、奴隷である自分達よりも、貧しくとも家庭がある子供達の方が遙かに良いはずなのに。
これでは、何のために料理を作っているのか、分からない。
「……そもそも、私達なんかに料理を作らせている理由からしてよく分からないのだから、当然だわ」
三人の少女を購入した男は、究極の料理レシピを作るためだと息巻いていたが、本当にそうならもっと確実で効率的な方法があったはずだ。
潜在的な料理スキルの持ち主に頼るより、既にスキルを確立させた者を探す方が確実だし、技能に長けた年長者を雇った方が効率的のはず。
それだけの力を、男は持っているのだから。
金任せの合理性重視に見えて、どこか抜けていて、まどろっこしい。
あえて回り道を選んでいるように思える。
回りくどい喋り方と的外れな情熱を燃やす男には、それが相応しいのかもしれない。
「料理のように、それも複雑なのでしょうね」
男の気まぐれに恩恵を受けているのは、腹を空かせる子供ばかりではない。
一番影響を受けているのは、他ならぬ自分達。
それを考えると、思わず口元が緩む。
「まだまだ、ね」
自分が作った料理を食べ、ベルーチェは笑った。
≪ 第3話/馬鹿と役立たず ≫
恵まれた環境のもと、料理のレシピ作り計画は進められていった。
人材、環境、手本、モチベーションなど、細部に至るまで完璧と思われたプロジェクトは、順調に成果を出すと思われたのだが――――。
「……やっぱり私は、馬鹿な女だわ」
「……ごめんね、お姉ちゃん。あたし、やっぱり役立たずだったよ」
開始して二ヶ月。
早くも難航していた。
「彼に認められて、浮かれていたようだわ。手足が使えるようになっても、手厚く準備してもらっても、レシピ一つもできやしない。やっぱり私は、五体満足でも何もできない女なのね」
「お姉ちゃんを助けたくてついてきたのに、頑張ればどうにかなるって思っていたのに……。やっぱり私は、いつまで経ってもお荷物な妹なんだよ」
「ふ、二人とも、まだ始めたばかりじゃないっ。これからきっと上手くいくよっ」
自信満々だったベルーチェと、やる気に満ちていたコニーは、テーブルに突っ伏してどんよりした空気を漂わせていた。
リエーが必死に慰めるが、あまり効果はない。
「リエー、あなただけは本物だわ。この短時間でレシピを二つも完成させてしまったのだから。……もう、あなただけが彼の傍に居ればそれでいいんじゃないかしら。料理だけでなく家事全般も完璧だし」
「駄目なあたしがお姉ちゃんを心配するなんて間違いだったよね。……せめて、あの男の欲望はあたしが引き受けるから、お姉ちゃんは立派な料理人になってね。あたしはあの世から見守っているから」
むしろ、慰めるほどに逆効果。
落ちこぼれ組の二人は、どんどん卑屈になっていく。
優等生に劣等生の気持ちは分からないのだ。
――――世界でも屈指の料理スキルを持つベルーチェが落ちこぼれた理由。
それは、才能が強すぎて感覚でしか料理を作れず、考える前に手が動いて毎回違う調理方法になってしまうため、レシピ化できないのが原因である。
腕前は素晴らしく、料理の完成度も及第点に届いているのだが、彼女に課せられた使命はレシピ作り。
ベルーチェにしか作れないその場限りの料理では意味をなさない。
料理作りとレシピ作りは、同じようで違うもの。
彼女の才能とレシピ作りは、相性が悪いというより他ない。
このような失敗が重なった結果、元来の自信が反転してまい、いじけ状態になっているのだ。
――――強い使命感と根性を持つコニーが落ちこぼれた理由。
それは、やはり料理スキルを持っていないのが原因である。
もとより承知していた短所だが、彼女の見込み以上にマイナス具合が大きかった。
スキルによる補助がないため、味蕾が弱い彼女には味の強弱があまり理解できず、調理の発想も湧いてこない。
完成品がイメージできないのだから、作れないのも当然であろう。
このような失敗が重なった結果、自分の料理では姉を守れないと諦め、人身御供となる覚悟を決めたのだ。
「馬鹿よ、本当に馬鹿よっ。少しばかり必要にされたからって、調子に乗ったあげくがこの様。男に騙される女は馬鹿だと思っていたけど、騙される以前に勝手に勘違いしてしまう私は大馬鹿者よ。馬鹿馬鹿本当に馬鹿。こんな馬鹿な女、消えてしまえばいいのに――――」
「あたしは何もできないあたしは何もできないあたしは何もできないあたしは何もできないあたしは何もできないあたしは何もできないあたしは何もできないあたしは何もできないあたしは何もできないあたしは何もできないあたしは何もできない――――」
「こっ、このままじゃ大変なことにっ!?」
際限なく落ち込んでいく二人を見て、リエーは慌てる。
普段のやる気が高い分、その反動も大きかったようで、落ちこぼれ組の自暴自棄はとどまる所を知らない。
このままでは、再起不能な状態にまで陥ってしまうだろう。
男に相談したら、解決策を見つけてくれるかもしれない。
それとも、大金を使った結果がこれかと激怒するだろうか。
……それなら、まだいい。
一番怖いのは、あっさり受け入れてしまいそうなところ。
元々無理がある計画だったのだと受け入れ、諦め、あっさり破棄してしまいそうな危うさがある。
それだけは、何としても回避しなければならない。
どうにか二人を手伝って、自信を取り戻したいのだが……。
「でもでも、どうすればいいのっ!?」
励ます程度で解決するのなら、とうの昔にそうしている。
ベルーチェとコニーに料理作りの素質が無いわけではない。
むしろ十分なスキルと根性が備わっている。
それが、レシピ作りという目的に向かって機能していないだけ。
言葉では補うことができない。
手本を見せてどうなるものでもない。
一人は、突出した才能を持つが故に、一般的な道筋が整理できないでいる。
もう一人は、一般的な感覚しか持たないが故に、道筋は理解できるが、そこに至る材料を見つけ出せないでいる。
まるで、正反対の二人。
そう、ちょうど、正反対。
だったら――――。
「そうだっ、ベルーチェちゃんが作る料理をコニーが記録して、それをコニーでも作れる内容に修正すれば、ちゃんとしたレシピになるんじゃないかしらっ」
己の短所は、己の長所では補えない。
だけど、他の者の長所では補えるかもしれない。
まるで、凸凹したピースの欠片みたいに。
「……つまり、私とコニーが協力すれば、お互いの欠点を埋めることができるってわけね」
ベルーチェは、リエーが言わんとするところをすぐに理解した。
「こんな簡単なことに気づけないなんて、今まで独りを気取って周りを見ていなかったツケでしょうね。やっぱり私は、馬鹿なのだわ」
「…………」
「でも、馬鹿な私にもやれることがある。……ねえ、コニー、私と協力してレシピを作ってちょうだい。完成したレシピは、二人で半分こにしましょうよ」
「それはあたしにとっても、すっごく助かる話ですけど……。でも、そんな方法でレシピを作ってもいいんですかっ?」
これまで自己流で突っ走ってきたベルーチェが頭を下げる様子を見て、コニーは慌てて返事をする。
「別に私達三人は競い合っているわけではないわ。彼の注文は『たくさんのレシピを完成させること』。そのためになら、どんな手段でも容認してくれるはずよ。二人で二倍作れば、何の問題もないはずよ」
「そ、そんなものでしょうか?」
「難しく考える必要はないのよ。そもそも、私達三人が一緒に暮らして一緒に料理を作っているのは、最初から協力するのを見越してのことでしょうね」
「……あいつが、そこまで考えているんでしょうか?」
「きっと、意図していないでしょうね。でも、結果的に良い方へと転ぶ。それが彼の本当の凄さかもしれないわね」
「…………」
「前から思っていたのだけど、彼の話をするとコニーはなぜ嫌そうな顔になるの?」
「……何だかムカムカするからですっ!」
「くふふっ、まあいいわ。お互い、思いは違っても目的は同じはず。だからもう一度お願いするわ、コニー。私と一緒にレシピを完成させて、彼を見返してやりましょう?」
「はいっ、ベル-チェさんっ。こちらこそお願いしますっ!」
かくして、感覚派と堅実派のタッグが完成した。
件の男が愚痴っていたように、ただレシピを作るだけなのに、話題に事欠かない。
やはり、料理と人生とは密接に繋がっているのだろうか。
それとも、気まぐれな男に翻弄されているだけだろうか。
兎にも角にも、注文と話題の多い料理のレシピ作りは続くのである。