虚ろな主人と偽りの従者・後編
「――――よぉ、遅かったなぁ、ピピレレ。待ちくたびれて、こっちから乗り込むところだったぜぇ?」
馬車から降りたピピレレが近くの林の中に入っていくと、五人の男が待ち構えていた。
彼らはピピレレと同じく、奴隷用の首輪をしている。
「気を使ってもらって感謝するっス。ちょっとばかり、甘えん坊な男性から引き留められていたっスよ?」
下品な笑顔で話し掛けてくる男達に、ピピレレもまたにっこり笑って答えた。
「ほぉ、お嬢だけじゃなく、男までたらし込むとはやるじゃねぇかぁ?」
「あはっ、褒めても何も出ないっスよ?」
「そりゃあ困るなぁ。なにせ俺らは、飼い主様から何が何でもお嬢を取り返してこいって命令されてんだからなぁ」
「お勤めご苦労様っスよ?」
軽口を交わす二人は、気心が知れた友人のように見える。
しかし、メイドも、男も、その仲間達も、その手には物騒な武器が握られていた。
「そんじゃぁ、挨拶代わりに早速始めるとするかぁっ!」
そして、男の言葉を皮切りに、両者は戦闘を開始した――――。
「――――どうだぁ、ピピレレよぉ? そろそろ諦めて、お嬢を引き渡す気になったかぁ?」
「はぁ……、はぁ…………、お断り、するっスよ?」
ピピレレの動きは、鋭い。
この場に居る誰よりも。
……それでも、統率された五人に一人が敵うはずもなく。
彼女は次第に追い詰められ。
全身を切り刻まれ。
今や、立っているのがやっとの状態であった。
「飼い主様はなぁ、お嬢の身柄さえ確保できれば、お前の罪は問わないそうだぁ。全部お嬢がそそのかしたと思ってんだろうなぁ」
「…………」
「なんともお優しい飼い主様じゃねえかぁ。そんな相手に飼われて、俺らは幸せ者だねぇ」
そんな事は微塵も思っていない男がうそぶく。
「お前の戦闘力は貴重だぁ。なにせ俺ら奴隷の中でもトップだからなぁ。今回五人も出張ってきたのは、お前を殺さずに押さえ込むための涙ぐましい配慮なんだぜぇ」
「だ、だから……、はぁ、はぁ……、褒めても、何も出ないっスよ?」
「この状況でまだ減らず口が叩けるとは流石だなぁ。そんなお前の強さを飼い主様も買ってるんだろうよぉ」
「……自分の雇い主は、マリーお嬢様だけっスよ?」
「そのお嬢の所有者が飼い主様なんだからぁ、お前にとってもそうなるだろうよぉ?」
「そんなの知った事じゃないっスよ?」
両者の話は、どこまでも平行線のまま進む。
「そもそも、何でそこまでお嬢に肩入れするんだぁ? 確かにお嬢は飼い主様の実の娘だがぁ、所詮は政略結婚して変態オヤジを愉しませる為だけに育てられた人形だぞぉ?」
「……」
「俺ら奴隷と大差ねえような使い捨て人形に尽くしてもぉ、何の得にもならねえだろうがよぉ?」
「あはっ……。そんな外道にマリーお嬢様が穢されないよう、こうして頑張って逃げているっスよ?」
――――そう、マリーとピピレレは、逃亡の身。
結婚が決まり、相手のご機嫌取りのためだけに差し出されるはずだったマリーの手を取り、ピピレレは逃げ出したのだ。
マリーは、蝶よ花よと育てられた箱入り娘であったが、その身がただの献上品である事を理解していた。
だから、ピピレレに説得され、自由を求めて飛び立ったのだ。
しかし、そこはやはり、世事に疎い深窓の令嬢。
マリーはピピレレと一緒だったら、どこにでも行けると信じていたが……。
奴隷として買われ地獄を見てきたピピレレは、この逃走劇の成功確率の低さを知っていた。
……彼女は、それでも良かった。
たとえ、その罰で自分が命を落とす結果になっても。
ほんの一時であれ、マリーに自由を与えられるだけで満足だったのだ。
こうして追っ手に取り囲まれた絶体絶命の中にあっても、彼女に後悔はない。
「――――だいたいなぁ、もし逃げおおせてもお嬢とお前だけで生きていけるほど世間は優しくないぜぇ?」
「その点はあまり心配してないっスよ? マリーお嬢様は最高の力を持っているっスからっ」
「ああん? その力ってのはもしかしてぇ、あの『合縁奇縁』とかいう訳の分からんスキルの事かぁ?」
追っ手の男達は、小馬鹿にしたように鼻で笑う。
スキルは、魔法以上に多種多様な力を持つ。
それだけに、どのような効力を発揮するのかさえ明確でない意味不明なスキルも存在し…………。
まさにそれが、マリーが持つ「合縁奇縁スキル」であった。
「人が誰かと出会うってのはぁ、何の変哲もねえ出来事だろうがよぉ。そしてその大半が、くそったれな悪縁であるのもなぁ」
男が語るように、出会いなんてものは、人が社会の中で暮らす上で避けられない日常に過ぎない。
合縁とは、人と人との結びつき。
奇縁とは、不思議な巡り合わせ。
そして合縁奇縁とは、仲良くなれるのも、なれないのも、全て不思議な縁によるものだという意味。
それらは、当たり前な人の営み。
良かったり、悪かったりするのが当然。
だから、その出会いを特別だと感じるのは、そう感じたいから……。
「なぁ、ピピレレよぉ……。そんなスキルが、本当に役立つと思っているのかぁ?」
「そうっスよ? マリーお嬢様と自分が出逢えたのも、そのお陰っスよ?」
間違った解釈をしている子供を諭すような顔をする男に対し、ピピレレはどこが間違っているのか理解できない子供のような表情をしている。
「マリーお嬢様は、使い捨ての奴隷として買われてきた自分を、本物のメイドのように扱ってくれたっスよ……」
マリーの父親が、己のための奴隷ではなく、大切な商売道具である娘を守るための奴隷としてピピレレをあてがったのが、はじまり。
まだ幼かったマリーが奴隷という残酷な制度を知らず、普通の使用人のように扱っただけであるのはピピレレにも分かっている。
それでも、本物のメイドと同じように、話し、甘え、怒り、そして信じてくれた。
物心がついた頃から奴隷だったピピレレは、マリーに出逢えたお蔭で人並みの感情を手に入れたのだ。
――――だから、ピピレレは信じている。
マリーが持つ縁の強さを。
その結ばれた縁の中に、自分も含まれていることを。
そして、今回の出逢いも、また…………。
「……無駄話はこれくらいにしようやぁ。俺らもそんなに時間をもらっている訳じゃねぇ。余計な真似をしないよう、こんな大仕事にまで時間制限してくれるなんてぇ、本当に俺らは飼い主様に恵まれているよなぁ」
「その点は、とってもとっても同情するっスよ?」
「まったく、奇妙な話だぁ。飼い主様が気まぐれで、お前の所有権をお嬢に与えただけの違いなのに、俺らとお前は正反対の位置に立っている…………。もっともぉ、一時的な話かもしれんがなぁ」
「…………」
「んなわけでぇ、質問するのはこれで最後だぁ。――ピピレレ、お前の本当の飼い主は、誰だぁ?」
「……少しだけ、待ってもらってもいいっスか?」
「…………ああ、よーく考えなぁ」
追っ手は、裏切り者の意志が固い事をよく分かっていた。
だからそれは、彼らにできる精一杯の情け。
今生とこの場に居ないお嬢様に別れを告げるための、最後の時間。
「感謝するっス」
それを理解しているピピレレは、頭を下げた。
男達がそうであるように、彼女もまた、同じ境遇である元同僚との争いなど望んでいない。
それでも、彼女には譲れないものがある。
そのために自分の命を使う覚悟は、屋敷を飛び出す以前からとっくにできているのだ。
「…………」
ピピレレにはもう、対抗する手段がない。
それなのに、不思議と不安はなかった。
この場で自分が朽ち果てても、「ご主人様」と呼ばれて喜んでいたあの奇妙な男がマリーを守ってくれるだろう。
そんな根拠のない安心感が、何故だか心の内にある。
「――――あっ、そういえば、そのご主人様からプレゼントをもらっていたっスね」
何かに期待した訳ではなかった。
ただ、頂き物の中身を知らないまま死んでしまうのも寂しいな……。
そんな心残りがあっただけ。
だってそれは、彼女にとって、男性からもらった初めてのプレゼント。
その、ポケットにしまっておいた小さな袋を取り出す。
「「「…………」」」
追っ手の男達は、その様子を静かに見守っていた。
たとえ彼女が袋の中から新しい武器を取り出して再び戦いになっても、到底埋められない戦力差がある。
くそったれな結果は、どうあっても変わらないのだ。
追っ手は、そう、思っていた。
――――――「奇縁」は、「機縁」。
それは、願いを叶えるきっかけを与えてくれる力。
「…………あはっ」
敵を前に、ピピレレは悠々と袋の中から体力回復薬を取り出し、グビッと飲み干した。
「あははっ!」
その次に取り出したのは、魔力回復薬。
やはり、グビッと飲み干す。
「「「…………」」」
ジリ貧な逃亡者のくせに、高価な魔法薬を隠し持っていた事実に追っ手は少し驚くが、優位は動かない。
回復しても、先程と同じ戦闘を繰り返し、同じ結果になるだけ。
「あはっ、あははっ!」
でも、ピピレレの笑いは止まらない。
「最高っスよ! やっぱりマリーお嬢様は最高っスよっ!」
それは、グローブ型のマジックアイテム。
装備した者の攻撃力を倍化させる。
それは、ブーツ型のマジックアイテム。
装備した者のスピードを倍化させる。
それは、ネックレス型のマジックアイテム。
装備した者のあらゆる状態異常を防ぐ。
それは、ソード型のマジックアイテム。
装備した者は炎と氷の斬撃を自在に操る。
それは、ローブ型のマジックアイテム。
装備した者はどんな攻撃も十回まで完全に防ぐ。
「あはっ、あははははっ!!」
――――――「合縁」は、「愛縁」。
それは、愛情と思いやりが結ぶ力。
「さいっっっこぉーーーにぃっ愛してるっスよっぉぉぉ、ご主人様ぁぁぁぁぁっ!!」
最高ランクの冒険者でさえ、それらのアイテムを一つ手に入れるには、長い時間と相当の運を要する。
そのような最高級品を五つも同時に装備する者なんて、世界中を探しても存在しないだろう。
今のピピレレは、それほどまでに圧倒的な力を纏っていた。
「……おいおい、流石に冗談が過ぎるぜぇ、ピピレレよぉ?」
「――あはっ、自分もそう思うっス!」
「なるほどなぁ…………、これがお嬢の本当の力って訳かぁ?」
「そうっスよ。マリーお嬢様は出逢いを力に変える事ができるっスよ?」
追う者と追われる者。
狩る側と狩られる側。
立場は、完全に逆転していた。
だとしても、奴隷として命令を受けている男達に、逃亡する選択肢はない。
彼らが真の自由を手にするのは、その命の火が消えた時だけ……。
「心底うらやましいねぇ。俺らもお嬢に飼われていたら、まともな人生を送れたかもしれないなぁ…………」
「……あんたらに恨みはないっス。同情もするっス」
「ああ、分かってるさぁ……」
「――――でも、自分が一番大事なのはマリーお嬢様っスよっ!!」
それが、両者の別れの言葉となった。
◇ ◇ ◇
「――――やあ、お帰り。随分と遅かったじゃないか。もうすぐ馬車が出発する時間だぞ?」
「……申し訳ないっス。ちょっとばかり、情熱的な男性から引き留められていたっスよ?」
「おいおい、ご主人様とついでにお嬢ちゃんまで放っておいて男遊びとは、なんて罪な女だよ」
「あはっ……。これでも自分、けっこうモテるみたいっスよ?」
「焼かせるねぇ。これ以上遅かったら、我慢しきれずお嬢ちゃんに悪戯するところだったぞ」
「寝ているマリーお嬢様に膝枕してくれるのはありがたいっスけど、ほっぺをつんつんしてる右手と、髪をくるくるしている左手は、悪戯にならないっスか?」
「この程度はまだまだ序の口だ。これからもっともっと凄い事をする予定だったからな」
「どうやら、お嬢様の貞操の危機だったみたいっスね?」
「ああ、残念だがお預けのようだ。……膝枕ってやつは、する方も案外楽しいものなんだな」
「……自分も、そう思うっス」
「ははっ。ほら、そんなに赤く汚れた服だとお嬢ちゃんがビックリするから、この服に着替えるといい」
「このメイド服は、いま自分が着てる服と全く同じに見えるっスよ?」
「当然だ。俺は女性の服なら何でも持っているからな」
「ご主人様は本当に何でも持っているっスね……。そうだこれ、借りていた袋をお返しするっスよ?」
「役に立ったかな?」
「そりゃあもう、立ちまくりだったっスよ!」
「だったら返す必要はない。それはもう、あんたにプレゼントした物だし、これからも必要になるだろう?」
「……本当にいいっスか? この袋の中はお宝のオンパレードっスよ?」
「最初に言ったはずだ。『膝枕してくれるなら願いを叶える』ってな。だからそれは、正当な契約に基づく正当な報酬だよ」
「あはっ、自分の膝にそんな凄い価値があるなんて知らなかったっスよ?」
「得てして己の本当の価値は、本人では気づけないものさ」
「……やっぱり最高っスね、ご主人様は」
「ん? 何か言ったか?」
「――――最高に愛してるっスよ、ご主人様?」
「ははっ、面と向かって言われると流石に照れるな。今度は子供が居ない時に言ってくれ」
「そうっスね。……また今度、ご主人様に出逢えたら、必ずそうするっスよ!」
「そいつは楽しみだ。せっかくだから、その奴隷用の首輪とやらも外しておくかい?」
「……本当の本当に、ご主人様は何でも出来るっスね? …………でも、このままでいいっス。これは自分がマリーお嬢様のメイドである証しっスからね!」
「まあ、そんなプレイも悪くないだろうさ」
「――――あはっ!!」
◆ ◆ ◆
―――― 数時間後 ――――
――――チリン。
「…………あれ、もう次の街に着いたの?」
「そうっスよ、お嬢様がぐーすか寝てる間に着いちゃったっス」
マリーが目を覚ました時、馬車は既に目的地へと到着していた。
「何だか、とっても深く眠っていた気がするわ……」
「きっと、慣れない旅の疲れが出たっスよ?」
寝ぼすけなお嬢様は、まだ視点が定まらない眼をこすりながら、辺りを見渡す。
馬車の中には、彼女と彼女のメイドだけが座っていた。
「そうかもね。……あら、あの失礼な男は?」
「ご主人様なら、もう行っちゃったっス」
「そう……」
「寂しいっスか?」
僅かに目を細めたマリーに対し、ピピレレは問いかける。
――――チリン。
「……そんなはずないでしょ。もう二度と会わないのだから、最後に文句を言いたかっただけよ」
「あはっ」
変態男を気に掛けるなんてありえない話だと否定するマリーを見て、ピピレレは笑う。
そんな従者の姿を見て、少女はよりいっそう眉をひそめて怒り出す。
「あの最低なエロ親父め。ピピレレの膝だけじゃ満足せず、寝ている私の体まで触っていないでしょうね?」
「…………あはっ」
「ちょっとぉ、なんで否定しないのよっ!?」
「申し訳ないっス。自分は休憩時間に外に出ていたから、その間の出来事までは保証しかねるっス」
「ねっ、寝ている私とあの変態男を二人きりにしたのっ!?」
「不可抗力っスよ?」
マリーは、馬車の中に取り残された自分と、近づいてくる中年男の様子を想像し、盛大に鳥肌を立てた。
「あっ、なんだか服がしわくちゃになっているわっ、特に胸の辺りがっ! それにボタンも所々外れているしっ!?」
「まあまあ、男性から見られたり触られたりするのは、お嬢様が魅力的だって証拠っスよ?」
「そんな褒められ方しても嬉しくないわよっ!」
「お嬢様も大人になれば、きっと分かるっスよ?」
「絶対嫌よっ! あんな最低男を好ましく思うような大人になるくらいなら死ぬ方がましよ!」
「あはっ、自分達の恩人に対して酷い言い草っスね?」
「なにが恩人よっ!? ちょっと席を貸したくらいで調子に乗っちゃって! 私達の弱みにつけ込んで体を触っただけじゃない! 最低最低、ほんと最低よ! 今度会ったら絶対とっちめてやるんだから!!」
鼻息を荒くしながら、マリーは空に向かって吠える。
そんな元気いっぱいの主人を見ながら、ピピレレはまた笑った。
「――――そうっスね、マリーお嬢様だったら、もう一度出逢えるかもしれないっスね」
「まるで私の方が会いたいと思っているような言い方は止めてっ。私はあの男に文句を言うために仕方なく会うだけなんだからっ!」
「きっとその方が、ご主人様も喜ぶっスよ?」
「あの男を主人と呼ぶのは止めなさいよ! ピピレレの本当の主人は私だけよ!!」
「あはっ――――」
出逢った時から、何一つ変わらない主人。
メイドは、今この時を守れたことに感謝し。
そして、永遠に続くことを祈る。
――――チリン。
「……ねえ、またチリンチリンって鳴っているわよね?」
「いいえ? やっぱり自分には聞こえないっスよ?」
「いったい何なのかしらね、この音。…………あっ、そういえば前にも一度、聞いたことがあるわ」
「それは、いつの話っスか?」
マリーは、感慨深そうにピピレレを見ながら答えた。
「あなたよ、ピピレレ」
「――――」
「あなたが初めて屋敷に来て、私のメイドになった時にも、こんな音がしていたわ」
「…………」
「でも結局、音が聞こえただけで何も起こらなかったわ。ほんと何なのかしらね、この音は?」
「――――あはっ、あははっ!!」
「いっ、いきなり大声で笑い出すなんて、どうしたのピピレレっ!?」
「マリーお嬢様、その音は――――――」
レベルが上がると、身体能力が急激に上昇する。
その大きな変化を、何らかの形で気づく事ができる。
人によっては、レベルアップの瞬間を音として捉える者も居るらしい。
魔法やスキルのランクが上がった時も同様だ。
――――だからそれは、彼女の「合縁奇縁スキル」が反応している音。
奇妙な男との縁を結ぶために。
目的の達成を祝福するために。
そして、また――――。
マリーお嬢様のスキルがそう示しているのだから間違いないと、ピピレレは確信するのだ。
「――――だからきっと、また出逢えるっスよ!!」