虚ろな主人と偽りの従者・前編
愛情の深さと物理的な距離の長さとは、反比例する。
とは、よく聞く法則である。
遠距離恋愛を経て成就した者は、根性が足りないとか、そもそも結ばれる運命ではなかったとか、鼻で笑うかもしれない。
しかし、まずはお互いの距離を零にして出逢わない事には、恋人関係にも発展しない。
特殊なケースを除いた場合、恋人となる者は面識のある相手に限られるのだから、距離と比例するのも当然であろう。
まだ見ぬ運命の人など幻想にすぎない。
出逢ってこその運命の人、である。
……だからといって、運命の人が居ないと決まった訳ではない。
要は、自分が運命の人だと思っている相手が、本当にそうなのかという話だ。
それを判別する方法とは――――。
◇ ◇ ◇
――――チリン。
「はぁ……、はぁ………、こ、こんなに走ったのは、初めてだわ…………」
「お嬢様は大げさっスね。ほとんど自分が背負って走っていたじゃないっスか?」
「そっ……、それでも……、こんなに体を動かしたのは初めてなのよっ」
「お嬢様は最高の箱入り娘っスからね?」
「……だから、こんな最低な目にあっているのでしょ?」
「あはっ、それもそうっスね」
息を切らした二人の女性は、ようやく街へと辿り着いた。
彼女達は遠方から走ってきたようだが、とても遠出するような格好ではない。
お嬢様と呼ばれている少女は、いかにも良いところの令嬢然としたひらひらの服を纏っていた。
腰まで届く波状の金髪と、染み一つない整えられた肌。
もうすぐ十五を数える歳だが、まだ子供の域を出ておらず、目鼻がぱっちりした人形のような容姿。
誰もが庇護欲を感じるだろう。
もう一方の少女は、首にはマフラー、体には給仕用の服を身に付けていた。
黒く短い髪の合間からは犬耳が、スカートの下からはふさふさの尻尾が覗いている。
十八歳になるが、人懐っこい顔つき。
誰もが令嬢のお世話係だと思うだろう。
そう、彼女達の外見は、どこから見ても優雅に散歩を楽しむお嬢様とメイドであった。
「大丈夫っスよ、お嬢様。走り回るのはこの街までで、ここからは馬車に乗った優雅な旅が始まるっスよ?」
「……そう、願いたいわ」
前向きな従者とは反対に、主人は投げやりに呟く。
二人にとってこの街は、単なる通過点にすぎない。
休む間も惜しみ、早く次の街へ移動するため、馬車の乗り合い場へと足を運ぶ。
――――チリン。
「お客様、大変申し訳ございませんが、本日はもう満席となっておりまして……」
意気込んでやってきた二人の客に対して、乗合馬車の責任者は申し訳なさそうに頭を下げた。
この街は交通の便が発達しており、遠方の街へと続く定期便が出ている。
彼女達はその馬車に乗ろうとしたのだが、あいにく席が空いておらず断られてしまったのだ。
「どうにかならないっスか? 自分達はできるだけ早く移動したいっスよ?」
「そ、そうおっしゃられても、全ての馬車が貸し切られた状態でして…………」
責任者は、ぼたぼたと流れ落ちる汗を拭いながら必死に対応する。
見たところ、良家のご令嬢に間違いない。
子守に付き合うのはゴメンだが、無下に扱い後から難癖を付けられたら大変だ。
「……あっ、そういえば一人で一室を貸し切りされているお客様がいらしゃいましたっ。もしよろしければ、その方に相席できないか相談して参りますが?」
「あはっ、そうしてもらえると助かるっス!」
打開策を捻り出した彼は、駆け足で戻っていった。
「何とかなりそうで良かったっスね、マリーお嬢様」
「少しくらいなら、この街で休んでも大丈夫じゃないの?」
「今はとにかく最高に遠くまで移動しておいた方がいいっスよ?」
「……そうね。見ず知らずの相手と同じ馬車だなんて最低だけど、我慢するわ」
「こんな風に他の誰かと一緒になるのは、きっとマリーお嬢様の力のお導きっスよ?」
「本当にそうなら良いのだけど……。ピピレレは気に入っているみたいだけど、私は何の役にも立たないスキルだと思うわ」
にこにこと笑う従者――――ピピレレに説得され、お嬢様と呼ばれているマリーは渋々と頷く。
まずマリーが文句を言って、次にピピレレが宥めて、最後にマリーが諦める流れが定着していた。
――――チリン。
「ねぇ、さっきから変な音が聞こえない? チリンチリンって」
「自分には聞こえないっスよ?」
「そう、だったら気のせいかしら……」
二人が他愛もない話をしていると、乗合馬車の責任者が戻ってきた。
「お待たせ致しましたっ。貸し切りされているお客様に相談したところ、条件付きではありますが了解していただけましたっ」
「それは最高っス! でも、条件ってなんっスか?」
「はい、その方の言葉をそのままお伝えすると『汝がうら若き女性であればその瑞々しい膝を枕として献上せよ。さらば汝の願いは叶えられん』だそうです。……つまり、馬車での移動中に膝枕をしてくれるのなら無料で同席して良い、という話だと思いますが、いかがなさいますか?」
精一杯頑張って許可を取り付けたはずの彼は、とても申し訳なさそうに聞いてくる。
「あはっ、やっぱり凄い人みたいっスよ、マリーお嬢様?」
「ただの変質者よっ! 絶対止めておいた方がいいわっ!」
「でも、手持ちが少ない自分達にとって、タダ乗りは魅力的っスよ?」
「変態に襲われたらどうするのよっ!?」
「たぶん大丈夫っスよ。これでも自分、腕には自信があるっスよ?」
「……だったら、ピピレレが腕だけじゃなくて膝まで差し出すのなら、それでいいわ」
「なら決まりっスね! どんな最高の人が乗っているのか楽しみっス!」
「絶対変態よ。最低の変態男に違いないわ……」
――――チリン。
こうしてお嬢様とメイドは、人生で初めての道中を、変態の可能性が極めて高い相手と一緒に過ごす事になった。
……結論から言ってしまうと、お嬢様の懸念は間違っていなかったのである。
◇ ◇ ◇
「――――やあやあ、よく来てくれたね! 突然のお客様がメイドさんとは驚くべき幸運だ! しかも犬耳とマフラーと尻尾付き! 属性てんこ盛りだな! 諸手を挙げて歓迎するぞ! 今こそ我が世の春を謳歌するとき!!」
気色悪いまでのハイテンションで迎えた先客は、案の定、変態であった。
外見は、くすんだ緑色の髪と服装をした、どこにでも居そうな冴えない中年男。
しかしマリーの目には、まごうことなき変態に見えた。
「さあさあ、早く俺の隣に腰掛けてくれ、マフラーメイドさん! そして神妙に、すべすべの太ももを差し出してくれ!!」
「あはっ、やっぱり最高に特別な人だったみたいっスね、マリーお嬢様?」
「特別じゃなくて特殊で最低な変態でしょうっ!? 今からでも断るべきだと思うわっ」
「まあまあ、歓迎されないよりも歓迎される方が断然良いっスよ?」
同席者の変態性を確信して逃げ出そうとする主人を従者が引き留める。
ピピレレとて胡散臭い中年男に懸念を抱かなかった訳ではない。
しかし、奇妙なタイミングで出会った奇妙な相手だからこそ意味があるはずだと、彼女は信じていたのだ。
「そうそう、全力で歓迎するから是非とも同席してくれマフラーメイドさん! ――――ああ、メイドさん、メイドさん、なぜ君はメイドさんなんだっ!?」
「……それに、歓迎されているのはピピレレばかりで、私なんてどうでもいいみたいだけど?」
「おやおや、お客様はもう一人居たようだなぁ。もちろん、そっちもついでに歓迎するぞ?」
「随分と雑に扱ってくれるわね。普通は従者よりも、主人の方を丁寧に扱うべきじゃないの?」
「すまんすまん、どうもお嬢様ってヤツには苦手意識があってな。ついつい邪険にしてしまうんだ。だから気にしないでくれ」
「ただの八つ当たりじゃないっ!?」
「あはっ」
人形のように整った顔を真っ赤にして怒る主人を見ながら、従者は楽しそうに笑う。
高飛車な喋り方をしているマリーは、その実、極度の人見知りである。
そんな少女が臆面もなく会話できる相手は、それだけで特別なのだ。
――――特別な相手との特別な関係。
それだけが、彼女の強み。
「お客様方、大変お待たせ致しましたっ。それでは出発致しますっ!」
大きな声で号令が出されると、馬車はゆっくりと動き出した。
「あっ…………」
逃げるタイミングを失ったマリーが、反射的に手を伸ばす。
その手を掴む者も、その手が掴める物も、無いというのに。
――――馬車の旅は、もう始まってしまったのだ。
「…………」
「んんー? お嬢ちゃんは、もうお家に帰りたくなったのかなー?」
「……ふんっ。もうこうなったら、私も覚悟を決めるわっ」
「そうそう、『旅は道連れ世は情け』って言葉もあるしな」
「どんな意味っスか?」
「辛い出来事があっても、道連れが居たら寂しくないって意味さ」
「それだと全員死んでしまうでしょうっ!?」
「はははっ」
「あはっ」
不安の源である男の口から、さらに不安を煽るような台詞が出される。
しかし、男の表情は晴れやかで、胡散臭い笑みが絶えない。
まるで、トラブルこそが旅の醍醐味とでも言うように。
「おっと、自己紹介がまだだったな。俺の名はグリン。ご覧の通り女性に対しては紳士だと名高いただの旅人さ」
「どこが紳士なのか全く理解できないけど……。私はマリー。このピピレレの主人よ」
「自分はピピレレっス! 最高なマリーお嬢様の最高なメイドっス!」
こうして、女と男の出会いは、チグハグなまま始まり。
チグハグなまま終わる事となる――――。