人形の日/ドール・マスター
そこは、月に一度開催される秘密のオークション会場。
秘密の夜会なのに、重苦しい雰囲気はない。
豪華な部屋を貸し切り、真昼のように明るい光を灯し、優雅な音楽まで聞こえてくる。
この競り市では、有り余る財を持つ者が、世にも珍しい品を求め集まっていた。
確固とした身分を持つ彼らは、しかし、一様に仮面を付けて顔を隠している。
それもそのはず。
お目当ての稀少品は、高価なばかりでなく、誰彼に紹介できるようなモノではないからだ。
贅の限りを尽くした資産家達が、自ら足を運んでまで買い求める商品とは何か?
それはもちろん、道徳を無視した「人身売買」。
……ではない。
人を商品とした商売は、この世界では奴隷という名で一般的に行われている。
むろん、若くて穢れを知らない少女などは高値で取り引きされるが、彼らにとってはそれさえも児戯に等しい。
どれほど美しい人物だったとしても、この世にごまんと居る人類に今更興味など湧かないのだ。
人にも、食べ物にも、権力にも飽きてしまった者達。
そんな彼らの心を惹きつけてやまないモノ。
ソレは、人によく似た形をしていた。
しかし、動くことも、話すこともできず、その身はひどく冷たい。
それなのに、……いや、それ故に、生身を凌駕する蠱惑的な魅力を持つ。
――――物言わぬ人の姿をしたソレは、愛好家の間で「ドール」と呼ばれていた。
◇ ◇ ◇
「ドール愛好家の皆様方、大変お待たせいたしましたっ。
これより本日のオークションを始めさせていただきます!」
司会者の宣言のもと、秘密の市は厳かに開始された。
待ちわびた瞬間だからといって、声を上げてはしゃぐような輩は、この場に居ない。
ここは、何よりも人形を愛する者が集まった紳士の会場である。
「それでは、次の商品は――――」
司会者のよく響き渡る声に合わせ、オークションは淡々と進んでいく。
この場で取り扱われる人形は、その道で認められた名工が丹精込めて作り上げた傑作。
一般の市場には出回らない幻の逸品ばかり。
「さあ、本日最高額の金貨1000枚が出ましたっ。
他にご希望なさる紳士はいらしゃいませんか?」
故に、値段は桁外れ。
平均年収が金貨50枚、奴隷の相場が金貨100枚と比べれば、どれほど高い金が動いているのかよく分かる。
だが、愛好家にとっては端金に過ぎない。
その程度の金で最高のドールが手に入るのなら安いものだ。
「そろそろ終盤戦に入りました。
ここからは、更に稀少なドールが目白押しでございます。
紳士の皆様方は、瞬きする間も惜しんで凝視し続けますようお願い申し上げます」
扱う品は特殊なれど、オークションの形式は一般的だ。
客が希望額を口に出して競い合い、最後に最も高値を付けた紳士が落札。
取引が進むにつれ、商品の希少度も増していく。
いつもは冷静な紳士達も、興奮を募らせていく。
「ここで皆様お待ちかねのあのドールが登場です。
最近はすっかり常連になりました商品。
傑作に傑作を重ねた逸品。
微動だにしない人形だからこそ最高なのだと信じて疑わなかった多くの紳士を瞬く間に改宗させてしまった問題作!」
長々とした口上に、観客席はまだかまだかと浮き足立つ。
「そうですっ、名だたる人形職人の手で生み出された傑作品に、突如として現れた付与魔法の天才の力を借りて命を吹き込んだ『ダンシング・ドール』にてございます!」
「「「おおっ!」」」
これには、紳士達も声を上げずにはいられない。
動く人形。
これ自体は、大して珍しい物ではない。
王都などの大きな都では一般向けに販売されている、通常と比べてやや高い程度の人形だ。
なぜなら、動くといっても継続時間は一分にも満たず、その動きもぎこちない物ばかり。
これでは、単なる一発芸に過ぎない。
そんな付与魔法の限界を軽々と飛び越えた天才が、今年降って湧いたように登場した。
彼女が付与を施した人形は、これまでのまがい物と違い、本当に命を宿したかのような見事な踊りを長時間披露し続ける傑作品に昇華させた。
しかし残念なことに、彼女の魔法は確かに傑出していたが、人形そのものの完成度は凡庸であった。
これでは、素晴らしい動きが追加されても、目の肥えた紳士には満足できない。
ドール愛好家にとっては、やはり基本となる人形の出来映えがあってこその付加価値なのだ。
そこで、紳士、人形職人、オークションの主催者、それら多くの者が別途作成した形を持ち込み、付与魔法の追加を懇願したのだが、天才は首を横に振るばかりであった。
どうやら彼女は、自らが作り上げた人形以外には付与魔法を使いたくないらしい。
ドール関係者は悲嘆に暮れたが、決して諦めなかった。
直接的な方法が無理であれば、間接的にはどうか?
そうした試行錯誤の末に辿り着いた技術が、付与魔法のコピーである。
天才が扱う付与魔法の緻密さは如何ともし難く、真似することは不可能。
しかし、一度付与された物体から付与魔法の部分だけを抜き出し、別の物体に移し替えることは可能ではないか。
絵空事にも等しい着想を頼りに、膨大な金と人材を注ぎ込み、凄まじい執念の果てに完成させたコピー魔法。
ただし、技術の確立に加え超一流の魔法使いが複数同時に注力しても、コピーが可能な物体は月に一つが限界。
それ程までに突出した才を持つ付与魔法の使い手は、関係者の中では生きる伝説となりつつあった。
「このような次第でして、毎月一体しかご用意できない傑作中の傑作にてございます。
皆様方、奮ってご入札くださいませ!」
多くの紳士が競って手を上げる。
ただでさえ価値の高い人形に、新たな魅力が追加された高付加価値商品を見逃せるはずがない。
そのような状況下において、腕を組んだまま口を閉ざし場を見守る紳士も居た。
彼らは、今回のオークションの絡繰りに気づき、必死に冷静さを保ちながら力を蓄えているのだ。
いつもなら大トリを務める「ダンシング・ドール」がその手前で途中で登場した理由。
それは、傑作中の傑作さえも上回る品が最後に残っていることを意味していた。
「ここまで紳士であり続けた皆様方。もう遠慮は不要です。
……今宵のオークションは、次の品で最後となります」
「「「――――」」」
嵐の前の静けさを彷彿させるかのように、ざわつきが収まり、張り詰めた空気が漂う。
遅ればせながらも、全ての紳士がクライマックスに達しようとしていた。
「ダンシング・ドール」を差し置いてフィナーレを飾る品など、一つしかない。
「先ほどの『ダンシング・ドール』の担い手と同様に突如出現した鬼才。
しかし我々は、彼の製作者について知ることを許されておりません。
ふらっと現れては一瞬で消え去る灰色の商人を介して持ち込まれる奇跡のドール。
作り手も作り方も何から何まで謎に包まれた神秘のドール。
このため我々は、便宜上こうお呼びしております」
それは――――。
「偉大なる作り手を『ドール・マスター』。
そして、彼が創る作品を『パーフェクト・ドール』とっ!」
「「「おおおぉぉぉぉぉーーー!!」」」
これまで紳士然としていた全ての客が、我を忘れたかのように歓声を上げた。
いや、彼らは紳士であるが故に叫んだのだ。
ドール愛好家が見たら驚愕せずにはいられない完成度。
それが、「ドール・マスター」と称される所以。
そして、「パーフェクト・ドール」の名を冠する理由である。
「ご高覧ください、この愛らしい姿を!
人の身のままでは到達できない可愛らしさを極限まで追求した造形!
躍動感あふれるポーズとひるがえった瞬間を固定させた服!
紳士の集いで司会を務めてきた私は誰よりも多くの商品を見てきたと自負しておりますが、ドール・マスターが作るそれは、これまでのドールとは一線を画しております。
言うなれば我々が知らない未知の世界からやってきたような、彼以外には誰一人として生み出すことができない唯一無二のオリジナリティであります!!」
客に負けじと興奮した司会者が熱弁を振るう。
司会の男が説明したように、そのドールは既存の物と全く違っていた。
これまでのドールは、布、木、土を素材に作られた弱々しい物体。
人形特有の素朴さと儚さが利点だが、造形の固定が難しく美しさに限界がある。
しかし、ドール・マスターのドールは、硬くてすべすべした素材で作られていた。
このため、自由自在な造形と動きが表現され、更には顔立ちまでも精巧に描写されている。
おそらく、石のような硬い物体を削ったり磨いたりしたと思われるが、これほどまでに緻密かつ流麗に仕上げる技術は、どれほど手先の器用な種族や高ランクのスキルを以てしても不可能とされる。
唯一可能性があるのは魔法だと予想されるが、これもまた再現不可能な超絶的技巧。
腕に自信がある職人達がパーフェクト・ドールを模倣しようとしたが、足下にも及ばぬ粗悪品しか出てこないのが現状であった。
「全てのファクターを可愛らしさへ集約させる手腕と執念は見事と言うよりほかありません。
既にお持ちの紳士はご存じでしょうが、正面からでは見えない内部まで完璧に作り込まれております。
真に驚嘆すべきは、下着までもが忠実に再現されているところ。
着衣系ならいざ知らず、ペイント系の人形でそこまで表現したのは彼が初めてでしょうっ。
この事実は、彼もまた我々と同じ紳士である左証となりましょう!」
ドール・マスターの作品に一つだけ欠点があるとすれば、それはサイズが小さいこと。
人形の多くはそうであるが、手の平ほどの大きさでしかない。
通常はミニサイズも可愛らしさの一端を担うと称賛されるのだが、オークションにおいては多くの客が一斉に詰め寄るため閲覧しにくいのだ。
「お伝えし忘れていることがありました。
今回もまた、彼のドールには名前が付けられています。
その名も『マジカル・モモ』であります!」
ドール・マスターが作る人形はどれ一つとして同じ物が存在せず、個々に命名されていた。
まるで肉体と意思を持つ本物の愛娘のように、だ。
狂気さえ感じさせる作品への愛もまた、彼がドール・マスターと呼ばれる所以であろう。
「……紳士の皆様方がその紳士っぷりを遺憾なく発揮できる瞬間がやってまいりました。
一切の遠慮は不要であります。
ここで全力を出せなかった紳士は、必ずや後悔するでしょう。
献身的で美しい妻はもちろんのこと、愛しい実の娘と引き替えにしてでも傍らに置いておきたい究極のドール。
如何程の価値を付けるに相応しいか、今宵は徹底的に論議いたしましょう!!」
「「「おほぉぉぉーーーっ!!!」」」
喜悦、怒火、哀愁、楽観といった様々な感情が混ざり合う中。
会場の熱気は最高潮に達し。
最後の商品は、オークション史上最高額で落札された。
◇ ◇ ◇
彼は、特権階級とされる貴族の中でも上位の家柄に生を受けた。
鼻持ちならない者が多い貴族の中では珍しく、誰に対しても平等に接する人格者として有名だ。
愛妻家であり、息子には厳しく、娘には甘く、領民には無理強いしない。
まさに、理想的な貴族の姿であった。
しかし、そんな彼にもたった一つ、誰にも言えない秘密があった。
それは……。
末期のドール愛好家だったのである。
「――――お帰りなさいませ、大旦那様」
月に一度開催されている秘密の会議から戻った彼を、多くの執事とメイドが迎え入れる。
彼は、その会議を国の将来を担う同志達との会合だと説明しており、それを疑う者は居ない。
それほどまでに厚い信頼を得ていた。
よほど充実した内容であったのか、その日の彼はいつになく上機嫌である。
公私混同せず、常に冷静な姿勢で事に当たる彼にしては非常に珍しい。
執事から事務連絡を受け、家族と会話を交わし、食事と風呂を済ませ、早々に書斎へ入る。
その書斎は、屋敷の主である彼以外は不可侵の領域であり、掃除も自分で行うほどの徹底ぶりだ。
扉には複数の鍵が掛けられ、しっかりと防音まで施されている。
貴族の中でも限られた者のみに閲覧が許される資料など、国の運営に関わる機密文書を保管しているため、当然といえば当然。
そんな重要資料の中でも殊更厳重に保管されている金庫が存在していた。
書斎に入った彼は、入念に施錠し直し、念のため周囲を見渡して人影が無いことを確認した後、厳かに金庫を開ける。
そして、中に入っていたソレに、こう話し掛ける。
「可愛い娘達よ~、ただいまでちゅよ~、遅くなってゴメンね~」
相好を崩して猫なで声を出す姿からは、いつもの威厳は感じられない。
「いっつも暗くて狭い場所に閉じ込められて寂しいでちゅよね~、今日はいっぱい遊んであげまちゅよ~」
金庫の中に隠されていたのは、本物の娘ではない。
物言わぬ小さな人形だ。
「ああっ、可愛いっ、可愛いっ、なんて可愛い娘達なんだっ!!」
両手で持ち上げた人形を、愛おしそうに頬ずりする彼の姿を見たら……。
妻は卒倒し。
息子は絶望し。
本物の娘は発狂するだろう。
そして、当の本人は自害する道を選ぶしかない。
だから、ドール愛好家であることは、誰にも知られてはならない秘密である。
「分かってまちゅよ~、ただいまのキスが欲しいんでちゅよね~」
それ程までのリスクがあるのなら、理性があるのなら、家族を愛する心があるのなら……。
趣味の一つや二つ捨ててしまえば良いのに、と他人は思うかもしれない。
「ちゅちゅ~、ちゅちゅちゅ~~」
だけど、彼にとってソレは、愛する国や家族と同じように、必要なもの。
どんなに気持ち悪い趣味だとしても、誰からも理解されなかったとしても、大量の金を消費するとしても。
決して捨てることなどできないのだ。
「今日はみんなに新しい娘を紹介しまちゅよ~」
彼は、既存の娘達に過剰な挨拶を済ませると、本日持ち帰った箱を開け、会心の戦利品を取り出す。
「ほらほら見てご覧~、かの有名なドール・マスターから譲り受けた末娘だよ~」
そう、彼こそが先日開催されたオークションで熾烈な勝負を制し、見事幻の逸品を手に入れた男であった。
「この子も含めてみんな僕の娘だから仲良くするんでちゅよ~。でも今夜ばかりは新しい娘を贔屓してしまう駄目なパパを許してくだちゃいね~。――――ああっ、こんなにも素晴らしいドールが存在するなんて信じられないっ。肌はシルクのようにすべすべで、どれほど愛でても汚れ一つ付かない。もしかしてパーフェクト・ドールには魔法が施されているのだろうか。とても気になる謎だけど、こうして実物を眺めているとどうでもよくなってくるよ。なんて罪作りな娘なんだっ。だけど子供の罪は親の責任。僕が責任を持って世界が終わるその日まで一緒に居続けるよっ!!」
「――――ぐふっ」
書斎の中に居たのは人形とその主――――だけではなかった。
姿を隠していたもう一人が、思わず声を漏らしてしまったのだ。
「だっ、誰だっ!?」
彼は大慌てでドール達を金庫内に戻し、扉を閉め、自分の背中で隠した。
それは、愛娘を守ろうとする親そのもの。
「……申し訳ありません。私に敵意はなく、驚かせるつもりもなかったのですが、その、うっかりくしゃみが出てしまいまして」
そう言って何も無かった空間から姿を現したのは、灰色のローブを身に纏った男であった。
侵入者の言葉は、半分が真実で、残り半分が嘘。
真実は、敵対する意志がないこと、驚かせるつもりもなかったこと。
嘘は、くしゃみをしたのではなく、思わず呻いてしまったこと。
その真相は、愛好家がドールを愛でる様子を客観的に見てしまったせいで、「これがネネ姉妹から見た自分の姿なのか」と軽く死にたくなり、思わず口から漏れてしまったのだ。
「灰色の姿…………。もしや君は、我々とドール・マスターとの橋渡し役である唯一の商人なのかね?」
「さすがは上流階級で日々社交スキルを鍛えている貴族様ですね。話が早くて助かります。そして、このような状況でも冷静さを失わない心の強さには、とても感服します」
灰色の商人が言ったように、彼は即座にいつもの冷静な顔つきと言葉遣いに戻っていた。
「おおっ、やはり君が灰色の商人なのかっ。……しかし、オークションの関係者とはいえ、僕と直接面識のない君が何故ここに? それに、どうやってこの部屋に入ったのかね? 厳重に鍵を掛けていたはずだが?」
「はい、実は、先日高値でご購入いただいた商品のお礼をするためお伺いしたのですが、家族に知られるのもどうかと思い、姿を消すアイテムなどを使ってこっそりと忍び込んだ次第でして。無駄に驚かせる結果となってしまい、大変申し訳ありませんでした」
「そ、そうだったのかね…………。ドール愛好家として君の来訪は歓迎するのだが、その、いったい何時から部屋の中に?」
「そ、それはもちろん、つい先ほど入ってきたばかりですよ、ははは…………」
「そうか……。いや、うん、それならいいんだ、それなら」
「ええ、そうですとも、今来たばかりなので何も見ていないのですよ」
灰色の商人は、優しい嘘をついた。
実際は、貴族の彼が屋敷に帰った時からずっと後ろに隠れており、書斎で行われていたドール達との戯れも一部始終見ていたのだが、賢明にも閉口したのである。
「――――うむ、事情は理解した。それで、実際はどのような用向きなのかね? まさか本当に礼を言うためだけに足を運んだのではなかろう?」
生粋の貴族として育ってきた彼の切り替えの早さは、流石と言えよう。
「いいえ、お礼目的に違いありませんよ。あのドールは確かに叡智と技術の結晶でしょうが、さほどコストはかかっていないのです。それを何千枚もの金貨で落札されては、感謝と同時に恐れ多くもありまして……」
「謙遜する必要はないと思うがね。君が持ち込むドール・マスターの作品は、どれも唯一無二のものだ。どれ程の値が付こうと気にしなくていい」
「そう言っていただくと大変ありがたいのですが、一応の商売人としてはどうしても対価の釣り合いが気になりまして。しかし、通信販売みたいに同じ商品をもう一つ増やしても価値の崩壊を招くだけなので、せめてオマケの付加価値くらいは、と思った次第です」
「付加価値?」
「はい。実は、お買い上げいただいた商品には隠しコマンドが仕込んでありまして。ゲームによくある製作者の遊び心ってヤツです。それを実行しますので、件のドールを机の上に置いていただいてもよろしいでしょうか?」
「あ、ああ、分かった」
灰色の商人の説明は、「通信販売」や「隠しコマンド」など知らない言葉があったが、それでも悪意は感じられなかったため、ドールを金庫から取り出し机の上に乗せる。
「それでは、これが隠しコマンドとなる動作なので覚えてください。コマンド名は『PPPH』――――パンッパパンッヒュー! パンッパパンッヒュー! パンッパパンッヒュー!」
落ち着いた様子で話していた灰色の商人が、いきなり手拍子を始める。
しかも「ヒュー」の部分では、片手を上げてジャンプまでしている。
これにはさすがの彼も気色悪さを感じて後ずさったのだが、そのパフォーマンスが終わった瞬間、奇跡が起こった。
「こっ、これはまさかっ、ダンシング・ドールっ!?」
ドール・マスターが創造したパーフェクト・ドールには、ダンシング・ドールとしての機能も仕込まれていたのだ。
パーフェクト・ドールを改め、パーフェクト・ダンシング・ドールへと進化した人形は、素晴らしい歌と踊りを披露している。
「これで納得した。パーフェクト・ドールには元より動く機能が備わっていたため、ムービングの付与魔法が移せなかったのか」
通常のドールと同様に、パーフェクト・ドールへの付与実験も行われていた。
しかし、パーフェクト・ドールは付与の類いを一切受け入れなかった。
その理由は至極単純。
最初から歌って踊る能力を兼ね備えていたため、同じ機能の追加を拒否していたのだ。
「……いいや、これはダンシング・ドールとも違う? 過剰なまでに可愛らしい歌声と踊り。まるでこの子のためだけに用意されたように完璧だっ!」
その舞踊は、これまでドール愛好家達が見てきた動きを数段上回っていた。
目や口、髪の毛といった人形としての可動域を遙かに超えた動作。
もはやそれは、意思を持つ生物だと評してもおかしくない。
それもそのはず。
パーフェクト・ドールとは、希代の付与魔法の使い手に作らせた付与紙に膨大な魔力を注ぎ込み、ドール・マスターの故郷で放送されているアニメに登場するアイドルを模倣した人形なのだ。
著作権が無い世界とばかりに、やりたい放題である。
「これは、人形に動きを取り入れる技術的なレベルではないっ。人形に生命を与える神の領域っ! これぞまさに、パーフェクトを名乗るに相応しいドールだっ!!」
「えっ、あ、はい、ソウデスネ?」
貴族のはしゃぎっぷりに、灰色の商人はついていけない。
「神に感謝を……。天国は此処にあったのか…………」
感動冷めやらぬなか、ドールの一人舞台は終わった。
「このように、人形の前でコマンドを発動すると動き出します。動きを止めたい時は、どこでもいいので直接触れてください。そうしないと、一連の動作を延々と繰り返す仕様です。これは、踊っている最中はお触り禁止って意味も含んでいます。踊り子さんに手を出すのはマナー違反ですからね」
「……そこまでドールに配慮しているとは、やはり最高の職人の名に相応しいな、ドール・マスターは」
彼は感心しながら深く頷いた。
そこで一つの疑問が生じ、質問するために口を開く。
「君がお抱えの商人だとしても、いくら何でも詳しすぎる。……もしや、君こそがドール・マスターではないのかね?」
「ははっ、これは参りましたね。……まあ、あなたには粗相をしてしまいましたし、これまでのやりとりで信用に足る人物だと分かります。ですから、この件は内密にお願いします」
「おおっ、やはり君がドール・マスターその人だったのかっ!!」
「……その人形の製作者だと認めますが、その渾名は止めてもらいたいのですが?」
「それは致し方がないことだ。君は名乗り出ようとしないし、歴史に名を残す偉大な職人なのだから、そう呼ばれるのは必然であろう」
「私は職人ではありませんよ。私が創る人形は、全て模倣に過ぎません」
「こ、これが模倣だってっ!?」
「ええ、私の地元には本物の職人がたくさん居ますからね」
「そのような凄まじい国が存在するとは……。是非とも行ってみたいものだ」
「海の向こうの遠く離れた国ですから、難しいかもしれませんね」
その言葉に、貴族は残念そうな表情を浮かべる。
ドール・マスターと呼ばれる男もまた、寂しそうな顔をしていた。
「ならば、一つ教えてほしい。君が最高の人形職人だと思うのは、誰だろうか?」
「そうですね…………。私のように魔法で創った人形も有りだとすれば、この世界における最高の職人はあの方以外にあり得ないでしょう」
「あの方? もしかして、僕も知っている人物なのかね?」
「もちろんです。何故なら、この世界で最も有名な方ですから」
不思議な物言いに、貴族は首を傾げる。
それ程までに有名な人形職人であれば、自分の耳に入らぬはずがない。
もしかして、有名なのは人形以外の話だろうか。
だとしたら――――。
「ま、まさか、君が言っている相手とは……」
「そうです、我々人類が最も恐れる相手――――『人類の敵』の親玉こそが、最高の人形職人です」
灰色の商人兼ドール・マスターは、不敵に笑いながらそう告げると、「私の用事は済みましたのでこれにて失礼します」と頭を下げ、忽然と消え去った。
「…………」
残された貴族は、先ほどの言葉の意味を考える。
ドール・マスターと呼ばれる男が指し示した相手。
それは、人類の平和を脅かす魔族を率いる「魔王」に違いないだろう。
そう言われてみれば確かに、納得してしまう部分もある。
魔王が従える無数の部下は、自身が持つ絶大な魔力で創造された作りモノだと聞く。
ならば、魔法で創られた人形と称しても間違いない。
「特に、魔族の幹部である『魔人』は、全て美しい女性の姿をしているそうだが……」
万能とされる魔法を以てして生み出されたのだから、浮世離れした美しさも必然。
そう、まるで、目の前にあるパーフェクト・ドールのように――――。
「…………」
彼は、魔人を直接見たことはないのだが、伝聞による姿はこの人形のように精巧で美しく、また奇抜な服を着ていたはず。
もしも、この小さな人形が、人と同じ大きさとなり、意志を持って動き出したら。
それはもう、魔人と同じではなかろうか?
「……たとえそうであったとしても、ドールの美しさに罪はない。我々ドール愛好家は、ただ愛でるだけで満足なのだ」
彼は、恐ろしい想像に身を震わせたが、すぐに己の信念を思い出し、全てを受け入れた。
その意志の強さは、心を持たぬ人形を愛するに相応しいものであった。
「――――ああっ、愛しい愛しい僕の娘達よっ!!」
◆ ◆ ◆
―――― ?日後 ――――
ある日、貴族の屋敷に泥棒が入り込んだ。
厳重に施錠されていたが、他国から依頼され機密情報を盗み出す泥棒のプロフェッショナルにとっては大した手間ではなかった。
「…………」
泥棒は、手慣れた様子で物色していく。
一番の目当ては、屋敷の主人が大切に使っている書斎の中。
国家の中枢に関わる情報が隠されているに違いない。
「…………?」
音もなく書斎に侵入した泥棒は、ふと首を傾げる。
誰も居ないはずの部屋の中で、微かな物音がしたからだ。
「ネズミ、か?」
問い掛けに応えるように、二つの小さな光が灯る。
それは確かにネズミのように小さかったが、野生の動物がしない格好――――華やかな服を着ていた。
そして、優雅にお辞儀すると、口を開く。
『――――オトウサマノ、テキハ、センメツ、シマス』
生命とは、物質が変化していった末に獲得した機能だと考えられている。
人と言葉を交わすことができない植物も、毎日褒め続けることで、美しさを長く保つという。
だとすれば。
魔力を帯び動くことができる人形が、深い愛情を注ぎ込まれて意思を持ったとしても、不思議ではない。
……のかもしれない。