ネネ姉妹の苦労譚
≪ 目の治療編 ≫
ルーネから、愛人契約の話を持ちかけられた翌日。
俺とネネ姉妹とは、契約成立に必要となる条件を確認するために集まっていた。
その条件とは、「ティーネの弱視が治った後に俺の冴えない姿を見ても愛想を尽かさないこと」である。
姉のルーネは愛人を希望してくれているが、妹のティーネの意志はまだ確認してない。
俺の力を以てすれば視力の回復なんて容易だが、俺の力を以てしても自分の三枚目な見た目は如何ともし難い。
双方が望まない愛人関係なんてゴメンだ。
まあ、本当に心の底から望んで中年男の愛人になる若い女性なんて皆無だと思うが。
金が物を言う世の中である。
真っ当な暮らしのためなら、誰もが多少の苦労には目をつぶって生きているのだ。
だから、俺が悩んでも仕方ない。
とにかく、ティーネの目を良くして聞いてみるしかないのである。
「ほら、これを付けてごらん」
「……旦那様、これは何ですか?」
「随分とヘンテコな形をした道具だね、旦那」
どうやらネネ姉妹は、眼鏡の存在を知らないらしい。
王都などの発展している都市では装着している者を見かけたから、この世界ではまだ金持ちだけが入手可能な高級品なのだろう。
「こうやって耳と鼻の上に掛けて、目を見えやすくする道具だよ」
今回はお試し期間として、薬アイテムで根本的に治すよりも、眼鏡で一時的に治す事にした。
一度アイテムを使ってしまえば、元の状態には戻れない。
いらん心配だとは思うが、ティーネ本人が目の回復を望んでいるとは限らないのだ。
その点、眼鏡であれば、気に入らなくても外すだけで元通り。
「さあ、どうだい?」
「わわっ、何だか目がチカチカしますっ!?」
「ほ、本当に大丈夫なのかい、旦那っ!?」
自分の事は雑なのに、妹の事になると途端に心配性になるルーネが可愛い。
心配しなくても大丈夫。
いきなり視界が広がったから目がビックリしているだけだろう。
少し時間を置いて慣れれば解決する問題なのだ。
「こ、これはっ…………」
「ど、どうなんだいっ、ティーネ?」
「凄いよお姉ちゃん! 周りがハッキリと見えるよ!」
「本当かいっ!?」
姉妹がお互いに手を取って喜んでいる。
とても美しい光景だ。
俺には百合を愛でる素質はないが、そんな二人がおっさんの手に落ちる背徳感を愉しむ素質は万全である。
「んんっ、えーと、それで、どんな感じかな?」
年甲斐もなく緊張した声が漏れてしまう。
視力を取り戻した彼女の目に、俺はどんな風に映っているのだろうか。
「旦那様っ、ありがとうございますっ! このメガネという道具を付けると、とてもよく見えるようになるんです!」
「そ、それは重畳だな。……それで、その、俺の事はどう見えるのかな?」
「えっ?」
ティーネは、俺の緊張を嘲笑うかのように、きょとんとした表情で可愛く首を傾げて――――。
「あっ、はい、旦那様の顔もよく見えますよ。でも、それがどうかしたのですか?」
そんな感想を述べた。
「……なあ、ルーネさんや」
「……なんだい、旦那」
「お宅の妹さんは、ちょっと、あれだよな?」
「もっとちゃんと褒めてくれても良いんだよ、旦那?」
ルーネの誇らしげな表情が目に映る。
ほんと、姉馬鹿だなぁ。
でも、そうだよな。
俺も似た気分だ。
「それでね、ティーネ。旦那があたい達二人を愛人にしてくれるそうだけど、どう思う?」
妹の変わらぬ様子を見て確信したのか、姉がいきなり核心を突いてしまった。
「――――」
俺は、ごくりと唾を飲み、審判の時を待つ。
「――そうなんだっ! 良かったねっ、お姉ちゃん!!」
そしてティーネは、少しも悩まず、笑顔で喜んでくれた。
「…………」
「どうだい、旦那?」
ウインクしてくる姉を見て思う。
全て俺の杞憂だった。
きっとティーネにとっては、見てくれなんてどうでもいいのだろう。
それは、物事の本質を見ているということ。
だから、俺の本質を受け入れてくれたということ。
……いや、そこまでは、高望みだろうか。
それでも俺は――――。
「では、改めて歓迎しよう! ようこそ、俺の愛人達よ!!」
あれだよな。
やっぱり俺には、気障な台詞は似合わないよな。
≪ 愛人ハウス編 ≫
「そうと決まったら、まず住居を探さないとな」
若い愛人を二人も手に入れて浮かれている男は、ドラマで見た愛人の在り方を思い出しながら呟いた。
「なんだい、旦那と一緒の家に住ませてくれるんじゃないのかい?」
「いやいや、それじゃ駄目なんだ。男と女が別々に暮らすのが正しい愛人関係なんだっ」
「…………」
姉のルーネは、自信満々に偏見を言い放つ男を見て、「やっぱり旦那は旦那だねぇ」と、諦めと妙な安心感が入り交じった感想を抱いた。
「旦那様、いつも使っているお屋敷では駄目なのですか?」
「あそこは来客用だし、管理人も常駐しているから、何かと不便だろう」
「…………」
妹のティーネは、よく分からない言い訳をする男を見て、「きっと旦那様にとっては都合が悪いのだろう」と、達観した感想を抱いた。
「愛人ってのはやはり、グレードの高い街でグレードの高い家に住み、グレードの高い昼食をしたり顔で食べ、日中ふらふらしながらグレードの高い服と宝石を見せびらかして悦に入るのが、正しい在り方なんだろうなぁ」
「「…………」」
「そして、偶にしか来ない駄目男を適当にあしらい、貢がせるだけ貢がせ、その金を若くて足の長い本命イケメンに横流しつつ、結局最後には包丁で刺して全財産を奪い、本命と海外に高飛びしてハッピーエンドを迎える訳だ」
「「…………」」
「これが愛人を持つ駄目男に相応しい生涯なんだよなぁ。……はぁー、人生って何だろうなぁ?」
「――――ちょっと、旦那! 勝手に決めつけて勝手に落ち込まないでおくれよっ。あたいらはそんな酷い事しないからさっ」
「だ、だけど、昔から愛人とはそういうものだって決まりが……」
「大丈夫ですよ、旦那様。絶対にそんな事にはなりませんから」
身勝手に決めた人生の不条理に対して、本気で落ち込む駄目な男を姉妹が必死に慰める。
その甲斐甲斐しい優しさを受け、男は嬉しそうに、だけど少し残念そうに微笑んだ。
「……そうだよなぁ。人生なんて人それぞれなんだから、愛人関係も決まった形はないのかもしれないなぁ」
「そうそう、その通りだよ旦那っ」
「はい、わたしもそう思いますよ、旦那様っ」
「でもなぁ、包丁でぷっすり刺されるくらいにドロドロした愛憎劇を味わってみたい気もするんだよなぁー」
「「……」」
「相手を殺してでも手に入れたいってのは、ある意味最高の愛情表現だろうからなぁ」
「「……」」
「男冥利に尽きるっていうか、愛されているって実感できるっていうかさぁ」
「「……」」
「一度で良いから、モテ男のそんな贅沢な悩みを知るのも悪くないと思わないか?」
「「……」」
一人で喋り続けていた男が振り返ると。
そこには。
鋭利な刃物を持った少女達が……。
「――――えっ、なんで二人とも包丁を持っているんだっ?」
「「…………」」
「ち、違うぞ? ただの冗談だぞ? 比喩的表現なんだぞ? だから本当に刺しても意味ないんだぞ?」
「「…………」」
「あっ、ああっ、あああっっっ――――――」
姉妹が取った行動は、ただの冗談であったのか。
男にお灸をすえようとしたのか。
男の望みを叶えようとしたのか。
定かではない、が。
けれども、確かに、男は、嬉しそうな顔をしていた。
≪ アイドルの志望動機編 ≫
俺は馬鹿だ。
なぜ、なぜ今の今まで気づけなかったのか。
ヒントは沢山あったはずなのに。
一つめのヒントは、動く人形。
その道のプロであれば、これだけで気づけたはずだ。
二つめのヒントは、俺の意志に従う附与紙で創った使い魔。
これでもまだ気づけなかった俺は、本当にマヌケだ。
三つめのヒントは、俺のオリジナル魔法である複製魔法。
パソコン本体だけでなく、一度閲覧したwebサイトのデータも一つの製品として認識し、複製可能な力。
この三つを並べても気づけないような男は存在しないだろう。
……まあ、いい。
後悔に時間を費やしても時間の無駄。
時間は有限。
今は前へと進むべき。
そう、俺は、気づいてしまった。
「付与紙」の本当の力に。
俺にしか実現できない最大限の活用方法に!
――――――♪♪♪
「ああっ、最高だ…………」
それは、俺の目の前で、ヌルヌルと動く。
当然だ。
「付与紙」というミシルの才能と、俺の無駄に多い魔力とが合わされば。
創れないものなんて存在しないのだ。
――――――♪♪♪
素晴らしい。
本当に素晴らしい。
これが――――。
「これこそが、本当の、動くフィギュア!!」
俺の目の前では、日本の技術と男の夢の結晶であるフィギュアが音楽に合わせて踊ってくる。
その姿はもちろん、漫画やアニメで有名な少女達だ。
ネット上には本物のフィギュアのように踊る3D少女の動画があるが、目の前にあるこれは、決して二次元などではない。
手を伸ばせば実際に触れる事が可能な、本物の動く人形なのだ。
――――――♪♪♪
最高。
ほんっとーに、最高っ!
なんでこんなにも素晴らしいのだろう。
付与紙は。
魔法は。
世界はっ!
この世界に来て、本当に良かった!!
◇ ◇ ◇
そんな男の奇行を、物陰から覗いている者が居た。
愛人1号こと、姉のルーネである。
「こ、これは本気で危険なんじゃないのかいっ!?」
「…………あっ、どうしたの、お姉ちゃん?」
そこに、愛人2号こと妹のティーネが通りかかった。
「あっ、ティーネっ。大変なんだよっ、旦那が変なんだよっ!」
「大丈夫だよ、お姉ちゃん。旦那様は大体いつも変だからね」
「……まあ、そうなんだけど、そうなんだけど! でも今回は、もっともっと変なんだよっ!」
「もう、お姉ちゃんはいつも大袈裟なんだから――――」
大雑把な性格のくせに心配性な姉に向かって微笑みながら、妹も物陰から男の様子を窺ってみる。
「ふわっふわやで~。スカートふわっふわやで~。――トリックオアトリートっ。いたずらしちゃうぞー!」
「「…………」」
「やっぱロックは最高だよなー。最高のカルテットだよなー。――確変キター! こんな子が本当に居たら言い値で買うに決まってる!」
「「…………」」
「困り眉と引きつった笑顔がかわええなぁー。意地でも目を合わせないところが最高なんだよなぁー。――こっちを見ろよォ!」
「………………」
「ど、どうだいティーネ、いつにも増して変な旦那だろう?」
姉妹の視線の先には、机の上で音楽に合わせて踊る少女型の人形にすっかり魅了されたパトロンの姿があった。
男は虚ろな瞳のまま、踊り続ける人形と目を合わそうと必死に動きを追っている。
「――――大変だよっ、お姉ちゃん!」
「そうなんだよ、旦那が大変な事になってるだろう?」
「違うよお姉ちゃん! 大変なのはわたし達の方だよっ!!」
「ええっ!?」
「このままだと旦那様は、人形ばかりを見るようになって、わたし達なんて見向きもしなくなっちゃうよ!」
「えええっっ!?」
最近、明るくなったティーネは、冗談も言えるようになっていた。
だけども、今回の発言は、冗談ではなかった。
「ま、まさか、いくら旦那でも、生身の女よりも人形を選んだりしないはずさっ」
「…………」
「今はほら、珍しい人形に夢中になっているだけなのさっ、きっと!」
「――――甘い、甘いよお姉ちゃん!」
「うええっ!?」
「わたし達は、そんな呑気な事を言っている場合じゃないんだよっ!」
「は、はいっ!」
怒らせると、誰よりも怖いのは、妹。
それが、姉と男の共通認識であった。
「で、でも、どうしたらいいんだいっ? 旦那からあの人形達を奪って壊しちゃえばいいのかい?」
「そんな事したら、流石の旦那様も怒っちゃうよ。……それはそれで見たい気もするけど」
「…………」
深刻な表情を見せる妹に、まだ状況を理解できていない姉が話を合わせる。
妹の洞察力をよく知っているからだ。
「いったい、どうしたら旦那様を…………」
「ティ、ティーネ?」
「うん……、そうだ…………、旦那様は可愛い姿で踊る物が好きみたいだから――――」
「だ、大丈夫なのかい、ティーネ?」
「――――だったら、わたし達も同じステージに立つしかないよっ、お姉ちゃん!!」
この瞬間こそが。
後に王都の劇場を席巻する姉妹が、舞台に上がる決心をした記念すべき瞬間となった。
……しかし。
姉妹がアイドルを目指した動機は、かのパトロンの男でさえ、知る由もなかったのである。