冒険者の街オクサード③/影は少女の歩幅で
オクサードは冒険者の街である。
コルトは物心が付いた頃から、この街で一人だった。
親らしき人物と一緒に居た記憶が朧げにあるが、ある日彼らは消えさり、少女は一人残された。
それからはずっと、一人で生きてきたのだ。
オクサードは裕福な街ではなかったが、冒険者を中心とした活気のある街であり、子供が出来る雑用も多かった。
街に住む者は孤児を引き取る余裕こそ無かったが、日々を食い繋ぐ程度の仕事を与える事は出来たのだ。
困った時は、裏方の代表格であるウォルが助けになった。
彼の感覚では、人は皆一人で成長するものであり、飢え死にしない程度の最低限の援助であったが、コルトは深く感謝している。
コルトの仕事は様々だ。
お使い、掃除、伝言、物探し、人探し。
その中でも探し物が得意であった。
彼女が持つ小さな力は、悪運と『直感』スキル。
その力が有ったから一人で生きてこれたのか、一人で生きてきたからこそ力が備わったのかは分からない。
ただ、自分の勘を信じるだけだ。
こんな風に、なんとか飢える事なく、大きな怪我をする事なく、大きな事件に巻き込まれる事なく、今日まで懸命に生きてきたのだ。
その日、決まった仕事が無かったコルトは、街中を歩き回りながら金の匂いを探していた。
彼女の鼻が反応したのは、街の入り口でキョロキョロと落ち着きなく人混みを見ている中年男だった。
金の匂いがする者には、特有の余裕が感じられる。
それは、そのまま資金の多さだったり、レベルの高さだったり、育ちの良さから発せられる余裕だ。
男からは、その全てに通じる余裕が感じられた。
それはとても奇妙な事であった。
資金は商人、レベルは冒険者、育ちは身分に該当するからだ。
これを男の外見に当て嵌めると、商人にしてはみすぼらしく、冒険者にしては凄味がなく、貴族にしては情けなかった。
また、得も言われぬ違和感があった。
それは恐怖に近い嫌な感じであったが、金に危険は付きものだと識っている彼女は、利益を優先させ、男に声を掛ける事にした。
……その選択が、勘に従った正解であったのか、勘に背いた間違いであったのか、この時点では判断出来ない。
――――少女はこの日初めて、勘を読み違えたのかもしれない。
コルトから見た男は、なんというか、変であった。
外見はただの中年男。
だが中身は、悪ガキが大人ぶっている様によく似ていた。
客が馬鹿なのは都合がいい。馬鹿な方が金払いがいいからだ。
その相手が金を持ってないと発言した時は落胆したのだが。
「あんちゃん」と呼ぶ事を強要した男は、非合法な買取店を要求してきた。
やはり、とコルトは思う。
男から覚えた違和感が、けっして善良なものではなかったからだ。
恩人の店を選んだのは、コルトが最も信頼しているウォルに、男の素性を見定めてもらおうとしたからだろう。
そして忠告してもらいたかったのだろう。
その男には近づくな、と。
コルトは一歩離れた処で、ウォルと男のやり取りを観察した。
ウォルは常に無愛想だが、今日は何時もよりピリピリしているようだった。
コルトも緊張して二人のやり取りを見ていたが、ウォルが提示した買取金額を聞いて驚愕せずにはいられなかった。
色々な店の雑用を受け持つ彼女には、物の価値がある程度分かる。
金額からして、男が売ろうとしているアイテムがランク5相当だと予想がついた。
ランク5のアイテムは当然、ランク5の魔物がドロップする品である。
そしてランク5の魔物は、レベル30以上の上級冒険者が集まったパーティでもなければ倒すのは困難。
冒険者の多いこの街でもレベル30を超えるものは少ない。
故にランク5以上のアイテムは希少となり、高値で取引されているのだ。
男はそんな品を無造作に懐から取り出し、高額な買取額を聞いても驚いた様子がない。
コルトの視線はアイテムに釘付けにされていた。
だが、ウォルの要望を受け、男が次に出したアイテムは更に彼女を驚かせた。
それはランク7。
しかも出現率が低い解毒薬だ。
ランク7の魔物討伐は、複数の高レベルパーティが命懸けで臨むミッションだ。
当然そんな危険を冒す者は少ないため、ランク6以上の上位アイテムは市場に出回らず直接金持ちに買い取られる。
当然値段は――――。
「合計で金貨2,430枚じゃ」
コルトの頭は真っ白になる。
少女の平均的な日当は銅貨5枚。
12歳の特別な力を持たない子供としては、一般的な給金といえよう。
銅貨100枚で金貨1枚であるからして、日当の何倍だと計算するのも馬鹿らしくなる大金であった。
この世界では、特権階級の貴族を除けば、商人、冒険者、兵隊、製造業、農業の順に所得が高い。
冒険者の平均年収は金貨200枚程度と高いが、武具の購入や治療などの出費が激しく自由に使える金は3分の1以下だ。
今回、男が手にしたのは、数十年は優に暮らせる金額。
今のコルトには一生掛かっても手に出来ない大金である。
彼女がショックを受けるのも無理はなかった。
――――大雑把な中年男は、異世界の金貨1枚を日本円の1万円程度と思っていたが、実際はその倍以上の価値があった。
しかも主要都市の一つに数えられ、物価の高いオクサード街においての話だ。
地方都市では更に倍の4万円もの価値がある。
つまり男は、たった一度の売却で1億円もの大金を手に入れた事になる。
「では、また来ます」
売買が成立し、金を受け取った男が別れの挨拶を口にして店を出て行く。
慌てて追いかけようとしたコルトがドアの前で振り返ると、解毒薬を握りしめたウォルと目が合ったが、彼からの忠告は最後まで無かった。
ウォルは終始警戒していたようだが、結局男を拒否しなかったのだ。
男が上位ランクのアイテムを所持していたからだろうか。
あの厳つい店主が客に品を要望するなど聞いた事もない。
酒以外に物欲が無さそうなドワーフにとって、よほど大事な品なのだろう。
ウォルから言葉は無かったが、別れ際に向けられた視線は、何かを期待しているように思えた。
だからコルトは、何時も通り、思うがままに行動する事にした。
その後は、男の奢りでランチツアーが始まる。
コルトは沢山の露店料理を食べ満足したが、男は味に不満があるようだった。
いつも冷えた売れ残りをもらっているコルトには、不満を感じる理由が分からない。
だが、男が懐から取り出した苺ダイフクなるお菓子を食べて実感する。
甘く、柔らかく、そして美味しかった。
食感や手で掴んだ感覚までも甘さを感じさせるお菓子だった。
コルトは今まで甘い食べ物がある事を漠然と理解していたが、これこそが本当の甘さであり、美味しさであると実感したのだ。
これほど美味い物を普段から食い慣れているのは貴族ぐらいだろう。
しかし、とても貴族には見えない振る舞いに、男の正体は益々分からなくなっていく。
とにかく奇妙な男であった。
お忍びの貴族にしては上品さがまるでなく、田舎者にしては変な度胸と知識がある。
年上のウォルに対しては敬語を使い社交的な対応もしていた事から、教養もあるのだろう。
だがコルトに対しては――――。
「肩車してやろうか?」
「やだよっ、客がそんな事すんな!」
妙に馴れ馴れしかった。
冷たい態度を取られるよりは扱い易いが、今日会ったばかりの中年男が相手では、人見知りしないコルトでも戸惑いを隠せない。
必要以上にベタベタされる事に目をつぶれば、男は上客であった。
沢山の金を持ち、純粋に観光を楽しんでいるようで行動に嫌味がない。
案内人にも気前よく食事を振る舞い、一緒に楽しもうという大人の余裕もある。
この理想的な客をみすみす逃すほど、少女は余裕ある生活を送っていない。
それに、一日を過ごすに連れ、男の馴れ馴れしさにほだされたのか、コルトには無自覚ながら情が芽生えていた。
但し、大人に対する尊敬の類ではなく、イタズラっ子を放っておけない母性的な感情だったが。
しかし、大きな懸念があった。
コルトの様々な雑用で鍛えられた観察眼と直感スキルを以ってしても、男の嘘が読めないのだ。
男が嘘をつくのが上手いからではない。
台詞のどれもが嘘をついているかのような薄っぺらさがあるからだ。
だから、コルトは確かめる事にした。
男が自分をどう思っているのかを。
――――自分の正体を、知っているのかを。
「いいのか? 隠してたんじゃないのか?」
「……やっぱ気づいてたのかよ」
「まあな」
風呂に入るため裸になったコルトを見て、男は平然と答えた。
やはり、コルトが女性である事を知っていたのだ。
男は見かけによらず、鋭さも持っていたのだ。
――――己の成長を待ち、機会を待ち、金を貯め、経験を貯め、そして冒険者になること。
それが少女の夢であった。
少年のフリをしているのは、さほど深い理由がある訳ではない。
一人で生きてきた彼女にとって矜持ともいうべき、平たく言えば意地がそうさせていた。
下手な同情を求めず、強く生きたかったのだ。
「俺にとってコルコルは、ちょっと変わった勤労少女って事で十分だ」
その言葉からは、嘘を感じられなかった。
男は、少年に偽装している少女としてコルトを気に入っているようだった。
普通なら特殊な性的嗜好を持つ変態かと警戒すべきだが、体を求めている様子ではない。
ただ、そういう在り方の少女に好意を抱いているのだ。
女の部分を隠しているコルトとしては複雑な思いであったが、そんな自分を肯定する相手だと考えれば、存外悪い気もしなかった。
……大きな風呂に入りながら、コルトは考える。
お湯に浸かるのは初めてだが、とても気持ちが安らぐ。
全身を包む温かさに身を任せていると、些細な事はどうでもよくなってくる。
風呂に入るという行為に、どんな意味があるのかは知らない。
湯に触れるのは気持ち良いが、温度が高過ぎても低過ぎても、そして長く入り過ぎても体に良くないのだろう。
それは、どんな相手でも適切な扱いさえ出来れば、有益な関係を築ける事に似ている。
今度の相手となる中年男は変人で得体が知れないが、幸か不幸か気に入られているようだ。
その理由が女としてだけではない事を祈りつつ、時折チラチラ見てくる男の視線に何故か優越感を抱きながら、精々稼がせてもらおうと少女は思った。