赤獅子の流儀 3/3
「――――そんな出来事があったのか」
領主家の一室にて、密談する二人の男。
話題は、類を見ない新種の魔物が出現したという極めて重要なもの。
当然、意見を交わす男達の口調は重苦しい。
しかし、二人の手には酒が入ったグラスがしっかりと握られていた。
「魔物の新種は久しぶりだな……」
「そうじゃな……」
一言会話する度に、まるで乾いた口の中を潤すように酒を飲んでいるのは、領主クラマークとその親友ウォル。
二人の間に置かれたテーブルの上には、既に空となった酒瓶が転がっている。
「しかも、ランクが変化する飛びっきりの変わり種、か……。これは冒険者ギルドだけではなく、各都市とも連携して早急に対策を練る必要があるだろう」
「まったく、魔物とは厄介な存在じゃわい。儂らに都合が良い行動を取る場合もあれば、今回のような不意打ちも挟んできおる」
魔物への対応の遅れは、冒険者を主産業とするオクサードの街において致命傷となりかねない。
領主を中心に、街全体で取り組むべき課題であった。
「それは俺達の問題だから、ひとまず置いておくとして……。今回の話をまとめると、やはりというか何というか、彼の力は底知れない感じがするな」
「あの馬鹿の有り余るアイテムを使えば、中級の魔物でさえ一人で対処できるじゃろう。…………もしかして、本人の強さも儂らの予想を上回っておるのかもしれん」
冒険者ギルドに伝わっている情報は、赤獅子が報告したように新種の黄色い魔物の存在だけ。
しかしウォルは、実地研修が終わった直後、赤獅子から口止めされる前のコルトから正確な情報を得ていた。
本来、情報の隠蔽は大罪に値するが、不利益を被るような虚偽ではなかったこと、そして事情が事情なだけに不問としていた。
「彼がステイタスを隠していたとしても、情けない話だが人類に身に付く力なんて魔族に比べたら高が知れているじゃないか。彼自身の力ではなく、我々も把握していない強力な武器アイテムを所持しているのだと思うぞ?」
「これは儂の経験則からくるもので、証明も認知もされてない仮説なのじゃが…………」
「うん?」
「高ランクの魔物は、高レベルの相手に向かってくる傾向がある、と感じておる。むろん、全ての魔物がそうではないのじゃが」
「……つまりウォルは、森の下層エリアに中級のしかも新種の魔物が現れたのは、彼の強さに引き寄せられたから、と睨んでいるのか?」
「その可能性もあるということじゃ」
「さすがに考えすぎだと思うが……。魔物のイレギュラーな行動は、それなりに前例があるし」
「……だといいのじゃがな」
酒が切れたため、ウォルは新しい酒瓶を取り出す。
彼らが飲み続けている酒は、話題の男から得たものである。
「――――とにかく、色々と懸念材料はあるが、俺達としては収穫も多かったんじゃないか? 被害が出る前に新種の魔物を把握できたし、彼の実力の一端も分かったし」
「それもあるが、一番の収穫は奴のコルトに対する執着が思っていた以上に強いと知れたことじゃな」
「ああ、それもあるな。彼は顔見知りの子供を心配して同行したのだから、やはり情も人並みにあるんじゃなのか?」
だから、それほど警戒しなくてもいいのでは、と言外に含ませて領主は尋ねた。
しかしウォルは、首を横に振る。
「確かに『執着』はある。……じゃが、その根底にあるのが本当に『情』なのか、大人として刷り込まれた『義務感』なのか、もしくは『暇潰し』や『娯楽』なのか、はっきりしないのが奴の恐ろしいところじゃ」
「そうかぁ? 普通に心配してだと思うがなぁ……」
クラマークが件の男と直接会話したのは、一度きり。
その時の印象は悪いものではなかったため、どうしても楽観的な見方になる。
それに、愛娘が懐いている相手を悪人だと思いたくない親心もあった。
「……なあ、もしかして今回の件は、彼の『力』や『情』を計るためにウォルが仕込んだのか?」
悪い予感を覚えた領主は、親友に問い質す。
「違う」
ウォルは否定する、が――――。
「そうだよな、いくらウォルでもそこまでしないよな」
「当たり前じゃ。魔物を仕向けるような真似は、儂でもできんわい」
「魔物は違う、って言ったのか? そ、それじゃあ……」
「儂の目的は、あの馬鹿とコルトとの関係性の確認。そして、もう一つ」
「も、もう一つ?」
「俗な言い方をすれば、新しい女をあてがうのが一番の目的じゃ」
グラスを口元に傾けながら、強面ドワーフは真顔で言った
「なにっ!? それじゃあ、実地研修の指導役に赤獅子の二人を選んだのは……」
「そうじゃ。奴が好みそうな若い女を選んだ」
「お、お前……、そこまでするかぁ?」
「ふん、儂はただ、そうなる可能性が高い相手を見繕っただけじゃ。そこから先は本人の意志じゃわい」
「それにしても、なあ……」
「あの馬鹿は、社交性もそれなりに持っておるくせに、この街で親しい者をほとんど作っておらん。特にギルドのような組織との接触を徹底的に避けておる。」
「…………」
「じゃから、この街を支える冒険者の連中と繋げておかねばならぬのじゃ」
「――それが、そんなに重要なのか?」
クラマークは、グラスを台の上に置いてから尋ねた。
ウォルの強引な進め方はいつものことだが、これまで以上の緊迫感を読み取ったからだ。
「……目に見えるような異変が起きておる訳じゃないが、妙な胸騒ぎがする。特に今年は『大襲来』が発生する年。念には念を入れておくべきじゃ」
「今回の『大襲来』には、何かが起こると感じているのか?」
直感スキルを持つ相手からの警告は、無視できない。
「異変というヤツは大きな事件に絡む場合が多い。『大襲来』はこの街の存続に関わる一大事で、冒険者ギルドが中心となって対応する案件じゃ。アイテム確保の観点からも、奴の情らしきものを冒険者に向けておいて損はないじゃろう」
「そこまで考えてのことか……。お見逸れしたよ」
「お主が疑うことを知らんから、儂にお鉢が回ってくるのじゃ」
「それを言われると耳が痛いな、ははっ……」
領主は、民を信じ、人望を以て導く。
その親友は、民を疑い、あらゆる手段を用いて膿を取り除く。
冒険者の街オクサードは、表と裏の両面から取り持つ政策で成り立っていた。
「俺達の事情は一先ず置いておくとして。……確認したいのだが、今回の冒険者研修会への参加が、本当に彼へ『借り』を返した事になるのか?」
「そうじゃ」
「あの夜の襲撃事件で色々と手伝ってもらった『大きな借り』が、本当に?」
「あの馬鹿から言い出したのじゃから、間違いないわい」
「つまり彼にとっては、俺の家族だけでなく護衛達まで含めた多くの命が、ただの研修――――いや、顔見知りの子供の成長を見守ることと同価値になるのか?」
「そうなるじゃろうな」
にべもなく肯定し続ける親友を前に、領主は情けない顔をした。
物の価値は、人それぞれ。
それが分かっていても、やるせなさを感じずにはいられない。
「返せる物が少ない身としては有り難い話だが、彼の特異さは未知の力以外に、こうした価値観の違いにも表れている気がするな」
「……奴は貸すのも借りるのも、どちらも嫌っておる。今回の件で貸しが無くなり、むしろ清々しておるじゃろう」
「借りは当然として、貸すのまで嫌うのは何故なんだ?」
「貸しと借り、どちらも相手との繋がりがあって初めて成立する契約じゃ。それを嫌うということは――――」
「組織と距離を置いているように、他者との繋がりも極力避けようとしている、のか…………」
「…………」
二人は黙ったまま酌み交わす。
その味は、少し苦みが増した気がした。
「それが彼の生き方――――流儀なのだろうか?」
「そんな大層なもんじゃなかろう。あれでいて案外頑固な性格や事情も関係しているやもしれんが、一番の理由は、本当の意味で他人から力を借りる機会がこれまでなかったのじゃろう」
「……俺は今まで、誰かの力を借りてばかりな自分を恥じてきたが、それは必要なことだったのかもしれないな」
「少なくともお主のように人の上に立つ者には、必要なのじゃろうな」
「そう言うウォルは、彼と同じように、他人から借りる必要がないタイプじゃないのか?」
「以前の儂はそうじゃったかもしれん。じゃが…………」
毒に命を蝕まれていた日々。
その窮地を救ったのは、会ったばかりの名も知らぬ男であった。
「借りたくないのに借らざるを得ない者。借りたくても貸してもらえない者。そもそも借りる必要がない者、か…………」
クラマークの呟きを聞きながら、ウォルは思う。
「借りたくても貸してもらえない者」が大勢いるのだから、「借りる必要がない者」は恵まれているはず。
それなのに、あの男の顔を思い浮かべると腹立たしい気持ちになるのは何故だろうか。
「借りる必要も貸す理由もないだけなら、まだいい。しかしあの馬鹿は、知らず識らずに貸してしまう者、なのじゃろうな」
嫌っているはずの結果を、意図せず引き寄せる性質。
知らない相手を、避けようとする悪癖。
だとすれば、本当に識るべき相手は、他ならぬ自分自身かもしれない。
最初に信じるべきは、自分自身。
己を信じられない者は、幸せになれない。
それは、誰の言葉だっただろうか。
「――――辛気くさい話は、これくらいでいいじゃろう。せっかくの酒が不味くなるわい」
「いや、けっこう重要な話をしていたと思うのだが……。まあ確かに、この酒は絶品だよな。冷たい酒がこんなにも美味いとは知らなかったよ」
「腐りにくい酒を冷やそうとする発想が、まず出てこない。仮に思いついたとしても、高価な氷や収納アイテムを使ってまで実行する者などおらん。究極の馬鹿者の仕業じゃ」
「と言うことは、この冷たい酒も彼からの頂き物なんだろう? ……こんなにも世話になっている相手に、俺達は陰口ばかり叩いているよなぁ」
「最高の酒を持っておるくせに、酒の味が分からん馬鹿者。世の中は儘ならぬものじゃな」
「そんな一言で片づけるのはどうかと思うが……。ところで、ウォルよ。少し気になったのだが、研修の指導役に赤獅子を選んだ理由は何だ? 彼女達は確かに男受けする美人だが、気が強くて問題が多いと聞いているから、他に適任が居たのじゃないのか? たとえば、保護欲を掻き立てる子とかさ」
「……男と女を接触させるだけでは、どうにもならんじゃろう。奴の趣味は『若い女』以外はよう分からん。じゃから、女の方から興味を持たせる必要があった。どうやらあの馬鹿に強い関心を持つのは、少々変わったところがある女のようじゃ」
「それで一癖ありそうな彼女達を選んだのか……。類は友を呼ぶってヤツかな」
「そういうことじゃな」
「なるほど、彼に懸想していると聞くエレレも、かなりの変わり者だからな。ははっ……」
「…………」
「――――なあ、ウォルよ。念のために聞いておくが、その『変な女』とやらに、うちの娘は含まれていないよな?」
「……含まれているに決まっておるじゃろうが」