水の巫女と主の迷走劇②/水色の髪の魅力
週に一度のお約束となっている、水の都でのお昼寝。
水の通路を走る小舟の上で眠る俺の傍らにて、同じように横たわる自称「俺の娘」さんが、こう言った。
「パパって、髪を触るの好きだよね」
「……ああ、そうかもな」
隣に人が居ると中々眠気が来ないので、徒然なるままに彼女の髪を無意識に触っていたようだ。
自分で長く伸ばした経験がないためか、それとも女性らしさの象徴と感じるためか、長い髪を見ると無性に手を伸ばしたくなる。
匂いを嗅ぐまでの変態趣味はないが、さらさらの髪を触るだけで幸せな気持ちになれるから不思議なものだ。
可愛い女の子に「好きな所を触って良いよ?」って言われたら、胸の次に髪を選ぶ程度には好きなのだろう。
「メイの髪、好きなの?」
水の巫女様が、嬉しそうに聞いてくる。
手入れが行き届いた彼女の長い髪は美しい。
さらさらのキューティクルヘアもさることながら、色合いが格別だ。
鮮やかな水色の髪。
地球では滅多にお目にかかれない素敵な色である。
でも、染めているんだけどな。
「水色の髪はいいよなー」
「むーーー」
「何かご不満かな?」
「今、他の女の子を考えたでしょ」
ご明察だ。
ポーカーフェイスを得意とする俺から読み取るとは、スキルの仕業だろうか。
それとも、女性特有の第六感というやつだろうか。
くわばら、くわばら。
「水色の髪を見ると、友やエリオや明日香を思い出すんだよなぁ」
全て小説に登場するヒロインだ。
まあ、最後の子は緑色の髪なのだが。
「誰よ、それっ!?」
「今風に言うなら、嫁だろうな」
「結婚はしていないって言ったじゃないっ!」
「男は誰でも、心の中にたくさんの嫁を持っているんだよ」
言葉にすると悲しくなる。
小説、漫画、アニメなどの二次娯楽は、なんとも業が深い。
「メイの髪じゃ駄目なのっ?」
「いやいや、あんたの髪は染めている偽物だろう?」
「な、なんで知っているのっ?」
「髪スキーを舐めちゃいけない」
実際は鑑定したのだが。
「別に、染めるのが駄目って訳じゃない。要は似合っているかどうかだ。それに、女性の美しい髪はそれだけで価値がある」
「そ、そうなの? えへへ」
俺の曖昧なおべっかを聞いた巫女さんは、照れ照れしている。
チョロイな。
何でこんなにもチョロイ娘に育ってしまったのだろうか。
育ててないけど、娘でもないけど。
「…………」
こんな感じで似非親子を演じる俺達を、船を漕いでいる船主様が複雑そうな顔で見ていた。
「安心してくれ。女性の髪に貴賤はない。だから、ミズっちの短い髪も大好きだぞ?」
「……誰もそんな心配してないんだけど?」
うんうん、相変わらずクールですげないところがイカす。
女の子は慎みなくデレるよりも、ガードが堅い方がぐっとくる。
攻略している、って感じがするよな。
「ほらほら、巫女さんの髪にはもう飽きちゃったから、次はミズっちの髪を触らせておくれよ?」
「船に乗る許可は出したけど、髪に触る許可は出してないよ?」
「それはつまり、金さえ払えば触らせてくれるってことだよな?」
「……ほんと、相変わらずお客さんは最低だよね」
もっと言っておくれ。
心底呆れた目で見下ろしながら罵倒してくれるサービスまで付いているとは、やはりこの船は最高だな!
「むーーー」
巫女さんも、ぽかぽか肩叩きしてくれるし。
親孝行な娘を持って幸せ者だよ、ほんと。
「ふむ……」
大方の予想通り、ミズっちから髪に触れるのを拒否されたが、ここで諦めては男が廃る。
最初は巫女さんの話に乗っただけだったか、本気で触りたくなったのだ。
お金を使わず、しかも合法的に触るには、どうすればいいのだろうか……。
「ちょっとお客さん……。目を細めて舐め回すように見るの、ほんとやめてよね」
「失礼な、目が細いのは生まれつきだ」
「舐め回すって言われたのは否定しないんだね、パパ?」
「俺は自分に正直に生きるって決めたんだ」
「……パパ、さいてー」
巫女さんからも「最低」いただきましたっ!
金を払ってでも若い女性に言ってもらいたい言葉トップ10に入る有り難い罵倒である。
「そうだな……。北風と太陽の話を教訓に、魔法で強風を発生させ、風に押され倒れ込んだミズっちを助ける振りをして髪を触りまくるって作戦はどうだろう?」
「…………どんな話なのかは知らないけど、それをアタシに聞いてどうするのよ、お客さん?」
偶然を装っても駄目らしい。
金も駄目、ラッキースケベも駄目では、もう強行作戦に訴えるしかない。
強い信念を持つ者が、嫌々ながらも命令に従ってしまう場合がある。
それは、もっとも大事なモノを守ろうとする時。
「巫女さん、あーんしてくれ?」
「ちゃんと名前で呼んでよ、もう。あーん…………もがっ!?」
文句を言いつつ素直に開かれる口。
その中にフランスパンを突っ込んだ。
そしてそのまま、ぐりぐりと押し込んでいく。
「もがっ、もががっ!?」
寝転んだままの巫女さんが手足をバタバタされるが、抗議の声は聞こえないので止める必要はない。
「はははっ、まさか上品さが売りの巫女様が、一度口に入れた物を吐き出すなんてはしたない真似しないよなぁ?」
「ごもっ!?」
こう言っておけば、変にプライドの高い彼女はみっともなく吐き出せないだろう。
「み、巫女様っ!? お客さんっ、なんて事するのっ!」
ミズっちが慌てて抗議するが、もう遅い。
「あーあ、このままだと巫女さんは、男と遊んでいる最中にパンを食べ過ぎて死亡したという、後世に語り継がれるような情けない死因になっちゃうよなぁ?」
「そんなっ!?」
準備が整ったので、今度は本命のミズっちを脅迫する。
大好きな巫女さんを人質に取られているから、俺の言う事に従う他あるまいて。
「さあ、この惨事を防ぎたければ、観念して髪を触らせてくれっ!」
「――――くっ、何て卑怯なっ」
「ほーらほーら、悩んでいるうちに、堅くて長いパンがどんどん口の中に入っていっちゃうぞー?」
「わっ、分かったわよっ。好きにすればいいでしょ!」
やった!
ついに難攻不落のミズっちを攻略したぞっ。
俺の地道な努力と誠意が実った瞬間だ!
「では、遠慮なく――――」
「あっ――――」
ミズっちは、ウキウキしながら手を伸ばす俺に向けて、その頭を差し出す。
その様子はまるで、斬首刑を待つ冤罪者みたいな悲痛さが漂っていた。
「おおっ!?」
「…………くっ」
なんだこれ。なんだこれ。
長らく待ち続けていたためか、物凄く素晴らしい触り心地なんですけど。
控えめに言って最高なんですけど。
恥辱で頬を染める彼女が堪らないんですけど。
堪らないんですけどっ!
「――――っ」
髪に触れる度に、びくっと体を震わせるミズッち。
そんな彼女を見てゾクゾクしてしまった俺は、調子に乗って頭部の天辺にあって若干肌が見えている部分――――つむじを人差し指の爪で軽く掻いてみる。
「――――ひゃぁっ!?」
「そんな所を触るだなんて信じられない!」みたいな感じでミズっちが睨んでくるが、涙目なので迫力がない。
むしろ俺をより調子づかせるだけ。
つむじには下痢のツボが有ると言われるくらいだから、きっと敏感なのだろう。
「――――んあっ…………、ああっ!?」
カリカリ、カリカリ、と。
俺の指は、もう止まらない。
「――――っ、――――っん~~~」
ずっと触っていたい。
恥じらう彼女をずっと見ていたい。
ああ、ヴァルハラは此処にあったのか…………。
「――――ねえ、メイはもう大丈夫だけど……、いつまで続けるの?」
「…………」
「…………」
興奮が最高潮に達し、もうすぐ本当に昇天しそうになる直前に、冷たいツッコミが入った。
ゆっくりと視線を向けると、半目になった巫女さんが俺とミズっちとを睨んでいる。
どうやら、大急ぎで特大のフランスパンを食べてしまったようだ。
流石は水を崇める都の水の巫女。
水を差すのがお上手である。
「ちっ、違うんです巫女様っ……、これは、脅されて仕方なくっ…………」
ミズっちが妙に慌てて弁明している。
弁明も何も、彼女は完璧に被害者なので、説明する必要なんてないと思うのだが。
「……パパとミズチさんて、凄く仲がいいよね?」
ほら、下手に言い訳するから巫女さんが変な事を言い出したぞ。
「そりゃあそうさ。だって俺は、ミズっちに会うために此処に来ているようなものだからな」
隠し立てする必要もないので、素直に答える。
ミズっちの船の上で味わう歌と尻は、俺の心のオアシスなのだ。
「何よそれっ!? メイが心配だから来てくれているって言ったじゃないっ!」
言ってません。
言ったのは、あんた自身だよ。
最近、巫女さんの幼児化が進んでいる気がする。
幼児化ならまだ良いのだが、自分に都合が良い事だけを思い込むヤの付く属性に進化しそうで恐い。
出会った当時の毅然とした彼女はどこに消えてしまったのだろうか。
「もっ、もしかしてっ、浮気なのっ!?」
おいおい、とうとう浮気とか言い出したぞ。
そして俺は、結婚どころか恋人さえ居ないのに、とうとう浮気男扱いされてしまったぞ。
これも男の甲斐性として喜ぶべきなのだろうか?
「み、巫女様っ、変なこと言わないでくださいっ! お客さんからもちゃんと説明してよっ」
ミズっちが慌てて否定している。
ご希望通り、俺もちゃんとフォローしよう。
「そうだぞ、誤解は良くないぞ」
「そうですよっ、巫女様っ。誤解なんですよっ」
「そうそう、人族の多くは一夫多妻制なんだから、妻を何人娶ろうと自由。だから浮気なんて言ったら、ミズっちと俺に失礼じゃないか」
「うえっ!? ま、まさか本当に……?」
「ち、違いますからっ、本当に何の関係もありませんからっ。何でお客さんは更に誤解されそうな言い方をするのよっ!?」
「まあ、ミズっちの言うとおり、まだ子供は出来ていないから、俺達は無関係と言えるかもしれないな」
「こっ、子供までっ!?」
「違いますからっ違いますからっ! 子供が出来そうな事なんて一切してませんからっ!!」
嘘は言っていないぞ、嘘は。
一夫多妻制は当然の風習らしいし、俺とミズっちの間に肉体関係はないから、まだ子供が出来ていないのも当然。
そう、可能性の上では全て「まだ」なのだ。
「駄目よっ、子供を作るのは絶対に駄目よっ!」
涙目な巫女さんにかける慰めの言葉はない。
あるのは追い打ちだけである。
「んんー? なぜかなー? 法律上、何ら問題ないはずだがなー?」
法律を楯に正論で丸め込もうとする男は最低だと思う。
「だっ、だって、メイよりも若い人が、メイのパパのお嫁さんになるだなんて変じゃないっ!」
「変じゃありませーん。男とは年を取るにつれて、反対に若い女性を求める生き物なんでーす。ごく当たり前な種の生存本能なんでーす」
俺は全世界の男性を代表して断言した。
異論は認めない。
「そうなのっ!?」
現在二十歳、そして水の巫女を退役する三十歳まで結婚出来ない女ことメイアナ嬢は、ものすごーくショックを受けた顔をして茫然自失してしまった。
「――――あっ、巫女様っ!?」
その後、ふらふらと立ち上がって陸地へとよじ登り、そのまま蛇行しながら歩いて帰っていった。
何故だろう。
彼女には哀愁がよく似合う。
「…………流石に言い過ぎだと思うけど、お客さん?」
フォローする言葉を探すも結局見つけきれず、言葉を失っていたミズっちが俺を恨めしそうに見てくる。
「別に嘘は言っていないぞ。男は若い娘を求める生き物なんだ」
「……やっぱりお客さんは最低だよね」
「そう、男ってのは最低の生き物だ。……だから、そんな奴に依存せず自立心を養うべきなんだ」
俺だって、何の意味もなく巫女さんをいじめた訳じゃない。
最近、彼女の俺に対する依存心が強くなりすぎているから、少し距離を置くために泣く泣く辛辣な言葉を投げたのだ。
巫女さんは、たとえお飾りだとしても、少なくとも何も知らない市民にとっては水の都の象徴的存在。
もっと自覚して強くなってもらわねば困る。
決して至極の昼寝タイムを邪魔され困っている俺のためにやったのではない。
俺だって辛いんだよ?
分かってくれるよな?
「俺の地元には『獅子の子落とし』と言って、可愛い我が子には敢えて厳しい試練を与え成長を促すべきとする格言があるんだ。俺もあの子の父親として、厳しく接する必要があるはず。うん、きっとそうなのだっ!」
「…………ふーん」
無理矢理綺麗にまとめようとしている俺を、疑わしい目で見てくるミズっち。
彼女が疑っているのは、親子関係だろうか、俺の愛情だろうか、その両方だろうか。
「お客さんの考えは、よーく分かったよ」
「そうかっ、分かってくれるかっ」
よしよし、これで後は、今回で懲りた巫女さんが外出を控えれば、ミズっちとの逢瀬が再開できるぞ!
――――そんな俺の気持ちを知ってか、彼女はにっこり笑ってこう言った。
「これからは巫女様と一緒じゃないと、お客さんを船に乗せないから」
……その夜、水の神殿に侵入して、巫女さんに謝りまくったのは言うまでもないだろう。
俺は大切なモノのためには、プライドさえも捨てることができる男である。
基本チョロイ巫女さんは、初対面の時に渡せなかった菓子と花と宝石を差し出すとすぐに機嫌を直してくれた。
しかし、これ以降は今まで以上に引っ付いてくるようになり……。
結局、目論見とは正反対になった結果に遺憾の意を表せずにはいられない。
そういえば、昔読んだプレイボーイ御用達の本に「押して駄目なら引いてみろ」って書いてあった気がする。
こんな高等テクを無意識に使ってしまうなんて、俺のダンディさが増している証拠だろうか。
「…………はあ」
そうでも考えないとやってられない一幕。
ミズっちがデレる日は遠く険しいどころか、日に日に状況が悪くなっている気がするが……。
気にしたら負け、であろう。