お嬢様とメイドの奮闘記⑩/チケット争奪戦
「ごきげんよう、元婚約者さん?」
「…………」
衝撃の事実――――この世界が一夫多妻制だと知ってから、数日後。
俺はまた、お嬢様に捕獲されていた。
しかも折りが悪い事に、子守役のメイドさんは居ない。
まさに野放し状態である。
「あら、どうしたの? 挨拶には挨拶で返すのが礼儀じゃなかったかしら、元婚約者さん?」
「――――えい」
「んぎゃっ!?」
ご希望通りに挨拶すると、お嬢様は両腕で胸部を隠しながら後ずさった。
全く期待していないが、もうちょっと可愛い悲鳴を出せないものか。
「どっ、どどっ、どうしていきなり胸を揉むのよっ!?」
「揉んでない。そもそも揉めるほどの弾力がない。ちょっと胸板を突いただけだ」
「なんて失礼なっ!」
「ふん、元婚約者なんだから、ちょっとくらい触っても問題なかろうて」
「んなっ」
「そんな訳だから、今度から『元婚約者』って言ったら胸っぽい所を触るからな? 触りまくって俺にしか満足できない体にするからな?」
「…………やっぱり旅人さんは、最低だわ」
「ふん、ようやく理解したのか」
あれ以来、しつこくからかってくるお嬢様に対抗するため、俺は暴力に訴える事にした。
精神の構造上、男は女に敵わない。
だから拮抗しうるために、男の腕力は強めに設定されているのだ。
うん、我ながらDV男を容認するような最低な言い訳である。
「でもいいのかしら? こんな公衆の面前で女の体をべたべた触っていたら、それこそあらぬ噂が広まるのじゃないの?」
「ふん、こうなりゃ一層のこと、お嬢様が男遊びしているという悪評を立てまくって嫁の貰い手が無くなった後、全力で失踪してやるさ」
「……何がそこまで旅人さんを駆り立てるのよ?」
もう自分でもよく分からないが、とにかく婚約者扱いされるのは嫌だ。
断じて嫌だ。
たとえ共倒れになっても、全力で阻止してやる!
「…………」
「…………」
俺がじりじり近づくと、お嬢様はじりじり後退する。
「――――分かったわよっ。もう言わないから、そのポーズは止めて!」
「…………ちっ」
お嬢様は、俺のポーズ――――両手の人差し指を前に突き出した構えを怖がっているようだ。
この人差し指ミサイルは、口を滑らせた相手に対して容赦なく発射される。
目標である桃色の頂点を絶対に外さないホーミング付きだ。
さらに、衝突後はドリルと化す。
「そんなに女性の胸を触りたいのなら、エレレの胸を触ればいいじゃない。エレレだったら、喜んで旅人さんに差し出すかもしれないわよ?」
確かにお宅のメイドさんはすぐ脱ごうとするが、そこまで痴女ではないと信じたい。
メイドさんに清純さを求める男の夢を壊さないでくれ。
第一、前提が間違っている。
セクハラってのは、恥ずかしがる相手がいて初めて成立するのだ。
正面から受け入れられたら、普通の和姦になっちゃうだろうが。
それに――――。
「お嬢様はまだ子供だから知らないだろうが、今こそ残酷な世界の残酷な真理を告げよう」
「ざ、残酷な真理?」
「男がちょっかい出して、冗談で済むのは若い女性だけで、適齢期を越えた女性だと洒落にならないんだよっ!」
「さ、最低な真理だわ……」
お嬢様は、大人じゃないと知り得ない真理を聞かされ愕然としている。
「だが、揺るぎない真実だ。迂闊に手を出してその気にさせたら終わりだからな?」
「……そこで責任を取る発想に至らないところが、本当に最低だわ」
「ふんっ、そんな甲斐性があったらとっくに結婚しているさ」
俺は、堂々と胸を張って答えた。
我が人生に一片の悔いなし!
「そもそも、その気にさせたらなんて言っているけど、とっくに手遅れじゃないかしら?」
「……俺は手なんて出していないぞ」
そう、この旅人バージョンであるグリンさんは何ら粗相していない、はずだ。
だから、真っ黒な格好をした似非忍者がやらかした事なんて全く関係無いのだ。
「…………」
「…………」
「――はあぁぁぁ」
「大きなため息だな。幸せが逃げてしまうぞ」
「誰の所為だと思っているのよっ!?」
今回の婚約者騒動は、全部が全部お嬢様が原因だと記憶しているのだが?
「だいたいなぁ、耳年増なお嬢様にはピンとこないだろうが、結婚へと至る道程はそんなに簡単じゃないんだよ」
「結婚に経緯なんて必要なの? 親の都合と承諾次第でしょう?」
ここまで割り切った意見が出ると、さすがに憐れみを感じる。
立派な大人としてちゃんと教育せねば!
「いいか、よーく聞きなさいっ。真の結婚へと至るためには、次の試練をクリアする必要があるのだ!
一つ、運命的な出逢いを果たし恋に落ちること。
二つ、直筆のラブレターを書いて告白し恋人同士になること。
三つ、何回もデートを重ねて愛を育むと同時に相手の優しさを試すこと。
四つ、同棲して相手の性質を最終確認すると同時に体の相性も確かめること。
五つ、男は年収五百万以上の職に就き三千万以上貯金すること。
六つ、女はキープ君と確実に別れて後腐れを残さないこと。
七つ、当人と親族筋の身辺調査を行い不安要素がないかチェックすること。
八つ、男は相手の父親に「娘さんをください!」と宣言し殴られた後に酒を飲み仲直りすること。
九つ、男は自分の母親に嫁いじめを控えるよう説得すること。
十、役所に婚姻届を出して仕事が忙しくない時期に結婚式を挙げること。
――――以上だ!!」
「…………」
「どうだっ、分かったか!?」
「いえ、どうだとか言われても…………」
「これに対して、別れる場合は、役所に離婚届を出すだけだっ!!」
「…………」
「積み上げる事が如何に難しいか分かるかっ!? それを壊す事が如何に簡単か分かるかっ!?」
「……旅人さんの目から赤い液体が流れ落ちているのだけど、大丈夫なの?」
少し演出が過ぎたようだ。
だけど、結婚の難しさは十二分に伝わったはず。
これでお嬢様も改心してくれるだろう。
「私、真面目に旅人さんと結婚して、更生させたい気持ちになってきたわ」
や、やめろぉぉぉ!
何故俺が、世間知らずの小娘に憐憫の目を向けられにゃならんのだぁ!
「ちょっとっ、なんでまた胸を触ったのよっ!?」
「そんな雰囲気かな、と思って?」
「どんな雰囲気なのよっ!?」
気まずい時や雰囲気を変えたい時など、思ったより使い勝手がいいな、パイタッチ。
流石は有名なゲームで高い人気を誇るだけある。
俺の紳士なイメージを損なう諸刃の剣だと思っていたが、どんどん活用しよう。
「――――とにかく旅人さんは、結婚するには運命的な出逢いと、地道な積み重ねが必要だと言いたいのよね?」
「そのとおり。だから運命の女神様に嫌われていて、努力が嫌いな俺は、結婚なんかする必要がないのさ!」
運命の女神にだって選ぶ権利はあるだろうから、顔と性格が良い男を選ぶのは当然なのだ。
「嘆いているのか自慢しているのか、よく分からない台詞ね」
ふん、子供には難しい話だったようだ。
「そもそも、旅人さんに運命の出逢いが無いってところが、大きく間違っていると思うのだけど?」
「そうだろう、そうだろう。こんなナイスガイを見落とすなんて、運命の女神は間違っているよな?」
「……旅人さんって、いつも悪賢いけど、結婚の話題になると思考が鈍るわよね」
考えるだけ無駄だからさ。
「旅人さんがそう思い込んでいるのは仕方ないとしても、相手の女性の方はバッチリ運命を感じているかもしれないでしょ?」
「ははっ、男性側が何も感じないのだから、女性側だけ感じるのは変だろう?」
「あら、立場が違えば物の見方や考え方も変わってくるわ。それとも旅人さんは、女性の気持ちにそんなに詳しいのかしら?」
「うぬっ……」
自分だってまともな恋愛なんて経験ないだろうに、痛いところを突いてくるじゃねーか。
「そうねぇ、これは、たとえばの話なのだけど。――満月が美しい夜に、悪漢から襲われているところを救われ、おまけに唇まで奪われちゃうシチュエーションなんて、旅人さんはどう思うのかしら?」
「そ、それはっ……、わ、悪くはないと思うが……、ちょっとベタすぎるんじゃ…………」
俺は目を逸らしながら答える。
何故だろう、冷や汗が出てきたぞ。
「あらあら、普通はこれで運命を感じないと失礼なレベルだと思うのだけど?」
「いやいや、確かにそんな演出はありかもしれんが、男性側が何かのついでだったり酔った勢いだったりしたら駄目だと思うぞっ」
「でも、そんな男性の事情なんて女性には分からないし、仮に勘違いだったとしても、それをきっかけにした関係もあるのじゃないかしら?」
「た、確かに勘違いも、運命の一つだと認めざるを得ない…………」
勘違いから始まる恋愛なんて、少女漫画の定番だからな。
むしろ、その後の積み上げ時代を彩る良いスパイスになるだろう。
漫画好きとして、そこは否定できない。
あー、久しぶりに少女漫画を読みたくなってきたなーーー。
素敵な恋人さえいれば世の中の全てがバラ色と信じて疑わなくなるようなキュンキュンする少女漫画を夜通し読みまくりたいよなぁ。
街角で食パンを咥えた可愛い女の子とぶつかりたいなぁ。
「――――ねえ旅人さん、ちゃんと聞いてるの?」
ちっ、現実逃避も許されないらしい。
「あー、残念だなぁー、その男性が白馬に乗ったイケメンな王子様だったら合格だったのになぁー」
「……そんな非現実的な出逢いを待っていたら、誰も結婚できないじゃない」
「ふん、結婚を強いる社会なんて滅びてしまえばいいのさ」
今なら反社会活動に身を落とす人の気持ちが理解できそうだ。
これ以上俺を追い詰めて、社会の敵にしないでくれ。
「――――お嬢様、お待たせしました」
俺とお嬢様の意見が果てしない平行線を辿っていると、メイドさんがやってきた。
メイドさんはお嬢様に挨拶した後、俺の方にもぺこりと頭を下げてくる。
どうやら二人で出掛ける最中だったらしい。
よく見ると、お嬢様はいつもより良い生地のおべべを着ている。
メイドさんは相変わらずのメイド服だが。
「準備ができたそうだから、ようやく出発できるわね」
なんてこったい。
俺はお嬢様の時間潰しに付き合わされていたのだ。
俺を置いて二人でお出掛けとは良いご身分ですなぁ。
「……随分とご機嫌のようだな、お嬢様?」
「あら、分かるのかしら?」
「顔にそう書いてあるぞ」
「実はそうなのよっ、これからね――――」
「あ、ちょっと待った。言わなくていいから」
「あら、どうしてかしら?」
「俺の地元には『人の不幸は蜜の味』って格言があってな。言葉通り、他人の不幸な姿を見ると甘い物を食べる時と同じくらい嬉しいって意味なんだが」
「……分からないでもないけど、かなり最低な考え方よね、それ」
「これを反対に考えると、他人が幸せな話ほどつまらないものはないって事だ」
「…………相変わらず旅人さんは、捻くれた考え方をするわね」
「ああ、よく言われるよ」
うーん、お嬢様と会話すると話が進まないから、メイドさんに聞いてみよう。
「それで、二人してどこで何をするのかな、メイドさん?」
「エレレとお呼びください。実は、領主様に王都までお使いを頼まれまして、ついでに劇でも見てこようと考えていたのです」
「へえ…………」
王都の劇、ねえ……。
最近よく聞くキーワードだ。
「そうなのっ、それで運良く今話題の劇のチケットが手に入ったから、エレレと二人で楽しんでくる予定なのよっ」
「…………」
「オクサードの街には劇なんて無いから、とっても楽しみだわっ」
やっぱり、そんな流れになっちゃうよなぁ。
「お嬢様、この街にも劇はありますよ」
「あら、そうだったの? でも私は、聞いた事もないわよ?」
「男性向けの劇ですから。領主様も若い頃はよく通っていたそうです」
「それって、まさか…………」
「裸で踊る女を男が囃し立てる情熱的な劇です」
「それは劇じゃないでしょっ!?」
この街にはそんなものまであったのか。
ストリップ・ショーと銘打つからには、劇には違いないのだろうが。
踊る方も見る方も下品に感じるから、あまり好きじゃないんだよな。
「へえー、王都で話題の劇ねぇ。どんな名前かな?」
「ええと確か、『コン・トラスト』って二人組の女性が出演する歌謡劇みたいよ」
ビンゴォッ!
そういや、明後日が開場予定だった気がする。
「もしかして旅人さんは、その劇を知っているの?」
「残念ながら、見た事ないな」
客としては、だが。
嘘ではないから、お嬢様も気づくまい。
「エレレ嬢も楽しみにしているのか?」
「はい。ワタシも劇には疎く、大変素敵な劇だと聞き及んでおりますので、この機会に女性としての魅力の引き出し方を学んでこようと思います」
打算的な部分もあるようだが、二人とも楽しみにしているらしい。
プロデューサー冥利に尽きるってものだ。
「でも、本当に残念ね。旅人さんも誘おうと思ったのだけど、チケットが二枚しか取れなかったのよ」
「申し訳ありません、グリン様。領主様の威光を以てしても、二枚を確保するのがやっとでした」
すげーな、おい。
オクサードの領主様って、そこそこ偉いはずなんだが。
チケット販売の大半は劇場のオーナーに任せているから、どんな形態で取り引きされているのか怖い。
転売対策を立てるべきだろうか。
「本当の本当に残念よね? ね?」
それはともかく、残念とか言いながら、「羨ましいでしょー」ってな目で見てくるお嬢様がうざったい。
主催者特権でいつでも最前列を取れるから羨ましくもなんともないが、調子に乗っている彼女をギャフンと言わせないと気がすまない。
ここは一つ、メイドさんに協力してもらって、お嬢様に報復しよう。
甘い物以外には聡いメイドさんだから、俺の意図を汲んでくれるはずだ。
「そうなのか、劇のチケットは、二枚しかないのか……。エレレ嬢と一緒に見たかったのに、本当に残念だ…………」
「!? ――――ワタシにお任せくださいっ、グリン様っ!」
ほら、お嬢様いじりに定評があるメイドさんが食いついてきたぞ。
「エ、エレレ?」
「ワタシがどうにかしますっ!」
「ど、どうにかするって、どうやって?」
「お嬢様をどうにかします!!」
「どうやってっ!?」
目の色を変えたメイドさんを見て、お嬢様が慌てはじめる。
ここは、すかさず追随だっ。
「俺も全力で手伝おう!」
「何で旅人さんはっ、こんな時ばかり全力を出すの!?」
「アリバイ作りは、ワタシにお任せください」
「何のアリバイっ!?」
ボケとツッコミは加速する。
「よしっ。まず今日は、俺とエレレ嬢とは一日中一緒に遊んでいた事にしてアリバイを作り、お嬢様とは一切出会わなかったと証言しよう。これで翌朝、お嬢様の惨殺死体が見つかっても、俺達が疑われる心配はないはずだっ」
「心配なのは私の命じゃないのっ!?」
「それでは駄目です、グリン様。もっと最善な方法があります」
「エレレっ、信じていたわよ!」
「亡骸が発見されると、そこから足が付く恐れがあります。人気が無い場所に埋める方が確実です」
「最善どころか最悪じゃないっ!」
「それよりも、若い女性の亡骸を収集している好事家を知っているから、そいつに売り払えば金も入ってくるし良いことずくめだな」
「もっと酷い最悪があったわっ!?」
「安心してくれ。お嬢様の中身はアレだけど、外見はそれなりにお嬢様っぽいから、そこそこの値段で売れるはずさ」
「最後までまともに褒めようとしない旅人さんに少し安心したわよっ!!」
お嬢様のツッコミスキルも磨きがかかってきたようだ。
「……落ち着いてください、お嬢様。このような往来で大声を出していると品性を疑われますよ」
「そうだぞ、お嬢様は一応お嬢様なんだから、もっと慎みを持たないといけないぞ」
「エレレと旅人さんの所為でしょう! ……まったく、こんなに息がピッタリなのだから、さっさと結婚すればいいのに」
「え? 何だって?」
「……普段は地獄耳のくせに、都合がいいお耳だこと」
スルーも紳士に不可欠なスキルなのだ。
「――――そんな訳だから、命が惜しいお嬢様は、快くチケットを譲ってくれるよな?」
「絶対嫌よっ! こんなに面白そうな劇を見逃すつもりはないわよっ」
しぶといな。
珍しいもの好きなだけあって、意志が固いらしい。
「そんな……、お嬢様はワタシの味方だと信じていましたのに…………」
「……私も、私の専属メイドは味方だと信じていたのに、びっくりだわ」
「従者の不始末は、主人の不始末。従者の幸せは、主人の幸せですよ、お嬢様」
「……エレレ、いつも言っているけど、旅人さんに毒されすぎよ?」
「そう仕向けたのは、お嬢様だったと記憶していますが?」
いつの間にか、いつもの漫才が始まっていた。
ほんと仲良いよな、この二人。
「迷惑なお嬢様と甘党なメイド」って芸名で漫才師デビューさせたら面白そうだ。
「まあ、冗談はこれくらいにして……。実際のところ、本当に面白い劇なのか怪しいな。どうせ田舎者の珍しいだけが取り柄の劇じゃないのか?」
「……今までの話が本当に冗談なのか疑わしいけど、きっと劇の方は本物よ!」
「もしかして、お嬢様の例のスキルがそう感じさせるのですか?」
「ええっ、そうよ!」
相変わらず無駄なところで鋭いお嬢様だ。
褒められて悪い気はしないがな。
その心意気を評して、最前列の席を手配しておこう。
「そうだな、本当にそうだったら良いよな?」
「覚悟してなさいよ、旅人さん。帰ったら感想を聞かせて、絶対に羨ましいって思わせるんだからっ!」
「力及ばず申し訳ありません、グリン様。誠に不本意ながら、お嬢様と二人で行ってきます」
最後にお嬢様は、ビシッと人差し指を突き出して宣言した。
「精々楽しんでくるといいさ、お嬢様にメイドさん?」
ついでに俺も楽しませてもらおうか。
◇ ◇ ◇
――――わぁぁぁ……。
大歓声の中、幕が下ろされていく。
「本当に凄かったわねっ。評判になるのも当然だわっ!」
「……」
「席も最前列だったし、運が良かったわねっ」
「…………」
「これを自慢したら、あの何でも持っていそうな旅人さんだって、泣いて悔しがるに違いないわ!!」
「ぐすっ、ぐすすっ……」
「……何でエレレが泣いているのかしら?」
「大変素晴らしい歌に感動してしまいました……」
「なるほどねっ。女性の片想いや失恋した歌が多かったものね」
「はい……」
「それで、年甲斐もなく自分の境遇と重ねて共感しちゃったのよね?」
「……少々気になる言い方ですが、その通りです」
「今まで苦労してきたものね。そしてこれからも苦労しそうだものね?」
「…………はい」
興奮冷めやらぬ中、お嬢様とメイドは劇の感想を述べあう。
「あんなにも繊細で心に響く曲があるなんて知らなかったわ」
「恋する女性の切ない心情を見事に表現した素敵な歌と演出でした」
「――そうねっ、この劇を作った人はきっと、繊細な女心が分かる素敵な人なのでしょうね!」
それはもう、べた褒めである。
「ですが……」
「どうかしたの、エレレ?」
「冷静に考えると、歌が凄いというよりも、文化や演出が別世界のものといいますか……」
「……確かに、そうね。これまで聞いた事も見た事もないような珍しい曲調と演出だったものね」
「これほど派手な舞台を作り上げるには、おそらく大量の魔力と知識が必要になるかと…………」
「あっ……」
「…………」
「…………」
既視感を覚えた二人は、黙り込む。
「ま、まさかっ。いくら旅人さんでも、こんな事まではできないわよっ」
「でしたら、いったい誰だったら可能なのでしょうか?」
「…………」
「…………」
興奮し赤くなっていたお嬢様とメイドの顔が、段々と青ざめていく。
そんな二人が、恐る恐る舞台へと視線を戻すと……。
幕が閉じる直前に、ひょっこりと黒子が出てきて、こう言った。
「やあ、本日は楽しんでもらえたかな、お嬢様にメイドさん?」
「…………」
「…………」
そして、幕は完全に下りてしまった。
「……ねえ、聞き間違いかしら? とても聞き慣れた声とフレーズだったのだけど?」
「……同感です、お嬢様」
「でっ、でもでも、ここは王都だし、私達みたいな令嬢とメイドもたくさん居るから、他の誰かに言った台詞かもしれないわよねっ」
「お嬢様、現実を直視してください。グリン様の能力と性格を考慮するに、結論は明らかです」
「……やっぱり、そう思う?」
「はい」
好感度が高すぎるメイドは納得したようだが、好感度がさほど高くないお嬢様の不安は消えない。
「あの傍若無人でデリカシー皆無な旅人さんが、こんなにも繊細な歌を?」
「あれは世間を欺くための仮の姿。本当は繊細で心優しき方なのです」
「……本気で言っているの、エレレ?」
「もちろんです」
「――――エレレには、失恋の歌が似合いそうね」
◇ ◇ ◇
後日、お嬢様とメイドがオクサードの街に帰ってくると、まるで待ち伏せされていたかのように男と遭遇した。
「よう、久しぶりだな?」
「…………」
「…………」
「それで、王都で見た劇はどうだったのかな、お嬢様にメイドさん?」
「…………」
「…………」
「んんー? やっぱり大した事なかったのかなー?」
「……あの、信じたくないのだけど、素直に答えてくれるとも思ってないのだけど、聞いていいかしら?」
「何でも聞いてくれ、お嬢様」
「……旅人さんが、あの劇を作ったの?」
「そうだなぁ、きっと俺のように繊細な女心を熟知している素敵な男性が作ったんだろうなぁ?」
「…………」
「…………」
「おやおや、その浮かない顔からすると、やっぱり期待外れだったようだな?」
「…………」
「…………」
「それじゃ、俺はこれで失礼するよ、お嬢様にメイドさん」
複雑な表情をする二人の女性を残し、中年男は肩で風を切りながら去っていった。
「……ねえ、エレレ?」
「……何でしょうか、お嬢様?」
「今更だけど、旅人さんって、本当に謎よね……」
「本当に今更ですね。同感ですが……」
「親しく話せるようになって、ある程度理解したつもりだったのだけど、まだまだ表の顔しか見えていなかったようね」
「劇みたいに派手な方が表で、いつもの状態が裏かもしれませんよ?」
「そうだとしても問題は変わらないと思うけど……。ほんと、情けなかったり凄まじかったりと、よく分からない人だわ」
「それがグリン様の魅力です」
「ふふっ、相変わらずエレレの冗談は分かりにくいわね」
「…………」
「じょ、冗談よね?」
「魅力です」
「――――やっぱりエレレには、失恋の歌がお似合いだわ」




