十日市①/二つ名のイザナイ
翌朝。
悲しいかな、会社に行く必要がないのに決まった時間に目が覚めた俺は、日課の朝風呂に入っている。
長年染み込まれた習慣は、環境が変わっても抜けないようだ。
湯船で本を読んだり寝たりするのが好きなので長風呂が多い。
ただ浸かって湯を楽しむような高尚な域には辿り着けていない。
釣りみたいな待機時間が長いものも苦手である。こらえ性が不足しているのだろう。
基本的に朝風呂には、二度寝する目的で入る。
二度寝するために早起きするのだから無駄な贅沢だ。
「また風呂に入ってるのかよ」
風呂に入り一時間が経過した頃、コルトがようやく起きたようだ。
「あんちゃんって、本当に風呂が好きなんだな」
コルトが呆れたように呟く。日本人なら普通だと思うけどな。
風呂から上がり、着替えを済ませる。
普段朝飯は食べないのだが、コルトが「食べたい」と言ったので宿の食堂で頼む事にする。
まあ、子供はしっかりと食べた方がいいのだろう。
俺は軽めのパンとスープ。コルトはガッツリと肉。パンは堅くて不味かったので、こっそりバターと蜂蜜を塗って食べた。
腹ごなしが済んだら、観光二日目と洒落込もう。
昨日は生活に関連する店を案内してもらったので、本日二日目は政治的な場所を回る事にする。
なるべくお役所には関わりたくないのだが、情報だけは知っておくべきだろう。
街を治める領主の舘。
基幹産業である冒険者ギルド。
発展に欠かせない商業ギルド及び生産系ギルド。
それに教会などの有力な組織を一通り案内してもらう。
流石に世界屈指の冒険業で賑わう街だけあって、様々な機関が精力的に活動しているようだ。
「あんちゃんは、どっかのギルドに入るのか?」
「何処にも入るつもりはないな」
俺に適性があるとすれば、冒険者と商業ギルドだろうか。
だが、この世界に来てやっと自由になれたのだ。組織に縛られるのはご免である。
日本では、外に出れば会社、家でも田舎の決まり事に縛られていたからな。
ギルドに入るメリットはあるだろうが、デメリットも大きかろう。
目立ち易くなるし、監視されたり上役に顎で使われたり、何より仲間とフレンドリーな関係を装うのが苦手なのだ。
単に人と交流出来ないコミュ障とも言う。
「べつにギルドに入らなくても、魔物を倒したり、アイテムを売ったり、物を作ったりして良いんだろ?」
「ギルドに入らず個人でやってる人も居るけど、あんまり上手くいかないようだぜ」
まあ、そうだろうな。よほどの運と才能がない限り、個人で組織に立ち向かうのは困難だ。
いくら戦乱の実力主義とはいえ限界がある。
この世界のぼっち者は、あぶれた者かよほどの変わり者だろう。
ん? そうなると俺も変わり者になるのか?
そりゃあ余所者だし、多少変わったところもあるかもしれんが、一応常識を弁えてるつもりだ。
まあ、どれだけ知ってても実行出来なければ同じだろうがな。
「そうだ。有名な冒険者を教えてくれよ、コルト」
冒険者とお近づきになる予定はないが、脅威になる可能性がある者を把握しておきたい。
如何ほどのレベルが如何ほど居るのだろうか。
「ここは冒険者の街だから、強い人がいっぱい居るぜっ」
興奮気味にコルトが話し出す。
やはり冒険者に憧れているんだろうな。
やけに詳しくて、解説にも力が入っている。
何人もの有名人を教えてくれたコルトには悪いが、ウォル爺と領主様を除くと最高でもレベル30程度だったので個人名を覚えるのは止めた。
大人になると取捨選択が上手くなり、どうでもいい話題は自動的に覚えない機能が備わってるんだよ。
それに元々、個人名や人の顔を覚えるのが苦手なのだ。
だが、予期せぬ有力情報もあった。
実力の備わった冒険者になると、特徴に因んで『二つ名』が付く事だ。
二つ名か…………。
やべぇ、超ほしい! 俺も二つ名が欲しい!!
どうする?
極力目立つのを避けて余生を過ごす予定だったが、180度方向転換して勇者とかを目指しちゃうかっ!?
いや、正義の味方は柄じゃないな。
人類の敵になる方が性に合ってる気がする。
無名のまま送る安寧の日々か、二つ名で恐れられ誰かに狙われる日々か、究極の選択である。
どうする、どうする――――――?
「あんちゃん、オレの話ちゃんと聞いてるか?」
「…………ん? ああ、聞いてる聞いてる。俺の二つ名を何にするかって話だよな?」
「全然違うって。何で旅人のあんちゃんに二つ名が付くんだよ。……はぁ。あんちゃんって、よくぼーとするよな」
「ああ、偶に頭の中でもう一人の俺が囁いてくるんだよ」
「こわっ。それ絶対やばい病気だよ!」
……ふう、危ない危ない。
ついついノリで世界征服を目指しちゃうところだったぜ。
結局、コルトの話で記憶に残ったのは、ウォル爺とこの街の領主が同じパーティの元冒険者だったこと。
懸念した通り、ウォル爺はオクサード街で最強レベルを誇るそうだ。
それともう一つ。
若い女性ながらにレベル30を超える傑物なメイドさんが居て、二つ名も『三十の悪魔』とインパクトが強い。
彼女のエピソードで印象的だったのは、二つ名の由来。
二つ名が付いた当初は、可憐な容姿にして、レベル30を超える悪魔のように強く美しい女性だと、尊敬かつ畏怖されていたらしい。
しかし最近は、年を重ねて30歳近くになっても結婚出来ない、悪魔のように男から避けられるモテない女だと、ネタ的な意味合いも含むようになったそうだ。
実際には、その高レベルと端正な容姿と冷然とした性格に釣り合う相手がおらず、男が尻込みしているらしい。
なお、彼女の前で二つ名を呼んだ者は、その名の通り悪魔の恐ろしさを知る事が出来るという。
……そう、これだよ、これっ!
やっぱ二つ名ってのは、別称ならぬ蔑称なのだ。
敬意と侮蔑が混ざり合ってこその二つ名なのだ。
面白そうなメイドさんだったので、詳しく聞いてみると。
「エレレねーちゃんは領主家のお嬢様付きメイドで、ウォル爺の弟子だったんだぜ」
しまった。
調子に乗って聞き過ぎてしまった。
まさかウォル爺の関係者だったとは。間接的に俺とも繋がる可能性がある。
いわゆる前振りフラグじゃないのか、これ。
……とりあえず、領主家には近づかないでおこう。
「年齢の話をすると凄く怖い笑顔で蹴られるから、注意しろよな、あんちゃん」
冷笑と呼ぶには凄惨すぎて咲き誇る毒花にも似る悪魔の微笑み。
名付けてデビル・スマイルですね。分かります。
……うん、絶対遭遇しないようにしよう!
二日目の昼食は、この街で最も大きい店を選んだ。
昨日はコルトの話から期待薄と判断し避けたのだが、露店が外れだったので、念のため高級店も確認した次第だが…………。
露店に比べメニューは多いが、出てくるのは同様に焼いただけの食材。
焼き加減を聞かれる事もなく、調味料の味もしない。
高級店らしく雰囲気と客の扱いには申し分ないだけに、余計残念である。
やはりこの世界の料理は、原則不味いのだと認識しておく必要がありそうだ。
やむなしとマナーを無視し、複製魔法で創ったステーキのタレをぶっかけて食べる。
これで少しはマシになるだろう。
「これをかけると旨くなるなっ。あんちゃんは色んなもん持ってるよな」
「俺は食事と睡眠だけには全力を尽くすって決めてるんだ」
「……もっと他の事も頑張ろうぜ」
12歳の少女に諭される俺って……。
気を取り直すため食後のデザートを頼もうとしたのだが、当然の如くメニューになかった。
貴重故に甘味類を食後に楽しむ習慣が、まだないのだろう。
仕方ないので唯一それらしいパンを頼んでみたものの。
「あんちゃんのダイフクの方が、ずっと旨かったな」
腹ぺこ小僧もご不満である。
よしよしと頭を撫で、店を出た後にどら焼きを渡す。
何故か和菓子縛りになっている餌付け二日目。
「んめー! こんな柔らかいパン初めて食べたよ! あんちゃんは菓子を売った方が儲かるんじゃねえか?」
そうかもな。
甘味が貴重なこの世界では高価で捌けるだろう。
魔法で幾らでも創り出せるし。
食べ物なので文化ハザードとなる危険性も少ないし。
菓子を食べる習慣が少ないようなので、定着するまで時間が掛かるかもしれないが、その分商売敵も少ないので現地人にも迷惑が掛からない。
まあ、俺のような甘味中毒者や糖尿病を増やす危険性はあるかもな。
「なあ、コルトや。甘い菓子や蜂蜜を大量に売ったら、目立つかな?」
「そりゃあ目立つだろうぜ。こんなに旨い菓子は王都でも少ないんじゃないか。直ぐに商人や貴族様から目を付けられるぜ」
「だよなー」
やっぱ目立つよなー。
現地人を雇われ店長にすれば俺の存在は隠せるだろうが、それでも目立つ事は避けられない。
いずれ俺という黒幕に気づく者も出てくるだろう。
課題は多いが、金儲けの手段としては有力な商品なので、おいおい検討してみよう。