虚ろな主人と偽りの従者・中編
「――――なるほど」
お互いが簡単に自己紹介を済ませた後、男は鷹揚に頷いた。
「まあ、事情なんてどうでもいいが、つまりマフラーメイドさんとお嬢ちゃんの二人で旅をしている訳か。……メイドさんも大変だなぁ」
「なんで私の顔を見ながらしみじみ言うのよっ!?」
出会ってから間もないのに、男はざっくばらんに話しかけてくる。
まるで、旧知の間柄であるかのように。
「ははっ、関係性だけじゃなく、名前や性格もよく似ているな。愉快な偶然もあるものだ」
「……そんなに私達と似ている人が居るの?」
「ああ、俺が住んでいる街にも、人騒がせなお嬢様と苦労人だけど変わり者のメイドさんが徘徊していてな――」
男は細い目を一層細めて、懐かしむように説明する。
「でも、主人と従者の関係って大体そんなものじゃないっスか、ご主人様?」
「それもそうだな。メイドさんの喋り方もどこぞのポンコツに似ているし、世の中は案外似た者同士の集まりなのかもしれないな。はははっ」
メイドから「ご主人様」と呼ばれた男は、ご満悦だ。
そのだらしなく崩れた顔は、しっかりとメイドの膝に乗せられている。
メイドも要望されるがままに、「ご主人様」と呼んで男を甘やかすものだから手に負えない。
「いやー、メイドさんの膝枕はすべすべぷにぷにして心地良いねぇ。これで、囁くように『愛してる』と言ってくれたら、もっと気持ち良いんだろうなぁ」
「あはっ、愛してるっスよ、ご主人様?」
「素晴らしい! なんて素敵なメイドさんなんだ!! この際、怒りん坊で手の掛かる我が侭お嬢様なんか放っておいて、俺の専属メイドにならないかい? 三食昼寝と有給ありありで今のお給料の三倍払うぞ?」
「それはとても魅力的なお誘いっスね?」
「ちょっとぉ、勝手に人のメイドを奪おうとしないでよっ!? 何でピピレレも乗り気なのよっ!?」
「はははっ」
「あはっ」
「――――もうっ、何なのよこの状況はっ!?」
共通点がなく性格も合いそうにない両者が乗る馬車は、意外にも和やかな雰囲気を形成していた。
それは懐の深いメイドが、変態男の希望通りに膝を差し出し、優しく頭を撫でながら「ご主人様」と呼んでいるからに他ならない。
本物の恋人のように仲が良い二人の反対側に一人で座ったマリーは、大切な従者を奪われた怒りを男に向けるが、当の本人はどこ吹く風。
そんな嫉妬さえも愉しむように、男はニヤニヤと笑う。
それがまた、少女を苛立たせる。
「そもそも、こんな広い馬車の一室を一人で貸し切っておいて、あなたは何がしたいのよ!?」
「実は、電車の旅ってヤツを一度やってみたくてな。だけどこの辺りには電車がないから、その代わりに馬車の旅を堪能しているのさ」
「で、でんしゃ?」
「俺の地元にある馬車みたいな乗り物の名前だ。電車の旅ってのは、忙しい高度化の時代に逆行するかのようにゆったりと移動していくのが特徴なんだ。時間を無駄に使えるなんて、究極の贅沢だろう? 俺はずっと、こんな風に余裕のある時間を送りたかったんだよ」
聞き慣れない単語を並べながらよく分からない理屈を述べる男を、マリーはうんざりした顔で眺める。
一方のメイドは、うんうんと全ての言葉に頷きながら、膝の上に乗っている男の頭を撫で続ける。
「理由はよく分からないのだけど、あなたの目的は他の街に移動するのじゃなくて、ただ外の景色を見たいがために高い料金を払い馬車を貸し切りにしているって事なの?」
「その通りだ。さらに馬車はよく揺れるから、まるで揺り籠の中みたいに心地よくて眠くなる。だから、昼寝にも最適な旅なのさ」
「……昼寝が目的の旅って、全く意味が分からないのだけど?」
「大人になれば分かるさ、お嬢ちゃん」
「なりたくないわよ、そんな最低な大人っ」
「はははっ」
マリーは憤りながら、先程とは違い、穏やかな視線を向けてくる男から顔を逸らした。
そこには、窓があり、流れゆく外の景色が映し出されている。
近くには、緑の木々が。
遠くには、雄大な山々が。
その先には、真っ白な雲が。
いつも屋敷の中で過ごしていた彼女にとっては、そんな当たり前の風景も新鮮に感じられる。
「あっ…………」
ゆったりとした自然の中にあって、唯一活発に行動するもの。
走る馬車を追い抜き、飛んでゆく鳥達。
そんな美しい景色を眺めていると、ほんの少し、男が言いたい事が分かる気がした。
「……ふん、最低よ」
けれども、変態男の言葉を肯定するのが悔しくて、口から漏れるのは悪態ばかり。
そんな素直になれない少女を、メイドは感慨深げに、男は欠伸をしながら見ていた。
「…………」
「…………」
「……ふわぁ~」
しばらくは、穏やかな時間が流れたのだが……。
「――――ねえっ、膝枕はもう十分に味わったでしょうっ。早くピピレレを返して!」
ついに堪忍袋の緒が切れた少女は、男に申し立てた。
「いいや、駄目だな。約束の内容は『膝枕をする』こと。だから、旅の最中はずっとしてくれないと困る。主に俺が」
男の言い分は一応筋が通るのだが、いつまでも好き勝手にさせる訳にはいかない。
「でも、ずっと頭を乗せていたら、ピピレレの膝が痺れちゃうでしょっ」
「おおっ、それは大変だ。だったら、この体力回復薬を飲むといい」
「いただくっスよ、ご主人様!」
「ちょっとぉ、たかが膝の痺れを癒やすために魔法薬を飲ませる馬鹿がどこに居るのっ!?」
「ご覧の通り、お嬢ちゃんの目の前に居るが?」
「あっ、本当に疲れが取れたっス! やっぱり魔法薬の効果は凄いっスねっ。マリーお嬢様も一本もらった方がいいっスよ?」
「いやよっ、こんな最低男に、これ以上変な借りを作りたくないわっ!」
「意地っ張りな性格は損するだけだぞ?」
「余計なお世話よっ!」
マリーは、高価な薬を無駄に消費してまでメイドの膝から離れようとしない男を睨みつける。
しかし、無駄に舌が回る男を言い含める言葉が見つからない。
「そんなにメイドさんを解放したいのなら、代わりにお嬢ちゃんが膝を差し出せばいいだろう?」
「わ、私の膝をっ!?」
中年男のねっとりした視線を受けて、少女は身をすくめる。
その腕には大量の鳥肌が立っていた。
「でもなー、そんな硬そうな膝の上だと眠れないから、やっぱりお断りだなー」
「私の膝では満足できないって言うのっ?」
「その通り。もっとぷにぷにした膝になってから出直すんだな」
「なんですってっ!?」
打てば響くように可愛らしい反応を見せるお嬢様に、男は満足げに頷く。
むろん、メイドの膝の上で。
マリーは文句を言っているつもりだったが、それを喜んで受け入れる男とのやりとりは、もはや歓談にしか見えない。
「あはっ」
噛み合わないまま会話を続ける二人を見つめながら、メイドは微笑んだ。
「――――もういいわっ。あなたに何を言っても無駄みたいだからっ!」
「賢明だな」
「私はこれからおやつにするから、もう構わないでちょうだい!」
「それはいい。ちょうど俺も腹が減っていたんだ」
「あなたの分はないわよっ。そんな約束していないからっ!」
「おいおい、お嬢様のくせにケチだなぁ」
「ケチで結構よっ」
「マリーお嬢様、自分も食べたいっスよ?」
「ピピレレも駄目よっ。私を放っておいてそんな最低男と仲良くしているんだから反省しなさい!」
「ええー、それは厳しいっスよー」
仲間外れにされたマリーに残された最後の手段は、お宝を出して優位な立場を作ること。
羨ましそうに見てくる男と従者に優越感を抱きながら、バッグの中からソレを取り出す。
「お父様の部屋に隠してあった取って置きを持ってきたから、きっと美味しいはずよ!」
そして、これ見よがしに口を大きく開けて食べ始めた。
そのお宝とは、堅いパンに砂糖をまぶしただけのシンプルなお菓子だったが、それでも甘いお菓子自体が珍しいこの世界では高級品であった。
「うんっ、やっぱり砂糖が付いたお菓子は物凄く美味しいわね!」
悔しがる二人の反応を楽しみながら、マリーは一人で食べ続ける。
しかし――――。
「それじゃあ、こちらもおやつにしよう。はい、メイドさん。この中にお菓子が入っているから取り出してくれ」
「了解っス、ご主人様!」
「えっ!?」
少女のささやかな抵抗にまで対抗心を燃やす大人げない中年男は、寝転がったままの体制で懐から箱を取り出した。
そんな大きな物がどこに入っていたのかと驚く少女を余所に、男はニヤニヤ笑いながらメイドに手渡しする。
「あっ、輪っかの形をしたお菓子がいっぱい入ってるっスよ?」
「好きなだけ食べてくれ。そして俺にも食べさせてくれ」
「了解っス、ご主人様!」
「ええっ!?」
男からの要望を快諾したメイドは、左手で自分の口に、右手で男の口にお菓子を運び、器用に食べ始めた。
「最高に美味いっス! こんな甘いお菓子は初めて食べたっスよ!」
「ちょ、ちょっと何なのよ、そのお菓子はっ!?」
メイドが両手に持っているお菓子は、真ん中に穴が空いた円状の愉快な形をしており、とても柔らかそうだ。
表面には過剰なまでにカラフルな装飾が施されており、その圧倒的な甘さは疑いようがない。
「これは、どんどんドーナツ、略してドンナッツという名前のお菓子さ。もぐもぐ」
「そ、そんなお菓子、私は知らないわっ!?」
「これは俺の地元で作られた庶民向けのお菓子だからなー。由緒正しい生まれのお嬢ちゃんが知らないのも無理はないよなー。もぐもぐ」
「そんなに凝ったお菓子が庶民向け!?」
「そうそう、だから良家のお嬢様のお口には、とてもとても合わないだろうなー。もぐもぐ」
「むぐぐっ」
「あーあ、こんな風に真ん中に穴が空いている侘しいお菓子しか食べられなくて悲しいなー。もぐもぐもぐ」
「むきーっ!!」
双方の立場は、完全に逆転していた。
少女の優位はあっけなく吹っ飛ばされ、今や甘ったるい匂いをこれでもかと放ってくるドンナッツに釘付けだ。
「ね、ねえ、ピピレレ。私の高級なお菓子と、その庶民のお菓子を交換してあげてもいいわよ?」
「遠慮しておくっスよ?」
「なんでよぉーーー!?」
泣きそうになっている主人からの依頼を、メイドははっきりと断る。
どうやら男とメイドは、すこぶる相性が良いらしい。
「まあまあ、お嬢様はこの自分特製のお茶でも飲んで落ち着いた方が良いっスよ?」
「……私が怒っている理由の半分くらいはピピレレのせいだけど?」
「まあまあっスよ?」
その後も、加減を知らない男は次々と珍しいお菓子を取り出し、ピピレレはひたすら食べ、マリーは歯ぎしりして悔しがる光景が続き――――。
「ぐすっ、ぐすっ…………、すーーー」
「おやおや、お宅のお嬢様は泣き疲れて寝ちゃったようだな?」
「すー、すー、すーーー」
「……あはっ、初めての旅だから、きっと疲れが出ちゃったっスね?」
散々もてあそばれて泣き疲れたのか、少女は体を横にして眠ってしまった。
そんな主人を横側から眺めながら、メイドは笑う。
その表情を下側から眺めながら、男も笑う。
「あんた達は俺が住んでいる街のお嬢様とメイドさんに、本当によく似ている。名前も、容姿も、性格も、関係性も――――」
「…………」
「そして、騒がしいお嬢様を睡眠薬で黙らせるところも、な? まあ、あの時は俺が飲ませた訳だが」
薄ら笑いをやめた男は、メイドが主人に飲ませた茶の中に含まれる睡眠薬の存在を察していた。
見破られたメイドは、表情を変えず、なおも笑う。
「あはっ。そういうご主人様は、さっきまでと雰囲気が違うっスね?」
「ああ、この歳になると、若い子に合わせて無理にはしゃぐのは疲れる。というか、飽きた」
「つまりご主人様は、本当はメイドの格好をしている自分よりも、マリーお嬢様の方に夢中だったっスね?」
「……そんなつもりじゃなかったが、小生意気な少女を見ると弄りたくて仕方ない感情が俺を支配してしまうんだっ」
男はぶるぶると震える自分の右腕を左手で掴みながら呟いた。
「お嬢様が言ってたように、ご主人様は最高に危険な人物だったみたいっスね?」
メイドが指摘したように、雰囲気を変えた男がニヒルな笑みを浮かべる。
「その通り。控えめに言っても、俺ほどの危険人物はそうそう居ないだろうさ」
「あはっ」
「――――でも、今のところ少女を害する趣味には目覚めていないから、安心してくれ」
「…………」
「それに、あんた達に本当に用がある奴らは、外でお待ちだろう?」
「……あはっ」
男の指摘と示し合わせたかのように、荷馬車が止まった。
ちょうど昼の休憩時間に入ったらしい。
「……ここまで一緒に居てくれて、感謝するっスよ、ご主人様」
「なあに、旅ってヤツは見たり食ったり道連れを探すだけじゃなくて、一期一会を楽しむのも醍醐味だろうからなぁ。そんな余裕のある旅を送ってこそ、本物の道楽になるはずなのさ」
「いちごいちえ、ってどんな意味っスか?」
「どんな出会も一生に一度限りだから、受け入れて楽しまないと人生損するぞって意味だ。特に、若い娘さんとの出会いはな」
「――――あはっ、やっぱりご主人様との出逢いは、最高に間違ってなかったみたいっスよ?」
「うん? 褒め言葉ならありがとうと返しておこう」
メイドは、膝の上に乗ったままの男をじっと見つめる。
真上から直視された男は、唇を歪めて目をそらした。
「実はご主人様に、謝らないといけない事があるっスよ?」
「俺は女性の嘘に寛大だから、怒ったりしないぞ?」
「実は自分、本当のメイドじゃないっスよ?」
「なんじゃそりゃぁあーーーっ!?」
それまで紳士ぶっていた男は、チンピラみたいな大声を上げた。
「うわっ、めちゃくちゃ怒ってるっスよ?」
「これが怒らずにいられるかっ! 騙したなっ、男の純情を弄んだなっ!?」
「悪気はなかったっスよ? だってほら、コレが付いてるから仕方ないじゃないっスか?」
「んん? ……首輪?」
今までメイドを名乗っていた少女は、マフラーを取って自分の首を指差す。
そこには、奴隷の証しである首輪が嵌められていた。
「自分、奴隷なんっスよ?」
「うん? そうなのか?」
「そうっスよ。だから自分、メイドになれないっスよ?」
「うん? 何でそうなるんだ?」
「ご主人様は、本当に知らないっスね? ……奴隷は、奴隷以外の何者にもなれないっスよ?」
この世界では至極当然な決まり事を、メイドの格好をした少女は少し寂しそうに説明する。
「だが、あんたの主人であるお嬢様がメイドだと思っているのなら、それはもう完全にメイドだろう?」
「――――っ」
「まあ、そのお嬢様までもが虚偽だとしたら、駄目だろうがな?」
「――――マリーお嬢様は本物のお嬢様っスよ!!」
「だったら、あんたも本物のメイドさんだな」
「…………」
世界の事情なんて自分には関係ないとばかりに、男はきっぱりと断言した。
「…………そうっスね、どうやら自分が間違っていたっスよ! 自分は本物のメイドっス!!」
「なーんだ、やっぱりメイドさんじゃないか。怒って損したぞ」
「あはっ! やっぱり、お嬢様の選んだ相手に間違いはなかったっス!」
「んん? 誰が誰を選んだって?」
「――――何でもないっス。愛してるっスよ、ご主人様!」
ピピレレは、男の髪を指先で優しく梳きながら微笑む。
男はくすぐったそうにしながら、ゆっくりと瞼を閉じた。
「実はご主人様に、一つお願いがあるっスよ?」
「俺は女性の我が侭に慣れているから、そこそこ何でも聞くぞ?」
「自分が戻ってこなかったら、お嬢様の事をお願いしていいっスか?」
男の頭を撫でながら、ピピレレは願いを口にする。
「それは、つまり、この世間知らずのお嬢ちゃんを、俺色に染めていいって事かな?」
「あはっ、それは最高に面白そうっス」
彼女は、男の冗談とも本気ともつかない発言を肯定として解釈する。
「失礼するっス」
そして、膝の上に置かれていた男の頭を大事そうに抱えて、椅子の上に移し、ゆっくりと立ち上がった。
「それじゃあ、ちょっと行ってくるっス。だから、後はお願いするっスよ?」
「……ああ、少女は大好物だから、任せてくれ」
「それは良かったっス!」
「でも、俺は良くても、お嬢様は嫌がるかもしれないぞ?」
「それはお嬢様に我慢してもらうしかないっスよ?」
「ははっ、そうだよなぁ、人生は我慢の連続だよなぁ。――ほら、これは餞別だ」
そう言って男は、懐から取り出した袋をメイドに投げ渡した。
その間、ずっと、寝転がったままで。
「この中には何が入っているっスか?」
「気が向いたら開けてみるといい。たぶん、玉手箱よりはマシな物が入っているだろうさ」
「たまてばこ?」
「……俺は少女が大好きだが、じゃじゃ馬は苦手なんだ。だから、なるべく早く戻ってきてくれよ?」
「――――あはっ、頑張るっス!!」
ピピレレは、尻尾をフリフリして馬車から降りていく。
その後ろ姿に、憂いは感じられない。
……そして、メイドを送り出した男は、ようやく身を起こし、ぐっすりと眠る少女に向かって手を伸ばした。